第2話—―オダマキの花(愚か者たち)
とある小さな村に、村の人間たちと距離を置き関わりを持とうとしない老人がいた。
村の者たちもその変わり者の老人とは関わろうとはしなかった。
お互い見て見ぬふり、お互いを空気だと思って接しているため、これまで村人たちとその変人との間に大きないざこざは起こったことがない。
――それは春先のことだった。
この時期になると、村はいつもに増して活気づく。
冬の寒さに耐え抜いた草木に実る果実や農作物の収穫の時期を迎える。
村は日夜祭り状態の盛り上がりを見せる時分に変わった格好の客人が村に訪れた。
そいつは全身黒ずくめの少年で、見た目は少女と言っても疑うものはいないほどきれいな顔立ちをしていた。
「こんにちわ。突然だけど、アモルさん。あなたに死のお報せをお伝えに参りました」
「…………」
その変哲な少年が訪問したのは、変人の家であった。
突然の少年のぶっとんだ発言にもアモルと呼ばれた初老は微動だにしなかった。
ただ何も言わずむすっとしたまま、手をひらひらとさせたジェスチャーで出て行けと伝えるだけ。
だが、少年はそれでも出ていこうとはせず、
「アモルさん、あなたは三日後に死ぬ。これは運命だからあらがえないんだよ。現実を受け止めよ?」
諭すように少年は言ってみる。
しかし、やはりアモルは依然として口を堅く閉ざしたまま。
「はあ~、埒が明かないな。じゃあ、そんなにアモルさんが信じられないならまず私が死神であるという証拠を見せようか」
少年は自分を死神だと言って、ちらっと初老の様子を窺う。
言った瞬間、わずかにアモルの眉がピクッ、と動いたのを死神と名乗る少年は見逃さなかった。
「じゃあ、こっち来てみて。……それじゃあ、いっくよ~」
反応ありと見た死神の少年は家の外に出て勢いをつけて通行人の方に向かって走っていく。
死神の後を追うように家から出てきたアモルが見たものは、死神がちょうど通行人の男性にタックルをするように突っ込んでいるところだった。
この先の光景が目に浮かぶように想像できたアモルは目をつむってその現実から目を逸らした。
しかし、いつまで経っても悲鳴や怒声が聞こえることはなく、家の前の通りは先程と変わらず人の話し声や鳥のさえずりが聞こえるだけだった。
目を開けてみると――通行人たちは誰一人として死神には目をくれず、道の中央にいるにもかかわらず誰もよけようとしない。それどころか何もなかいかのように死神の体をすり抜けそのまま歩いていくではないか。
どうやらアモル以外には他の誰にも死神は見えていないようだった。
先程までむすっとしていただけのアモルもさすがにこれには驚きの表情を見せる。
「ね? これで私が死神だって信じてもらえた?」
「……お前さん、本当に死神様なのか?」
そのとき初めてアモルは口を開いた。
「さっきから、そう言ってたでしょ。私が死神だって信じてもらえたなら、三日後に死を迎えることも信用してよ」
「……そうか。とうとうわしにも天からのお迎えが来たのか」
「やっと理解してもらえたようだね。ああ、それと一つだけ。この事を誰かに話した場合、アモルさんはこの世界から存在を消されるから気を付けてね」
「……そんな心配はいらん。わしはこの村の人間とは口を利かんと決めとるからな。おぬしは死神様だから例外じゃが」
「そういえば、さっき外に出た時に気が付いたんだけど、なんでみんなアモルさんを避けてるの?」
――そうじゃな、死神様になら言ってもいいじゃろ。少し話が長くなるが……。とアモルはゆっくりと口を開いて語りだした。
二十年近く前、アモルは妻と二人で暮らしていた。その頃は毎日が楽しく、村の人たちとも仲良くやっていた。
だが、そんなある日。妻が流行り病の類のものに感染してしまう。それからというもの、村の人たちはアモル夫婦を避けるようになった。まあ、それは仕方がないと思うとアモルは言った。誰しも、得体の知れないものは怖いものだと。
