#2 異変


「わざわざ検査映像まで見てきたんだ? 前世がないのに? ウケる」

「うるさい」


 テーブルの下の足を蹴れば、瀬名せな悠一ゆういちは、いってえ! と大仰な声をあげて痛みを訴えた。

 夕暮れどきのコーヒーショップはほぼ満席だった。瀬名のやや芝居がかった悲鳴は軽やかな曲調のクラシックと客の話し声にうまくまぎれ、誰もこちらを気にしなかった。

 ぬるくなったコーヒーを一口飲む。神崎の脳裏に、昼間のできごとが思いだされる。





 *****




 分かりやすく項垂うなだれた神崎を前に、医師は慰めるような口ぶりで言葉をかけた。反対に、看護師の彼は興味を搔きたてられた様子だった。


「レアケースに当たったね」

「そうは言っても、5%ならクラスに1人か2人はいるってことでしょう。そう珍しくもないんじゃないですか」神崎の言葉に、医師がゆるく首を振る。

「5%以下という数字は、あくまで世界全体の平均でね。国によって若干のバラつきがあるんだ」


 近年の研究結果では日本ではルーキーの占める割合が他国より低いことが明らかになっており、年度によっては1%を切ることもあるという。

 具体的な数値を断言はできないけどね、と添えたうえで医師は続けた。


「前世がないのは、けっして不幸なことではないからね」

 けっして不幸ではない、という言葉は、何かしらデメリット被る属性を持つものに対してかける常套句ではないか――。よぎる言葉は胸のうちにしまいこみ、座礼で応える。

「ありがとうございます。……あの、映像を見てもいいですか?」

「いや、前世がなければ映像は……」

「分かってます、たぶん、なにも出てこないんでしょう? でも、なんとなく見てみたいんです。もしかしたらなにかの間違いってこともあるかもしれない」


 食いさがってヘッドセットを借り、聴診器を胸に当ててもらい、映像を見た。医師たちはそのあいだ、席を外した。

 パソコンで見た5分ほどの映像には、診断結果の用紙同様に、真っ白な背景がただ映されるだけだった。


「ですよねー……」


 自嘲じみた言葉が口から滑りおちた。

 ただ、一瞬だけ。映像が切れるまぎわ、なにかを思いだしかけた。

 真っ白な画面を見ているうち、機器がもたらす刺激に遡臓が反応したのか、遡臓がなにかを思いださせようとしているのか。

 存在しないと断言された前世なのかは知らないが、脳裏にある光景が浮かんだ。


 白い服、白い壁、白くて長くて、光るなにかを持っている。


 それがなにかを脳が辿ろうとする前に、映像は終わった。

 やたら白い光景のなかで、その三つだけがぼんやりと頭に浮かび、離れなかった。





 *****





「医者には言ったの、そのこと」


 カフェラテをすすりながら瀬名が言う。黒縁眼鏡の奥の瞳は、どこか楽しげに見える。


「言った。白い服と白い壁と、白くて長くて光るものが見えました、って」

「そしたら?」

「『白い映像を見ていたから、脳が勘違いしたんでしょう。ははっ』」

「ぶわっは!」

 声を上げて吹きだした彼を、横を通った男性客が何ごとかと見やる。

 テーブルの下の足を、今度は数回力を込めて踏んでやる。

「痛い痛い、踏むな踏むな」

 わざとらしく泣きまねを始めるクラスメイトを一瞥いちべつし、ため息をつく。

「なんだかなぁ」

「そんなに嫌か? 人生一回目っていうのは」

「前世があるのが普通だろ。ないです、珍しいことです、っていきなり言われて、期待外れやら戸惑いやら。そっちは? 前世なに? 何回目?」

「4回目。前は普通のサラリーマン。煙草をバカスカ吸い過ぎて、肺炎をこじらせて六十代で死去」

 どこか楽しげに言葉をつむぐ彼を見ていると、羨望の念が沸きあがる。


 瀬名とは中学からの仲で、高校も3年間同じクラスだった。

 彼は、かなり詳細な前世の記憶を持っており、日々の言動や学力にも反映されていた。「あー覚えてる覚えてる」と、習っていない範囲の問題をすらすら解き、成績は常に学年上位をキープしており、弁も立つ。

