11
ファナが運んで来た夕食を食べた3人。ユキがそわそわとファナを気に掛けていた事以外、なにも変わった事無く食事は終わる。
なんだかんだ疲労が溜まっていたネレは、久しぶりにお腹が満たされた事で倒れるように眠ってしまった。そんなネレをそっとベッドに寝かせ、ファナとユキは部屋を出た。
ネレにベッドと部屋を貸してしまったからと、ユキはファナの部屋に入った。半ば強引な形だったが、ファナはあまり気にした様子でもない。そして、おやすみなさいと言って立ち去ろうとし始めた。ユキが慌ててファナを部屋に引き込み、バンッと扉を閉める。
「ん······ファナ君に何処へ行こうとしたのか、敢えて聞かないけど行っちゃダメ。空いている部屋は無いと思うよ」
「僕は何処でも寝れますし、寝なくても動けますから」
言葉のとおり、ファナは何処でも寝られるのだろう。空き部屋が無くとも、物置部屋なり倉庫なり野宿なり、どのような形でもファナは対応している。寝なくても動ける、という事も事実だ。長らく不寝番を任されていたファナは、睡眠無しで生活する事もよくあった。
しかしユキは譲らない。
「ん······だめ。ボクはキミに無理をさせないと誓ったんだ。そういうのは許さない。大体この部屋はファナ君が借りている部屋だろう。出て行くならボクだ」
ファナが出て行くと言えば、本気でユキも出て行くつもりだ。本気の雰囲気を感じとったファナは、出て行く案を諦めた。
「で、ですが、同じ部屋で寝るというのは···」
「ん······ボクは気にしないから」
「僕が気にするんです!」
ユキと一緒の部屋に寝たということで、ファナが気にする事とは風評である。自分が貶されるならともかく、ユキが何かを言われてしまうのではと心配になるのだ。確かに、ユキはあまり気にしないだろう。言わせておけばいい、と。
暫く悩んだファナは、小さくため息を吐いて覚悟を決めた。
「分かりました。ですが、僕は床で寝ます」
「ん······なら、ボクも床で寝る」
「なんでですか!?」
最大限の譲歩も、ユキは許してくれないようだ。何がなんでも共に寝るつもりらしい。大胆なアプローチにファナは当然のようにたじろいでしまう。
どうすればユキを説得できるか、それを考えていたファナはユキの行動に反応出来なかった。ユキはファナの頬に手を伸ばしていたのだ。ひんやりとした手が触れて漸く気付いたファナは、顔を真っ赤にして後ろに下がった。しかし、ユキが更に踏み込んで、両手を伸ばして逃さない。
「ん······そうか。ファナ君は不安なんだね」
ファナの両頬に触れたユキが呟いた。
何処か様子の可笑しかったファナ。その原因に気が付いた。まだファナがネレの一件を引き摺っていたのかと思っていたが、それは違ったようだ。一応、その件に関してはユキとネレの言葉で落着していた。
ファナの様子が可笑しかった要因。それは不安。この街に『金龍の息吹』が居ると知った事で、過去の出来事を思い出し不安になっていたのだ。
ネレの話を聞きながら自分の事を考えてしまった事、ネレを苦しめた要因になってしまった事に対する自己嫌悪。そして『金龍の息吹』と出会ってしまうのではないかという不安。それらが重なってしまったに違いない。
ファナも口にはしていないが、やはり『金龍の息吹』へ対する恐怖を抱いている。しかし、傷付いたネレが居た為にその気持ちを押さえ込んでいたのだろう。
やはり無理をし過ぎる子だなぁ、とユキは微笑んだ。
「ん···ファナ君はいい子だ。いい子過ぎるんだよ。もう少し我儘になっていいし、もっと人に頼っていい。ボクが信頼出来ないのかい?」
ファナの頭を撫でながら、優しい声音で囁いた。その声にビクッと反応を示し体を硬直させてしまう。緊張のあまり耳まで真っ赤にして、震える声で訴えた。
「でも···ユキさんに迷惑を掛けてしまいます···!」
「ん······良いよ。存分に迷惑を掛けてくれ」
ファナの言葉にユキは優しく返す。安心させるように手を握り、頭を撫でながら。
