#5 反射


 怯むな。退くな。相手をよく見ろ。

 剣道部の顧問が口を酸っぱくしていた教えを頭のなかで繰りかえす。

全身を緊張が支配し、両手がかすかに震える。

 男は笑っているものの、向かってくる気配はない。大きな体躯たいくは、小刻みに痙攣している。発作かなにかを起こしたのか。


 街灯の光がぼんやりと男の足元を照らす。男の履きふるしたぼろぼろのジーンズが、きらきら光っている。

 投石に警戒しつつ、にじりよる。近づくと、光っていたものの正体が見えた。


「針?」


 銀色の細長い針だった。ゆうに15cmほどはある。それが、無数に刺さっていた。男の衣服を貫通し、塀に突きささっている。

 男は動かないのではなく、動けないようにされていた。出血は見られないあたり、おびただしい数の針は、服のみを貫いている。磔刑たっけいのようだった。

全身をふちどり、しかし身体を傷つけないように、ほぼ等間隔に配置されている。針が街灯に反射して光るさまは美しさすらあった。


「ふざけんなよなあ」


 だみ声が夜の空気を震わせる。男の目がこちらを射た。恨みがましさが宿った鋭い目つき。見ためよりもずいぶん年老いた声を出す。


「なんだよこれ、ふざけんなよ。お前さあ、これ取ってくれよ」

「あんた、殺したのか」

「もう少しだったんだよ、それなのにさあ」

「殺したのか!?」


 胸倉をつかみ、塀に押しつける。ぎりぎりと力がこめられていく。全身の血液が沸騰するほどの怒りが男に向いていた。身体が熱い。腕が言うことをきかない。


「ガキどもがいちばんさらいやすかったのになあ。前はオッサン、今度はババアか」

「なに言ってやがる」

「逃げられると思ったのになあ」


 男はこちらに目もくれない。頭上をあおいで、ひとりごとのように喋っている。口もとは緩み、吐く息は臭い。なにもかもが不快だった。

 一発殴ってやりたい。右手をグーにして振りかぶった。

 その手が男の頬に叩き込まれることはなかった。振りおろした腕がじられ、背中側に持っていかれる。激痛が走って顔がゆがむ。


「玉池。一般人に撒かれたのか?」

『すいません! 僕も間もなく――』

「いや、いい。大村が近くまで来た。迎えに行ってくれ。松川班の二人は周囲の安全確認と状況の記録を」

『……分かりました。移動します』

結城ゆうき、了解ィ』

遠山とおやま、了解しました』


 剣道で鍛えた握力を持ってしても歯が立たない力で抑えこまれる。寸分も動かせない。

 どうして邪魔をする。沸きたつ怒りのまま、背後に立った崎森を睨みつけた。

 彼は神崎の必死の形相を気にも留めず、口を開いた。


「どうして戻ってきたかは後で聞く。殴るのは止せ。殴れば傷害罪で逮捕する。経歴に傷をつけたくないなら抑えろ」

「でも、こいつが……」

大野博親おおのひろちか


 崎森はそう言って、はりつけになっている男をあごでしゃくった。


「そいつの名前だ。いまは熊岡信一郎くまおかしんいちろうって言うらしいが」

「昔……前世?」

「大野は5人の子どもを次々に誘拐して殺した。6件目の犯行で、さらおうとした子どもの父親に顔を見られて捕まった。2022年の話だ。江東区児童連続殺害事件と呼ばれている」崎森は淡々と続ける。「……2030年に死刑が執行された」

「……生まれ変わっても、人を……」

「遡臓のおかげだぁ」恍惚とした表情を浮かべ、熊岡はまた気味の悪い笑みを浮かべた。「全部思い出したよ。どうやって殺したかも、やり口も全部。悪人は地獄に堕ちるなんてよく言うよなあ。じゃあなんで俺はまた人間に生まれ変わったんだろうな。人を殺すのは悪いことじゃないんだろうな。じゃあまた殺してもいいじゃんかよ」


 ふざけんな、と右腕を上げようとしたが、ぴくりとも動かなかった。

 熊岡は抵抗をあきらめたのか、だらりと力を抜いて虚空を見あげている。喋るのは止めなかった。なにかに取りつかれているのではと思った。


「思いだしたら、変な力が沸いてきてよお。あのババアはよお、どこで知ったか知らねえけど、人殺しは出ていけってうるさかったなあ。ぶん殴ったら大人しくなった」

「うるさい、黙れ!」


 これ以上聞きたくない。声を張りあげた。

 なんでこんなやつが生まれ変わってくる。どうして人を傷つける。重苦しい感情がとぐろを巻き、胸のなかでのたうちまわる。


「こんなところで捕まるとは思わなかったな。ひとりしか殺してないからなあ」

「黙れ、殺すぞ!」感情のままに叫ぶ神崎を、男は鼻で笑い、崎森を見やった。

「ぎゃあぎゃあうるせえんだよガキ。おい、お前。針男」

 