 神崎は、瀬名が議論で負けたところを見たことがない。理路整然と言い負かすが、それで悦に入るわけでなく、必ず相手をフォローする細やかさがある。お調子者だがいざというときは頼れる彼は、クラスメイトたちからも一目置かれていた。

 サボり癖があり、たびたび学校を欠席するという欠点さえなければ、飛び級でとっくに高校を卒業していたことだろう。進学するものだと思っていたが、いつの間にか大卒検定に合格し、大卒枠で公務員に内定していた。


 前世の存在が一般常識となった現代は、遡臓が存在しなかった時代から社会構造が大きく変化した。

 かつて、日本で許可されていなかった制度――飛び級や同性婚、夫婦別姓といった類のもの――は、遡臓のメカニズムが明らかになり人々が順応していくに従い世間に受け入れられ、いまでは当たり前のものとなった。


 同級生には、実年齢8歳の女子がいた。学力は18歳、精神年齢は20代程度の彼女は、前世が言語学の研究者であったと言っており、かつての自分の名前も突きとめていた。彼女もまた、瀬名同様に大卒検定を一発でパスし大学院に入学を決めていた。

 大卒検定とは文字通り、合格すれば大卒同等の学歴を得ることができる制度である。別途で各大学の試験に合格すると、「大卒検定合格」から「○○大学検定合格」と明記され、就職の時には有利に働く。


「知ってたか? ルーキーって、就職に不利らしい」


 ため息と共にぽつりと吐きだすと、瀬名が笑ってかぶりを振った。

「迷信だろ、そんなの。生まれ変わりの回数なんて自己申告だし、前世がどうだったかで差別することはタブーだし」

「実際はあるだろ、前世差別。同じポテンシャルを持っていても、ルーキーと3回目だったら3回目のほうが受かりやすい。仕事の進めかたを覚えているだろうから、って」


 ついさっき、彼と合流するまえに端末で調べた記事を話す。やれやれ、といったように瀬名は苦笑いを浮かべた。

 瀬名はいつも大人びている。前世の記憶があるからだとは分かっていた。それに甘えて神崎はよく瀬名に愚痴をこぼした。八つ当たりじみた真似をしたこともある。瀬名はそんなとき、こうして年長者のような振る舞いを見せる。


「いまから考えてもキリがない。まずは大学生活を楽しむことに集中すれば?」


 うん、と生返事を返す。

 4月から、総合大学の体育学科に入学する。体育科の教員になるのが夢だった。


「お前が体育の先生っていうのはしっくりくるな。子どもに好かれそう」

「どーも。俺はユウが公務員ってのが信じらんねー。あんなに学校サボってたのに」

「来月からは気を引き締めるよ」


 他愛もないことを話し、店を出た。

 やや暗くなっていたが、通りを走る車の多くはまだヘッドライトを灯さずにいる。

 家から大学に通う予定だと話すと、瀬名は配属先が都心だからひとり暮らしになると欠伸あくびまじりに言った。

 住宅街に入り、小さな公園のそばを通りかかる。


「しんごお兄ちゃん!」


 不意に、幼い声が名を呼んだ。を止め、通りすぎた足を戻して公園をのぞく。

 顔見知りの兄妹がそろって駆けよってきた。


「もう5時過ぎたぞ。帰りな」 優しくたしなめると、泣きそうな声が返ってきた。

「家のまわりに変なひとがいて、こわい」

 兄のつばさが訴える。春からは四年生だという翼はしっかり者で、これほどか弱い声を上げるのを神崎は初めて聞いた。一年生の祐梨ゆりも、兄の服のすそをぎゅっと握って不安げにしている。


