24

 広い空間に現れた巨大な蒼炎で作られし竜巻。離れているネレやマグリーン達にもその熱波は届いていた。恐ろしく高温な炎で作られた竜巻である。


 それは悪魔ヴァルガロージャを包み込み、飲み込み──



「駄目、か······」



 ──闇が広がった。闇は蒼炎の竜巻を覆い尽くし、そして消し去った。



『ゲハッ、ゲハハハッ!やるな、人間!認めてやろう!貴様は強い!』



 姿を見せたヴァルガロージャはまだ生存していた。あの炎に晒された肉体は所々に損傷がみられるものの、致命傷に至ってはいない。


 その損傷さえ煙を立てて再生されていく。数秒と経たずに元の状態に戻っていた。



「う、うそにゃ······あの攻撃も耐えたにゃ!」



 ファナが作り出した超火力の魔法。それは最後の希望だったのかもしれない。あの火魔法さえ効かないとなると、ヴァルガロージャを討伐する手段に皆目見当もつかなかった。


 ──不死


 それがネレ達の頭を過ぎった。



『今度は我の番だな?』



 2本の触手がファナを強襲する。それらは鞭のように靱やかさを持ちながら、鈍器のような重さを持っている。並の防御ではその一撃を耐えられない。


 ファナには避けるという選択肢は無かった。後ろにネレが居る。止めなければならなかった。


 それをヴァルガロージャは理解していた。故に、速度は落ちるが重いこの攻撃を選んだのだ。



『くたばれッ!!』



 2本の触手は同時にファナの構える盾を壊さんと叩き付けられた。



『ぐっ、ぬぅっ!?』



 攻撃を受けたファナではなく、攻撃したヴァルガロージャが呻き声を漏らした。


 ファナは盾を前に構え、タイミングを合わせて振り抜いていた。ただ防ぐのではなく、弾き返していたのだ。


 2本の触手はボロボロとなって砕け落ちる。それはただ弾かれただけでは起こり得ない反応だった。



「ユキさんの技を見て学んだんです。盾に回復魔法を付与しました。悪魔相手にはこれが一番有効的。そうですよね?」

『小癪な真似を······!』



 ファナの盾は金と白が混ざりあった色を纏っていた。言葉通り、回復魔法を付与した時に起こる現象だ。


 回復魔法は光属性の類であり、悪魔の弱点となる属性である。その光魔法が付与された盾で、ヴァルガロージャの繰り出した威力をそっくりそのまま返した。それにより触手が砕けたというわけだ。



『ぐおぉぉっ!許さん······許さんぞ······!』



 ボロボロになった触手を自らの手で切り落とした。どうやら再生能力が働かないらしい。


 ファナはそこで理解した。ヴァルガロージャには斬撃には耐性があるものの、打撃には耐性がないのだと。そこに弱点である光魔法を合わせれば、少なくないダメージを与えられる。


 深く息を吸い、吐く。ファナは落ち着いて呼吸を繰り返し、内在する魔力を高めていった。それと同時に盾に纏わる魔力量も増加する。金色の輝きは増し、眩い光を放っていた。


 自身の体が軽くなることを体感する。それはユキが行っていた身体能力上昇に酷似していた。



『なんだその目は······何故諦めぬ!?何故抗う!?貴様らは死ぬ運命なのだ!短い命に縋って何になる!?』



 吠えたヴァルガロージャがファナ目掛けて突進する。闇魔法で剣を作り出し、ファナへと振り下ろした。


 キィンッという甲高い音を立て、剣は盾に弾かれた。しかし、ヴァルガロージャの猛攻は止まらない。次々と剣を作り出し、新しく腕を生やしてファナに振りかざしていく。


 上から、右から、下から、左から。バラバラな方向から襲い掛かる剣戟。一撃一撃が肉と骨を断ち切る威力を誇っている。



『なァっ!?』



 1つ喰らえば必殺となる連撃を、ファナは完全に防いだ。最低限の動きで以て防ぎきったのである。



「すーーっ──」



 剣を弾かれたヴァルガロージャのバランスが崩れた。その隙を逃すこと無く、ファナは深く息を吸い込んだ。大きな盾を上手く使いヴァルガロージャの視界から身を隠す。



「──はっ!」



 そして左足を踏み込み、体を捻る。体重移動による勢いを全て乗せた後ろ蹴りをヴァルガロージャの腹部へと叩き込んだ。ファナの足は肉体にめり込み、バキボキと音を立てて骨を数本折り、臓腑にまで衝撃を与えた。



