#14 接近

 神崎の言葉を聞き、その視線の先の人物を認めた須賀の判断は早かった。


「三澤、指揮を任せても大丈夫か」

『問題ありません。なにかありましたか』

「神崎くんが不審者を発見した。こちらで対処する」

『了解』

「仁科、範囲を広げたい。あと東に50m」

『了解です』

『班長、いま見てる二人組っすか』

「そうだ」 


 通信がつぎつぎに交わされる。ランドセルを背負った少女が東に進む。呼応して人の波が引いていく。水面に一滴の雫が落ちたように、波状に人が散る。

 嫌な予感がするとは言ったものの、こうも発言を信頼されると急に自信が持てなくなってくる。

 これだけ距離が離れているのに、なぜ見覚えがあると思ったのだろう。手の震えは止まったが、背筋をつたう嫌な汗と、不快な寒気はおさまらない。


『数値は特に異常ないっすよ、どっちも』

「念のためだ。なにもなければそれで良いさ」

『配置は動かします?』

「このままでいい」


 仁科嬢はいったん建物の陰に身を潜めた。「どうですか?」と子ども特有のやや高い声で問いかけた。上から見るとよく分かる。彼女を中心とした直径数百mの範囲から人が消えた。桑原も表情を変えず、こちら方面に歩いてくる。

 須賀が低い声でつぶやいた。


「おかしいな」

『マジだ。動かねえ』


 永田の声にも疑問が浮かんでいた。神崎が気にかけている男女は、たしかに仁科嬢の人払いの範囲内にいるのだが、場を動く気配がない。 

 話しこんでいるのかと思ったが、様子からしてずっと男が話をしており、女はうなずきを交じえながら聞いているようだった。

 

「仁科は俺が指示をするまで待機。不測の事態が起きれば離脱を。避難指示は永田が出す」

『了解です』

小平おだいら駒場こまば、中倉は三澤の指示に従ってくれ。三澤は距離を取って全体を把握」


 了解、と複数人の返答が耳にはいるも、目線と意識はずっと男から離れない。

 どこかで会った。どこかで見た。懐かしさすら覚えるが、どこの誰だか分からない。外国の血が入っているのか顔立ちは彫りが深く、モデルと見まがう長身。スリーピーススーツをきっちりと着こなしている。

 どこかで見ていれば絶対に印象に残るに違いないのに、どうしても思いだせない。


「神崎くん、あの二人の近くに向かう。すまないが、安全なところで見学というのは無理そうだ。君には危害が及ばないよう最大限注意する。……永田」

『はいよー』


『リモート接続を開始します。管制者から5m以上離れないでください』


「そのまま、立っているだけでいい」

 

 須賀はゆっくりと指を動かしはじめる。シュ、という射出音とともに、わずかに身体が浮きあがった。


「気になるのはどちらだろう」

「男のほうです」

「分かった。話は変わるが、君は車酔いしやすいか? 三半規管は丈夫かな」

「滅多に酔わないので、大丈夫だと思いますが、」


 いったいなんのことでしょう、と続けるはずの言葉は、シュウ、という音とともに掻きけされる。一気に浮きあがって前進し、あっという間に空中におどりでた。

 須賀のほうを向くと、右の拳をゆるく握ったのが見えた。とたんに背部の射出音がやみ、落ちると思ったそのときには重力に従って身体が落下をはじめる。ごう、と風が全身をおそう。ジェットコースターで感じるあの浮遊感が全身をつつむ。


 なんて斬新な飛び降り、とトンチンカンな感想を脳がひねりだす間に、須賀がふたたび指を動かす。足裏から射出音が響き、地面に激突する寸前で背部と腰部から気体の射出がはじまる。

