#10 見学

 訓練場はやや離れた位置にあるのだと絹川は告げ、「これで行こうよ」と棟の入り口付近に停めてある電動車を指さした。一人乗りの全自動で駆動するそれに、神崎は乗ったことがなかった。

 前方に二輪、後方に一輪でタイヤが配置され、人が乗るスペースは逆三角形をとっている。操作盤とハンドルは一体化しており、前輪同士の間から胸もとの高さまで伸びている。

 行き先を入力すれば自動走行し目的地まで連れていってくれるため、敷地の広い大学や研究施設なでは建物間の移動目的で用いられている。


「俺、乗ったことない」

「私が操作するから大丈夫、だいじょーぶ」


 うながされ、1台に手をかけた。そっと足を乗せハンドルを握る。絹川が慣れた様子で操作し、「出発進行しんこ―」という緩い声と同時に音もなく2台は動きだした。


 人間が走るのと同じくらいの速度で電動車は進み、段差があればスピードを緩め、搭乗者に負担がかからない最小の動きをとる。ときおり歩行者を追い越しながら、市街地とは反対方向、敷地の奥へ進んでいく。

 大きな池があり、噴水があり、石畳があり、芝生があり、芝生に寝転がっている人がいた。それらを横目に通りすぎていく。

 訓練場には5分もせずに到着した。充電ブースに自動接続したところで電動車は動きを止める。建物の外観は体育館に似ているが、それにしてはかなり大きい。「体育館」というより「スタジアム」と呼ぶ方がふさわしく思える。


「ここが屋内訓練場。この奥に、屋外訓練場もある」

「訓練は、具体的になにをするの」


 絹川は屋内訓練場の出入り口に備えつけのリーダーに指紋をかざし、パネルを操作しつつ説明した。


「警察官がやるものと、警察官はやらなさそうなものと、いろいろ。見たほうが早いよ」

『お入りください』

 

 自動ドアが開き、室内に足を踏みいれる。

 ロッカールームやシャワー室の表示があるのは、公共施設の総合体育館と変わらなかった。剣道部の大会で何度も足を運んだ区民体育館を彷彿とさせる。


 エスカレーターで2階に上がり、2階席に通じる観音開きの扉が自動でひらく。

 ひらけた視界の先はスタジアムさながらの眺めで、1階部分が一望できた。2階は前下がりの傾斜を取っており、最前列は腰ほどの高さに手すりが備わっている。

 1階はバスケットボールコート4面ぶんはゆうにある。白い柱や壁がいたるところに配置されていた。遮蔽物しゃへいぶつは3~4mほどの高さまで伸びており、床面から天井まではおおよそ10m弱ほどといったところか。

 障害物がうまく配置されることで、狭い路地を模している。上から俯瞰すると迷路のようにも見えた。


 シュウ、シュ、という音がかすかに耳に届く。出所でどころを探るも、障害物が多すぎてどこか分からない。

 ビー。

 低いブザー音が鳴った。終了です、と自動音声がフィールド全体に響く。


『1分のインターバルののち、5回目を開始します。レイアウトを変更します』


 すると、そり立っていた障害物たちが回転しながら床に沈んでいった。食堂の調味料入れとまったく同じ動きだった。

 すべての障害物がなくなると、今度は別の場所から柱や塀、壁がせりあがってきて、あっという間に先ほどまでとはまったく異なる景色が広がる。


「すご……」初めての光景に圧倒される。

「訓練は何種類かあるんだけど、これは自動走行マネキンを制限時間内にぜんぶ捕らえる、っていうもの」

「自動走行マネキン?」

「独自のAIを搭載した人型マネキン。人間が取りそうな行動をプログラミングされていて、見つかれば逃げるし、塀も登れる。歯向かってくるのもいるよ。……ほら、あれ」


 彼女が指さした方向を見る。塀に囲まれた路地の一角から、白いマネキンがせり上がってきた。顔はのっぺらぼうだが、きちんと上下に服を着せられている。衣料品店の店頭から逃げ出してきたようだ。