『グハァッ······!?』



 ファナの裏蹴りを受けたヴァルガロージャの体は数メートル吹き飛び、床で跳ねて勢いよく転がっていく。そして地を擦りながら更に数メートル転がり止まった。



「ファナさん凄いですにゃ······!」

「はぁはぁ······ユキさんの真似事ですよ」



 ファナは肩で息をしながらヴァルガロージャを見据える。己に高い攻撃能力があると追撃はしない。



『ゲホッゲホッ······人間如きに······この我がぁぁっ!!』



 ヴァルガロージャが吠える。今まで自身の命を脅かす存在と出会ってこなかった。常に自分が強者であった。圧倒的なまでの再生能力。悪魔由来の高い身体能力。それで勝てぬ相手はいなかった。


 それが、今日だけで2人。対等以上に戦う者が現れた。1人は不死身という誇りを砕き、1人は弱者の癖に決して折れない。



『ならば!先に餌を回収させてもらうッッ!』



 そう叫んだヴァルガロージャが標的にしたのは、震えて動けないイフェローとマグリーンであった。彼の言葉通り、魔力の糧とする為に2人目掛けて触手は伸びる。



「きゃぁぁっ!?」

「いやぁぁぁ······!」



 2本の触手は鋭利な先を持ち、2人の心臓を貫かんと接近した。


 イフェローとマグリーンは動けない。2人ともヴァルガロージャへの恐怖で足が竦んでいた。また、ファナと対峙していた為に、狙われると思っていなかったという理由もある。


 彼女たちは叫ぶ事しか出来ず、迫り来る触手を見つめていた。確実なる死を予感した。



 そして触手は弾かれた。黒い盾によって、弾かれた。



「出来、た······!」



 声を上げたのはファナだ。ファナが2人の前に躍り出て、黒い盾でイフェロー達を襲いかかった触手を吹き飛ばした。


 ファナは優に20メートルはある距離を瞬く間に移動していた。それも、ヴァルガロージャが2人に狙いを済まし、触手を放ったのを見てから動き始めたのだ。触手は決して遅くなく、着弾まで数秒とかからない。普通の移動では間に合わない筈だ。


 それを可能にしたは"縮地"と呼ばれる技。ユキも使用していたが、端的に言えば高速の移動技である。


 ファナが使用した縮地はユキよりも発動は遅く、移動距離も短いものだ。ユキならばタイムラグもなく数十メートルの移動も行える。それに対しファナは1秒程度の時間を要し、20メートルの移動が限界だった。


 しかし、今回はそれでも良かった。十分間に合う時間、距離であった。


 ファナに弾かれた2本の触手は、光魔法に当てられ灰となって砕けて落ちた。



『やはりッ!貴様はそうすると思っていたァァッ!』



 ヴァルガロージャの口から出たのは攻撃を防がれたことへの台詞では無かった。まるでここまでが計算のうちだというような言葉であった。



 次の瞬間、ファナの体に激痛が走った。



「え······」

「ファナさん······!!」



 ファナの腹部をヴァルガロージャから伸びる黒い影が貫いていた。触手に隠されて伸びていたのだ。


 マグリーン達を狙うと見せ掛け、反応してきたファナを狙う一撃だった。もしファナが反応出来なかったとしても魔力の回復は出来る。どちらにしろヴァルガロージャにとって都合が良かった。



「ぐっ······!」



 影はファナの体を浮かし、振り回して壁へと投げ付けた。受け身もままならず壁に激突したファナが地面に転がる。



『ハァハァ、貴様は危険だ。その目、その力。貴様を生かしておくのは危険だと、我の直感が叫んでいたッ!』



 ヴァルガロージャが肩で息をする。優勢である者とは思えない異様な疲労を見せていた。ファナを貫いた闇魔法に大量の魔力を浪費したためである。それ程、ファナを殺す事に急いでいた。これ以上闘うことは危険だと判断した。



「げほっげほっ······回、復を······うっ!」

「ファナさん!しっかりするにゃ!」



 ファナは腹部を襲う熱を堪えながら、自身の傷に回復魔法を施した。右手を翳し、魔力を流して光を当てる。


 しかし、その傷は癒えなかった。何時もならばこの程度の傷、数秒と経たずに塞ぐことが出来る。だが、開けられた穴は塞がることなく、止めどなく血は溢れ出る。


 ネレが駆け寄り、手持ちの回復薬をファナの傷口に掛けた。しかし、それも効果が無い。血の混じった液体がファナの体を流れ、地面に染み渡った。



『ゲハハハハハハッ!その傷は闇による損傷!唯の光魔法で解くことは出来ぬッ!激痛に悶えて死ねェェッ!』



 ヴァルガロージャが使ったのは唯の闇魔法ではなかったのだ。悪魔固有の魔法。多大な魔力を消費する代わりに、対象へと治癒出来ない負傷を与えられる。それは特殊な魔法でないと解除することは出来ない。



