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「ファ、ファナさんって、『金龍の息吹』に居たファナさんですかにゃ!?」



 ネレの言葉にファナがビクリと反応する。ファナに抱き着いてたユキはその反応にいち早く気づいた。名前を忘れてしまっていたが、ネレが口にした『なんとか』というパーティこそ、ファナを散々苦しめた奴らなのだと。



「ん......お前、その糞パーティの一味なのか?」



 多分の怒りを込めながらユキはネレに言葉を発する。



「ひゃうっ!?そ、そうですにゃ...正確には、そうでした、にゃ...」



 ビクッと耳や尻尾を震わせる。上げた体をまた縮ませて、小さな声を捻り出した。



「ユキさん、この子は──」


「ん...流石に分かるよ。ファナ君の後任、ということだろ」



 ファナの言わんとしている事はユキも分かっていた。第一ファナがネレの事を知らなかったのだから、ネレがファナを虐めた奴らな訳がなかった。それを知りながら威圧したのは、ファナが震えたので反射的に漏れてしまっただけだ。



「は、はいっ、そうですにゃ...」



 ふっと消えたユキの威圧に、漸くネレは息を吸って吐いた。苛立ったユキが居る空間ではまともに呼吸も出来なくなるようだ。


 はぁ、とユキも息を吐く。ファナの事となると直ぐに冷静を欠いてしまう事に情けなさを感じていた。昔から短気な自覚はあったが、ここまでではなかった。これは、一種のモンスターペアレント的な感覚だろうか、と胸中でボヤく。それを誤魔化す為にネレと向き合う形に座り直した。



「ん...ネレ。その『なんとか』で起きたこと、ファナ君を知っている理由、なんでダンジョンで倒れていのか。洗いざらい話せ」


「ユキさんっ!まだ休ませてあげた方が...!」


「大丈夫、大丈夫です、にゃ!むしろ聞いて欲しかったのですにゃ...」



 ネレはそう言うが、体を小刻みに震わせていた。ダンジョン内で起きた事は彼女に少なくない恐怖を与えているはずだ。それ以外にも傷付くような出来事があったはず。それらを話す事は躊躇いがあるだろうに、意を決して話そうとしていた。


 その姿にファナも止めることを辞めた。自分一人で抱えるよりも、誰かに打ち明けた方が楽になるとファナも体感している。



「ネレさんがそう言うなら......ネレさん、立てますか?」


「は、はい...ありがとうございますにゃ...」



 ファナが手を差し出してネレをベッドから立ち上がらせる。それから備え付けのベッドを一時的に空間へと放り込み、空いたスペースに椅子をもう2つ取り出した。そしてネレをそこに座らせる。



「......ふにゃっ!?いつの間にか椅子に座っているにゃ!?」


「ん...ファナ君。ボクよりもキミの方が精神的ダメージを与えやすい。ボク以外の前ではあまり突飛なことをしない方が良いよ」


「え?突飛なことですか?」



 ネレは現状理解に及ばず挙動不審に陥り、ユキは相変わらずだなと呆れの混じった苦笑を浮かべ、ファナは2人の反応をよく理解出来ていなかった。頭に疑問符を浮かべて、新しくお茶とお菓子を用意している。



「はい、どうぞ。リラックス効果のあるお茶です」



 テキパキと目の前に用意されるお茶。次いでお皿が出されたと思えば、美味しそうなクッキーが並べられる。目の前で起きていることなのに、どこか現実味に欠ける出来事であった。


 ばっ、とファナへ振り向けば、さも当然のようにニコニコとしている。特段凄い事なんてしていませんよ、という立ち振る舞いだ。今までの一連の流れに、少したりとも自慢する要素が無いということか。


