第9話 金色のリリィ 4
私たち竜族が、カララギ王国と親交の深いアストゥール帝国、ギリア王国とも協定を結んでいくのに、そう時間は掛からなかった。
現在、数の上では私たちの軍勢の方がはるかに多い。
一方の魔王軍は少数精鋭といった具合で、戦士1人の力が私たちの1個小隊を上回ることもあるほどだった。
こちらは魔族が増えたといっても、人間も多いから仕方がない。
それでも彼ら人間は力がないなりに頭脳や道具を使い、竜族や魔族の後衛として地道に戦績を上げていっていた。
そういった状況で私は、人間は嫌いかと問われればやっぱり嫌いだと答えるけれど、ルークのように嫌いではない人間も少しずつ増えてきている。
魔族は…、話をする分には問題のない相手もいるにしても、どこかまだ信頼できずにいる。
私がまだ谷の中にいて、魔族と深く関わることが出来ないというのも、要因の1つなのかもしれないけれど。
今日も戦場へと向かう戦士たちに同行を希望したのに認めてもらえなくて、皆の帰りをただ待っている。
「リリィにはまだ早い」とか「エリオスとエリスの忘れ形見だから」なんて言って誤魔化そうとするけど、私とそれほど歳の違わない従兄弟達はすでに戦場に出ているし、彼らの中にも親を亡くした者だっているというのに。
納得のいかないまま、傷ついて帰還する仲間のために薬になる葉や草を集めていると、見慣れない人間が入ってくるのが見えた。
ルークが浄化して以来繁茂する草木の中を歩いている。
あの装備はカララギ王国の者だろうか、それともギリア王国…?
なんとなく気になって目で追っていると、次の瞬間、その人間は竜へと姿を変えた。
「アルおじさん!?」
それは母さまの従兄で、私の従伯父にあたる生粋の竜族であるアルおじさんだったのだ。
「おや、リリィ。薬草を集めてくれているのかい? ありがとう」
声を聞くとやはり間違いなくアルおじさんだ。
「おじさん、さっき人間だった? 私見たのよ!」
興奮して詰め寄ると、おじさんは芝居がかったような口調で話し出した。
「ああ、ついにリリィに見つかってしまったか。お前は人間嫌いだから嫌われると思って秘密にしていたんだがなあ」
「どういうこと!?アルおじさんは竜よね」
「そうだ。おじさんは間違いなく竜だ。ただちょっとばかり人間の世界に興味があって、人間の勉強をしたんだよ。そこで
「変化の魔法…。それで人間に化けてたっていうのね」
「化けてた…。確かに、間違いじゃないが、…うーむ」
私の言葉の変なところが引っ掛かったらしく目を瞑って顎の下を摩っている。
今まで意識したことはなかったけど、こう見るとアルおじさんの動作はどこか人間的だ。
「ま、それは置いといて。今日は竜の体では入れない所へ偵察に行ってきたんだ。人間の体に変化しても
言いながらおじさんはまた人間に化け、
「部分的に竜に戻すことが出来る。――これが竜の爪、そして翼だ」
と右手だけを竜の前脚に戻したり、背中から翼を出したりして見せてくれた。
その大きさは、人間のサイズに合わせて少し小さくはなっている。
「この鎧もおじさんが化けた物なの?」
「そう。頑丈な竜の鱗の鎧だ。自分の体よりも脆い物を身に着けるなど馬鹿げているからね。顔や体格は自分の意思では決められないようだが。 ――リリィもこの魔法を覚えたいなら教えてあげるからいつでも言いなさい」
「覚えないわよ。人間の姿なんて真っ平だわ」
おじさんは「ハイハイ」と私の言葉に大して取り合わずに、そのまま笑って谷の中心部へと帰っていってしまった。
それから程なく、他の竜の戦士が戻ってくるのに合わせ人間たちもやってきた。
さすがに彼らにも分別はあるようで、いくら協定を結んでいるとはいっても、谷の中へ入る人間は限られている。
カララギ王国であればルーク王子とその側近といった感じの、それぞれの国の総指揮をするような人たちである。
戦況はいよいよ大詰めになってきたらしい。
