5
そしてユキ念願のダンジョン攻略となり、冒頭に戻る。
「ん〜。そろそろ先に行こうか」
「そうですね。あと5層、頑張りましょう!」
ファナは出していた机や椅子を片付け、張っていた風の結界を解除した。ものの数秒で後片付けは終わる。やはり異常だなとユキは思うも、口に出すことは無くなった。
ユキが宙に上げた手をファナは取る。前よりは躊躇いが無くなったものの、やはり緊張して恐る恐るとなってしまっている。
「ん。ファナ君ってば、そろそろ慣れてくれよ。まぁ、そういう初心っぽい所も可愛いけどさ」
「す、進みますからね...!」
照れ隠しのように、ユキの手を引いてファナは足を動かし始めた。そんなファナの姿に気づいて、ユキはカラカラと笑う。まるで緊張感の無い笑い声がダンジョン16層目に響いていく。
「も、モンスターです!」
歩き始めから数分も経たずに、最初のモンスターと接触した。形はカエル、ただし人の頭よりも大きく黒い。見た目が気持ち悪くあまり相手したくないと言われる、名を『ブラックフロッグ』というモンスターである。
ファナが伝えるより早くユキは気付いていたが、それを敢えて口にはしない。一生懸命に働くファナが可愛いから、という不純な理由にほかならない。
「んー。風よ」
腕を振る事に飽きたのか、ダンジョン攻略自体に飽きたのか。それともファナに良い格好を見せたかったのか。ユキは風魔法で切り裂く、という手法を取った。
構えすら取らずにユキから放たれる鎌鼬のような風。威力はカエルの体をめった切り、そのまま地面に深い切り傷を残すと言えば伝わるだろうか。
ああ、憐れなカエル。ただ人間の気配を感じ、近づいただけだと言うのに。視界に収まった途端、その命を刈り取られるなんて。
「んっ、グロテスクー。コイツらってさ、確か毒持ってるよね?ほんと、厄介な奴らだよね」
「し、知らなかったです...」
因みに毒を持っているのは違うカエルだったりする。『レッドフロッグ』、『パープルフロッグ』の2体である。『グリーンフロッグ』と『ブラックフロッグ』は毒のないモンスターだったのだ。そうとは知らずに有毒無毒に関わらず、ユキは全てのカエルを魔法で潰した。
それも、次からは視界に入るより早く、気づいた時には魔法を放っていた。この層はカエルの出現数が多く、ユキの魔法は絶え間なく発していた。
後に判明するのだが、どうやら、ユキはカエルが苦手らしい。
※ ※ ※
「んぅ...ぐちゃぐちゃ」
カエルまみれの16層。ユキはこの層だけで辟易してしまった。最初の一匹目を殺した時には、軽口を叩く余裕があったのだ。しかし、10を超えた辺りから軽口は文句に変わり、20を超えて文句は呪詛に変わり、30を超えて呪詛は泣き言に変わった。
今もカエルを引き裂いたと思えば、ふらふらとよろめき杖をつく。
「んーっ!!......もう、帰ろう。17層に着いたら、今日は帰ろう?カエルじゃないよ、帰るんだよ?カエルはいいよ、もう、マジで、要らない。ボクは帰りたいの、帰ろう?ね?」
「はい。帰りましょう。でも、もう少しですからね、頑張りましょう」
ユキはファナに抱き着く形で歩いていた。それ程までにカエルとの戦いで疲弊してしまったのだ。多種多様なカエルがあちこちから襲いかかってくる。自然と警戒レベルを引き上げ、足取りは重くなる。
今までの軽快な滑り出しがまるで嘘のように、この16層だけで1時間も使っていた。ユキの歩行速度が遅くなったからだ。
何度かファナがカエルを倒そうか、と提案していた。しかし、全てユキが却下。ここに来てプライドの高さが仇となったのだ。
ユキの中で、ファナは守るべき存在だ。確かに男の子として守られるだけ、と言うのは嫌なのだと言うことは理解できる。しかし、ユキはファナを守ると誓った。それをカエルが嫌いだから、という理由で破る訳にはいかなかった。
それに、ファナは戦う術を持っていない。昔のパーティーで盾役をやっていた頃があり、盾なら多少使えるという事で持たせていたが、剣は持ったことがないと言う。つまり、ファナは闘えないのだ。...調理で見せる早切りを使えば、雑魚モンスター程度なら倒せそうではあるけれど。
そんなこんなでユキがカエルを倒す事を曲げず、やはりカエルは嫌いだからと遅れていく。
漸く地獄の16層の終わりが見えた。ユキは奥の手まで出して、少しでも早く階段を見つけようとしていたのだ。そのおかげでゴールまでの道のりを把握し、あと少しで脱せられると喜んだ。
「ん!ファナ君!帰ったらボクとお風呂に行こう!」
「えっ?は、はいっ、分かりました!」
ファナとのお風呂、という餌を自らにぶら下げることで、攻略する意気を高めた。これにより前進を拒んでいた身体を動かす事に成功する。ユキの肉体は煩悩による強制命令を速やかに受諾し、間もなく実行に移していた。現在の目標は17層の踏破、及び拝受する
走り、魔法を打ち、走り、魔法を打ち、込み上げてくるものを飲み込み、魔法を打ち、走り──
ユキは懸命だった。何故ここまでなるのか。弱点が過ぎるのでは無いか。そう言った疑問が自然と湧き上がる程、ユキの姿は必死そのものであった。親の仇を相手するかのようにカエルを惨殺したと思えば、女の子らしい弱々しい一面を見せる。ファナに抱き着き、喚くように泣き言を垂らしながら、嫌だ嫌だと甘えるのだ。
