第1話—―最初で最後の親孝行
「ソラ、お前帰んなくていいの?」
「あー、大丈夫。今日も外食で済ませるって言ってあるから」
「そうか、それならいいんだけどさ。お前んち、母親一人だろ? あんま心配かけるとよくねーからな」
「おっ? なに、リク。そんなこと心配してんの? 真面目君だねぇ」
「ちげーし。心配かけて外出禁止なんかくらったら最悪だろ?」
人が往来する街中に、かしましい若者の声が一際大きく響く。
派手目な格好をした男女五人組。
「そか。まあ、そうゆうことにしとっか。じゃ、とりまいつものジェミーズでいい?」
「あそこ、安いしな。しかも、酒頼んでも年齢確認されねーし。やっぱ、学生はファミレスに限るわ」
五人の中の誰かがそう言って、五人組はスタスタと繁華街に消えていった。
それから、二、三時間が経った頃。
「ただいまー」
「ソラッ! もう何時だと思ってるの⁉ 遅くなるなら言ってって言ったじゃない。もう、夜ご飯もだいぶ前にできてるのに」
「あ~、悪い悪い。言おうと思ってたけど、忘れてたわ。あと、晩御飯食ってきたからいらねえ」
先程の五人組の一人で、ソラと呼ばれた少年は母親の言うことをまともに聞かず自分の部屋へと入っていった。
母親が見かねてため息を吐く。
「ふう~。……おっ。アイツもう写真上げてるじゃん」
ベッドに飛び込むや否や、ソラは仰向けになってスマホをいじりだした。
見ているのはSNSの一つ。画像や動画、呟きといったことを全世界に発信し、みんなで共有するといったものだ。
先の五人の中の一人が先程遊んでいたときに撮った写真をそのSNSにアップしており、それをソラは見ていた。
「やあ、ソラくん」
「うおあっ! だ、誰だお前!?」
変声期を迎える前の少年のような少し高い声が突然聞こえてきた。
ソラは驚きでベッドの上で跳ね上がる。
ソラの自室に現れた黒ずくめのローブを身にまとった小柄な少年。少女と言っても疑うものはいないだろう。その綺麗な顔立ちの美少年は、スマホの画面に集中していたせいでソラは気付いていなかったが、数分前から部屋の隅でソラの様子をうかがっていた。
驚きで固まっていたソラは段々冷静さを取り戻し、目の前の自室に突然現れた黒ずくめの少年を疑った。
「へ、へへへ。さすがに酒を飲みすぎたか。ったく、リクの野郎が飲め飲め言いやがったからだ。あ~、もう寝よ」
「一つ言わせてもらうけど、寝たところで目の前の現実は変わらないよ。私は実際にキミの目の前にいる。そして私はキミにこう伝える。—―ソラくん、キミは三日後に死を迎える、とね」
「酔って見てる幻覚とはいえ、なんだっ! 三日後に死ぬなんて縁起の悪いこと言うなよ!」
突然怒鳴るソラ。酒が入っているせいか、いつもに増して気性が荒々しくなっている。
「何度でもいうけど、私は幻覚じゃない。これは現実だよ。キミが三日後に死ぬのもね」
「あ~、もう。やってらんねぇ。水でも飲んでくっか」
少年の言うことに聞く耳を持たず、ソラは自室を出てリビングに行った。
コップを棚から取り出し、蛇口をひねって水を入れる。そして、それを一度に口へ流し込んだ。
ソラが自室から出てきて台所にいることに気付いたソラの母は、
「ちょっと、ソラ。まだ話が終わってなかったでしょ! 勝手に部屋に行っちゃって」
「あー、はいはい。もう眠いからまた明日な」
軽くあしらってソラは自室に戻ろうとした。
だが、先程の黒ずくめの少年がついてきていることに気付き自室に戻るのをやめ、ソラは母親に向き返り尋ねた。
「そういえば、母ちゃん。こいつのこと見えるか?」
「……は? 何言ってるの、誰もいないじゃない。まったく、寝ぼけてないでさっさと寝てきな。その代わり、明日たっぷりお説教だよ」
「そう、だよな……おやすみ」
「はい、おやすみ」
ソラは自室へと戻った。
ソラの顔には焦りの表情が浮かんでいた。
ベッドに腰かけているソラは、正面に立っている少年を恐る恐る仰ぎ見て
「ほ、本当に、現実なのか?」
「さっきからそう言ってるじゃない。あと言い忘れてたけど、私は死を迎えるもの以外には見えないよ。ま、さっきの君のお母さんの反応を見て気づいてるとは思うけど」
「……ちょっと待て。これが現実だとして俺は本当に三日後に死ぬのか? どうやって、何時ごろ? ああ、えーと。まずこういう時、誰に言えばいいんだ」
ソラの額を一筋汗がつたった。