だが、村の人たちは避けるだけに飽きたらず、この村から出て行けと追い出そうとしたのだ。村の長や医者に頼んでみたものの、やはり彼らも怖がって取り合ってはくれなかった。それでもアモルだけは、付きっ切りで妻の看病をし続けた。しかし、アモルの看病もむなしく、妻は帰らぬ人となってしまった。その亡くなった妻の亡骸さえ弔ってもらえず、またその亡骸から伝染すると墓に埋める事すら許してはくれなかった。だから、アモルは遠く離れた地に妻の墓を作り一人弔った。そこに妻が好きだった花を添えて。
そこまでされてもアモルがこの村を離れなかったのは、妻が好きで大切に育てていた花が埋められた花壇があったからだ。
それを妻の代わりにずっとアモルが育ててきた。だからいくら村の人たちから避けられようがアモルはこの地を離れることはなかった。
妻が亡くなったあともアモルを避けた村の人たちの態度から、アモル自身村の人たちと関りを持つのをやめた。それからずっと、村の人たちとは距離を置き生活をしているのだと言った。
それをすべて言い終え、アモルは台所に行きカップを二つ取って戻ってきた。そこに、温かい紅茶を入れた。
そして、そのカップの一つを死神にどうぞと渡す。
どうもと死神は受け取り、
「これは何というお茶なの?」
と口にする前に問う。
「これは妻が好きで、よく入れてあげたお茶だよ。名前は忘れてしまったけどね」
「そうなんだ」
短く言って、フーフーと息を吹きかけてから口にした。
あちちッと言って、一度カップを口から離し今度は少し多めに息を吹きかけてから口にした。
「おいしい」
その一連の行動を微笑ましく眺めていたアモルはこう口にする。
「それは良かったよ。ところで、こう思うのは失礼だとわかっておるんだが、死神様がお茶を口にするところを見ている時、わしたちに息子がいたらこんな感じになってたんじゃろうなと思ってつい微笑ましくなってしまったわ」
「いや、別に失礼だとは思わないよ。もし、無事に産まれることができていたら、私くらいの見た目の少年になっていただろうから」
「……なんで死神様は妻が子供を孕んでいたことを知っておるんだ⁉」
先の通りでのときよりもアモルは驚いて目を見開いて驚愕した。
「それは、アモルさんの奥さん、サルースさんが死を迎えるときに私が死を迎えることを伝えたから……」
その時に、子を身ごもっているのだと教えてもらった、と死神は言った。同時に、この子を産むことができないのがとても悲しく、夫、アモルにも大変悪いことをしてしまったと悔やんでいたとも伝えた。
「そうだったのか。当時のわしにはあの通行人たちのように見えていなかっただけで、妻には今のわしのように見えておったのか」
「そうだね」
そう短く答えた。
「それで、アモルさんはこれからどうするつもり?」
死神が問うと、
「少し考えがあってな。この村の者たちにちと仕返しをしてやろうかと思っとるのじゃ」
「ほほ~ん」
興味深そうに死神が相槌を打った。
「じゃがまあ、仕返しとは言っても殺めることなどはせんがな。そんなことをしてしまったら天国にいる妻に顔向けができんくなるわ」
「な~んだ。殺すってことになれば仕事が増えると思ったのになあ。まあでも、どうやって復讐するのかってのは興味があるね」
「おっかないことを言うもんだなぁ……」
ははは、とアモルは苦笑する。
「冗談だよ」
と、死神は口にはしたものの本当にそうでありそうで怖いところだ。
「復讐のことなんじゃが、まあ、簡単なことじゃよ……」
死を宣告された日を含めての三日間。
アモルは近辺の町から少し離れた大きな街まで出向いては、ある特定の花の種や苗木を買っては自分の住む村に戻って来るということを繰り返していた。
ああ忙しい、時間が限られとるんじゃ、無駄にしちゃいかん、と口から漏らしては想像以上に老いた自分の体に鞭を打ちながら体を動かした。
