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それから1時間後。ユキが5杯目のカップを空にした時だ。客室にコンコンコンという優しいノックが響く。
ファナがそれに応対する。入ってきたのはティルレッサと男のギルド職員であった。眼鏡をかけ、キリとした髪型が特徴の真面目そうな男性。顔立ちはいい方で、確かに異性からモテていた。
「お初お目にかかります剣聖ユキ様。私、Aランクのヘルオ・ウィルヴィーゼと申します」
入室してくるや否や、ヘルオと名乗るギルド職員はユキへと恭しく挨拶をした。ファナには一瞥もしない態度に、ユキはイライラとしていた。その苛立ちに気付かないのはヘルオだけで、意気揚々に言葉を続ける。
ただ名を名乗っただけであろうが、ユキに対して正しい態度では無い。
ユキの頭では今日の主役はファナ。そのファナへのぞんざいな態度にはむかついてしまう。確かにSランク冒険者への礼儀は必要であろう。特にユキは恐怖の代名詞でもある。ユキへは畏敬を持たねばならない。ギルド職員なら誰もが知っている常識であった。
だからこそ、イラッとするだけで行動には移さなかった。
「噂以上に美しい。透き通るような銀の髪、スラリと細い腕、指。この地に降臨なされた女神のよう──」
その言葉がいけなかった。既にイラついていたユキに油を注ぐ。かなりの短気であるユキが、静かにキレた。その怒りは明確な殺意となる。
ヘルオの発言はユキへの侮辱であった。
そっと杖に手を掛けて、握る。
ピリッとした殺気がユキより放たれる。
「ゆ、ユキさん!お、お茶のおかわり要りませんか!?」
その時、ファナがユキとヘルオの間に飛び出した。
ファナが斜線上に入り遮った事で、ユキは少し冷静になる。我を忘れる程怒っていた訳では無い。ほんの少し、キレていただけ。
大人気なかったなと殺気を霧散させると杖から手を離し、どっかりとソファに座り込んだ。
「······ん。頂こう······すまん」
「い、いえ···!」
ファナとティルレッサの息は荒い。2人は察していた。この場に居るだけで死の危険があると。ヘルオは気付いていないだけ。あと少しでもファナが遅れていれば、首と胴がおさらばしている未来があった事に。
ユキに躊躇いはなかった。人殺しなど、ユキの人生の中で何度も繰り返していたからだ。
そんなユキでも、この場における非戦闘員たるファナとティルレッサへは考慮がある。久々に
ティルレッサはほっと胸を撫で下ろす。ユキが怒りの対象以外に害する事は無いと知っている。知っているが、恐れないはずがない。
(ファナさんが居てくれて本当に良かった···)
ファナの淹れたお茶を無言で啜るユキを見て、ティルレッサは安堵する。
一方でヘルオは憤っていた。自身がユキへと挨拶をしている最中に遮る馬鹿が居るのか、と。ヘルオは今回の検定の目的を、ユキへのアピールと考えていた。総長にすら文句を言う権利を有するSランク冒険者、その筆頭格であるユキが自分のことを認めれば、それだけで名は上がる。
総長からは「余計なことはするな、検定だけを速やかに済ませろ」と強く言われたが、そんな勿体ない事あるだろうか。いや、そう言ったのは総長が危惧していたからだろう。自分がユキに支持されれば、それだけで地位は総長を越してしまう。噂ではユキを『生ける死神』だとか『殺戮兵器』だとか言われているが、そんな事を忘れてしまうくらいに美しい女性であった。ヘルオが囁いた言葉も、嘘偽りのない本心ではあったのだ。
しかしヘルオは、ユキを自分の出世の為の道具としか見ていない。ヘルオの頭の中で組み立てられた計画では、ユキを初対面で落としている。この顔、この声、ときめかせる言葉に落ちない女性は居ないと考えていた。
(試験管であるこの私を差し置いて、何を勝手に···!そんな事でポイントを稼ごうとする愚か者め。評価は最低だな)
ヘルオは助けられたという事実に気付かず、ファナへの評価を下げていく。この検定では試験管の判断が絶対となってしまうため、現状は最悪と言っていい。
「ん······挨拶はどうでもいいんだ。早くファナ君の検定を始めてくれ」
お茶を飲み完全に冷静を取り戻したユキが、それでも不機嫌そうに言葉を出す。初コンタクトでユキに嫌われた。1度決まった印象払拭することは不可能だ。特にユキは高ランクの雑用係に良いイメージを持っていない。ヘルオのような、口だけ達者な奴が多いからだ。