「おばさんとおじさんは?」

「お仕事。おばあちゃんが来るって言ってたけどね、いつも待っててくれるところにいなくって」

「おばあちゃん、腰が痛いときはこないんだよ」

 翼の言葉に祐梨が補足する。

「学校終わってから、ずっとここにいた?」

「うん……」


 これから暗くなればますます危険だ。

 家まで送り届け、両親が帰宅するまで一緒にいてあげようか。自宅に連れて帰り、両親が戻ってきたころに送り届けようか。

 逡巡していると、瀬名が肩を叩いた。


「この子たちの家、どこ?」

「この道をまっすぐ行って、ふたつ目の角を右に曲がって3軒目。赤い屋根の家」

「ちょっと見てくる。戻るまで動くな」

「分かった」


 瀬名は、いつになく厳しい目をしていた。気圧されるかたちで従う。

 彼が様子を見に行っているあいだに、二人をなだめつつ詳しい話を聞いた。

 午後3時頃、いつもの待ちあわせ場所に祖母がいなかった。仕方なく二人で家に帰ろうとしたところ、怪しい男が家の周りをうろついていた。祖母が家にいる様子もなかった。両親の携帯は仕事中で繋がらず、祖母の携帯は話し中。なんとなく怖くて、公園で友達と遊んでいた。そのうち、ふたりだけになってしまった。


「家の近くにいた人は、どんな人だったかな」怖がらせないよう、なるべく優しい声を意識した。祐梨が小さな口を開く。

「おじさん。まえ、おかあさんが、あの人は危ないから見たら逃げろ、って言ってた」


 たどたどしく話す彼女の頭を撫で、落ち着かせてやる。


「危ない人?」

 翼が補足する。「あの人は、前世が悪い人なんだ、って」

 前世が悪い人。聞いた言葉を咀嚼し、意味を考えようとしたところで、瀬名が走って戻ってきた。


「お前の家で預かった方がいい。警察に通報した。ありゃあヤバいな。写真より悪人面だ」

「誰か知ってるのか」


 彼は自身の端末を取りだし、神崎の眼前に掲げた。

 自治体が展開している掲示板タイプの連絡サービスが表示されていた。

 3日ほどまえに、匿名の投稿が書き込まれていた。


『危険人物! この人を見たら逃げてください。この周辺区で、子どもに声かけをしています。知人に聞いたのですが、何度通報されても出没しているそうです。前世で誘拐殺人をした人だ、という情報もあります。前世犯から子どもを守りましょう』


 添付された写真には、パーカーのフードを目深にかぶった猫背の男が映っていた。

 年齢は40代くらいで目つきは悪く、のっぺりとした顔にたくわえられた無精髭が人相の悪さを引きたてている。誰かがこっそり盗撮したもののようで、画像は少しブレていた。


 神崎の頭には、畏怖よりも先に疑問が浮かんだ。

 なぜこの投稿者は、男の前世が犯罪者だと知っているのか。

 顔も名前も身体的特徴も、何もかもが違う身で生まれてくるはずなのに。

 

「どうして前世が犯罪者だって分かったんだろう」

「前世の記憶を明確に持っていたら、当時の話し方や行動のクセが出てくることはよくある。前世のやり方を踏襲して犯罪に走るクソ野郎のニュース、お前も見たことあるだろ。ガセの可能性も捨てきれないけど、用心に越したことはない」

 彼の勢いに押され、頷く。翼と祐梨の前にしゃがみ込み、視線をあわせた。

「俺の家で待とう。ご両親に連絡は入れておくから」

 翼と祐梨は、安堵の表情を浮かべて頷いた。

「迂回して帰るぞ」瀬名が先導する。


 大回りして家まで帰った。珍しく早めに帰宅していた母に、瀬名が手短に事情を説明する。彼女の耳にも不審者のことは入っていたようで、瀬名の話に神妙な顔でうなずいた。子どもたちに向きなおると、おばさんとお勉強して待ってようね、と優しい声をかける。

 二人の子どもが落ち着きを取り戻すまで、瀬名も神崎家にとどまった。

 夕飯どきになって、瀬名の端末が鳴った。発信相手を一瞥した彼は出ることはせず、帰るわ、と告げた。


「早く帰ってこいって?」

「そう。用事があるの忘れてた」

「ごめん、忙しいのに付き合わせて」

「謝ることじゃない」


 子どもたちはテレビを見ながら母と一緒に笑っている。翼の端末から両親には連絡済みだ。折り返しはないが、仕事が終われば迎えにくるだろう。両親ともに、商社でバリバリ働いているのは知っていた。