ファナは短い人生の中で、他人に迷惑を掛けないようにと生きてきたのだろう。生来の優しさがその感性を作り出し、人の役に立つ人間として成長してきた。そして常に他人を支える役目を担い続けたのだ。弱者として見られ扱われながらも、その信念は変わらず在り続けた。
そんなファナもやはりまだ子供だったのだ。外見は年相応以下な可愛らしいものだが、話し方や態度は大人びている。どちらかと言えば頼りになる存在だ。それ故にファナが子供だという事を忘れてしまう。ユキもその1人であり、ファナなら大丈夫だと考えてしまっていた。それは間違いで、ファナにも辛いことや悲しいこと、それらを打ち明ける相手が必要だったのだ。
どんな事もファナは自身で解決させ、他人に頼る事はしなかった。それはファナの生まれた環境も作用していたに違いない。ファナの話によれば妹弟は多く、姉兄はあまり居なかった。世話をしてくれていたシスターも2人しか居らず、頼れる存在は少なかった。それらから考えると、忙しなく働くシスター達の迷惑を掛けたくないと、そう考えた事は容易に想像できる。
人に頼る事を知らずに育った。下手をすれば歪んだ性格にもなりえただろう。真っ直ぐ純粋に育ったのは、やはり元来の優しさがあった事が大きい。
しかし、それも無理があった。
『金龍の息吹』に理不尽を突き付けられても性格が歪むことは無かったが、その代償に精神面を酷く傷付けられていた。ユキと出会い回復し始めていたものの、『金龍の息吹』という存在が近くに居るという事実が、ずっと抑え込み耐えてきたものを崩してしまった。
「ん······そうだなぁ。じゃあ、これからも他の人には気を遣えばいい。その気持ちを貫く事はファナ君の美徳になる。······だから、ボクだけに頼ってくれよ。甘えてくれよ。迷惑をかけてくれよ。ボクはキミの為ならなんだってやるよ」
「ユキさんは···なんで僕なんかにそんな事を言ってくれるのですか···?」
瞳を潤ませ、ユキを見つめたファナは訊ねる。
世話係として傍に置いてくれて居るが、それ以上の事は何もしていない。だからこそユキのファナに対する優しさが分からなかった。
「ん······そ、そりゃあ······ファナ君の事が好きだからだよ」
ボソボソと恥ずかしげにユキは答える。
ファナに抱いている感情、それが好意だとユキも自覚している。しかし、好意にも種類というものがある。親子のようなものか、友人としてのものか、それとも······。ユキの中でそれが定まっていなかった。
「え···?」
「ん······そ、それはそうと、ファナ君。ボクは『なんか』ってパーティを絶対に許さないつもりだ。ファナ君の事で元々そのつもりだったが、ネレの話を聞いてその思いは更に確固なものとなった。だから、見掛けたら報復する気満々だ······その時ボクを止めるかい?」
まるで、いや照れ隠しとしてユキは話題を大きく替えた。少しファナから距離を取って熱くなった顔を冷まそうとしている辺り、その緊張が計り知れよう。
ユキがその質問を訊ねた理由、それはファナが『金龍の息吹』を許してしまうのではないか、という危惧であった。幾らユキが憤怒しようが、被害者であるファナが許してしまえばそれまでだ。奴らが咽び泣いて許しを乞う姿など容易に想像出来る。その時、ファナに止められればそれ以上の断罪は行えない。
つまり、円滑に処する為、ファナを説得しようと試みたのだ。
予想通りファナは浮かない顔をした。ユキが述べた事をあまり望んでいないような、躊躇いのある表情である。
「いいえ、止めません······彼らがネレさんにやった事は、到底許される事ではありません。犯した罪は償われるべきです」
「ん?止めないのかい······意外だった」
「はい······ですが、ユキさんの手を煩わせてしまう、汚してしまうと思うと······僕、情けなくて······」
「ん。なんだ、そんな事を気にしてたのか······やっぱりファナ君はファナ君だねぇ」
ファナの思わぬ回答にユキは戸惑ってしまうが、その理由を聞けばやっぱりかと笑った。
