#4 翻意

「離脱後は大村と落ちあってくれるか」

「分かりました。班長もお気をつけて」

「おう」


 崎森は短く答え、不審な男がいた方向へ飛びだしていった。

 玉池と呼ばれた少年はしゃがみこみ、こちらに目線を合わせる。


「離れましょう。これを装着してください」


 彼は、携えていた鋼色の小さなアタッシュケースを差しだした。

「刀は脇に置いてください。両手を前に出して」

 指示されるまま、手錠をかけられるようなポーズを取らされる。

 銃刀法違反で逮捕、という文字が脳内に踊り、心臓がさらに鼓動をはやめた。


 少年は素早くアタッシュケースを開け、握りこまれた神崎のこぶしをひらかせ、ケースの底面にてのひらを触れさせた。ピピ、と軽快な電子音が鳴る。

 先に指紋を取るんですか、と喉から出かかった言葉は口に出ることはなかった。

 アタッシュケースがその形を変えた。またたく間に掌が鋼に覆われ、オープンフィンガーグローブの形状と化す。


「なんだこれ……」


 愕然とする神崎をよそに、装置は肘、つづいて胸を生き物のように這い、プロテクターの形状を取った。腰にはベルトをおおうよう巻きついたかと思えば両ひざが包まれ、かかとに到達する。早く滑らかな動きに驚愕して足が反射的にあがる。間隙をついたように、装置が足裏までもおおいつくす。


 歴史の授業で見た、昔のアニメのようだった。

 悪と戦うヒーローは特殊なベルトで、少女は魔法のステッキで『変身』していた。それと同じように、不思議なアタッシュケースが形を変え、身体を覆うプロテクターとなった。

 ピピ、と先ほどと同じ電子音が鳴る。胸部から自動音声が流れた。


『音声モード、アシストします。バッテリー残量100%』

「誘導します。行きましょう。その刀も持っていきます」

「あの不審者は?」

「崎森班長……あなたを助けてくれた人が制圧しますので、ご安心を」

「おばあさんが襲われたみたいなんです。助けないと」

「その必要はありません。さあ、立って」

「必要はない?」冷静さを保った少年に反し、神崎の声は荒れた。「あの男に拉致されているかもしれないんですよ!」


 立ちあがった勢いで少年に食ってかかる。

 20cm以上は身長差があるはずなのに、態度に余裕があるのは少年のほうだった。崎森という男同様、落ち着いている。何度もこの事態に対処してきたのがうかがえる。だが神崎には一片の余裕もなかった。早く助けないとという気持ちが焦燥をあおる。


「拉致されてはいません。この近くにいます」


 少年はまっすぐにこちらを見つめる。声変わり間近の幼さを残したハスキーボイスは、はっきりとした確信をにじませていた。


「救助も要りません。最優先はあの不審者の制圧と確保です。それが終わったら、します」


 回収。

 なんでこの子は、人をモノであるかのように言う。助けを求めているかもしれないじゃないか。

 考えたところで、彼の言葉がなにを意図するかをやっと理解した。


「もう、死んでるってことですか」


 情けないほどかすれた声が口から出た。少年は臆せずにこちらを正視する。

 

「分かってください、あなたまで死なせるわけにはいかないんです」


 手を引かれる。

 翼と祐梨のおばあさんには、何度も会っていた。

 いつもしゃんと背をのばして、ぱりっとしたシャツを着ていた。「ボケ防止に効くのよ、追っかけが」と好きな男性アイドルのグッズを手作りしていて、二人の孫を溺愛していた。


 感情の波が押しよせる。なぜ、どうして、なんのために。

 せりあがって来たそれは、こらえきれずに大声になって口から出る。


「なんだよあの男は! あんな人間、見たことねえよ! あいつが殺したのか? どうして? 前世が犯罪者だから!?」

「ここを離れたら、すべてお話します。まずは生きて脱出しましょう」さとすように言うと、少年は耳に手を当てた。「絹川さん」

『はい』

「一般人1名、保護しました。離脱します」

『了解です。大村さんを乗せた車両は、20分後に西側に到着予定。松川まつかわ班から2名、応援に向かっています。両名とも5分以内には現着します。そちらの状況は?』

「班長お一人で問題ないかと。応援も不要かも」

『でしょうね。一般の方のグラインを、君のものとリモート接続します』

「了解」


『リモート接続を開始します。管制者から5m以上離れないでください』


 神崎の耳には二人のやりとりと、胸もとから聞こえる自動音声がぼんやりと入りこむ。

 感情が現実についてこない。消えた木刀、現れた謎の刀、怪力の超能力を持つ人間、亡くなったおばあちゃん。すべてが現実離れしている。


 これは夢だろうか。悪い夢を見ているだけだろうか。

 目を覚ましたら、いつもの日常が戻ってきてくれるんじゃないか。


「僕の左腕をつかんでください。5m以上離れないで、じっとしていてください」


 誘導されるまま、少年の細い腕を右手でつかむ。左手の刀を抱えこむ。こちらを確認すると、少年は右手の指を動かした。街灯の下で、彼の指がピアノを弾くかのように滑らかな動きを見せたのが分かった。