 マネキンは左右をうかがってから走りだした。ぎこちなさはなく、人間さながらの滑らかな動きを見せる。フィールド全体に目を向けると、同じようなマネキンが、もう二体動いている。


 ふたたびブザーが鳴った。

『制限時間5分、開始してください』


 合図と共に、シュン、と高音が響く。人影が塀のあいだから飛びあがってきた。

 玉池少年が、あの飛行装置――グラインを使っている。


 少年は、絹川が指さしたマネキンをまず視界に捉えた。マネキンは気づいたようで、素早く方向を変え、走る速度も上げる。別のマネキンは、視界の死角に入ろうと塀にへばりついている。その動きの奇妙さに、神崎は思わず、ふは、と笑みをこぼした。 


 玉池少年はフィールド全体を見渡し、すぐさま下に降りた。降りる際にいったん動力を切ったようで、降りるというよりは重力に従って落ちるかたちで視界から消える。

 そののちに、風船から空気がもれるような、あの独特の射出音がした。少年の頭が見え、その動きを目で追う。

 彼は、かなりのスピードで障害物の間を縫って進んでいく。ゆうべ神崎が自ら指示を出し体験した自動運転のスピードと同等か、それ以上に見える。わずかでもミスをすれば壁に激突してしまうほどの速さをいっさい緩めず、すいすいと進んでいく。見ていてすがすがしさを覚えるほど滑らかな動きだった。


「マネキンのところまで飛んでいくんじゃないんだ」

「この訓練だと、飛んでいいのは最初の一瞬だけ。相手の位置と地形を把握したら、あとはとにかくスピード勝負。障害物の組み合わせとマネキンの数はランダムに決められるから、パターンは無数」

「これを20回?」

「ううん、これは準備運動代わり。……模擬練っていうのは、対人模擬戦闘訓練の略。あ、これ使って」 絹川は座席側面に備えつけてあったタブレットを手渡してきた。「左半分が玉池くんの目線。残りの3つはマネキンの目線」

 

 胸部には高機能のカメラが搭載されているようで、視界がクリアに映しだされている。

 マネキンは経路を理解しており、迷ったりマネキン同士がかち合ったりしないよう逃げていく。玉池少年は全速力を保ちながらも常に周囲を確認している。手元や足元はほとんど見ていない。

 彼は一体のマネキンを視界にとらえ、いっきに加速し間合いを詰めた。マネキンは左手でグーを作り、殴りかかってくる。首を曲げるだけで拳を避け、突きだされた左手を右手で掴んで外側に捻り、身体を抑えこんだ。年端もいかないの身のこなしとは思えない流麗な動きだった。

 ピー、と高い音が鳴る。マネキンの顔に『SUCCESS』と文字が浮かびあがる。


 玉池はすぐに身をひるがえし、移動した。残りの2体もほどなく見つかり、制圧された。最後の1体は苦しまぎれにナイフらしきものを突きだしてきたが、少年は臆せず軌道を見切って叩きおとした。

 長年格闘術をやっているかのような、無駄のない正確な動き。中学生かそこらの子どもがするたいさばきとは思えなかった。


『確保成功。記録、3分46秒。以上で訓練は終了です』


 終了を告げる音声で、いっせいに障害物は床に吸いこまれていく。


「玉池くん、お疲れさまー」


 絹川が手を振って声をかけた。少年はこちらに向かって、小さく跳びながら両手を振る。その仕草とにこやかな笑顔は年相応のそれだった。


「加入したら、こういう訓練を積むんだね」

「まずは対人格闘からだね。銃の取り扱いやグラインの基本操作を覚えてからこれ」

「銃も?」

「もちろん。減退弾って言って、当たれば相手のピリオドを少しのあいだ無力化できる弾丸があるの。殺傷能力はないけど相手を無力化できるから使う頻度が高い。射撃に特化した隊員もいるよ」