ファナの気持ちは決まっていた。ネレと出会う以前ならまだ許していたかもしれない。しかし、ネレが受けた事を知った今、ここで見逃してしまえば他の被害者が生まれる可能性が大いにある。それを阻止するためにも、慈悲を与えずに処罰するべきだとファナも思っていた。
しかし、被害者であるファナやネレにはそのような力も権力も無いのだから、汚れ役を担うのはユキとなる。
ギルド側が対応を取るだろうけどそれだけで奴らを許すつもりは無い、とユキが言ってくれた事を嬉しく思いながらも、ユキに不快な思いをさせてしまうのではないかと恐れていた。それ故に躊躇いがあったのだ。
「そんな事、じゃないです!······僕にとって、一番大切なのはユキさんなのですから······」
「んへっ!?······そ、そうなの?」
ファナの言葉にユキが抜けた声を漏らす。その瞬間、ユキから発せられていたピリピリとした怒りが消滅。そして、ファナの言葉を脳内で反芻させると、両耳をピクピクと揺らしながら口角をだらしなく緩め始めた。
『僕にとって、一番大切なのはユキさんですから』
唐突に出たその言葉。耳の良いユキが聞き間違えることは無い。紛れも無くファナの口から出た言葉である。
「ん······ファナ君の中で、ボクが一番大切なんだ······?」
「は、はいっ······え、ユキさん?」
なるほど。なるほど。
ユキの確認にもファナは応えた。それはつまり、そういう事か。ユキは1人納得した。
ファナは本音を呟いただけだ。それなのに、突然変異したユキの表情にファナは戸惑いを隠せない。
先程まで存在した凛々しさをかなぐり捨て、これでもかと破顔していた。耳がブンブンと揺れまくり、ユキの興奮を明確に示している。口はだらしなく開き、両頬を手で押さえつけなければ形を保てなそうなほど。目を見ることが出来ればハートマークにしていた可能性すらある。
ユキは幸福の絶頂に居た。理由は分からない。過去数百年の中で、ファナと似通った言葉を吐いた者も少なからず居た。それはユキを取り込む為だったり、利用する為の誘い言葉だった。
同じ言葉だ。散々聞き流してきた同じような言葉。ユキを籠絡せんと囁かれた甘い言葉である。しかしその時には不快感しか無かった。
それがファナの言葉と言うだけで、何故これ程嬉しいのだろうか。何故これ程感情が昂っているのだろうか。
ユキには理由が分からなかった。
この時既に『金龍の息吹』関連の話はユキの頭から抜けていた。それも、抱き積み上げた憎悪すら霧散している。そんな事どうでもいい、とユキの脳内が排除してしまったのだ。少なくとも『金龍の息吹』にとっては嬉しい事だろう。向けられていた殺意が唐突に消えたのだから。ファナは意図せずに『金龍の息吹』を救ってしまったのだ。······完全に救えたかどうかは怪しいものだが。
それはさておき、ユキの暴走は止まらない。嬉しそうに体を揺らしながらファナに迫る。
「ん······ヤバいぞファナ君。ボク、歯止めが利かなそうだっ!」
「えっ!?ちょっと、ユキさん!?」
その言葉通りにユキは歯止めが利いていなかった。ファナを前にして理性を失いかけている。正面からファナに抱き着くと、そのままヒョイと持ち上げた。突然の行動に混乱するファナを抱えながら、一緒にベッドに飛び乗った。
そして、むぎゅりと抱き着き2人は密着する。
「ユキさん!だ、駄目ですよ!ユキさんが僕なんかと···!!」
「ん〜〜ん、大丈夫。ボクがちゃんと責任取るから」
「ふひゃっ!?」
ファナの必死な抵抗や叫び声すら愛おしく感じる。ドクンドクンと鳴り響くファナの鼓動を聞いて、ユキは更に嬉しくなる。きっと自分の心臓も早まっているだろう。ファナは緊張しており、その事に気付いてないようで安心する。
そうか、これは愛だったんだな。純粋に異性としての恋愛感情だったのか。
漸くユキは合点がいった。
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