彼らは深刻に今後のことも含めて話し合っている。
「――リリィ。ひょっとすると、近いうちにこの辺りが戦場になるかもしれません。明日谷の周辺に防御魔法を張り直すので、谷の境界から遠く離れた場所にいてください。くれぐれも近づかないようにお願いします」
話し合いの後で、ルークから私にそんな話があった。
私がじっとしていられなくて、その付近をうろついているのをよく知っているのだ。
「もうすぐ戦争は終わるのね」
「だといいのですが…。これ以上長引くのはどちらも戦力がもたないでしょうね」
「戦力が少なくなっているっていうのなら、私も入れてくれればいいのに。私、十分戦えるわ」
「リリィは、ご両親の仇を討ちたいのですよね」
「当然だわ! 絶対に許せない。私がみんなやっつけてやるんだから」
息巻く私にルークは苦笑した。
「だからですよ。貴女が我を忘れて前へ出てしまうのを皆危ぶんでいるんです。戦争っていうのは、狂気と冷静さが必要ですからね」
翌日、言われたとおり私が境界から離れた場所にいる間に、防御魔法の張り直しは終了したらしい。
そしてさらにその翌日、戦士たちはいつもよりも緊張した面持ちで出陣していった。
これからの戦いは、より強い魔族との戦いになるのだという。
1体でも倒せば、敵の戦力をかなり削ぐことが出来るが、返り討ちにあった場合のダメージもこれまでの比ではない。
谷に残された竜の間にも、重い空気が漂っていた。
谷の中は安全だといわれても、不安な気持ちまで消えるわけではない。
私は眠ったままの鈍色の
巣から少し離れた場所で、人間が1人で歩いているのを見かけた。
この顔は知っている。
確かギリア王国を率いている男の側近だ。
何かあったのだろうか――と首を傾げていると、私に気付いてこちらへ駆けてきた。
手には長剣。
それを振り上げ、切りかかってきたのだ。
その程度の剣が竜に通用するわけがない。
私は軽く弾き、その男を捕まえた。
「一体なんの真似? 人間が竜に敵うわけがないでしょ!」
ただの人間に竜の言葉など通じないと分かった上で叱責した。
だけど、男は私に答えた。
「なんの真似って、殺すためだろう」
男の目は私を映さない虚ろな色をしている。
この男もルークのように魔力が大きいというの――?
答えが出せずに静止していると、どこかから吹く竜の
とても弱い
「リリィ!」
「アルおじさん! 今この人間が…」
「気を付けろ。魔族に操られているんだ」
魔族!? 防御魔法を強化したはずじゃ…?
「体や魂の立ち入りを遮断されているのは魔族のみだ。だから遠くから催眠術で操っている。心も体も人間のままでだ! いいか、人間に気を付けろ! 竜族にもな」
嫌な記憶が蘇る。
私は、多くの竜が集まる中心部へと飛んでゆくアルおじさんの後を追った。
中心部には、想像していた以上の数の人間がいた。
一時的に操られているだけだから、弱い
大して力のない人間など竜族の敵ではない、と侮っていたら、彼らは道具や薬を使い、私たちを追い込んできた。
罠や火薬、眠り薬や痺れ薬。
それによって捕まった竜もいた。
彼らの目的は武器や防具となる竜の鱗や爪、そして肉。
捕まった仲間のそれを道具を使って剥ぎとろうとしている。
すんでのところでそれはどうにか止めることが出来たが、人間は止められても、操られている竜を止めるなど簡単なことではない。
人間と一緒になって仲間を襲っていた竜を、複数の竜で押さえ込んでいるのを見た。
傍目には、誰が味方で誰が敵に操られているのかよく分からないから、安易に手出しも出来ない。
そして取り押さえられている竜に、もう1頭が近づいてきた。
その竜も押さえられている竜も、そして押さえている竜たちも、彼らは皆気心の知れた仲間同士だった。
「そいつを離してくれ」
「駄目だ、こいつは魔族に操られているんだ!」
「分かってる。分かってるけど俺たちは仲間だ」
――ああ、どう言えば彼は理解してくれるのだろうか。