 掲示板の書きこみが、ふいに脳裏によみがえる。


「……前世が犯罪者、か」

 小さくつぶやいた声に、瀬名が反応を見せた。振り返った彼と視線がかち合う。

「まだ引っかかるか?」

「現実味がない。近くにそういう人間がいることが」


 一般市民だけではない。犯罪者も、犯罪被害者も等しく生まれ変わってくる。

 自分の周囲は心優しい普通の人ばかりだと、漠然と思っていた。仄暗い過去を持つ人間が、当時と同じままの悪意を持って自分の身近に潜んでいる。そんなことを真剣に考えたことはなかった。

 ぽつりと声が漏れる。


「ニュースで言わないじゃん、そういうの」


 近隣区に緊急警報が発報された、と端末に通知が入っていることがある。

 重要事件の容疑者が逃走したときや、それに準ずる何かしらの脅威が迫っているときは、緊急警報が自動的に対象区域に発報される。

 発報と同時に家々は自動施錠され、窓は雨戸が自動的に閉められる。一定期間中外に出ることや外の様子を伺うことができなくなる。

 武装警察が危険人物を射殺しているだとか、危険人物がヘンテコな武器で出歩いている人を殺しているだとか、眉唾まゆつばものな情報が錯綜さくそうするも、マスコミでさえ発報区域への立ちいりは禁止されており、真実を知る機会はないに等しい。

 

「そりゃあ言わねえだろ。前世犯が今世でも事件起こしたなんて報道すりゃ、差別やデマが広がって余計に社会が混乱する」


 こともなげに瀬名は言う。玄関で靴を履くのに丸まった背を、神崎はじっと見る。

 彼は諭すような口調で続けた。

「どんな世界にも犯罪者はいる。前世で犯した罪を悔いる奴もいれば、前世で捕まったから今度はうまくやるぞ、なんて思ってる奴もいるかもな」

「そうかな」

「前世っていうのはさ」瀬名は言葉を切った。「思った以上に重いんだよ」

「………」

「なんちゃって。それっぽいこと言ってみた」

 立ち上がって首をかしげて笑う彼に、大きなため息をついてみせる。

「いまのセリフで台無し」

「ははは! じゃ、帰るわ。あの子らの親が迎えに来たら連絡くれ」

「分かった。ありがとな、遅くまで。そっちも気をつけろよ、帰ったら連絡くれ」


 ひらひらと手を振り、瀬名は帰っていった。姿が見えなくなってからドアを閉める。自動でドアロックが閉まると同時に、ポケットに入れていた端末が震えた。翼から預かっていたものだ。「お母さん」と表示されている。


「もしもし」

『翼!? 無事なの!?』


 聞きおぼえのある翼の母親の声が鼓膜に響いた。だいぶ切羽詰まっている。怯えているようにも聞こえた。


「あの、神崎です。神崎真悟です」

『真悟くん? 翼は? 祐梨は?』

「公園にいたのを見つけて、うちで預かってます。お仕事が終わったら迎えに――」

『おばあちゃんは!?』

「おばあちゃん?」

『今日は、おばあちゃんが二人を見てくれる予定だったの! かけても繋がらないし、家の防犯カメラにも映ってないの!』

「え? おばあちゃんがいつもの場所にも家にもいなかった、って……」


 体温が一気に下がる思いがした。母親は、半狂乱で続ける。


『家には来てた! いつもの場所に行くからね、って連絡が入ってたの! なのに、今は誰もいないの! 家を出てから、帰ってきてないの! カメラに、血みたいなのが映ってるの!』

「……家の様子、見てきます。おばさんは、できるだけ早くこっちに向かってください」


 背すじを、ぞわりと這いまわるものを感じた。嫌な予感がする。

 通話を切り、すぐに靴を履く。リビングに向かって声をかけた。


「母さん、出てくる! おばさんもこっち向かってる。それ以外の人が来ても絶対開けんな」


 母の返事も聞かず、玄関先に置いてあった素振り用の木刀を手に取り家を飛び出す。

 ぬるい風が顔面に当たった。

 どうしようもなく、嫌な予感がした。

 


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