気づけば、体全体から冷や汗のようなものがにじみ出ていた。
「誰かに言うのはやめといたほうがいいね。死を迎えることを他者に言った場合、キミは存在を消されるから」
「……存在を消されるって、三日後にどうせ死ぬのにか?」
「そう、存在を消されるってのいうのは、そもそも元からいないものにされるってことだよ。つまり、キミはこの世界から存在を消される。死んだとしても、今までキミがしてきたこと。かかわってきた事柄は形として概念として残るからね。形意外にも、誰かの記憶の中にも残るわけだし。でも存在そのものを消されたら、それすら残らないんだよ。だから、誰かに死ぬことを伝えるのはやめといたほうがいいよ。それから、いつどう死ぬのかって質問だけど、それは
「
「ああ。またやってしまったよ。自己紹介をしないとだよね。私は死神。死のお報せに参りました」
それから一時間後。
自分が死ぬのだと理解したソラは、生きている間にやりたいことを片っ端からノートに書きだしていた。
「あ~、本当はもっと遊びたかったのに。あっ、これもやりたいな。あ、それとこれも……」
これもいいかな、あれもいいなと書き連ねていき、やがてノート数十ぺージが黒い文字で埋め尽くされた。
「……ばかに冷静だね。キミは三日後死ぬんだよ? 一日くらい、泣きわめいてもいいのに」
それを見ていたフード付きの黒いローブに身を包んだ少年、もとい死神はぽつりと呟く。
「……死神さんならわかるかもしれないけど、俺の家、母親しかいないんだ。俺が産まれて間もない頃に母ちゃんは父ちゃんと離婚してるから、女手一つで俺をここまで育てくれたんだ。感謝はしてるのに、俺はいつも遊んでばっか。苦労してるはずなのに、大変なはずなのに、俺には疲れた顔一つ見せることなく、いつも元気な姿を見せてくれる。それに甘えちゃったんだろうな、俺は……。だから、俺みたいな親不孝ものは死んだほうが母ちゃんのためになると思うんだ。それが、一番の親孝行かもしれない」
自嘲気味な笑みを浮かべ、声を出して笑った。
その顔には、微かに悲しみの色が浮かんでいる。
それは、誰が見ても気付けないほど微かなものだった。
「そんなに母親の事を思っていたなら、今まで迷惑をかけず、親孝行すればよかったじゃない?」
「なんか、そういうの気恥しくて、かっこ悪くてできなかったんだよ……まわりばかり気にして、俺ってバカだよな。本当はしたかったのに……こうゆうのって死を実感してから知るものだってよくいうけど、それは本当なんだな」
「じゃあ、今からすればいいじゃない。三日後には死んでしまうのだし」
「……そう、だな。一応やりたいことに加えとくよ」
ソラは再びノートを開き、『ちゃんと親孝行をする』と書き加えた。
着々と日は過ぎ去っていき、ついに死神と出会って三日目。
ついにソラに死が訪れる日がやってきた。
「今日までの三日間。短いようで長いような、充実した三日間だったな」
ソラは三日間、ノートに書いたことをできる限り実践してきた。海外に遊びに行く、宝くじを当てるなどの現実味にかけるやりたいこと以外は今日まででやりつくした。
「ふう~。あと一つだな」
ほとんどが丸で囲まれ、汚くなったノートを見ながらソラは呟く。
『ちゃんと親孝行をする』がまだ丸で囲まれていなかった。最後の最後まで、何をすればいいのかわからなかったのだ。
「とにかく、まずは母ちゃんとちゃんと話してみるか」
ソラは自室を出て、リビングへと赴いた。
「……母ちゃん、少し時間くれるか? 話したいことがあるんだ」
「なによ、改まって」
台所で食器を洗っていたソラの母が訝しげに言う。
「いいから、はい。そこ座って」
ソラが促すと、しょうがないな~、と食器を洗う手を止めて言われた通りに席についた。
「で、話したいことってなに?」
「母ちゃん。俺にできることで、なんかしてほしいことある?」
「…………えっ? 急にどうしたの。変なものでも食べたのかしら」
ソラの母は目を丸々と見開いて、驚いた。それから、ふふふと馬鹿にしたように笑った。
まさか、自分の息子がそんなことを言うとは夢にも思わなかったのだ。
無理はない。ソラはこれまでに一度だって母を気遣ったことがないのだから。
「真剣に言ってるんだけど」
ソラは少しすねて言った。
「もう、わかったわよ。で、何をしてほしいかでしょ? そんなの決まってるじゃない。あんたが元気に生きていてくれる、ただそれだけでいいのよ」