その場の誰もが戸惑っていると、彼は爪を自らの柔らかい喉に突き立てた。
「いいよ。じゃあ、こっちの奴をもらうから」
そんな意味の分からないことを言って自死しようとするのを見て、私は咄嗟に体当たりをして止めた。
この竜も操られていたのだ。
その時、おじいさまの声が辺りに響き渡った。
「心ある者は耳を塞ぎなさい」
何かをされるのだと察してその言葉に従うと、おじいさまは聞いたことのない不気味な鳴き声を上げはじめた。
耳を塞いでいても内臓が気持ちの悪くなるような声だ。
耳を塞いでいなかった竜たちは蹲り、痙攣を起こしている。
しばらくそれが続き、声が止んだのを確認して恐る恐る耳を塞いでいた前脚を外すと、おじいさまが疲れ切ったように力なく言った。
「心も体も竜ならば、この音は耐えられんだろう。今回はあの時と違うぞ。 ――操っているヤツは谷の東にいるようだな。…あとは彼奴さえ倒せば皆戻るはずだ」
おじいさまの話が終わるよりも前に私は飛び出した。
今度こそ、私が皆を助けるんだ。
私の飛ぶスピードは、大人の竜に混じっても負けない、かなりの速さだ。
東側の境界にはすぐに着いた。
だけど、目で見える範囲には誰もいなかった。
そしてこの時私は初めて、谷の外側へと足を踏み出した。
魔法で作られた防御壁を越えると、途端に鼻を突く異臭が込み上げる。
よく見ると、あちこちに人や竜、そして魔族の遺体が転がっていた。
それらは今日死んだものだけではないのか、腐敗して虫の湧いているものもあった。
それは、美しい谷のすぐ外にあるとは思えないような悍ましい光景だった。
「――おやおや。美味しそうな子がいるねぇ」
不意にじっとりとした気味の悪い声がして、私の前に人間の大人の姿に似た魔族が現れた。
「お前がみんなを操っているのね! 許さない!!」
勢いを付けて奴に飛びかかる。
私のスピードに対処できないのか、振り下ろした爪はあっさりとその魔族の喉を掻っ切った。
喉から血が吹き上げる。
私はあまりの爪先の痛さに、その場から弾けるように後退った。
爪先だけではない。
奴の血が掛かった鱗までがピリピリする。
なのに、奴は薄笑いしたままピンピンしていて、開いていた喉の傷がすぅーと塞がっていった。
「あぁ、スゴイスゴイ。こどもでも竜は頑丈だねぇ。ますます欲しくなっちゃったよ」
奴が私へ手を伸ばしてくる。
しかしその前に、黒い翼の女の魔族が立ち塞がった。
彼女とは何度か話したことがある。
カインの異母姉だ。
「ジリアン! お前の相手はあたしだ。忘れるな!」
そう語気鋭く言い放つ彼女の体は、すでに傷だらけでボロボロだった。
左手などはもはや機能していないようにさえ見える。
「アニスぅ。お前と遊ぶのはもう飽きたよ。たかが人間の子1人くらいで本当にしつこいったら」
「たかが人間の子でも、あたしはあの子を気に入ってたんだ!親が死んでから、あたしが毎日ご飯を与えてあそこまで大きくしたんだ!怖い時はいつもあたしの手をギュッと握り締めてたんだよ。お前に分かるもんか!」
アニス…という女の魔族は、ジリアンと呼んだ敵に大きな魔力の塊を投げた。
しかしジリアンはそれを避けもせず受け止めると、さらに大きな塊にしてアニスを突き上げるように投げ返した。
アニスはそのまま防御壁へと押しやられ、魔力の塊と防御壁の間で潰されるように苦しんでいる。
その上、魔族を拒む防御壁は、魔族である彼女の背中を焼き溶かしはじめた。
あたしはありったけの力を込めてジリアンに
けれど、それもジリアンにはそよぐ風のようなものだった。
「お前はいい目をしているねぇ。――よし。お前には特別に大役を与えよう! 今から竜の谷へ戻って仲間を皆殺しにするんだ。それが済んだら食べてあげる。うん、そうしよう」
ご機嫌に馬鹿げたことを言う目の前の魔族に、私は頷き、彼に従うべく谷へと引き返しはじめた。
ジリアンは先回りして、私の目を見つめたまま谷の中へ導いてくれる。
――嫌だ!
