#13 同行

 ほどなくして管制室に数人が入ってきた。隊服に黒いライダースジャケットを合わせたショートカットの若い女性を筆頭にし、ビール腹が目だつ坊主頭の中年男性が続き、紺のロングカーディガンを羽織ったひっつめ髪の中年女性が続く。

 坊主とひっつめ髪の二人は楕円形の島についた。ライダースジャケットの女性はこちらに歩みより、モニターで状況を確認してから崎森に向けて言った。


「準備出来たので、こちらも出ます。同行するのはこの方ですね」

「頼む」


 ハスキーボイスでハキハキと喋る女性は、神崎に向きなおる。「須賀班の三澤みさわといいます。私と班長で、あなたを現地に連れていきます。安全な場所で待機する予定ですが、万一に備えてグラインを装着してもらいます」

「分かりました」


 三澤はてきぱきと準備を進める。昨晩と同じ鋼色のアタッシュケースを持ってきて神崎に装着させ、通信機器を手渡す。


「こちらを両耳に。話す内容はウチの班員と、この管制室に聞こえます。試しに喋ってみて」


 あーあー、と発する。ほぼタイムラグなしで音声が室内に響き、右側のサブモニターの左下に「あー あー」とテロップが表示された。映っている映像も、神崎の目の前に広がる景色を捉えている。視野からして、グラインの胸骨あたりにカメラが内蔵されているようだ。

 ゆうべの行動や発言も、一部始終が音声とテロップ付きで見られていたのか。そう思ったところで大村が見透かしたように釘を刺した。


「神崎くん、今回は間違ってもリモート接続は解除しちゃダメだよ」

「はい……」

「やあ、待たせたね!」


 自動ドアが開き、須賀が右手を挙げて入ってきた。「待たせた」までは入り口付近で聞こえたが、「ね」という声が真隣で聞こえたので肩をびくつかせた。

 そうナチュラルに瞬間移動をしないで欲しいと思ったが、ほかの面々はノーリアクションだった。見慣れた光景なのだろう。

 永田がキーボードを叩きつつ須賀を振りあおいだ。


「遅かったっすね」

「到着はもう少し前だったんだが。廊下の一角で電灯が消えていてね。施設点検をしたばかりだろう? 電灯の寿命ではなく電気設備の不具合かもしれんと思って関係部署に連絡していた」

「え、うそ」


 絹川が驚きの声を上げる。なんすかどーかしたんすかぁ、と永田がモニターを見つめ手を動かしながら間延びした声で問う。


「廊下の隅っこのですか?」

「そうだが」

「さっき、神崎くんが『あの電灯、消えそう』って言ったんです。私も見ましたけど、点滅もしてなかったし、明るさもほかのと変わらなかったから、気のせいかなーって……」

「マジ? やっば、預言者じゃん」


 永田が面白そうに言った。その場にいる全員の視線を浴び、急にいたたまれない気持ちになる。


「偶然だと思います。なんとなく、そんな気がしただけっていうか……ひょっとしたら俺が見たとき、たまたま点滅していたのかも」


 電灯が点滅していなかったのは確かだ。明るさもほかと変わりなかった。なぜその電灯に目がいったのかは説明できない。単なる虫の知らせ、あるいは偶然。


「そうか、ではこの話は一度脇に置き、移動を開始しよう。神崎くん、ついておいで」


 須賀が場の流れをその一言で変える。

 了解です、と応じた絹川は永田の隣に着席し、パネル操作をはじめた。大村は手を口に当ててなにか考えこんでいる。

 さー今日もみなさん頑張りましょう、と永田がひとりごちた。


「最近、肩こりひどいんすよねえ。ずっとモニター見てっからかなあ」

はり治療してやろうか」

「崎森さんが言うとシャレになんねーって」


 


 *****





 建物を出てすぐのところにセダンタイプの黒い車が停めてあり、後部座席に乗るよう指示される。須賀と並んで座り、三澤が運転席に乗りこんだ。バックミラーの位置を調節し、彼女が説明する。


「現地はここからほど近い場所です。到着後は状況が分かる場所で待機してもらいます。グラインは」

「俺が管制しよう」

「だそうです。班長と行動してください。5m以上離れないでくださいね」

「分かりました」


 慣れた手つきでギアチェンジし、車は静かに発進した。瞬間移動で現地まで行かないというあたり、やはり須賀の能力にはある程度の条件があると見うけられる。

 敷地内を出、公道に入る。三澤の運転はうまく、揺れや振動を感じさせない。自動運転が主流の現代で、ここまで運転能力が優れている人は珍しい。


「ああいうことは、これまでにあったかい?」


 外の景色に目をやったまま、唐突に須賀が問いをよこした。緊張をいだかせまいと配慮しているのか、声音は優しい。少しのあいだ迷ってから正直に打ちあける。

 ふと目線が電灯に向かって、なんとなく消えそうだと思った。そんな経験はこれまでなかったはず。ただ、昨日木刀を持って家を出たときや崎森に助けられる間際も、似た感覚を覚えた。

 この経験は、5歳の時に父が家を出ていった日が最初だったはず、とも。


「お父さんの記憶は?」

「ほとんどないです。母ならいろいろと覚えていると思いますが」

「ふむ」


 須賀は腕を組んで考えこむ。三澤も黙って運転に徹している。


「おかしいんですかね、俺」

「いや、そんなことはないさ。虫の知らせというのは誰しも経験しうる。しかし君は昨晩ピリオドを表出させたが、前世を持っていないんだろう?」

「はい。再検査でも、結果は変わらず」

「ピリオドは遡臓に由来し、前世の記憶が関係している。前世のない君が、どうしてかピリオドを表出した。そんな君が、この状況で虫の知らせを受けとるようになったのであれば、なにかあるかもと疑ってかかるのがすじというものだ」