ファナはこのようなユキの姿は想像出来ていなかった。そしてその姿を目の当たりにした時に抱いた感想は、ユキという天上の存在が自分に近付いた、だ。全てにおいて他と一線を画し、常に威風堂々とした態度で在るユキは、ファナにとって神様に等しいものだった。そんなユキにも苦手なものがあり、それを怖いものとして泣き縋るのだ。ユキと言えども完璧では無い。その事を理解し、ファナは尚更ユキに一生仕えたいと思うのであった。
死闘の末、最後の分かれ道である三又通路に辿り着く。ここを右に曲がれば、あとはゴールまで残り数十メートルの直進だ。秒で駆け抜ける事ができるだろう。
やった、勝った!ユキは確信した。だからこそ、油断していたのだろう。もうカエルなんて懲り懲りだ。相手なんかしたくない。こんな所にはもう来ない。おさらばだ。
そう言った感情のまま右に曲がり──
──色とりどりなカエルの群れを目の当たりにする。
『ゲロッゲロッゲロッゲロッ』
『ゲコッゲコッゲコッゲコッ』
『グワッグワッグワッグワッ』
更なる
ファナですら思わず耳を塞ぎたくなるほどの不快音。何とか堪えたものの、隣に立つユキが反応をしない事に疑問を抱く。何時もなら即座に魔法を放ち、惨劇を繰り広げていたはずだ。そして直ぐに嘔吐をするのが今までの流れであった。それが、今回は無反応。流石に慣れたのかと甘い考えをしたファナ。
ユキはフリーズしていた。
何度も説明するが、ユキの視覚以外の五感は人並外れて優れている。聴覚、嗅覚は獣人にすら劣ることの無い程の性能を持つ。地獄耳という言葉すら生易しく感じる程耳がいい。そんなユキが、あの不協和音を耳にすればどうなるか。
答えは、脳が現状を理解する事を放棄し、身体活動を停止させたのだ。
その直後に、一匹のカエルがユキへと狙いを定めて舌を伸ばした。ねっとりと唾液の塗れた長い舌を、ユキの腹部目掛けて打ち込んだのだ。
舌は獲物を捕食するためにかなり速い速度で撃ち出される。まともに喰らえば、だいの大人でさえ吹き飛ばす威力を誇っているもの。
当然ユキは反応出来ない。何時もなら射出と同時に叩き切る、という人外な芸当すら可能だと言うのに、ピクリとも反応出来なかった。
棒立ちになるユキへと迫る舌。その舌をユキの腹に巻き付け、捕食を開始しようとするのだろう。
ダンッという鈍い音が鳴る。その舌はユキの1メートル手前まで伸び、弾かれた。ファナの持つ黒い盾によって見事に止められたのだ。
「ゆ、ユキさん!大丈夫ですか!?」
固まったまま動かないユキに、ファナは焦燥に駆られる。戦闘経験の少ないファナにとって、この状況は非常に危険だ。先程は一匹だけの攻撃だった為に弾くことが出来たが、相手の数は十を超える。たった1人で防ぎきれるとは思えない。
「ユキさん!ここは撤退しましょう!ユキさん!?」
幾ら叫んでもユキは反応しない。時を止められたかのように、僅かな反応すら見せないのだ。
ファナは撤退を考える。が、直ぐにカエルからの攻撃が開始された。数匹のカエルがユキを狙い、その舌を真っ直ぐ伸ばしてくる。
それをファナは全力で防いだ。ファナが持つ黒い盾は身を隠す程大きく、技術を用いぬ壁となるだけならファナでも可能だった。鍛えた足腰で踏ん張り、ユキへと一本も舌を通さない。
しかしこれ以上に動くことが出来なかった。ユキには一人で逃げてもらうしか無かったのだ。逃げようにも逃げる隙がない。背中を見せれば舌で撃たれてしまう。一撃貰えば絶命する自信がファナにはあった。
何発もの舌を弾いた。絶え間なく放たれる強靭な舌による攻撃を、全て防ぎきった。ユキの為ならばとファナは全力で耐えていた。
しかし、跳ねる唾液を完全に防ぐ事は出来なかった。
1滴、涎がユキの顔に飛び付いた。その涎は非常に粘性を持っており、ドロっと垂れて延びてゆく。
無反応だったユキが反応する。触れなければ良かったものを、空いてしまった左手で顔に触れ、そこに付く涎に触れてしまった。
手についた液体は糸を引いて伸び、ねちょりとその手に不快感を齎した。その感触にこの状況を照らし合わせ、その液体の正体を頭の中で導き出した。
「んぁ......うあぁぁぁっ...!──」
「ユキさん!?気が付いたのですか!?」
涎の付着した左手をわなわなと震わせ、膝を着く。呻き声を上げながら、ショックのあまり杖を手放した。
ファナは再度ユキに声を掛ける。何が起きているのか、舌の集中砲火を浴びるファナには理解出来なかったが、非常に良くない事が起きたのだと察した。
「ユキさん!──うっ!?」
ユキに少し意識を向けた。その瞬間に踏ん張る足の力が緩み、遂に盾を弾かれてしまった。立て続けに舌の打撃を喰らい、ファナは体勢を崩してしまった。がら空きとなったファナへ──では無く、やはりユキを狙って舌が伸びる。
あまりに異様だった。ユキのカエルに対する嫌悪もそうだが、このカエル達の執拗なユキへの猛攻が可笑しい。魔物は目の前にいる獲物から順に狙っていく筈なのに、その掟をまるで無視している。
ファナの盾という壁が無くなり、舌はユキへと直行する。両膝を着き、両手を震わせるユキに、防ぐ手段はない。
そして──
「──もう死ね」
──静かに、低く、冷たい殺意をもって。ユキの口から言葉が呟かれた。
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