ユキに話を進めろと言われれば、これ以上待たせることは出来ない。流石にそれくらいは意識しており、不本意ではあるが指示に従う。
「···わかりました。では試験を始めましょう。ティルレッサ嬢、空いている場所を──」
「ん。ここでいい」
間髪入れずにユキは答える。
今集まっている客室はそれなりの広さを持っている。しかし中央に広めの机があり、その机を挟むようにソファが2つ。これらがあるために少し手狭に感じてしまう。
「この広さでは不可能です。もっと広めの部屋を用意してください」
本当は問題ない。何せ雑用係の試験というものは主に4つ。荷物運び、掃除、料理の下処理、最後に武器のメンテナンスを行うだけ。料理の下処理に関しても、
ヘルオが噛み付いた理由は、ユキが進行させようとしている事が気に食わなかったから。ギルド職員としては有るまじき理由。よりにもよって、ユキに対してその思考で歯向かった。
ユキは決して鈍感ではない。視覚以外の五感には敏感であるし、漏れでる魔力や雰囲気、気配から感情を簡単に把握出来る。つまり気づいていた。見くびられていることに。
「ん······ファナ君。ソファと机、退かしていいよ」
斬ろうとすればファナが止めるだろう。なら、ファナを使ってやり返してみよう。ヘルオはファナを完全に見下している。同じ〈雑用〉であるファナが力を見せれば、さぞ面白いものが見れるだろ。
ユキは笑顔になって言った。
「え、良いのですか?」
「ん。ボクの事なら気にするな。カップは魔法で浮かしておける」
ファナが聞くとユキはなんて事ないように答える。そして右手の親指と中指を擦り合わせて鳴り響かせれば、宣言通りにカップやお皿などを宙に浮かせた。
ティルレッサは何度か見た事がある光景のため驚かない。
ファナも無詠唱とまではいかないが、実は出来るため驚かない。
驚いたのはヘルオだけであった。
ヘルオはユキが剣聖であると聞いている。魔法職では無いのだ。そのユキが無詠唱で精密な魔法を使っているのだから、到底理解が出来なかった。
「あ、いえ···では、一旦片付けさせて貰いますね?」
ファナが訊ねたのはユキでは無くティルレッサ。片付けてもいいのか、と訊ねたかったのだ。しかしここでそう言えば、ユキにどう思われるか···。そう判断したファナは、ユキが座っているソファを残して、机とソファを空間へと仕舞った。
「ん。これで出来るだろ。始めてくれ」
ニヤリ、と悪魔的な笑みを浮かべたユキが、驚愕した顔で固まるヘルオに声を掛ける。その顔はまさにしてやったり、ざまぁみろといった言葉が似合う。
ヘルオには突然ソファと机が消えた怪奇現象としか映っていなかった。その2つともそれなりの大きさ、質量を持つものであった。人が軽く持ち運ぶことすらままならない代物と言うのに、それらが忽然と消えたのだ。
しかし、無様な醜態を晒し続ける訳にはいかない。自分はエリートだ。冒険者に付いて雑用係として扱き使われているそこら辺の奴らとは格が違う。
どうせ何でもありのSランク冒険者ユキが何かをやったのだ。反応を見て楽しんでいるだけだ。
ヘルオはユキへの警戒を高めただけで、本来の相手であるファナは眼中な無かった。ユキの傍に居て見慣れているから驚かないだけ。そう決めつけたのだ。
「えぇ···では試験を始めましょう」
ユキの傍付きと思われるこの雑用係をどう虐めてくれようか。そればかりを頭に浮かべ始めていた。辛口評価はもちろん。ユキの目の前でズタボロにしてやろう。雑用係として生きていけないと理解させる。
このファナという雑用係には自信が見受けられない。ちょいとダメ出しすれば直ぐに折れる。そこからはもう、ユキへ抱いたストレスをぶつけてくれる。
そんなヘルオの企みに気付いたユキ。しかし特に何をするということもなかった。本番を目の前に緊張しているファナを呼び、頭をなでなでして緊張を解したくらいか。相変わらず可愛いく顔を真っ赤にしたファナを見て、ユキが楽しんで終わったけれども。
「ん。気楽にやれよ。いつも通りやれば良いのさ」
「は、はい···!頑張ります···!」
こうして、ファナの3度目となる雑用係の検定試験が始まった。
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