 地上からわずか数センチ浮きあがった状態のまま、路地を駆けぬける。

 目まぐるしく方向が変わる。訓練場で見た玉池少年の動きと比較すれば、緩急が激しくカクカク動く。全速力で進み、急ブレーキで止まって方向が変わる。

 車酔いはしないのかと聞いたのはこのせいか、と得心がいった。親友の瀬名のように、車に酔いやすい質の人間であればとっくに目を回している。


「すまないな! グラインのリモート操作は苦手なんだ、許してくれ」

「なんとか大丈夫です……」

『班長、動きありました。警官が』

「何?」

『桑原を尾行してた警官2名が、あの男女に話しかけてます。職質かと』

「仁科はまだ待機中だろう?」

『はい。でも範囲に入ってきました』

「ますます妙だな」

『警官がお嬢のピリオド掻い潜れるとは思えないんで、あの二人のどっちかが呼びよせたのかも。神崎くんすげーな、ブルじゃん』


 永田が感嘆の声を上げるが、応じようにも目が回りそうでそれどころではなかった。

 そろそろ吐き気が押しよせる、というところで突然グラインの動力が切られる。よろめきつつ着地し須賀をあおぐと、手で制された。


「この先だ。見えるか」


 古びたアパートに隠れ、そっと様子を窺う。謎の男女と警官2人の会話が聞こえるほど近い。

 4人は通りに面するガラス張りのカフェとコンビニエンスストアの間にいた。女性はこちらに背を向けており、視線も下を向いている。

 男は警官の話を聞いている。警官は中年の、いかにも叩きあげという感じの精悍な目つきの無精ひげと、新人と思しき若い男。


「ごめんなさいねえ、最近、このへんで不審者がよく出るって言うんで」


 中年警官は申し訳ないという感情を全面に押しだした声を上げているが、その目はジロリと二人を採点するかのように観察している。若手警官も、すいません、と頭を小さく下げている。


「いいですよ、別に。友里子ゆりこもホラ」


 にこやかに応じる男。聞き心地のいい落ち着いた声だ。

 どこかで聞いた。どこで聞いたんだっけ。いつ聞いたんだっけ。俺が聞いたんだろうか。それとも、俺じゃない誰かの記憶? そうだとしたら、誰の?


「まずいな」


 須賀が短くつぶやいた。なにが、と視線で問いかけると、彼は女性の方から目を離さない。つられて目をやる。背中が震えている。警官につかみかかりそうな勢いで怒っている。


「なに、みんなで寄ってたかって疑うわけ?」

「違いますよお姉さん、俺らは」

「いっつもそう! 浮気してるんじゃないか、金を盗んでるんじゃないか、男に媚売ってるんじゃないか、って」

「お姉さん大丈夫? ちょっと落ち着こうか」


 女性の声もまた怒りに震えている。中年警官がなだめるように両手を前にだす。

 そのしぐさが癪にさわったのか、女性は声を張りあげた。


「うるさい! 私はやってない! やってないのに全部、全部私のせいにされて、それで、……そう、そうなの……やってないのに殴られたの……」


 張りあげた声が徐々に小さくなる。誰に語りかけるでもない。自分の過去を振りかえるような、家のなかで見失ったものを探すために自らが取った行動を口にだして思いだすような語り口に、神崎の背がまたぞわりと慄いた。須賀の腕をまたつかむ。


「須賀さん」

「分かっている。君は出るなよ」

「……そうなの……何度も何度も殴られて、酒瓶……殴られたら瓶が割れて、それでも何度も……」

「おい、お姉ちゃん大丈夫かい? DV受けてるのかい?」

「破片が刺さって、痛くて、ぜんぶ嫌になって、破片で、そう……落ちていた破片で……大きな破片……」


 女性はなにかに気づいたのか、ぴたりと動きを止めて天をあおいだ。


 来る。なにかが来る。


 神崎がそう確信したのと同時に、須賀は横から姿を消した。永田の声とグラインの自動音声が重なる。


『班長、神崎くん、女の人!』

『未確認のピリオドを検知しました』

「離れて!」


 声を張る。警官二人がこちらに気づく。刹那、須賀が警官二人の背後に現れて首根っこをつかみ、全速でグラインをこちらに前進させた。わぁ、なんだ、と腑抜けた声をだして地面に転がる二人をよそに、彼はふたたび姿を消す。