「これもピリオドなんでしょうか」

「ピリオドは一つの人間につき一つしか表出しない。……これまでの常識では。だが、いきなり人間の身体に新しい臓器が宿るのならば、複数のピリオドを持つ人間がいきなり現れることも否定はできまい。本当に偶然が重なっただけの可能性もある」

 須賀は笑みを浮かべて肩をすくめる。「世のなか、分からんことのほうが多い。あまり気に病むことはない」

 そうでしょうか、と答えた声は、思ったよりも沈んでいた。

 自分が、自分の理解を超える領域に踏みこみかけているのではという怖さがあった。


 無言の時間が続いた。15分ほど経ったころ、三澤が到着を告げた。細い路地裏に車を停め、二人を降ろすと彼女は別行動を取るらしく車は走りさった。

 いったいどこだと視線を彷徨わせ、電柱に『江東区 深川』とあるのを見つけた。


 ずんずんと須賀が歩いていくのについていく。平日の昼さがりだが、人通りはない。大通りから外れた路地といえど、不気味なほど静かだった。

 須賀は雑居ビルに入っていき、エレベーターで最上階に向かった。幾度か来たことがあるのか、エレベーターを降りたあとも迷うことなく歩を進め、屋上に続くドアに手をかける。

 厚い雲がかかり、風がやや強い。今夜は雨になるだろう。立地が良いのか地形がそうさせているのか、視界を遮るビルもなく、屋上からは街並みを一望できた。


「実働隊員は6名程度の班単位で動く。班長はおもに後方で指揮を取り、殿しんがりで最後の砦になる。いま、班員たちはあそこにいる」


 差ししめしたのは、東の方角。住宅や商店が軒をつらねる路地。

 顔は識別できないが、モニターで見せられていたおかげで監視対象の桑原亮一らしき人物は分かった。ビジネスバッグを持ち、こちらに背を向けて歩いている。10mほど距離をあけて、黒い服の隊員が隠れることもなく歩いている。


 あの尾行じゃバレますよ、と言いかけ、やめる。

 隊員とすれ違う通行人もいるが、真っ黒に鋼色の装備というなりの人間に視線をやることもなく通りすぎていく。気づかれるどころか、見えてすらいないように感じられた。


「あれは、尾行している方のピリオドですか?」

「君が入隊したら答え合わせをしようじゃないか」


 どこか愉快そうに言う須賀をよそに、周囲を見渡す。冷静に考えれば、おかしい。

 車を降りてからここまで誰にも会っていないし、向かいのビルの一室からこの屋上は丸見えなのに、窓から見える人はいっさいこちらを見ない。監視対象の周辺は人がまばらだが、ある程度の距離をおいた場所は車通りも人通りも格段に多い。

 まるで、その場所だけ人払いをされているようだった。


 世間に知れわたらないように動くというのは、こういうやり方なのか。これは一体誰のピリオドだろう。永田か、大村か、三澤か、それともあの坊主頭の中年男性か、ひっつめ髪の女性か、あそこを悠々と歩く隊員か、あの場にいなかった誰かか。


『班長、数値上がりましたねえ』 


 イヤホンから永田の呑気な声が聞こえてきた。


「そうか」

『たぶん、このままだと1時間もしないと思います』

中倉なかぐら

『はい』

「移動開始だ。仁科にしなを」

『了解です』


 中倉と呼ばれたしゃがれ声の主は、短く応じた。それらしき人がいないかと目を凝らすが見あたらない。と、桑原が通りすぎた建物の陰から誰かが姿を現した。


 中倉という男かと思ったが、出てきたのは一人の少女だった。水色のカバンを背負っている。黒地に白い丸襟のワンピース。髪は二つにくくっている。背丈からしても、小学生だろう。

 少女は桑原の前で立ちどまり、なにごとかを告げた。桑原は彼女にうなずき、くるりと方向を変え、来た道を戻りはじめた。足取りはしっかりしているが、表情に変化はない。

 なにかに操られているかのような、奇妙な方向転換。いっぽう、少女もまた来た道を戻り路地に消えた。

 彼女の行方を捜していると、少女は一本へだてた路地に出、すたすた歩いていく。すると、道ゆく人々が、桑原の周囲から離れるかのごとく散り散りに歩きだした。オートバイや車、バスまでもが蜘蛛の子を散らすように、いっせいに離れていく。


「あの子も?」

「無論だ」


 おそらく、ピリオドをかけられたことすら分からないだろう。場を離れたことも自覚していないのかもしれない。


 ――俺も、こんなふうに自覚のないうちに危険から身を遠ざけられていたことがあったのかな。


 驚きと感心、畏怖、興奮。さまざまな感情が駆けめぐる。同じものが自分にも宿っている。言いようのない気持ちだった。

 かすかに手が震える。とんでもないものを宿してしまったという思いと、果たしてこれを制御できるのかという問い、今まで知らなかった世界の真実、そのかけらを悟ったことへの戸惑い、すべてがないまぜになった感情の波が、全身を包む。


 だから、最初は気づかなかった。震えから来るものだと勘違いしていた。

 桑原の位置から、東に80mほどの位置に立っている一組の男女。なぜ自分の目が彼らをとらえたのかも分からない。さっきから視界に入っていたのは間違いないのに、急に気になった。

 こちらに背をむけて立つロングヘアの女性。白いニットに黒いジーンズ。その女性に対面している長身の男。やや長めの黒髪、黒のスリーピーススーツに、同色のロングコート。

 

 あの男、どこかで見たことがある。


 そう直感したと同時に、背筋に寒気が走った。

 覚えのある感覚に、隣にいる須賀の腕を強く掴む。


「須賀さん」

「どうした」

「すごく、嫌な予感がします」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る