#6 疑問 


 なにかが頬をつたった。くすぐったさに、目が覚めた。

 白い天井が広がっている。消毒液の匂いがする。ゆっくりと身体を起こした。目元をぬぐう。寝ながら泣いていたらしい。

 ゆっくりと周囲を見渡す。病院のようだ。病院着に着替えさせられ、6人部屋にたったひとりで寝かされていた。他のベッドはきっちりとベッドメイクされていてシーツに皺ひとつない。窓から燦燦さんさんと日が射している。日が高い。

 違和感を覚え、右頬に触れる。パッチが貼られている。じくりと疼痛とうつうがはしった。その痛みが、昨晩のことは夢ではないと告げていた。


 そっとベッドを抜けだし、窓際に歩みよる。街並みがはるか遠くに見えた。

 こんもりとした森で市街部と遮断され、内側は白か赤茶色の建物がいくつも連なっている。大学のキャンパスのように見えた。都内にこんな場所があったのだろうか。


 視線を下へずらしてく。部屋が3階以上の場所にあるのは間違いない。幾人か歩いているが、みな上下黒い服を着ている。白衣を羽織っている者もいる。

 黒い服は、崎森たちと同じものだ。彼らの本拠地に運ばれたらしい。


 じわりじわりと記憶がよみがえってくる。

 引きちぎられた遺体。血の匂い。前世で罪を犯していた男と、謎の異能。叩き斬ったブロック塀、白い刀。無数の針、身体を浮かせる装置。


 どれだけ思いだしても、身に起こった現実だとはにわかに受け入れがたい。

 刀はどこだと周囲を見渡したが、それらしきものはなかった。着ていた服と端末はベッド脇のカゴの中に入っており、スニーカーも足元にそろえて置いてあった。

 端末の画面をひらく。10時半を指していた。瀬名からメッセージが入っていた。母からもいくつか履歴が残っている。最後に残されたメッセージには「時間があいたら連絡ください」と心配そうな声が吹きこまれていた。

 折りかえそうとしたところで、病室のドアが開いた。びくりと身を震わせ、入り口に目をやる。


「お目覚めですか」


 玉池少年と崎森が立っていた。ふたりとも鋼色の装置は身につけておらず、黒い服だけを着ていた。


「どこか痛むところはありますか?」

「いえ、特には」

「なら良かった」少年は安堵の笑みを浮かべる。

「あの、俺、あのあと」 どうしたんでしたっけ、と言おうとしたが、先回るように崎森が告げた。

「遺体を見て卒倒した。精密検査をしたが異常はない。家族には連絡が行っている。被害者の孫ふたりは両親に引きわたした」

「そうですか……」


 翼と祐梨が無事でよかった、という思いとともに、おばあさんの遺体がまざまざと思いかえされる。

 眉間にしわをよせた神崎を見、玉池少年は静かに言葉をかけた。


「おばあさんのことは本当に残念でした。このような結果になり、我々も悔しく思っています。突然のことばかりで混乱しているとは思いますが、説明のために担当の者が参りますので」

「……分かりました」


 聞きたいことは山ほどある。どれから聞けばよいのか、そもそも満足な答えを返してくれるのかも不安だったが、首肯しゅこうするほかに選択肢はなかった。


「じゃあ、呼んできますね。こちらの崎森が同席しますから」

「よろしくお願いします」


 ちらりと崎森の表情をうかがう。昨晩対面したときの、警戒心をあらわにした表情ではなかったが、にこりともせず神崎を見ている。左目の下にホクロがあることにそこで初めて気づいた。ゆうべは暗がりで分からなかった。

