#3 異質


『お住まいの区域で緊急警報が発令されました。すみやかに避難を開始してください』


 けたたましい音とともに端末が鳴り、自動音声が流れだす。

 路地を歩いていた人々は急いで屋内に駆けていく。


『最寄りの指定避難所への経路を表示します』


 音声が、静まり返った住宅街に鳴り響いた。

 ゴウン、バタン、バタン。

 通りに建ちならぶ家の雨戸がフルオートで閉まってゆく。街並みが一気に無機質なものと化す。個性的なデザインの家々は、一様に灰色に覆われた。家というよりも何かのオブジェに見える。


 木刀なんて持って、なにをしようというのだろう。避難指示に従わなくていいのだろうか。とめどない思念がごちゃごちゃと頭の中を駆け抜ける。そのくせ、足は止まらない。

 嫌な予感がする。懐かしい感覚で、懐かしい悪寒だった。

 生まれてはじめてこの感覚を味わったときのことが、昨日のことのように思い返される。

 手が震えるような、背筋を針でつかれているような感覚。

 13年前、父が行方をくらませた日に感じたものとまったく同じだ。


 父のすすめで剣道をはじめた。一人っ子の甘えん坊だったから、よくおんぶをねだっていた。首の後ろに二つ、縦にほくろが並んでいたのを覚えている。穏やかで優しい父に教えてもらいつつ、子ども用にあつらえた木刀を懸命に振っていた。

 その父が、ある日とつぜん木刀を取りあげた。彼はそれを脇にほうり、力なく座り込んで顔を両手で覆った。

 悪寒が走ったのはそのときだった。漠然とした不安が胸に渦巻いた。

 きっとなにか悪いことが起きる。起こっている。

 彼は顔を手で覆ったまま、もう剣道はやめなさい、と泣きそうな声で言った。その声音が帯びる必死さに、頷くことしかできなかった。

 しばらく難しい顔をしていた父は、神崎が昼寝をしているあいだに家を出、帰ってくることはなかった。

 あれから13年、なんの便りもない。生きているのか、死んでいるのかも分からない。

 いくら待っても帰ってこない父を思うたびに、あのときの予感めいた感覚が当たったのだと思っていた。


『警告です。避難を開始してください』


 アラートが鳴る。かまわず走る。全速力で路地を駆けぬける。

 赤い屋根の家が見えて歩をゆるめる。だが家の全貌が見えたとたん、足が止まった。


 ない。家の周りを囲っていた塀が、根こそぎ消えている。


「なんだ……?」


 地震が起こった? それとも竜巻?

 誰もいない路地に立ちつくし、目の前に広がる光景に呑まれていると、塀があったはずの場所から動く影があった。のそのそと影は街灯の下にすすみ、その姿があらわになる。

 フードを目深にかぶった、無精ひげの目つきの悪い男。

 瀬名が見せてくれた男に間違いない。男は、不審な目つきでこちらを見ている。

 両手には、塀を構築していたであろうブロックがあった。


「そこで何してる」


 木刀を正眼に構えて問いかける。男の目が見開く。得体の知れない気味悪さがこみあげる。

 ニタリと男の顔がゆがんだ。そして、拍手をするように持っているブロックごと両手を打ちあわせた。

 重量のあるもの同士がぶつかり合うとき特有の鈍い音が空間に響きわたった。

 ブロックが粉々に崩れ、破片がパラパラと音をたてて落ちる。

 その様子が面白かったのか、男は何度も両手を合わせるしぐさを繰り返す。そうプログラミングされたロボットかのような、奇怪な動きだった。


 ブロックが粉々になっている。いったい、どれだけの力でやってるんだ?

 おかしい。人間の力でどうにかなるレベルじゃない。こいつ、人間か?

 なにかの超能力? 道具を使った?


 思考が追いつかない。足が動かない。

 男はブロックの破片をひょいと拾いあげた。壊れてしまったなあ、と言わんばかりの緩慢ささえ垣間かいまみえる動きが、かえって神崎を戦慄させた。

 気力を奮いたたせ、大きく息を吸う。木刀を握る手に力をこめる。全神経を足に集中し、踏みだす。

 間合いを詰めて身体に突きを食らわせれば、多少は動きを止められる。そう思ってわずかにあげた右足が地についたとき、左頬をなにかがかすめた。

 焼けつくような痛みが走った。音と衝撃が後ろで響く。反射的に振り向く。

 電柱に、丸く穴が開いていた。


 手にしたたるものを感じた。おそるおそる頬にふれる。ぬるりとした感触。燃えるように熱く、痛い。鉄のにおいがする。右目の下から耳まで、ざっくりと裂けている。

 あの男が投げたブロックによるものだと気づくのと、男がブロックを持つ腕を振りあげるのを視認したのは、ほぼ同時だった。

 なすすべもなく、反射的に目を閉じることしかできなかった。


 死ぬ? ここで? 人生1回目なのに? 

 なにもしていないのに? これで終わり?


