12
朝日も昇りきったお昼前。冒険者ギルドの受付場でティルレッサは嘆いていた。
早く帰りたい、と。
ギルド長の娘にして、非常に真面目で優秀な受付嬢。仕事をサボった事もなく、野蛮な冒険者と値段交渉で張り合う優秀な受付嬢。どんな相手にも笑顔で応対する素敵で優秀な受付嬢。
そんなティルレッサが、この場からいち早く逃げ出したいと、仕事を休みたいと考えていた。これからやって来る冒険者の数が増え、忙しくなる時間帯。ティルレッサを欠けば捌き切る事は不可能であろう。それを理解して尚、ティルレッサは帰宅を望んでいた。
「だぁかぁらぁっ!新しい雑用係を手配しろって言ってんだ!聞いてんのか!?」
「ですから、それは無理だとお答えしているのですが」
作り笑顔を貼り付けて、何度目か分からない要求を拒絶していた。周りに居る朝から呑んだくれている冒険者は野次馬根性でコチラを眺めるばかり。助けてくれるような気概のある奴は1人も居ない。若造がなんか叫んでやがると、酒の肴にしていやがるのだ。
隣に居る他の受付嬢も助けてくれそうにない。彼女達はティルレッサの後輩受付嬢であり、ティルレッサの出来ない案件に対応出来る訳がなかった。怒鳴り声にビクビクしながら、チラチラとティルレッサを伺うばかりである。
はぁ、と怒る彼等に聞こえないよう、小さなため息を漏らす。早く帰りたい、もしくは早く帰って欲しい。その想いでいっぱいだ。
「無理だと?俺達は近々Aランクパーティになる『金龍の息吹』だぜ!そんな俺達に刃向かっていいと思ってんのか!?」
「あのですね。いきなり押しかけて来て、一方的にご要望を突き通すと言うのは常識が足りませんよ。新しい雑用係の方を所望する経緯と理由をお話して下さらないと」
『金龍の息吹』のリーダーたるグレッドの威圧もどこ吹く風。某エルフ様から発せられる嵐のような威圧を定期的に浴びているティルレッサにとって、彼の威圧なんてそよ風に等しい。笑顔を崩さず態度を変えず、丁寧な口調で言葉を返す。
「ダンジョンで雑用係が消えたんだ!だから新しい雑用係をさっさと手配しろ!」
ティルレッサは紙にスラスラと要件を記入していく。形だけでも対応しておかないと、何をされるか分かったものじゃない。肝は据わっているティルレッサだが、戦闘能力は皆無。戦闘職であるグレッドに殴られるだけで致命傷になりかねない。火には油ではなく水を掛けるまともな性格の持ち主であった。
因みに、用紙に雑用係の新規雇用を求める内容を書き、提出したとしても無意味であったりする。それは『金龍の息吹』に課せられている罰の1つであり、雑用係の雇用不可というものだ。他にも幾つかの罰則があるのだが、彼等の様子を見る限りそれをまだ把握していない。彼等の元いた街で聞かされる手筈なのだが、どういう事だろう。ティルレッサは関わりたくないからと考えるのを辞めた。
「では、ダンジョンで行方不明になった......という事でしょうか?そして探して欲しい、ではなく新しい雑用係を、と?」
「行方不明じゃなくて死んだんだよ!アイツの注意不足のせいで勝手に死んでったんだ!お陰でそれまでのドロップ品も全部無くなっちまった!」
グレッドの言葉に合わせて、後ろに控えている女性陣が頷き同調した。グレッド達の中ではそういう事にするようだ。ネレは自身の不注意で死に、所持していた物品ごと消えてしまった、と。
実際はネレを囮として使い捨て、バッグを奪ったものの、待てど待てどもバッグから物が出ない事にイラつき、憂さ晴らしとしてありもしない事実を作り怒りをぶつけただけなのに、自分達は仲間と素材を失った被害者と訴えるのだ。