そしてついに死を迎える日。三日目を迎えた。今日はどこかの町に出かけようとはせず、その代わり日が昇る前の早朝から忙しく支度をしていた。
それを見ていた死神は、
「なにをするつもり?」
と尋ねる。
それに対しアモルは、
「まあ、見ていておくれ」
と短く答えた。
しばらくして支度を終えたアモルは家の外に出た。薄暗く冷たい外気に晒され少し身震いをしてから、アモルはこの三日間で買い込んだ花の種を村中に歩きながらまいた。一通りまき終えると、次は苗木をあらゆるところに植え始めた。それは、人の家の庭に。またそれは、町の役所の前に。はたまたそれは墓地の前に――と、ありとあらゆるところにその苗木を植えた。
そしてすべての花の種と苗木を植え終えた頃には日が昇り始め、明るくなってきていた。
アモルは家に帰ると、寝台に腰を下ろし枕元に置いてあった一つの写真たてを手に取る。
そこには若かりし頃のアモルとその妻、サルースが仲睦まじい様子で写っていた。それを見てアモルは微笑を浮かべながら、
「もうすぐ会えるよ。サルース」
一粒の雫がアモルの頬をつたう。それを端に無数の雫が次から次へと零れ落ちていった。
それからしばらくして、アモルは息を引き取った。それはそれはひっそりと、誰にも気づかれることなくこの世を去った。
死神ただ一人を除いては。
それから数日後。しばらく顔を出さないことに異常を感じたアモルの親戚が家を訪れたことでアモルの死が確認される。
そしてその親戚が流行り病で亡くなったと勘違いした事がことの発端になった。
アモルの親戚は、道行く人にまたかつての流行り病が流行りだしたと間違った噂を流し、それは瞬く間に町中に広がった。
やがて流行り病を恐れた村人は、一人、また一人と村を捨てて出て行き、数年後にはその村はゴーストタンとなり果てていた。
――ゴーストタウンとは少し語弊がある。
その村には、美しい青色をしたオダマキが一面に咲いていたからだ。
それは数年前にアモルが埋めた花だった。
そこに一人の若い見習の僧侶が訪れたのは、ゴーストタウンになってからまた数年後の話。
その僧侶は、一通り村を歩いたところでとある民家の中にミイラ化しかけていた一人の初老の死体を発見する。
その死体に歩み寄り、初老が抱えている一輪の花と写真に僧侶は目を落とした。
「これもオダマキの花か。しかし、どうしてこうもこの村にはオダマキの花が咲いているのか。……確かオダマキの花言葉は、愚か、だったな。さしずめ、これだけ村中に咲いているのだから、この村の民は愚か者たちだったといったところだろうか」
ははは、と一人愉快そうに笑う。
それから、近くの朽ちかけている木の机に一枚の手紙が置いてあることに気づく。
――これを読んでいるあなたへ。
という書き出しで書かれたものだった。
しばらくして、その手紙を読み終えた僧侶は、
「なるほど。この亡骸のアモルさんは、この村の民たちに花を使ってメッセージを残したのか。流行り病にかかった妻の事を村の民たちは自分に感染すると恐れ避けた。しかも、本来なら手を差し伸べなければならない村の長や医者までもが怖がって近寄ろうとしなかった。そのせいで治療を受けられず妻は亡くなった。だから、自分が死んだときに流行り病で死んだと誰かが勘違いして、その噂がたちまちこの村中に広がり村の民たちは大騒ぎになると……。すごいな、アモルさんの予想通りにことが運んだのだろう。……これがアモルさんの仕返し、か。いき過ぎた考えを持ち行動したこの村の民たちに愚かだと気づかせようとしたんだな。きっとこの村の民はそれに気づく前に町を捨てたのだろうが」
一人そこまで解釈して、アモルの亡骸を弔った。
そして、一番多くオダマキが咲いている花壇にアモルを埋めた。
そこはかつて、アモルの妻サルースが花を大切に育てていた花壇だった。
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