 なにか継ぐ言葉はないかと探す神崎だったが、彼が先に口を開いた。


「先に忠告しておく。これから連れてくる男は話が長い」

「はい?」ぽかんとしている神崎をよそに、崎森は続ける。

「知っている事柄について聞かれたら、『知ってる』と言え。でないと長時間拘束される」

「え、あ、……わかりました」

「ちょっと班長! 大村さんに失礼じゃないですか!」

「お前もいっつも捕まっちゃあゲッソリして帰ってくるだろ」

「それは否定しないですけど、神崎さんの大村さんへの第一印象が悪くなるでしょう」

「知るか」

「まったく……じゃあ、連れてきます。少し待っていてください」


 玉池少年はそう告げて、崎森の腕を掴んで出ていった。話し声が反響して耳に届く。


「玉池、一般人にかれた失態へのペナルティ、言ってなかったな」

「う……。言い訳のしようもないです。油断していました」

「自分からオートモードを解除しようとする奴は珍しい。想定外の事態だったのは確かだ。それも加味して、模擬練20回」

「げェーッ!」

河野こうの須賀すがに声かけておいた。3日もあれば大丈夫だよな」

「げェーッッ!!」


 心底嫌です、という感情をまったく隠さない声が遠ざかってゆく。

 俺のせいですよね本当に申し訳ございませんでした、無鉄砲すぎました、と内心で少年に詫びる。

 2人の足音はそのうち聞こえなくなったが、5分足らずでまた足音が近づいてきた。コツコツという静かな音と、バタバタ、とややうるさめの音。

 崎森の足音は前者だろう。足音とともに、会話も近づいてくる。


「いやー、緊張するなあ。聞きたいことがたくさんあるんだよね。ちなみに、今回の件で誰が警察に嫌味言いに行ったか、カナメは知ってる?」

「知ってる」

「やっぱり知ってるかぁ! じゃあ警察がなんて言い訳してたかも知ってる?」

「知ってる」

「なんだよ物知りだな。……おはよう! 体調はどうかな、神崎くん」


 入ってきたのは、黒縁眼鏡をかけた若い男。20代か30代そこらといったくらいか。窓から見えた人々同様、黒い服に白衣を合わせている。寝起きというわけでもないのに、ダークブラウンの髪の左耳のあたりには寝癖がついていた。タブレットにファイル、バインダーを小脇にかかえている。