 途端に、腰をおおっていた部位からギュル、とモーター音が鳴り、シュウ、と空気が漏れるような音が足元からかすかに響いた。

 少年が前傾姿勢をとる。強い力に引っ張られて身体が前に動く。

 景色が流れていく。走るよりも早いスピードで移動している。足は一歩も動かしていないのに。


 足元に目を落とす。地に足は着いていない。浮いているのだ。肩甲骨のあたりと、足裏から音がする。

 装置の背部と足裏から気体が射出されていて、その勢いで浮いている。


 母の好きな映画を思い出した。100年ほど前に製作されたヒーロー映画。天才発明家の主人公はパワードスーツを開発し、自在に空を飛び、掌からビームを出して悪を倒す。

 母は見るたび言っていた。「いつかこういう装置が開発されるって思ってたけど、この時代になっても実現してないかあ」。

 まさか、実現しているなんて。

 一瞬だけ、神崎の心は直面している現実を忘れて昂揚した。


 だが、後ろで轟音が響き、空気が揺れたことでふたたび意識は現実に戻される。

 硬いものが崩れ落ちる音が続く。

 きっとあの男だ。化け物みたいなあの人間が、奇怪な能力でまた破壊した。


 ――自分が取る道は、これでよかったのか。


 頭のなかで、唐突に声が響く。

 崎森は、いまごろ一人で戦っている。

 自分が持っているこの白い刀は、もしかするとあの男と戦うために、なんらかの力で誰かから授けられたものではないのか。

 剣道を学んできたのは、父の「誰かを守れるように強くなるんだよ」という教えからだったはずだ。


 なぜこうして、なにも分からず混乱したまま逃げているんだろう。

 どうして、背をむけて走っているんだろう。

 この刀のことも、いままでどう使っていたのかも、もう知っているはずなのに。

 

 少年の腕をつかんでいた右手をそっと離し、きびすを返した。

 慎重に足を一歩踏み出す。ぐらつきながらも、なんとか地に足をつけることができた。

 シュウ、と射出音が左足からして、バランスを崩しそうになる。


「ちょっと、離れないで」


 後ろから困惑の声が届く。無視して前に進んだ。胸元から自動音声が流れる。


『管制者と離れました。リモート接続を解除しますか』

「……解除!」

『リモート接続を解除します』


 音声とともにモーター音が途絶え、射出もやんだ。体勢を立てなおし、走りだす。


「俺、これの使いかたぜんぜん分かんねえんだけど!」


 走りながら胸元に話しかける。あのヒーロー映画では、高度なAIが主人公をサポートしていた。この装置にも、同じ機能が搭載されているのではないか。


『かしこまりました。アシストします』

「さっきの場所まで、すぐに戻りたい!」

『さっきの場所とは、どこを指しますか』


 どう説明すればいい。装着した場所、とか言えばいいのか。

 そもそもこの装置、なんて名前だ? さっき聞いた気がした。なんだっけ。なんて言えば伝わる?

 玉池少年の言葉がよみがえり、思い浮かんだ名前が口をつく。


「崎森さんのいるところに、自動で、全速力で戻りたい!」

『了解しました。崎森カナメ隊員の周辺に、オートモードで移動します』


 ギュル、とモーターがうなる。

 足裏や腰、背中から気体が射出され、身体は前傾し足が浮く。先ほどまでとは段違いの早さで景色が流れはじめた。髪が風にたなびく。


 最短ルートを通ろうとしているのか、思いもよらない場所で曲がる。T字路に差しかかっても全くスピードを落とさない。

 眼前に塀がせまる。恐怖で顔をおおいたくなるが、肘は装置に制御されていて動かせない。目をとじる。ごう、と大きく風が鳴る音が鼓膜を揺らす。


 いつまで経っても衝撃が身体を襲わず、そっと目をひらく。

 眼下に家々が広がっていた。

 飛んでいる。両の足裏が音をたてて気体を射出している。背中のパーツからも音がして、浮いたまま前に進んだ。

 10mほど飛行すると足裏のパーツが射出を弱め、自然に地面に降りたった。瀬名と通りがかった公園の前だった。


『近隣に到着しました』

「ありがとう、もう大丈夫」

『オートモードを解除します』


 モーター音がやむ。刀を構えて、塀のそばを歩く。

 刀の重さや柄の握りごこちは、不思議と木刀のそれと同じだった。木刀が形を変えたようにも思える。


 あるよなあ、愛着のあるものが、なにかのきっかけで自分を守る武器になる話。

 フィクションの世界でありそうなことが、どうしていま、起きているんだろう。


 いまだに状況を理解しきれていない。脳は、考えることを放棄しかけている。

 息を殺してじりじりと角まで進み、足を止める。人の気配がする。

 あの不審者か、崎森か。唾を飲む。ごくりという音がやけに大きく聞こえた。

 出ていった瞬間にあの不審者の投石攻撃にあったら、もう今度は頬の傷だけでは済まされない。そっと右頬に手をやる。血こそ止まっているものの、いまだ熱を持っている。

 頬に走った痛み、穴のあいた電柱が思いかえされ、足が力を失いかける。しかし、おばあさんの姿も思い返され、心を奮いたたせる。


 あの男がおばあさんを殺したかどうかは分からない。ただの不審者で、おばあさんは別の要因で亡くなったのかも。実は生きているのかも。そう思いたい気持ちもあった。


 違う、分かっているだろう。

 心が声をあげる。

 最悪のことが起きているのは分かるだろう。あの、背すじを這いまわる奇妙な寒気。あのときは父親がいなくなった。今度はなにが起こると思う? なにが変わると思う?

 矢継ぎばやに、自分が疑問を投げかけてくる。


 なにが起こるか分からない。ここで1回目の人生が終わるかもしれない。

 ただ、あの日のように、なにかが起こるかもしれないのを理解していたのに、なにもしないのは嫌だ。


 足に力をこめ、覚悟を決めて角から飛びだした。

 フードをかぶった男が、にたにたと笑みを張りつけ、塀を背にして立っていた。


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