#9 案内


 名前に覚えがあった。玉池少年が、あの飛行装置を使うときに呼んでいた。


「玉池くんの」

「そうです。彼と話して、いろいろ操作していたのは私です」


 彼女は穏やかにんで端末をる。指紋をかざし、注文をすませてこちらに目をあわせる。淡い茶の瞳は、そばのテーブルに反射する太陽光で琥珀色にも見えた。


「お話を聞いて、お疲れでしょう」

「全部が全部、なにが何だか」

「そうですよねえ。私も最初はそうでした」


 彼女は近くを通ったカートを止め、水の入ったグラスをふたつ取った。ひとつを神崎の前に置く。咀嚼しつつ頭を下げ、て受けとる。飲みこんでから質問を投げかけた。


「絹川さんもピリオドを使えるようになってここに?」

「いいえ、私はただの一般人。それらしい能力は出ていません」

「持っていない人も所属してるんですね」

「割合は少ないですが、いますよ」


 絹川は自身が加入にいたった経緯を手短に話した。

 異能犯罪者の暴走に巻きこまれそうになったところを隊員に助けられ、その場で勧誘されたのだという。

 自分のなにがスカウトにあたいするか分からなかったが、バイトを掛けもちして家計を支えていた身の上からはありがたい申し出だったと彼女は話した。


「説明されても、なにが何だかだし。スカウトしてきたのに3日以内に決めろと言われるしで大変だった記憶があります」

「俺、まさにその状況です」

「あはは。大村さんは丁寧に説明してくれるので遠慮なく聞くといいです。たまに話が長くて辟易しますけど」

「崎森さんにも言われました。知ってることはちゃんと言え、って」

「班長は大村さんの長話に長年付きあわされているみたいですから」


 カートが絹川のそばで止まった。『絹川管制官、お待たせしました。ペンネ・アラビアータです』とカートが喋った。指紋認証をすれば名前で呼んでくれるらしい。


「管制担当は、実働隊ってやつですか」

「実働と後方支援の中間です。管制室で隊員の状況を把握して、対象者の所在地を伝えたり、救護の補助をしたり。あとはグラインの遠隔操作なんかも」

「グライン?」

「あの飛行装置です。神崎さん、自力でリモート解除したからビックリしちゃった」


 ペンネをフォークで刺しつつ、絹川は微笑む。乾いた笑いしか返せない。

 よく考えれば突飛な行動ばかりしていた。冷静に振りかえると恥ずかしさすら覚える。


「あの装置、すごいですね。はじめて空を飛びました。昔のヒーロー映画みたいで」

 映画タイトルを告げると、彼女は笑ってうなずいた。「開発者は、あのシリーズの大ファンですから。生まれ変わってようやく夢が達成できた、と言っていました」

「お知りあいですか」

「ここの人です。部署が違うので頻繁に会うわけじゃないけど」


 へぇ、とも、はあ、ともつかない声が漏れる。組織の層の厚さを垣間見た気がした。

 呆気に取られている神崎を気にもせず、目の前の彼女は話をつづける。


「午後はどんな話を聞く予定ですか」

「実際の仕事を見せる、と。戦闘の場に連れて行かれるんですか」

「危険のないよう遠目で見る程度だと思いますよ。まだ、ご自身と崎森さんのピリオドしか見ていないでしょう」

「そんなに頻繁に暴れているんですか。その、異能犯罪者っていうのは」


 咀嚼する口に手をあて、難しい話です、と絹川はもごもご言った。


「ピリオドが一定の基準を超えないと検知されない、というのは聞いたと思います。……正確にいえば、『検知されそう』っていう段階で把握できるんです。ただ、『検知されそう』から『検知されました』になるまで、人によってラグがある」

「ラグ?」問い返す。絹川はこちらを見てうなずいた。

「『検知されそうです』で監視を開始しても、そこから5年経ってもピリオドを表出しない人がいます。逆に、『検知されそうです』の次の瞬間にはピリオドが表出される人もいる。神崎さんはこのパターンでした。検知と表出が、ほぼ同時」

「監視したけれどなにも起きなかった、という人もいますか」

「います。『検知されそう』で引っかかるのは、前世が犯罪者の人が多いです。一般人よりもピリオドになりうる経験や思い出が多い傾向にありますから。『検知』と『表出』が同時に起こったときがいちばん危なくて、いきなりピリオドに目覚めて、能力と過去の記憶が制御できなくなって暴走し、人を傷つけてしまう」


 3か月前に検知され監視を続けている前世犯の動向が怪しい。午後はその男の監視に同行するのではないか、と絹川は話した。しかし、同行しても必ずしもピリオドを見られるとは限らないと釘を刺される。


「ピリオドを出しさえしなければ一般人ですから、線引きが難しいんです。捜査や確保で警察と連携することもありますが、警察は警察で、なんとしても犯罪者は自分たちの手で捕らえたいという面子がある」