「はぁはぁ······はぁはぁ······」

「ファナさん!ファナさん!!」



 ファナの体にしがみつき、泣きながら叫ぶ。ファナは刻一刻と弱っていく。血は止まることを知らず、ファナから体温と共に抜けていく。



「ユキ······さん······」



 思い浮かべるのは、常に自分を信じて励ましてくれた1人の恩人。


 感じるのは、不甲斐なさ、己の弱さであった。初めて戦う力が欲しいと願った。ユキと出会う前までは、どうせ出来ないから仕方ないからと諦めていた。周りから言われるだけでなく、自分自身も出来ないと認めていた。


 だからこそ、ユキが初めてであった。出来ると褒め、励ましてくれたのは。故に、ファナにとってユキは光であった。それ以外の何よりも未来を照らしてくれる光。その光に、ファナは近付きたかった。


 ユキへ対する謝罪。信じてくれたユキへ対するその想いが胸中を締めていた。



 そして、ファナの瞼をゆっくりと閉じる。



「ファナさん······!?ダメですにゃ······!目を開けてにゃ······!ファナさん······!!」



 ネレがファナの体を小さく揺すり、声を掛けるもファナは目を開けない。呼吸も止まっていた。そして心臓も、その動きを停止し掛けていた。



『漸く死んだか······いや、確実に首を撥ねておいた方が良いな』



 ヴァルガロージャが触手を掲げる。その標的は倒れたファナ。身動き一つしないファナを狙っている。



「うぅっ······!!」



 ネレはファナの大盾を両手で持ち上げた。構えをとるも四肢は震える。ネレはその盾を持ち上げるだけで精一杯であった。



「ファナさんは殺らせないにゃぁぁ!!」

『ふん、持つだけで限界ではないか。貴様如きに何が出来る!』



 触手が伸び、ファナの首を狙う。その間に盾を構えるネレが入った。盾で触手を迎撃する。



「がっ!?」



 しかし、衝撃を止めることは出来ず、ネレの体は勢いよく吹き飛んだ。そして数メートル空中を舞い、壁に叩きつけられ地面に落ちた。



『雑魚は大人しく──』



 ヴァルガロージャの言葉は続かなかった。倒れたネレがゆっくりと立ち上がったのだ。



「まだ、にゃ······ファナさんは······ネレが守る、にゃ······」



 先の一撃で両腕と両足を負傷したネレ。既に身はボロボロだ。打ち付けた頭部からは出血。骨も数本折れているかもしれない。身体は立ち上がる事さえ拒んだ。


 これが非戦闘員の、雑用係の限界なのだ。


 しかし、それでも。ネレはふらふらと立ち上がり、ファナの前に立つ。そして震える両腕を広げた。



「ネレが······ネレが守るにゃぁぁっ!!」



 叫び、肉体を奮わせる。そうしなければ痛みで気絶しそうだった。ネレにはファナのような回復手段が無い。出血、打撲、骨折。それらを身に受けた状態で立っている。



『貴様らは······どいつもこいつも······!』



 ヴァルガロージャは怒りに身を震わせていた。決して諦めようとしないファナやネレ。逆立ちしても勝てぬ相手に立ち向かう姿勢を崩さない2人が、ヴァルガロージャの目障りであった。


 数本の触手を展開する。手加減などせず、本気で殺すと決めた。



『死ねェェッ!!』

「にゃぁぁぁっ······!!」



 ネレへと幾本もの触手が迫る。1本1本が致命傷を与えられる攻撃能力を持った触手だ。盾すら持たないネレが、それらを1つでも防ぐ事なんて出来ない。


 それはネレ本人が最も理解していた。


 しかし、背後に庇うファナを守る為に、その身で以て盾となるしか無かった。たとえそれが無意味だとしても、ネレにはそれしか出来なかった。


 襲い掛かる触手を真っ直ぐと見つめる。


 ネレは目を瞑らなかった。間もなく身を襲う激痛、そして死から目を逸らさなかった。



 その時、光が差し込んだ。



 不変にして不壊であるダンジョンの天井が、真っ二つに割れた。それと同時にネレに迫っていた触手が全て塵となって消え去る。


 割れた天井から1つの人影が落ち、地面に着地した。



「ん······ネレ、良く耐えた······直ぐに終わらせるから待っていろ」

「ユキさん······!!」



 現れたのは1人の少女。長い銀髪を揺らし、エルフの特徴たる長い耳を生やした1人の少女。古びたローブを翻し、ネレと悪魔の間に降り立った。


 その少女の煌々と輝く金瞳は、殺意の炎を宿していた。

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