 崎森が男を一瞥する。この無数の針は、やはり彼がほどこしたものだった。


「俺がただの怪力バカだと思ってるんじゃねえよな」


 ひゃは、と熊岡が高い声で笑った。これまでの間延びし生気が抜けた喋りかたと異なり、生き生きとしたその笑いかたに虫唾むしずが走った。


『飛来物を検知しました』

『飛来物を検知しました』


 神崎と崎森の身に着けた装置が同時に発した。

 熊岡を見すえる。煌々とした目で、どこか一点を見つめている。

 先ほどから空を仰いでいたのは、なにか目的があってのことか。視線の先をたどる。夜の闇が広がっている。月が綺麗な夜だった。


――飛んでくる。


 ぞわりと背すじをなぞる寒気。またこの感覚だ。

 腕がだらりと垂れる。崎森が解放したのが分かった。星が散らばる先、神崎はただ暗闇の一点を見つめる。

 両手がそっと刀を握った。左足を前にして足を八の字に開き、重心を前側にかける。刀身を立て、鍔は口元に。

 ゆっくりとした動きで、八相はっそうの構えを取った。


「頭潰れちまえ」


 熊岡の汚い声が耳に届いた。

 てめえが死ね。心中でなじった。

 視認出来たのは一瞬。灰色の大きな物体。ブロック塀の一部。即死は確実。

速度を落とさず、まっすぐ向かってくる。チャンスは一度、たった一振り。

捉えそこねれば、死。


 できる。何度もこの動作をやってきた。剣道で。

 ――違う。あの白い部屋で。何度もこの刀を振った。

 なんのためだった? 思い出せない。


 今だ、と思うよりほんの一呼吸だけ早く、身体が動いた。

 刃先を一瞬だけ後ろに倒す。重心を後ろに向けようと全身が動き、その反動と勢いに乗せて、斜めに振りぬいた。

 がち、と刀身が獲物をとらえた音。振動と重みが刀を通じて手に伝播でんぱした。ほぼ同時に刀身が軽くなり、斬った、と確信した。


 ブロックが派手な音とともに地面に激突し、止まる。袈裟懸けに切りふせたせいか、衝撃を受けた地面は陥没している。手がびりびりと痺れた。刀を一振りしただけなのに、全身運動をしたかのように呼吸が乱れた。


「なにしてくれやがる」


 いらついた声を熊岡が上げた。ほんのわずか、焦りを孕んだ声に聞こえた。


――こいつも斬れ。でないとまた、ブロックが飛んでくる。


 頭のなかで聞こえる声に従うべく、足をむける。

 ぎらりと熊岡をふちどっている針が煌めいた。身構える間もなく、数多の針がいっせいに抜けた。

 拘束が解かれ、熊岡は受け身も取れず地面にころがる。


 ギュオ、とモーター音が横を通りすぎていった。崎森が一気に距離を詰め、男の脇にしゃがみ込む。

 うつ伏せにうずくまっている熊岡の身を返し、彼は左腕を振りかぶった。その手には、拘束していたのと同じ長い針。


 彼はなんの躊躇ためらいいもなく熊岡の左胸に針を突きさし、一呼吸おいて抜いた。

 あっ、と思わず声が漏れる。熊岡は目を見開いたが、その目はすぐに閉じられる。巨体がぐったりと弛緩していく。


「なにを、……まさか」

「殺してない」


 立ちあがりこちらを向いた崎森の手には、なにもなかった。

 刺した針はどこへ。それどころか、拘束するのに使っていた無数の針すら消えている。いったい、どこに。


 はっと我に返り、神崎は赤い屋根の家に向かって駆けだした。待て、という静止の声に応じず、庭先に飛びこむ。

 シェルター機能で雨戸はぴったりと閉めきられていた。破壊されたブロック塀の合間から庭がのぞく。

 祐梨がいつも乗っていた自転車が下敷きになり、オレンジ色のフレームは歪んでいる。


「おばあちゃん」


 口に出して呼んだ。どうか、返事をしてくれないか。

 黒い染みが庭を汚している。点々と連なるそれを目で追った。その先に、彼女がいつも履いていた靴が落ちている。


「見るな」


 崎森が後ろから肩をつかんだ。だが、見てしまった。

 庭先に転がっていたのは、腕も足も、首までも千切られた人間の身体だった。むごいという言葉ではとうてい表現できるものではなかった。

 白く見えているのは骨か。あたり一面がどす黒く染まっている。白い壁に、血が飛び散っている。鉄の匂いが立ちこめている。


「なんで、こんな」


 翼と祐梨になんて説明すればいい。大好きなおばあちゃんが、バラバラになっていたなんて、どう言えばいいんだ。

 その場にへたり込む。張りつめていた緊張の糸が、ぷつんと切れた。







「酷いね、今回は。この子が未確認の?」

「白い刀を持っていた。そこに陥没してるブロックは、こいつが斬った」

「あぁ、玉池くんが見たっていう飛来物かな。わざとなにもせずに見てたんだ?」

「まさか」

「そうだ、熊岡信一郎の前世の所業で謎が残されてるんだけどさ、カナメは知ってる?」

「知ってる」

「じゃあ今年の成人の遡臓検査で明らかになったルーキーの確率は知ってる?」

「知ってる」

「ちぇ。……この子は知ってるかな?」

「起きたら聞いてやれ」

「そうする」


 かすかに会話が聞こえる。片方は聞き覚えがある。誰の声だっけ。もう一人は誰だろう。脳が働かない。目も開けない。耳だけが音を届けてくる。

 何人かの声。シュウ、と気体が発せられる音。サイレンが遠くで鳴っている。


「刀、ねえ。前世でなにを経験したんだろう。侍だったのかな」


 謎の声の主は、感心したような、感嘆したような声でそう言った。

 いや、俺には前世はありませんが。そう言おうと思ったが、口は動いてくれない。


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