もちろんティルレッサは信じなかった。ファナという前例を知っている彼女にとって、彼等の発言全てに疑いを掛けている。不注意で雑用係の方が亡くなったのではなく、彼等の手によって命を奪われた。ドロップ品に関しては本当に無くなったのか、もしくは奪い取っているのか。それらが考えられるだろう。もしかしたら、その雑用係の方が生きていてバッグが開かなかったのでは、という有り得ない事を想像し、無いなと斬り捨てた。
「はぁ。雑用係の方々にも所属するパーティを選ぶ権利がございます。貴方達のような、雑用係の命を軽く考えているパーティに入りたいと、そう願う雑用係は居らっしゃるでしょうか?私でしたら到底......大金を積まれても断りますね。命あっての物種、とも言います通り、冒険者にとって命は何よりの宝です。それを蔑ろにされるとなると......」
頬に手を添えてティルレッサは説明する。紛れも無い事実を突きつけただけであり、それ以外の意味は無い。ただ少しだけ本心を練り込み、それを丁寧に述べただけである。
それを聞いたグレッドは顔を真っ赤にして憤慨した。
ティルレッサは無意識で火に油を注ぐ質だったのだ。
ティルレッサが作り笑顔のまま言い切ると、周囲に居た冒険者が腹を抱えて笑い始めた。意気揚々とやって来て、傲岸不遜な態度で命令したかと思えば、受付嬢に跳ね返される。とんだ無様な光景か。ゲラゲラと笑いながら、もう少し頑張れと野次を飛ばす。
「チッ!お前なんかじゃ埒があかねぇ...おい、バラーシャの冒険者ギルドのレジオンに繋げろ!アイツなら直ぐに手配してくれる!」
グレッドは酷くイラついていた。
ネレのバッグが開かなかった事が先ずそうだ。死ねば解除されると聞いていたのに、何時間待ってもバッグの中身を取り出せなかった。大量のポーションを溶かして得たその日の収穫が無くなったのだ。
そして泊まった宿屋。何時もは支払いをさせていたネレが居なくなったので、グレッドが支払わなければならなかった。イルベーチはダンジョンで大金を稼ぐ冒険者が多いからこそ、宿屋の値段はかなり高めに設定されている。散財癖のあるグレッドには手持ちの金が殆ど無く、全員で出し合ってギリギリだった。お陰で今は一文無しで、朝食すらまともに摂れていない。
不機嫌な状態でダンジョン専門の冒険者ギルドへと足を運んだ一行は、ティルレッサに吠えていたような事をそこでも叫んだ。そして、ポイッとされたのである。忙しい朝の時間に構ってやる余裕は無かったのだ。
屈辱を味わいながらこのギルドまでやって来たと思えば、その受付嬢も上から目線で物を言う。周りに居る格下共も自分達の事を指差しで嘲笑っている。
遂にグレッドに我慢の限界がやって来た。
「テメェら!俺達がAランクになった暁には──」
ギィィと、古びた扉が開く音。
「──1人残らず潰してやるっ!──」
カンッカンッと、床を杖で叩く音。
「──覚悟しておけ!」
グレッドがそう叫び終えると、冒険者達は唖然とした表情で静まり返っていた。涙を流して笑っていた連中がピタリと固まり動かない。まるで蛇に睨まれた蛙のように、シンと動かなくなってしまった。
素っ気ない対応をしてきた受付嬢に目線を移せば、彼女も目を見開き焦燥に近い表情を浮かべている。先程まで見せていた余裕は無くなり、狼狽しているようにも見える。
そして、ガタガタッと他の受付嬢が逃げ出した。2階に続く階段をかけ上っていく。あの慌て様、ギルド長を呼びに行ったに違いない。
(ふん、漸く俺の凄さに気付いたか。今更遅いけどな。このギルドごと潰してやる)
静寂が包み込むギルドの中で、グレッドがふんぞり返る。その周りに着くメンバーもまた胸を張って自慢げにしていた。......マグリーンを除いて。
「ん......ワイワイガヤガヤ、随分と騒がしいな。ここは何時から動物園になったんだ?」
ギルドの入口から透き通るような声が響く。凛とした綺麗な女性の声。
冒険者にとって恐怖の対象である、"
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