邂逅
#1 結果
「神崎くん」
男性看護師がドアを開いて顔をのぞかせた。
『
失礼します、と断りをいれて部屋に入る。制服を着ず、私服で学校に来るのは少し不思議な気分だった。
卒業式はもう終わり、各々が次の進路に向けて準備を進めている時期。全国の高校3年生は、遡臓検査の結果確認のため学校を訪れる。
壮年の男性医師が事務机の前に座していた。人が
「3年5組、神崎真悟くん。今日この場でなにをするかは覚えているかな」
「前世の記憶があるかを確認して、検査映像を見るかどうか決める、でしたっけ」
「うん、そうそう」
彼は、なにごとかを手元の用紙に書きつけながら続ける。
「いちおう、全部説明しますね。一週間前に病院で受けてもらった遡臓検査。あれは、君の前世がどういう人だったのか、そもそも前世はいくつあるのかを探ることが目的です」
検査を受けたときにも、別の医師からその説明がなされた。
前世がどんな人間だったのかは、特殊な機器で遡臓をスキャンする「遡臓検査」、睡眠中の夢を分析する「睡眠検査」によって分かる。
前者では、前世があれば当時の姿を映像として抽出することができる。すでに前世の記憶を思いだしている者は、映像の解像度が高い。思いだしていなくても、ぼんやりと映ることもある。
後者は、遡臓検査を補佐する目的でおこなう。
前世のある人間は、前世の姿を夢で見る。これもまた、遡臓という存在がこの世にあらわれてから起こった、いまだ解明できていない事象のひとつなのだと『遡臓のすべて』では言及されていた。
遡臓が顕現してからは「夢」の定義も大きく変わったらしい。
かつての夢は、過去に見聞きした情報を整理するために見るものだった。現在はその意味あいよりも、「前世の自分の姿を見る」という意味のほうが世間に定着している。
睡眠導入剤を飲み、数時間眠る。そのあいだの脳の動きを観察し、見た夢が記録される。遡臓検査で得られた映像と重ねあわせることで前世を特定する。
遡臓検査は身体をスキャンするだけで無痛だった。睡眠検査も、神崎は導入剤がよく効くたちなのか飲んで早々に眠り、夢を見た記憶もない。
検査というよりも、病院で昼寝をしただけのようだった。
医師は長型の封筒を取りだし、続ける。
「検査の結果は、この中にあります。個人情報保護のため、君の前世の映像を我々は見ていません。機械が映像を自動で読みとり、内容をAIが要約しています。前世の記憶は国立記憶科学研究所で保管され、国立記憶科学研究所と君だけが映像を見ることができます」
封筒を受けとる。「TS-6912-2429-76 カンザキ シンゴ」と国民識別IDが表書きされ、しっかりと
さっそく開こうとしたが、「ああ、説明が終わるまで待ってね」と制止される。
彼は神崎の前にタブレットを差しだす。
「要約を読んだら、前世の映像を見るかどうか決めてください。これに、君の前世に関する映像が保存されています。このヘッドセットをつけて見ます」
タブレットに接続されているテーブルの上の黒いヘッドセットを、医師は軽くたたく。市販のものより大ぶりで、『国立記憶科学研究所』と耳部分に刻印されている。
物珍しそうに見ていると、医師が補足した。
「これも検査機器の一種。ほら、聴診器みたいなのがついてるでしょ」
彼が両手で持ち上げてみせると、聴診器のような吸盤めいたものが先についているのが見てとれた。
「心臓の近くに当てると、遡臓に微弱な電気信号が送られる。映像を見ながら遡臓を活性化できるわけ。人によっては、映像がおぼろげだったりするからね。これで遡臓を活性化させることで、記憶を思い出す人もいる」
「へえ……」
医師の説明は続いた。前世が犯罪者、犯罪被害者、自然災害の被災者であることも想定される。要約にはそのことも明記されている。
映像を見て記憶がよみがえり、
映像の複製・持ちかえりはできない。見るならこの場で、ひとりで見てもらう。見る場合、同意書に署名が必要となる。ここで見ることを拒否しても、国立記憶科学研究所に申請すれば見る場を
「神崎くんは、夢を見ますか」
「見ますが、今世の記憶ばっかりです」
最近見たのは、実は単位が足りていなくて卒業できなかった、という夢だった。もともと、前世にまつわるような夢を見たためしがない。
正直にそのことを話した。背後の看護師が、へえ、と感心ありげな声をあげる。
「もしかしたら、ルーキーかもしれないね」
「ルーキー」彼の言葉を反芻する。「前世のない人?」
「そう。人生一回目のひと」
「前世のない人間」を世間では「ルーキー」と呼んでいる。その存在が稀少なものだとは神崎も知っていた。
看護師は、ルーキーの割合は人口比で5%未満なのだと説明した。
自分はそれに該当しないだろう。なんとなく、根拠もなしに感じた。
「説明は以上です。何か質問は?」
「……検査には関係ないですけど」断りを入れておずおずと問う。「先生は、何回目の人生ですか?」
「2回目です。1回目は軍医だったね」
「医学の知識は生まれたころから?」
「いや、徐々に思いだしていった。おかげで医科大は飛び級できた」
「前世の自分の名前を調べたりしたんですか」
「それらしい人は突きとめた。見覚えのある、懐かしい顔だったね」
「そうなんだ」それから、後ろを振り仰ぐ。「看護師さんは?」
「僕は4回目」
「多いですね」目を丸くすると、彼は目を細めた。
「そうだね。多いほうだと思う。1回目と2回目の記憶は断片的で、3回目がいちばん覚えているな。男子大学生で、事故で亡くなった。遡臓検査で前世は事故死だと言われて、映像を見て思いだした。あれは驚いたな」
「じゃあ俺も、まだ思いだしてないことを思いだせるかもしれない?」
「たぶんね。大金持ちとか、有名な俳優かもしれないよ」
「だといいけど」
期待を持って封筒を開けた。内容を見まいという配慮か、看護師は医師の横に静かに移動した。
A4サイズの紙が2枚入っている。
1枚目は、国立記憶科学研究所からの通知書。識別ID、名前、性別、生年月日が記載されており、「上記の者の遡臓検査及び睡眠検査を行い、その内容を別紙に記す」と書かれている。
紙をめくる。2枚目には、「検査結果報告書」とあった。
縦に2分割され、左が遡臓検査、右が睡眠検査の結果報告となっている。
「は?」
拍子抜けした声が出た。
医師と職員が怪訝そうな顔でこちらをうかがう。
「大丈夫ですか。なにか不安なことが書いてあった?」
「いえ、あの」
神崎は検査結果の紙を二人に見せた。
『遡臓検査:該当なし』
『睡眠検査:該当なし』
ぽつんと、その言葉だけが踊っていた。
「あれ、もしかして」 看護師がわずかに目を見開く。医師もまた興味深げに目をしばたたかせた。
二人ぶんの視線を受け、神崎は当惑の声をあげた。
「俺には前世がないみたいです」
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