「警察と仲悪いんですか?」

「良くはないですね。表面上は協力関係をうたっていますけど。……同行してなにもなければ、隊員のピリオドを見せてもらえると思います」


 綺麗に日替わり定食を平らげ、箸を置く。絹川のアラビアータは、まだ3分の1ほど残っていた。

 ここで別れて敷地内を散歩するか、もうすこし話をして聞けることを聞くべきか迷っていると、先回りするように絹川が言った。


「敷地内、案内しましょうか」

「いいんですか、休憩中なのに」

「大丈夫です。何時に戻ればいいですか?」

「2時に、ここの6階の病室に」

「2時か」絹川は左腕につけた腕時計を確認した。「あと1時間と少し、ありますね。食べ終わるまで待っていてもらえますか」

「ありがとうございます」


 待っているあいだにも細々と会話は続いた。年齢を問われ、18歳で来月から大学生になるはずだと話をすると、絹川は「同い年ですね」と微笑んだ。

 年上かと思っていたと正直に言えば、彼女ははにかみ、「周りは年上が多いですから」と謙遜した。会話を往復させるうち、自然と互いに敬語が抜けていく。


 ふと、端末を確認していなかったことに考えがいたり、改めて見てみる。

 母に電話しようかと思ったが、メッセージに『帰るころ連絡ください』と書かれているのをみとめる。

 今の状態で電話をしてもなにか不用意なことを漏らしてしまいそうで、電話をかけるのはやめた。『心配かけてごめん。元気です。帰るころ連絡します』とだけ返す。怪我はないと打とうとして、左頬の傷を思い出し、あわててその部分を削除した。瀬名からは無事に帰宅した旨の連絡があり、こちらも返信をすませる。


 ゆうべのできごとが出ていないかとニュースをあさる。『誘拐目当てか 注意した住民殺害 男逮捕』あった。関連ニュースに『警察、通報を把握するも動かず 失墜する信用』ともある。


 不審な男がうろついていると匿名の通報が寄せられていたのにもかかわらず、警察が策を講じなかったと糾弾する記事だった。

 監視を強めておけば、あの凶行は起きなかったのではないか。足先からじわじわと熱がこみあげてくる。どこにぶつければいいかも分からない熱は行き場を失い、両の手を絡めあわせて、力をこめた。


「大丈夫?」


 絹川が心配そうにこちらを見つめる。

 いや、あの、となんでもないふうを装ったが、結局、心情が口をついて出た。


「昨日の……警察が動いていてくれたら、って思って」

 彼女に端末を差しだした。絹川はニュースの概要を読み、かすかにうなずく。 

「こちらもマークはしていたんだけどね。別件の重要参考人だから手を出さないでほしい、って言われていて、警察に任せていた。最悪のかたちで裏目に出ちゃったね」

「警察は知ってるの? ピリオドのこと」

「上層部の偉い人たちは知っているみたいだけど、末端までは行きわたってない。知らない人の方が圧倒的に多い。……全員に周知すれば、公平に人々と接するべき彼らが前世犯を色眼鏡で見てしまうかもしれない。その懸念は理解できるけど、それでも昨日の事件は防げる部類のものだったと思う。ウチの上層部でも、警察との連絡体系について今ごろ紛糾してるんじゃないかな。ちゃんとしていれば、神崎くんは怖い思いも怪我もせずに済んだし、人生の選択を迫られることもなかったわけだから」


 知らなければよかったのか。知ってしまってよかったのか。

 知らずに生活していれば、これから先も幸せだったのだろうか。

 知ってしまえば最後、人生は大きく変わる。ものの見方も身の振り方も、常識の定義も、人を見る目も。

 昨晩の景色が浮かんでは、脳内を埋めていく。


「ごめん、遅くなっちゃったね」


 絹川は紙ナプキンで口を丁寧に拭き、ミントブルーの指先をテーブル備え付けの端末にかざした。

 我に返り、彼女にならってカードをかざす。『ご利用ありがとうございました。午後も頑張ってくださいね!』とエールを送られる。


 絹川が先を歩き、食堂を出た。立ち上がってはじめて、彼女が自分より頭一つ分背が低いのが分かった。それでも女性としては高身長の部類に入るだろう。

 モスグリーンのスプリングコートが、彼女が歩を進めるたびにひるがえる。


「ここには、どういう施設があるの?」

「図書館、診療所、遡臓に関する実験をしている研究所、隊員用宿舎、訓練場、そのほかもろもろ」

「じゃあ、訓練場で」


 吹き抜けの空間に、鐘の音が鳴り響いた。


「いまからなら、玉池くんが頑張っているところが見られるね」

「玉池くんが?」

「そう。……ちょっとだけ、神崎くんのせいでもあるかな?」


 いたずらっ子のような表情を浮かべる絹川。

 ややあって、なにを指しているのか理解した。ああ、と漏らすと、ふふ、と彼女もやわく笑う。


「撒かれたペナルティーで模擬練20回はキツすぎる、って、苦い顔してたよ」


 


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