#8 食堂


「なかったことにする、というのは、いったい」


 おそるおそる問いかける。大村は眼鏡の位置を直しつつ答えた。


「君の遡臓をピリオドで刺激し、破壊する。そうすれば、君はあの刀を出すことはなくなる。身体に不利益なことは起きない。遡臓は人体の生命維持にはなんの問題もないからね。ただひとつだけ、前世の記憶はすべて失う。検査映像を見てもピンとこないし、詳しく思いだすこともない。逮捕された異能犯罪者は刑が確定すれば遡臓を破壊している。今回の熊岡も例にもれずね」

「遡臓を破壊しても、生まれ変わってまた前世の記憶を思いだしたら意味がないのでは」

「良い質問だね。それについても検証が済んでいる。君が遡臓を破壊することを選んだ場合の最大のデメリットもそこだ」

「デメリット?」

「遡臓を破壊された人間は、生まれ変わることができない」


 大村はタブレットを操作し、ひとつの表を示した。人名が羅列されている。いずれもアルファベット表記で、外国人の名ばかりだった。


「これは遡臓破壊後に亡くなった凶悪犯のリスト。数十年経っているが、彼らの転生は確認されていない。断言できたわけではないが、僕は信憑性が高いと思っている」

「俺の遡臓が破壊されたら、身体にはなんの影響もないけれど、来世を生きることはなくなる」

「そう。この世限りだ。2020年以前の人類に逆戻りするだけ、と言えば聞こえはいいが、来世があると思って生きる人が多いこの時代じゃ、慰みにはならないかな」

「『こちら側に来る』っていうのは、ICTOへ加入するという意味ですよね。そっちを選んだら」

 大村は上を向いて指を折り、数えあげる。

「加入イコール就職扱いと考えてほしい。進学を考えているのなら、諦めるかたちになる。大卒検定の支援はあるが、勤務体系からして通学は難しい。身分は国家公務員。給料はビビるほど高いが、トンデモ能力を扱う犯罪者を相手にする以上は危険な職種と言える」

「……」

「加入後は、一定期間訓練を受けてもらう。凶悪犯に立ちむかうだけの能力が備わっているかどうかを見きわめ、能力と個人の希望を加味したうえで、実際に犯罪者と対峙する実働隊か、実働隊をサポートする後方隊かに配属される。……実働の仕事はそれ以外にも、担当区域のパトロール、本部からのリストをもとに該当者の監視、記憶研の実験に協力、警察と情報共有しつつ犯罪捜査、などなど。後方隊は警察や各行政機関と連携して不審者の洗いだしと素行調査、救護や避難誘導をおこなう」


 実感がない。どんなものか予想もできない。

 想像だけで決めるなんて無理だ。体育の教員になる夢も捨てたくない。

 かといって、遡臓を破壊すればこの世でしか生きられず、来世に記憶を継ぐことはできない。

 頭を抱えたまま、しばらく考えこんでいた。二人はなにも言わずにいる。


 いま、決断しないといけないんだろうか。突飛な話を聞きすぎて、あとで考えますとやすけあいしたはいいが、まったく考えられない。

 どうしよう。ドッキリだったりしないか。そんなわけないか。

 とめどなく考えが脳内を流れる。言葉を継げずにいると、カランコロン、と軽快な鐘のが室内に響いた。


「もうお昼か。じゃあ、続きはまた午後に」

 立ちあがる大村を手で制す。「待ってください、頭がぜんぜん整理できてないんです。次から次に説明されても」

「安心して。決断してもらうのは、なにも今日の話じゃない。……と言っても、明後日の夕方には決めてもらわないといけないんだけど」

「明後日の夕方……」


 それまでに、このさきの人生を賭けるほどの決断を? 俺が?

 ちょっと性急すぎやしないですか、一週間くらいくださいよ、とすがりたくなる。

 うう、と眉をひそめて困惑する。迷う姿を見かねたのか、崎森が声をかけてくる。


「身体のほうは? なんともないか」

「あ、はい、おかげさまで……なんとも」

「なら、午後は俺たちの仕事を見学するといい。同行できるよう手配する」

「そうだね、そのほうが想像しやすいかも。僕の配慮が足りなかった。カナメ、ありがとう」

「実際に見て出てくる疑問もあるはずだ。食事は取れるな?」

「はい」

「1階右奥が職員用の食堂。ビジター用のパスを渡すから好きに使うといい。敷地内も、これである程度は出入りできる。身体を動かせば頭もスッキリするだろ」


 崎森は青色のカードを差しだした。組織の紋章らしきものが中央に描かれ、その下に『VISITOR』と彫られている。

 愛想は良くないけれど意外に面倒見のいい人だ、と彼への印象を改めた。


「ごめんね、僕も彼も用事があって外させてもらうよ。2時にまたここで会おう。迷ったり身体に異変が起きたりしたら、僕の番号を呼びだして」


 大村がすまなさそうに手を合わせ、二人は連れだって出ていった。

 ひとりぽつんと残される。

 はあ、と大きなため息をつき、勢いよく後ろに倒れる。ぼふ、と柔らかい枕の感触。


「なにがどうなってる……」


 目を閉じ、聞かされた説明を整理しようと試みるが、空腹も相まって思考がまとまらない。

 いったんぜんぶ放りだして、腹ごしらえしよう。

 そう結論を出し、昨晩の服に着替える。ありがたいことに綺麗に洗濯されていた。

 スニーカーを履き、端末とカードを持って部屋を出た。案内表示にしたがってエレベーターホールに出る。ボタンは指紋認証装置がついており、自動音声が流れた。


『カードをかざしてください』


 言われるまま、渡されたパスをリーダーにかざす。『認証しました』という返事ののち、三基あるうちの真ん中のエレベーターの扉がひらいた。

 内部の表示を見て、6階にいたのだと知る。1階のボタンを押した。静かに箱が動きだす。背面はガラス張りになっていて、階下が近づいてゆくのが望めた。どこの階に止まることもなく1階に到着した。