殺したくない!
だけど早く殺さないと食べてもらえないわ。
違う違う。食べられたいわけないじゃない。
早く仲間を殺したいの!
支離滅裂な思考が私を支配して、体の方はとっくに私の意識下から離れていた。
抗うこともできないまま、ジリアンに見送られ防御壁を越えようした時、突如、私の背後から途轍もない一陣の風が吹き荒び、辺り一帯の空気を引き裂いた。
それはビリビリと痺れるほどの凄まじい衝撃で、アニスを襲っていた魔力の塊は消え去り、ジリアンは、肩から太腿まで大きく斬り裂かれ呻いていた。
――私は、誰がこの風を起こしたのかすぐに分かった。
鼓動が激しくなる。
後ろにいるのだ。
分かってはいるけれど、振り返って顔を見る勇気はなかった。
だけどそんな私に構わず、ソイツは庇うように私の前に現れた。
額には、燃えるような鮮やかな赤い目が輝いている。
「カイィン」
ジリアンが彼の名を憎々しげに口にした。
私の付けた傷は簡単に治したというのに、カインに斬られた傷は開いたままだ。
「効くだろう?それ。とっておきの
言いながらカインは巨剣を構え直した。
「貴様貴様ぁぁ、よくも半人前のくせに――!」
先ほどまでの余裕が嘘のように恨めしそうな顔でカインに魔力を放とうとするジリアンに、今度はいつの間にいたのか、背後からルークが剣を突き刺した。
普段の穏やかな王子様とは思えない動きで、血に濡れた剣を振っている。
ジリアンは息も絶え絶えにルークの剣を見て目を見開いた。
「聖剣だとぉぉぉ!おのれぇ。おのれおのれおのれぇぇぇ!!!」
奴はそのままルークに襲いかかろうとしたけれど、カインの魔力の篭められた巨剣で首を刎ね落とされ、その傷口から燃えるように消滅した。
ルークが完全にジリアンがこの世からいなくなったことを確認すると、カインは私に向き直ってヒリヒリと痛んでいた私の爪先を掌で包んだ。
「リリィ、大丈夫か」
3年振りに呼ばれた私の名前。
3年振りに聞く、彼の声。
変わらない少年のままの姿。
「…――あなた、遅いのよ!いつも!!」
「えっ!? 今回は誰も味方は死んでないからセーフじゃねえか?」
爪先から、痛みが消えていく。
「防御魔法の壁だって、全然駄目だったじゃない! なんのために張り直したのよ!」
「いやあー。あれは参ったわ。予想外だった。ちょっとまた練り直すわ」
誰も言わなかったけど、防御魔法で谷を守っていたのがカインだと、薄々気づいていた。
だから魔法を張り直す時、私に会わせないようにしていたのだと。
私は、ずっと彼に守られていたんだ。
「――もう!! カインの馬鹿!馬鹿馬鹿ばかばかバーカ!」
3年分の思いを込めて言ってやってたら、カインは楽しそうに大笑いしはじめた。
「何がおかしいのよ! 私怒ってるんだからね!!」
怒る私に構わず、彼はあの頃と変わらない澄んだ目で言った。
「だってさ、…リリィに名前呼ばれるのっていいもんだなあと思って」
私がカインの名前を呼ぶのって、初めてじゃないはずよ。
なのに、彼にそう言われた私は一気に血が昇ってくるのを感じて、
「――馬鹿っ!!!」
と、この日一番の「馬鹿」を言ってやったのだった。
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