 崎森が後ろ手にドアを閉めた。男はベッドのそばまで来ると、数枚の紙を手渡してきた。いずれも「検査結果」と題されている。


「勝手で悪いけど、寝ているあいだに諸々の検査をさせてもらったよ。身体のほうはまったく問題ない。頬の傷は、残念ながら跡に残る可能性が高いが」

「ドクターの方、ですか」

「失礼、こういうときは自己紹介が先だね」


 男は白衣のポケットから端末を取りだした。神崎もならい、自らのものを手にとる。

 男が操作をすると、画面表示が切りかわる。男の写真と、名前が表示された。きのう渡された検査結果用紙に載っていたのと同じロゴが目に入る。


『国立記憶科学研究所 探査室室長 大村おおむら禄郎ろくろう


 目の前の寝癖男が室長という地位にいることにまず驚き、表示された写真では頭頂部のあたりに派手な寝癖がついていることにも驚く。


「記憶研は知ってるよね」

「ええ、遡臓そぞうの本……」

「そう、いまのトップは遡臓に関する本も出したね。我々記憶研は、おもに遡臓の研究と検査を行っている」


 崎森が別のベッドから白のスタッキングチェアを2脚持ってきた。軽く手をあげて受取、大村は腰かける。

 立ち話では済まないのだな、という思いと、崎森からの忠告が頭をよぎる。思わず居ずまいをただす。


「なにから説明しようか。僕が説明するより、君の質問に答えたほうがいいよね。君自身、何が何やら、って感じだろ? 僕が聞きたいことはそのあとにしよう」


 頭を掻く。質問が多すぎて、どれから聞けばよいのか分からない。

 視線をはずす。いくつか大きく浮かんだ質問を頭のなかで取捨選択し、ふたたび彼と視線を合わせ、口を開いた。


「あの男の怪力や、俺の刀は、いったいなんですか」

「良い質問だ。これからの説明の根幹になる部分で、これを知ればあらかたの話の説明が終わるくらい。……神崎くんは、遡臓の働きは知ってる?」

 知っている事柄について聞かれたら、『知ってる』と言え。

 崎森の言葉がリフレインした。

「知っています。前世の記憶を貯蔵することですよね」

「ご名答。じゃあ、遡臓が活性化するのはどういうときだろう」

 生物の授業を思い返しつつ答える。「前世で経験したことと似た環境に置かれたとき。もしくは、なにか強いショックを受けたとき」

「正解。ここまでは一般教養だね。そしてこの先が、まり知られていない事実」

 大村は人さし指を立てた。崎森は腕を組み、目を閉じて話を聞いている。


「あの一連の能力は、前世の追体験をしたとき、もしくは前世の記憶を鮮明に思い出したときに表出する。メカニズムは明らかになっていないが、遡臓が大きく関わっている」

 強力な体験、と反芻はんすうする。大村は続けた。

「ゆうべの熊岡を例にしよう。記憶研は、個々人の遡臓検査映像――要するに、前世の記憶を見る権限がある。あの騒動のあと、熊岡のものを見た」

「なにが映っていたんですか」

「誘拐殺人の犯行が鮮明に映っていた。やり口はいずれも絞殺で、誘拐した子どもに馬乗りになり、やわらかい首の皮膚にゴム手袋をした手で触れ、絞め殺す」


 大村は自身の両手を首にあてて再現した。

 5件の犯行をおこない、6件目で逮捕された男。その蛮行を想像しただけで、神崎は自分の表情が険しくなるのを感じた。


「6件目の犯行で子供をさらおうとしたところを父親に見られた。父親に馬乗りになって首を絞めようとしたが、激しく抵抗された。近くにあったトロフィーで殴りつけて気絶させ、子供部屋に隠れていた子どもを殺そうとした」


 熊岡の下卑た笑みがちらつく。自らの手に視線を落とす。100年ほど前の出来事。その当事者と、ゆうべ対面していたという事実。


「子どもを絞め殺したあとはリビングに戻り、父親も手にかけた。だが父親が直前に通報していたおかげで逮捕された。……その逮捕の瞬間と、最高裁で判決を聞くところと、死刑執行される寸前の記憶が残されていた」


 ここで、と大村はふたたび人さし指をたてた。


「生まれ変わり別人として生きる男が、鮮明な殺人の記憶を思い出したら、どう思うだろう」

「どう、って?」

「前世はこうして捕まったんだから、こうすれば捕まらないぞ、と思うかもしれない。あとは、たとえば……」

「『あのとき、もっと腕力があったらさっさと殺して逃げられたのに』」


 大村の説明を引きとるように、崎森が小さくつぶやいた。

 そう、それなんだよ、と大村が崎森を指す。


「それがなんだ。前世の記憶の追体験、記憶に関する強烈な印象。それらが遡臓を活性化させ、特異な能力を授け、人間の理解の範疇はんちゅうを超えるようなことができるようになった。僕もいまだに信じられないくらいだ。まるでファンタジー小説だよ」そして大村は、シニカルな笑みを浮かべる。「まあ、遡臓がない時代を生きた経験がある僕としては、遡臓の存在じたいファンタジーなんだけどね」

「前世の記憶と、印象……」 繰り返す。理解しようとつとめるも、するりとは入っていかない。大村は神崎の理解が追いつかないことを察し、付けくわえる。


「雷に打たれて感電死した人が、手のひらから電気を発するようになった。ゴシップスキャンダルを苦にして自殺したタレントが、雑踏のなかでも自分が誰に見られているか分かるようになった。猛スピードで突っこんできた車にねられて亡くなった人が、車がびゅんびゅん走る道路をやすやすと横断できるようになった。……全部、実在する例だ。前世の記憶と異能には、明らかな関連がある」

「崎森さんの針も?」

「もちろん。彼の針も、前世の経験と大きく関わりがある」

「待ってください、でも俺は」

 思わず前のめりになるのを、大村の手が制した。

「君が言いたいことは分かる。僕が君に聞きたいことというのも、それなんだ」


 大村は持っていたファイルから、1枚の紙を取りだして掲げた。

 A4の紙。罫線けいせんで縦に二分割されている、昨日見たばかりのもの。

 「検査結果報告書」の文字の右に、「再検査」と青い字が印字されている。違うのはその部分だけで、それ以外は、まったく同じだ。


『遡臓検査:該当なし』

『睡眠検査:該当なし』


「再検査の結果も同じだったよ、神崎真悟くん。どうして前世のない君が、あの白い刀を出せたんだろう?」


 そんなの、俺が聞きたい。

 そう言いたかったが、とても言える雰囲気ではない。


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