 バシャン、とバケツの水をぶちまけたような音がその場に響いた。警官らが立っていた場所のすぐ後ろ、コンビニエンスストアのガラスが粉々にくだけた。


「そう、だからガラスの破片で……逃げたから、追って……お義母さんも……」


 ぶつぶつと女性がつづける。それをきっかけに、隣のカフェの窓も派手な音を立てて割れる。

 須賀は素早く女性のまえに姿を現し、右手に構えた拳銃で胸元に一発、ほぼゼロ距離で発砲した。女性は上を向いたまま膝から崩れおちる。血は出ていない。絹川の言っていたピリオドを無効化させる銃弾のようだ。


「え、なに?」

「なんだあいつ!?」


 足元の警官二人が、そろって素っ頓狂な声をだす。

 周囲に目をやる。男の姿が消えた。須賀も同じ思いだった。永田、と鋭く声をあげる。


「男が消えた。分かるか」

『あいつもピリオド持ってますよ! 神崎くん、上!』


 慌てた永田の声に、上を向く。すぐそばの建物の屋上に男が立っていた。警官を相手にしていたときの笑みは消え、まるでこちらを見下すかのごとく、冷たい目を向けている。

 はっきりと目があった。男の瞳は揺らがない。誰だお前は。心中で声をかけるが、男は応じない。

 彼は指をさした。神崎たちがいる場所の頭上をしめしている。誘導されるようにその場所に目を向けた。なにかが浮いているが、形は見えない。

 雲間からわずかに差しこむ太陽光に反射し、キラキラ光っている。


『ガラスだ! けろ!』


 大村の声が両耳の鼓膜を震わせた。大小さまざまな大きさのガラスの破片が宙に浮いている。

 理解した途端、それらは落下をはじめた。重力に従うわけではなく、刺さることを目的にしている思えるくらいの速さで。


 グラインをオートモードに。ダメだ間に合わない。須賀さんのピリオドでも全員を助けるのは無理だ。割れたガラスの雨、刺さったら大怪我は必至。最悪の場合、死ぬ。

 

 死を意識した瞬間、自然と右手が動いた。腰の左側に手をやり、そこにあったものに触れる。なにも携行してこなかったのに、自然とそこにそれはあった。ゆうべ感じたそのざらついた柄の感触を確かめて握る。

 無数のガラス、一つ一つを斬るのは不可能。須賀はこちらを助けに来てくれるはず。彼が警官二人を安全な場所に引きもどすだけの時間を稼がなければ。

 どうやって? 刀一本で、無数のガラスを相手に、どうすれば?


『まずは、ひとつに集中しなさい』


 優しい声音が胸に響いた。幼いころに聞いた父の言葉。新聞紙を斬りたいとワガママを言った時の。最初は数枚まとめて持つように彼に言ったものの、上手く斬れずに文句を垂れた。

 まずは、ひとつに集中しなさい。彼はそう言い、新聞紙を一枚だけ取ってまた広げた。一丁前に深呼吸を繰りかえしてから挑むと、きれいに真っ二つに斬れた。


 そうだ、ガラスを斬るんじゃない。


 短く息を吐き神経を手に集中させ、できうるかぎりの早さで刀を抜く。切っ先が綺麗な放物線をえがいて空を切る。刀身が唯一、空気だけをとらえる。

 ヒュオ、と風が起きる音がした。抜刀で巻きあがった風が、ガラスを包む。光が舞いあがる。

 よし、と思ったとき、射出音が響いた。グラインが全力で後退を始める。視線を落とすと、須賀がまた警官二人の首根っこをつかんで避難させている。


 倒れた女性のもとに4人全員が辿り着いたそのとき、舞いあがる風の抵抗をなくしたガラスが、先ほどまでいた場所に降りそそいだ。

 ばしゃん、と大きな音が立つ。落ちるというよりも刺さるに近く、抱えられるくらい大きな破片もあった。

 屋上にいた男の行方を追うべく須賀が動いた。男の立っていた場所に瞬時に移動したが、すぐに戻ってくる。


「ダメだ、いない」

『マジで? あの男、屋内に戻りましたよ』


 永田の言葉を受け、神崎もビルに入りくまなく探した。しかし、男の姿は忽然こつぜんと消えていた。



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