第8話 金色のリリィ 3
美しかった谷は、一日で姿を変えた。
木々や草花は腐敗し、水も汚染されてしまった。
戦士をはじめ、多くの竜たちが命を失った。
あの時すでに息絶えていた者は、父さまを殺したあの炎によって、骨も残らないほどに燃やされてしまったのだという。
父さまに傷つけられはしたものの、命を取り留めた竜もいくらかはいた。
けれど、呪いによって付けられた傷はなかなか癒えることはなく、谷中から薬草を集めて治療をしている。
それで治ったとしても、何らかの後遺症を残すだろうとおじいさまは言っていた。
せめて雲が晴れれば――、と誰もが口を揃えて言った。
天から注ぐ光には、魔法よりも確かな浄化の力がある。
あたしがまだ見たことのないあの黒い雲の向こう。
まだ知らない光。
かつて母さまが言っていた。
その光に照らされた父さまは、何よりも力強く美しかったのよ、と。
その3日後、遺体のないまま合同の葬儀が行われた。
その場にありながら被害を免れた樫の木を墓標に見立て、突然の恐ろしくも悲しい最期を迎えた仲間たちへの鎮魂を祈った。
何も言葉を発することが出来ず、その場にいつまでも立ち尽くす私に、誰も何も言わず、去り際に優しく肩を叩かれた。
谷の誰よりも勇敢で強かった父さま。
正義感が強く、仲間を守るためにいつだって自らを投げうってきた。
その父さまの体が、仲間を殺し、谷を汚してしまったのだ。
どれほどの無念だったことだろう。
「リリィ」
後ろから、父さまを殺した男の声がした。
谷の竜たちは皆、彼のせいではないと言った。
仕様がなかったのだと。
そうするしか方法はなかったのだと。
――だけど、あの時まだ父さまの体は動いていたのだ。
助ける術は他にあったかもしれない。
竜たちは仲間である父さまを傷つけることを躊躇い、その結果殺されてしまった。
しかしカインは、なんの躊躇いもなく殺したのだ。
なぜなら、彼は私たちの仲間ではないのだから。
結局は魔族の血を引いている者なのだ。
「――私、殺さないでって言ったわ」
「ああ」
「父さまはあんたを信頼していたのよ!そのあんたに殺されたなんて、どれほど悔しかったか分かる!?」
「…ああ」
「何が『揃えば無敵になる』よ!自惚れていい気になってるからこんなことになったんじゃない!魔王を倒すだなんて、口ばっかりでそんな力もないくせに!!」
「そのとおりだ」
「どうして父さまをひとりにしたの!? なんでもっと早く谷に戻らなかったのよ!!カイン。私、あんたを一生許さないわ!!」
こんな奴の前でなんて泣きたくなくて、後ろを向いたまま、恨みをぶちまけた。
「…リリィ、俺の弱さがエリオスを死に追いやった。俺のことは一生恨んでくれて構わない。――だが、俺はこの先、絶対に、お前を、谷の仲間たちを守る。もっと、もっと強くなって、魔王を倒して、皆が平穏に暮らせる世界にしてみせるよ」
「…………。話はそれだけ? 用が済んだんならここからいなくなって。あんたの顔なんて見たくないの」
一瞬静かな間があったと思ったら、近づいて来る足音が聞こえた。
思わず身構えていると、傍らに何が大きな物を置いていった。
恐る恐るそちらを見たがすでにカインの姿はなく、代わりにあったのは、鈍色の卵。
それは、母さまの匂いがした。
おじいさまから聞いたところによると、カインは炎を放つ前に、母さまの中で1つだけ生きていた卵を、他の竜に託したのだそうだ。
「だがこいつは呪われておるな。呪いを抑える魔術を掛けられてはいるようだが、はたして無事に孵ることが出来るものか」
「そんな…。一体どういう呪いなの?」
「おそらくだが、孵ると同時にエリオスのように谷を襲うかもしれん。竜の子ではなく、魔族の子として産まれてくるのだ。この煤けた色がその証拠だ」
通常竜の卵は白いが、この汚れたような色は魔族の呪いの色のようだ。
「呪術者を殺して解ける呪いなら話は早いが、これは死に際の怨恨を込めた呪いだ。呪いを解くには、この呪術者より遥かに大きな魔力が必要だろうな。残念なことだが…」
魔王の息子より大きな魔力。
それじゃあ呪いを解けるのは、魔王か、もしくは死んだ息子より大きな魔力を持つ兄弟でないと駄目なの?