『オーケー玉池、完璧だ。流石だな。2分休んで次に進もう。俺もそちらへ向かおう』


 ふいに、太い男の声がスピーカーを通じてフィールドに響きわたった。

 須賀すがさんだ、と絹川がつぶやく。玉池は腕でマルを作ってみせ、声の主に返事した。


『オーディエンスもいるじゃないか。これはいいところを見せねばなるまい』


 芯の通った聞きやすい声だが、なんとなく洋画の吹き替えを連想する。

 声の主からは、こちらが見えているらしい。

 いったいどこで話しているんだろうと周囲を見まわす。人影はない。


「残念、こちらだ。灯台下暗しだな」


 背後から大きな声をかけられ、背がびくついた。振り向けば、扉の前に長身の男が立っていた。


 黒い制服にグラインを身につけている。服を着ていても筋骨隆々とした身体つきがありありと感じられる。スポーツジムのトレーナーや、消防士にいそうな印象を受けた。

 30代半ばくらいに見受けられるが、引き締まった身体ゆえに若く見えていて、実際はそれより上かもしれない。刈り上げた短髪が似合っている。歯が白そう、と偏見に満ちた予想が頭をよぎった。

 お疲れ様です、と絹川が会釈をする。


「お疲れ。絹川がこちらに来るのは珍しいな。隣の彼は、昨晩の?」

「ええ。見学を」

「そうか。はじめまして」


 須賀と呼ばれた男は歯を見せて笑い、右手を差しだしてきた。慌てて会釈をし、差しだされた大きな手を握りかえす。かたくなったマメの感触があった。 


「神崎真悟といいます。お邪魔しています」

「とんでもない。須賀だ、よろしく頼む」

 須賀はにっこりと笑い、神崎の端末に自らの情報を送った。勝手な想像のとおり、彼の歯はぴかぴかに白かった。送られた情報を見る。須賀すが丈児じょうじとあり、「Joji SUGA」とアルファベット表記が併記してある。声質や言葉選びの面からすればスペルは「George」のほうが似合っていると率直に感じた。


「崎森から話は聞いている。午後はうちの班に同行することになった」

「! ……よろしくお願いします」

「いいんですか、班長がこんなところにいて」

「俺と三澤みさわで神崎くんを連れていく。他の者はもう出た。今ごろは笹岡ささおか班と交代しているだろう。崎森から、玉池の模擬練に付きあうように言われてね。元指導官として、教え子がどれだけ成長したかを見るのに良い機会だ。では失礼、またあとで」


 須賀はそう言うと、ごく自然な動作で最前列の手すりを乗りこえ下に飛びおりた。着地音の代わりにシュ、という音がし、玉池少年の近くまで進んでいく。

 


「まだ時間には余裕あるし、見て行こうか」

「うん」須賀の背を見つめる。「班長ってことは、須賀さんは崎森さんと同じ立場の人なんだね」

「そう。でも崎森班長のほうが上官だよ。年齢は須賀さんの方が上だけど」

「へえ」崎森のほうが年若いのは神崎の目にも明らかだったが、彼の方が上官というのは意外に思えた。「これから二人で模擬戦闘を?」

「うん。さっきの障害物がせり上がってくる。今度は飛行もオッケーで、ピリオドを使ってもオッケー。ペイント弾入りの銃とゴム製のナイフも使う。胸に一撃入れたほうが勝ち」


 ここで二人のピリオドを知ることができるのか。

 須賀と玉池は会話をいくつか交わしてから、10mほどの距離を取った。

 ふいに視線を感じる。横を向けば、絹川が意味ありげな笑みを浮かべていた。


「どうかした?」

「『二人のピリオドが見られるかな』って思っているところ残念だけど、たぶん神崎くんが分かるのは須賀さんのだけだと思うな」

「どういうこと?」

「ピリオドにも種類があるんだよー」


 休憩終了を告げるブザーが鳴る。フィールドでは障害物が次々とせり上がってゆく。玉池少年と須賀の姿は、じきに見えなくなった。




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