 ユキに目線を移せば、既にカップを手に取り口を付けている。なるほど、この場で可笑しいのは自分だったのかと理解した。



「ホントだったんだにゃ...妄言じゃなかったんだにゃ...」


「ん...ボクは大体分かったぞ。苦労したんだな、ネレ」



 ネレのボソボソとした独り言にユキが察する。確かに、ファナの後任が務まる人材なんている訳無い。比較対象が人外なファナだったのだから、ネレが苦境に立たされていた事など容易に想像できた。


 ユキから掛けられた言葉にこくっと小さく頷いた。理解出来ていないのはやはりファナだけである。


 そしてカップを手に取り、ふーっふーっとよく冷ましてから口に含んだ。



「...美味しいにゃ...」


「それは良かったです」



 1口飲むと、確かに疲れが抜けていったような感覚になった。それだけではなくシンプルに美味しい。身の内から温まる優しいお茶だった。ほろりと涙が零れ落ちた。意識して止めようとしても、ダムが決壊したかのように涙は流れる。間違いなく抑えていた何かが崩壊し、溢れ出したのだ。


 ファナから受け取ったタオルで目を擦り、何とか平静を保とうと涙を堪える。しかし涙は止まらない。



「ありが...とう...ございます...にゃぁ...」



 声を震わせて泣き始めてしまう。何度も何度も感謝の言葉を口にして、そして謝罪の言葉を口にする。その度に何かを耐えるかのように身を緊張させた。


 段々とネレの為人を理解し始めたユキは、ネレに対する嫌悪が無くなり優しさを見せるようになった。流石に泣く少女に対して冷たい態度を取れない、という事も要因している。ファナと共にお菓子やお茶を勧めて、どうにか泣き止んでくれるよう努めていた。



 それから暫く、ネレはファナの用意したお茶を飲んで気持ちを落ち着けた。クッキーの美味しさに卒倒しかけたり、お茶の飲み過ぎで花摘みに行ったりと色々あったが、その間でネレの表情はかなり良くなった。


 そして、気を引き締めたネレは、自分にあった出来事を語り始めた。




 ※ ※ ※




 ファナを追放してからというもの、『金龍の息吹』は依頼ミスが続いていた。以前は簡単に出来ていたモンスターの討伐も、逃げられたり返り討ちにあったりと上手くいかない。それに比例して怪我も増える。武具防具もボロボロになり使い物にならなくなる。そうして失敗が続くとモチベーションも下がり、依頼を受ける回数自体が少なくなっていた。


 何がいけないのか。何が今まで円滑に進んでいた『金龍の息吹』を悪くしたのか。



 その責任は全て雑用係たるネレに向けられた。



 無能だったファナでさえ出来たことをネレはこなせない。食事の準備も、身の回りの整理も、荷物運びも、武具防具の整備も、不寝番も、モンスターの発見も、盾役も。ファナがやっていた事をネレは出来なかった。


 食事は遅く不味い、身の回りの事も時間が掛かる、荷物は全然持てない、武具防具は少し綺麗にするだけ、不寝番も、モンスターの発見も盾役も出来ない。


 全てはネレが無能のせいだと、パーティメンバーはネレに強く当たるようになっていた。少しのミスをすれば「Fランクのファナでも出来たのに」とヒステリックに叫んではぶってくる。魔法を撃たれた事もあった。泣いて許しを求めても、誰一人助けてくれるものはいなかった。初めは助けてくれはしなかったが、暴力こそ振るわなかったパーティリーダーであるグレッドも、2週間経つ頃には手を上げるようになっていた。


 また、最初は最低限与えられていた報酬も段々と減っていき、遂には支払いがされなくなった。それを指摘すれば



「使えないお前にやる金は無い。依頼が達成出来ないお前のせいだ」



 と、突き放される。それにも関わらずパーティで使う物資の調達は全てネレに押し付けられた。寝る間も惜しみアルバイトを始めるも、怪我が増えたせいでポーション代が嵩み、冒険者ギルドに借金をするようになっていった。