「今はまだ中の子も竜族ではあるようだ。産まれる瞬間に発動されるのであろう。呪いを抑える魔術によって産まれてくることはないが、呪いの力で死ぬこともない状態だ」
母さまの匂いのする卵を抱きしめると、鼓動を感じた。
そう、この子は今懸命に生きているのだ。
――あれから3年の年月が経った。
私の弟か妹は、まだ卵の殻の中にいる。
私は仔竜から成竜の体へと少しずつ近づいてきて、
もういつでも竜の谷を守る戦いに出られるつもりでいる。
カインはあれきり姿を現さなかった。
あの悲劇で戦士を多く失ってしまった谷の守りは、我々の味方である魔族や人間が外からしてくれているらしい。
そしてある時期、戦況が大きく変化した。
それは、ある人間が竜の谷へ入ってきた頃だった。
20歳前後に見える男だった。
彼は仲間と共にやってきて、湖や川に次々と石を投げ入れはじめた。
だが、竜の戦士たちはそれを止めることなく興味深げに眺めている。
私が何をしているのか問いかけても、「まあ見てろ」と言うだけ。
その言葉のとおりじっと見ていたら、石を投げ入れられた湖から、ブクブクと禍禍しい泡が音を立てて吹き出てきた。
「何? 何なの?」
その不吉な光景にそれ以上は黙っていられなくて、湖の畔に立つ人間に声を掛けた。
「何をしているの、あなたたち!単なる実験なら他でやってちょうだい。水が汚れているからって、何をしてもいいわけではないのよ」
そこには2人の人間がいたが、私の方を見ることすらせず、まるで無視をしている。
「ちょっと。返事くらいしなさいよ!」
こちらは理性的に言ったのにそんな態度を取られて、私は炎を吐き出さんばかりに怒った。
そうするとやっとこちらを向いたものの、やっぱり答えようともしない。
こんな人間なんか簡単にやっつけられるというのに、どうやら自分たちの立場が分かっていないらしい。
無意識に尻尾をぶんぶんと振り回していたら、もう1人人間が現れて私の前で丁寧に頭を下げ身を屈めた。
「私の部下が失礼をいたしました。決して無視をしたのではありません。彼らには、あなた方竜族の声が聞こえないのです。竜族は耳が良いので様々な生き物の声を聞くことが出来ますが、我々人間は聞こえる範囲が狭いので、聞き取れない声が多いのですよ。私にあなたの声が聞こえるのは、人より魔力が強いためです」
「あなたが一番偉い人?」
聞くまでもなかった。
他の人間とは、身なりも品位も一線を画している。
彼はさらに私に向かい膝を突いて、自らを名乗った。
「ご挨拶が遅れました。私はカララギ王国の第一王子ルークと申します」
「ルーク? 父さまが『人間にしておくのが勿体ないほど優秀な若者だ』って言ってた?」
「ええ、そうです。――あなたは、エリオスのお嬢様のリリィ殿ですね。よく似ておられる」
「リリィでいいわ」
ルーク王子は父さまが誉めていただけあって礼儀正しく、初対面から馴れ馴れしかったどっかの誰かと比べても、及第点といったところだった。
「しかしエリオスにそう言ってもらえていたなんて光栄です。彼のことは、本当に尊敬していましたから…。まだ戦争の始まる前の幼い頃、エリオスに助けられたことがあるんです。カララギの王族は代々大きな魔力を持って生まれてくるため、悪魔に格好の餌として攫われてしまったのです。今でもまだ目に焼きついていますよ。太陽の光を受けて輝き、希望をもたらしてくれた、あの金色の姿を――」
人間が私たちの味方をするなんて、何か打算的な意図があるのではないかと信用しきれなかったけれど、父さまに恩義を感じていてくれているのだとすると話は少し変わる。
父さまの繋いでくれた縁ならば、それを無駄になどしたくはなかった。
湖や川に投げ入れていたのは浄化の力のある石で、さらに魔法を掛けて水の汚れを取り除いていたのだとルークは説明した。
そしてその説明どおり、毒々しい泡を吹き上げていた水場は、翌日には澄んだ色を取り戻していた。
もちろん飲むことも出来る。
その水を枯れ果てた大地に使うと、腐敗し伐採された樹木の切株や根元から萌芽し、生長をはじめていくのだった。
ルークは、竜の谷同様に汚染された自国で国民が通常の生活を取り戻すために、浄化の力のある物や術について、かなり研究を重ねたのだそうだ。
「浄化について、私より詳しい人はそうそういませんよ」
とも言って、珍しく自慢げに笑っていた。
彼ならば、呪いの掛けられた私の
一縷の望みをかけて彼に卵を見てもらったが、結果は悲しいものだった。
「これは…。残念ながら、私の手に負えるものではないようです。魔力の大きさというよりも、種類が違うのです。これには浄化は意味がありません。“魔”の力でしか、複雑に掛けられたこの呪いに触れることも、解くことも出来ないでしょう」
どうしても魔族の力を借りなければ救えないということなのか。
しかしその頃、ルークを通して魔族の協力を仰ぐことも出来るようになっていた。
谷の周辺には強力な防御魔法が張られているらしく、魔族である彼らは中に入ることは出来ない。
私もまだ谷から出ることは許されていなかったから、魔法の防御壁ギリギリの辺りで彼らに会うことになった。
もちろん私ひとりだけでではない。
ルークと竜の戦士もその場にいてくれた。
しかし、そうまでしても期待していた回答は得ることが出来なかった。
ここにいる魔族は確かにカインの兄姉もいたが、父さまに乗り移っていたのは、魔王の子の中でもトップクラスの力の持ち主だったというのだ。
谷に着いた時はカインと父さまたちによってかなり力を殺がれた後で、あれでも随分弱っていた状態だったのだそうだ。
そんな相手を倒したことから、カイン側に付いた魔族が一気に増えたのだとか…。
「まあそう気を落とすことないさ。今すぐは無理でも、いつかはその呪いを解くことが出来るかもしれんぞ。――そう、カインであればな」
カインの異母姉のひとりが、そんなことを言って笑っていた。
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