 降りてすぐの場所は吹き抜け構造になっており、大きな窓から太陽光が降りそそいでいる。内装は白で統一され、清潔感があった。内部の設計もシンプルながら洗練された印象を受ける。

 屋外にはベンチや自販機が設置され、思い思いに人々が過ごしているのが見える。

 みな、一様に黒の上下を着ている。ボタンを開けて着崩している人や、ジャケットやカーディガンを羽織っている人もいる。

 食堂の手前には、デジタルサイネージが設置されていた。日替わりメニューの写真や今日のニュースが表示されている。

 入り口は改札を模したつくりで、出入りする人々は手をリーダーにかざしている。手首の腕時計がパス代わりになっているらしい。真似をしてパスをかざせば、ガコンという音とともにフラップが開いた。周りから見たらはじめて来たヤツだとバレバレだな、と、若干の気恥ずかしさを覚えつつ足を踏みいれる。


 席は6割ほど埋まっていた。4人ないし6人がけの席が多いが、一人席もいくつか。テラス席もあり、300人は収容できるだろう。誰もいない4人掛けのテーブルを見つけ、腰を落ちつける。席の端末が『カードをかざしてください』と喋りだす。従うがままにすると、注文方法を説明しはじめた。

 この端末で注文すれば自動的に席まで料理が運ばれる。食事後は端末にカードをかざすだけで良く、食器はそのままで構わない旨がアナウンスされる。

 ガイダンスの途中、銀色のカートが『通ります、ご注意ください』と発し、人の波を縫うように動いていくのが見えた。

 席の端末にカードをかざし、日替わり定食を注文する。料理が来るまでのあいだ、不審に思われない程度に周囲を観察した。


 黒の制服ばかりのなか、私服の神崎は目立っていたが、じろじろと見られることはなかった。部外者がいるのは慣れっこなのかもしれない。 

 老若男女、バランスよくいる。白髪の老爺が壮年男性と談笑していたり、明らかに神崎よりも年若いと思われる少女が端末片手にひとりで食事をとっていたり。英語で活発に議論を交わす、研究員とおぼしき外国人の姿も見受けられる。


 この人たちも、なんらかのピリオドを持っているんだろうか。だとしたら、どんな能力なのだろう。

 神崎はまだ、崎森の能力しか見ていない。そういえば大村も制服姿だった。彼もピリオドを有している? 疑問ばかりが泡沫ほうまつのようにつぎつぎ浮かぶ。


『テーブル番号42番のお客さま、日替わり定食をお持ちしました。カードをかざしてお取りください』


 後ろに、銀色のカートが到着した。岡持ちにキャスターがついたような作り。指示通りカードをかざすと、自動で扉が開く。

 湯気の立つ料理を乗せたトレイを慎重に取りだせば、扉は勝手に閉まった。


『調味料はテーブル中央のボタンを押してお取りください』


 そう言い残してカートは戻っていった。サバの味噌煮に炒め物、浅漬けに味噌汁と白米というメニューに調味料は不要に思えたが、興味本位でテーブル中央のボタンを押してみる。

 ウィーンという音とともに、テーブルの下から調味料入れが回転しながらせりあがってきた。


「わあ、すげえ」


 意図せず感嘆の声が漏れる。存外、呑気な声が出た。

 高校の食堂にこんな機能はなかった。料理も自分で取りにいかねばならなかったし、食器も自分で下げた。

 国が関わる組織はすごいな、と感心しつつ割り箸を割ったとき、前に誰かが立った。


「こんにちは。ここ、いいですか?」


 顔を上げると、ひとりの女性がこちらをうかがっていた。

 ショートボブの黒髪、両耳にシンプルなピアス。制服にモスグリーンのスプリングコートを羽織っていて、大学生くらいに見えた。逆になにが入るんですか、と聞きたくなるような小ささのネイビーのポシェットを肩からさげている。


「はい、お構いなく」座礼をしてうながす。思ったより硬い声が出た。

「大村さんのお話はどうでした? 長くなかったですか」


 女性はそう言って、やわらかく笑いかける。端末を手にとる指の先はミントブルーに塗られている。

 自分のことを知っているらしい。大村禄郎という男は話が長いということも。


「どこかでお会いしましたっけ」

「そうか。私はあなたの姿を見ていたけど、あなたは私の声しか聴いていないですね」


 にっこり笑うと、色白の頬にえくぼが浮かんだ。可愛い人だと、率直に思った。


「はじめまして。崎森班管制担当の、絹川きぬがわ灯子とうこと申します」


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