 貧困な村を救う為に働きに出たのに、借金が増えていく毎日。精神的にも肉体的にもボロボロとなる、見返りのない日々。


 ここに居ては駄目だと思い、解雇して欲しいと冒険者ギルドに訴えた。しかし、『金龍の息吹』担当の受付嬢から返されたのは、「解約すると違約金が発生する」という、ネレの知らない契約の話だった。



 この受付嬢は『金龍の息吹』の専属であり、名が上がれば自分の地位が上がると考えていた。その為、「若くて可愛い女の雑用係」というグレッドの要求を叶え、ネレを推薦したのである。グレッドとイフェローにファナを宛がったのも彼女であり、自分が推薦した雑用係が2人とも辞めたとなると、今まで『金龍の息吹』に寄り添い得た信頼を失う事になる。そう考え、ネレの脱退を是が非にでも阻止しようとしたのだ。もちろん違約金云々は出鱈目であり、雑用係の権利を無視した違反である。



 追い出されるように冒険者ギルドから出て、とぼとぼと宿屋へと戻る。しかし宿の中には入らず、その宿屋に隣接している馬小屋に向かう。と言うのも、パーティメンバーがネレに部屋を与えていなかった。宿主が流石に無償で部屋は貸せないが、と使っていない馬小屋を貸してくれたのだ。中には藁が積まれており、薄い布を敷いて布団替わりにしている。野宿するよりも数倍良かった。何より、煩く命令を出す人間が居ない空間なので、唯一安心出来る場であった。



 夜、1人になると思いに耽る。



 増えていく借金と傷。死んでしまった方が楽なのでは、と何度も自殺を考えた。その度に故郷で待つ家族の顔を思い浮かべ、何時かこの地獄を脱せるだろうと希望を抱き、1人静かに泣きながら耐え忍んでいた。



 そして更に一週間が経った頃、グレッドがとある提案をした。



「今のままでは駄目だ。ここは心機一転してダンジョンに挑もう」



 と。現状を打破するためにダンジョンへ向かおうと決めたのだ。しかし、その内にある本音は、連続の失態によりこの街で住みづらくなり、他の街へと活動拠点を変えようというものだった。たった2年でBランクまで登り詰める程の功績を成し遂げたという事で、この街ではかなり顔が利いていた。他の冒険者に対する態度や言動についてはかなりの苦情が出ていたが、成果を出す彼らを咎めることは無かった。しかし、度重なる失敗により信頼が落ち、不満を抱いていた冒険者達から侮蔑の込められた視線を受けるようになってしまったのだ。


 そして、金銭的な余裕が無くなったから一攫千金を狙おうというのが2つ目の理由である。


 金銭的な余裕が無くなった理由の1つは依頼の失敗だが、大部分は彼等の散財癖にあった。収入が殆ど無いにも関わらず無駄に高い宿で泊まり、豪勢な食事を食らっている。そんな事をしていれば財産が吹っ飛ぶに決まっている。元々財布の紐が緩く、貯金ということもしていなかったのだから。


 グレッドの提案をパーティメンバー全員が承諾した。


 ネレには決定権なぞ与えられる訳が無く、ただただ言われるがままに着いていく事となった。この頃になると口を開けば打たれる為に、最低限の言葉──それは命令を承諾する意図を持つ言葉──しか発していなかった。


 ダンジョンが付近にあるとして有名な『イルベーチ』の街までは馬車を使うことになったのだが、他のメンバーから狭いだのなんだのと文句を言われ、ネレだけが歩きで後ろから追い掛ける羽目となった。しかし、同じ空間に居てグチグチと言われるより数倍マシだった。精神的苦痛よりも肉体的な苦痛の方が耐えられたのだ。傾斜のある山道も獣人にとっては平坦な道と変わらない。疲労こそあったが踏ん張って歩き続けた。空腹と寝不足の疲労で何度も何度も倒れそうになったが、ここまで来て諦めてなるものかと食らいついて歩き続けた。



 そして、数日の行程を経てイルベーチへと辿り着いた。

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