言い終えた後、少し間隔をあけてこう続けた。
「その質問をされたら世の母親は誰だって同じことを言うと思うわ。なんたって、痛い痛いこの世の痛みじゃないと思うほど痛い思いをして産んだそれは大切な存在だからね。それで我が子をこの腕で抱いたときはもうほんと、神様、こんな可愛い子を産ませてくれてありがとうって本気で思ったわ。ついさっきまでのとても痛かった思いすら忘れるくらいに。まあ、今はそれほどかわいくないけどね」
真剣に聞き入っていたソラはその言葉に少しばかり悲しそうな顔になる。
それを見た母親は、あはははっ、と快活に笑ってから、
「冗談よ冗談。今も十分かわいいから。まあ、それだからね、子供のあんたはただ生きていてくれるだけでいいの。それでも親孝行したいってんなら、大人になってからでいいのよ」
「…………」
初めて聞いた母親のそのまっすぐな思いにソラはなんと返せばいいのかわからなくなった。
――自分なんか、迷惑としか思われていない。いなくなるのが一番の親孝行だ。早く死んで楽をさせてあげたい。
そう本気でソラは思っていた。
「……けど、それは、おっ、俺の勘違いだったのか?」
自問自答をする。
気づけば、無数の涙が頬をつたって零れ落ちていた。
「なに。あんた泣いてんの?」
再び快活に笑ってソラの母は冷やかしの言葉をかける。
だが、ソラにはそれに対するツッコミを入れる余裕すら残っていなかった。
それどころか気付けば、
「ありがとう……本当に今までありがとう」
所々嗚咽しながら、ソラははっきりと母に感謝の言葉を口にしていた。
そして、
「俺、本当に親不孝者だ。ごめんよ、母ちゃんっ!」
言って、ソラはとうとう母に抱きついた。
そんな息子を母は一瞬訝しげに思ったが、優しく抱きしめ頭をなでながら、
「そんなことないよ。あんたは世界一の息子だよ。それにあたしは幸せもんだよ。こんなに母親思いのいい息子がいるんだから」
「うんん、俺は親不孝者だよ。もっと、もっと早く素直に感謝の言葉を伝えればよかった……」
その後もしばらく母の胸の中で泣き続けた。
自室に戻ってきたソラ。
「なんか、死神さんには見苦しいもん見せちまったな。いい歳した男が母親に抱きついて大泣きだなんて」
「まあ、私の仕事は死を迎える最後まで見届けることだからね。そんなの慣れっこだよ。それに、最後くらい、甘えてもいいんじゃないかな」
「そうか。そうだよな。……なあ、死神さん」
「なんだい、ソラくん」
「俺、最初あんたに死を宣告されたとき、死ぬことが母ちゃんに対して最高の親孝行だと思ってた。だけど、直接聞いてみてわかったんだ。俺は心から母ちゃんに愛されていて、生きている、ただそれだけで親孝行できてたんだって。……だから、今日死ぬ俺は親不孝者でしかない。結局、最後の最後までちゃんと親孝行することができなかったんだな、俺」
やりたいことを書き綴ったノートの最後の行にある未だに丸に囲まれていない『ちゃんと親孝行をする』を見ながら言った。
すると死神は突然ペンを持ち、
「なに言ってるんだよ。ソラくんは最後に感謝の気持ちを伝えることができた。お母さんだって世界一の息子だって褒めてたじゃないか。私から見たら、充分に親孝行できていたと思うよ」
そう言い終えた後に、『ちゃんと親孝行をする』を丸で囲んだ。
「…………ありがとう。死神さん。あんたには本当に感謝してる。あんたがいなけりゃ、このまま生きていったとしても感謝の言葉を伝えることはできなかっただろうから。あんたに出会えて本当によかったよ」
「……そんなこと言われたのは初めてだ。私と会う人は三日後に死ぬ人だけだから、なにかと私は恨まれ嫌われてきた。会う人会う人、怒りをすべて私にぶつけて死んでいった。だけど、キミは違う。死ぬ間際で私に感謝の言葉を口にしてくれた。キミは本当にいい人だ。死んでしまうのが惜しいくらいに……嬉しいよ」
ソラの発言に少しだけ驚き、そして死神は微笑みかけてそう言ったのだった。
その数分後、ソラは自室にて心筋梗塞により倒れ帰らぬ人となった。
助けを呼べず、一人苦しんで死んでいったはずであろうに、ソラのその顔には微かに笑みが浮かんでいたとのことだった。
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