 「死」を強く意識した刹那、閉じたまぶたの裏側に、まばゆいほどの光が差した。


 なんだ、これは。走馬灯?


 ―……違う。この光、見たことがある。

 

 白い服。白い壁。白くて細長い、あれはなんだ。手に持っているのは誰だ。


 知っている。俺はあれを持っている人を。あれの扱い方も、あれがどんな形をしていたのかも思いだせる。

 ぞわりと背すじを寒気がなぞる。心臓が、共鳴するように大きく鳴りだす。電流が走ったように身体が痙攣した。

 この感覚に、覚えがある。どういうときに感じたんだっけ。

 ああ、そうか。


 ばっと目を開いた。

 男の手からブロックが離れた。両手が、自然と木刀を――木刀のようななにかを――渾身の力で握りなおした。

 振り抜こうと筋肉がしなったそのとき、頭上から声が降ってきた。


「動くな」


 声の主を仰ぐよりも先に、強い力で右に引きたおされる。両肩を掴まれた。とっさのできごとに身体が反応できずにいると、ギュル、とモーターが唸る音がし、大きな力に引っぱられるようにしてその場から遠ざかった。


 轟音が響きわたる。視界の端に、大小さまざまな穴の開いた電柱が見えた。根元を大きく損傷した電柱は、ゆっくりと倒れてゆく。

 間一髪。一瞬でも遅れていれば、自分の身体に穴が開いていた。


 肩を掴まれ、横向きのまま足がかろうじて地面についている体勢のせいで、がががが、とスニーカーの底が音をたてる。

 人体模型を運ぶみたいなやり方だ。頭の片隅で、冷静に思考している自分がいた。


 相手をうかがおうと顔をあげたとたん、身体が自由を取り戻した。うまく受け身をとれず、ぶざまに尻もちをつき、うめき声がもれる。

 そして、ようやく隣に立つ存在を見あげた。

 黒い服に身を包んだ男。塀に隠れ、男がいた方向を注視している。

 機動隊員のような出でたちだが、装備は身軽に見える。胸や肘、膝や手はなにかに覆われて鋼色に光っており、服のうえからなにかの装置を着けている。

 見覚えのある服装だが、すぐには思いだせなかった。


「所属はどこだ。第一じゃないな」


 視線を外さずに男は声をかけてきた。若い男の声だった。


「え?」

「最低限の装備なしに交戦するのは避けろと訓練で教わっただろう」

「あの、俺、違います、一般人で」

「は?」


 男がこちらに向き直る。自分と同じくらいの短髪。両耳に通信機器をつけている。

 その双眸そうぼうにはこちらを警戒するいろがあった。隙がいっさい感じられない。不用意なこと言えばすぐに殺されるのではと錯覚するほどに。


「じゃあ、その手に持っているのは?」

「これは、家から持ってきた木刀……」


 左手でしっかり握ったままだった木刀を見おろした。初めて自分で買った木刀だ。何年も使いこみ、何度も振った、大切な木刀―……


「じゃ、ない……?」


 ぽつりと声が漏れる。

 左手に持っていたそれは、真っ白な日本刀に変わっていた。

 刀身が白、つか月白げっぱく色。月光を受け、発光しているかのように輝いている。

 なんだこれは、木刀はどうした、と思う気持ちとともに、これを見たことがある、という思いがよぎった。

 見たことがある。使ったことがある。いつ、どこで。


 記憶が脳内を駆けめぐる。バクバクと心臓が鼓動を早める。思いだせそうなのに、出てこない。俺はこれと、どこで出会ったんだっけ。


『未確認のピリオドを検知しました』


 自身の端末のそれとは異なる音声が響いた。

 男は「検知が遅ぇ」と舌打ちまじりに言い捨て、右耳に手をやる。彼の通信機器が発したものらしい。


崎森さきもりだ。対象確認。一般人1名ピリオドを表出、保護が必要。誰か来られるか」

玉池たまいけ、まもなく現着します』

「了解。絹川きぬがわ

『はい』

大村おおむらを呼んでくれ。検査の準備が要る」

『了解』


 男は通信を終えると、神崎に向きなおった。何か言おうと彼の口が開く。それを制して神崎は声を上げた。


「あの!」


 ぴくりと男の眉が動いたが、気にせず続ける。

「あの男は、なんですか。ロボットとか、生物兵器ですか」

「あの男は―……」

「班長!」


 シュオ、という音がして、角から人が飛びだしてきた。中学生くらいの男の子だった。崎森と名乗った男とまったく同じ装備を身につけ、手には鋼色のアタッシュケースを持っている。


「早いな、近くにいたか」

「すぐそばの地区を見回ってたんです。この人ですね」

「ああ。任せる」

「了解です。さあ、こっちへ。避難しましょう」


 まだあどけなさの残る顔立ちの少年に手を引かれる。

 刀を持ったまま狼狽えていると、男――崎森は、神崎の目を見て静かに言った。


「ロボットでも生物兵器でもない。あの男は人間だ」


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