第7話 金色のリリィ 2
父さまが谷を出てから、もう15日経つ。
こんなに帰ってこないことは今までなかった。
不安で堪らない私に、大人たちは「カインが一緒だから大丈夫よ」と言った。
でも本当に大丈夫なの?
無敵だって言ってたけど、初めて会った日だって血塗れだったじゃない。
心配で心配で眠れない夜が多くなっていく。
おじいさまは「大丈夫だ」って言うだけ。
詳しいことは教えてくれなかった。
そして16日目の朝、東の空に父さまの姿が見えた。
空は相変わらず暗いけど、薄らと透ける朝日を背にこちらへ向かってくる。
父さまは相変わらず美しい。
だけど、その飛び方はおかしかった。
それに他の戦士たちの姿もない。
そして迎えた父さまの背中に、アイツは乗っていなかった。
父さまの肌は変色していて、どこもケガはしていなかったけれど、体から腐ったような臭いが立ち込めてきた。
息も絶え絶えで、ものが言える状態ではない。
母さまかおじいさま、誰か大人を――と思っていたら、若い従兄たちがたくさんの薬草を抱えて飛んできた。
おじいさまから命じられたのだと言って。
「呪詛を掛けられたんだ」
おじいさまの遠見のお力で見ていたそうだ。
敵はとても強い魔族で、アイツと他の戦士たちがいないのは、竜の谷に入ってこないよう、今もなお戦い続けているからなのだと。
「おじいさまの推測では、谷に侵攻してこようとしているのは、多分魔王の息子だろうって」
魔王の息子ということは、アイツの兄か。
面白そうっていうだけで戦争している、情のない魔族。
そして純粋な魔族だから、人間の血が混じっているアイツより強いっていう――…。
父さまはとても苦しそうにしている。
従兄たちが呼んでくれて、母さまも駆けつけた。
浄めの力のある薬草で父さまを包む。
本当は太陽か満月の光で浄化できればいいんだけど、それは敵わない。
その分、母さまは父さまに優しく声を掛けて励ましていた。
そうすると、母さまの思いが通じたのか、父さまはパチリと目を開いた。
そして無駄のない動きですっくと立ち上がる。
父さまが元気になったのは嬉しかったけど、どう見ても不自然で違和感があった。
「伯父さん!大丈夫?」
従兄の1人が呼びかけるとそちらを向いたから、てっきり返事をするのだと思っていたら、鋭い爪で、従兄の胸から腹を切り裂いた。
「父さま!?」
倒れた従兄が、苦しそうにのたうち回っている。
「いかん。離れろ!それはもうエリオスではない!!」
谷の大人たちに手を引かれて辿り着いたおじいさまが、険しい声で雄叫びを上げた。
おじいさまに気を取られていると、後ろから父さまが私に向かって右の前脚を振りかざそうとしていた。
従兄が私の手を思いきり引っ張ってくれたおかげで、なんとか躱せて無事だった。
おじいさまと一緒にやってきた、戦うことの出来る雌雄の竜たちが父さまを取り囲む。
おじいさまによると、もうそこに父さまの魂はないから殺すしかないらしい。
けど、だからってそんなに簡単に仲間に手を掛けることなど出来る訳がない。
そんな躊躇う仲間たちを、父さまの姿をしているモノは、なんの躊躇もなく切り刻みはじめた。
次々と倒れていく仲間たちを前に、父さまが勝ち誇ったように吠える。
その吐き出された
父さまの体から発せられていた悪臭はますます濃厚となり、息をするのも苦しいほどになってきている。
「エリオス!エリオスもうやめて――!」
母さまが泣き叫んで父さまの元へ行こうとしている。
その場にいた大人たちは、父さまと母さま、おじいさまを残してみんな倒れてしまっていて、私と従兄たちで母さまを引き止めようとした。
でも、父さまの名を叫ぶ母さまの力はとても強くて、私たちを振り解いていってしまった。
「エリオス。お願い。目を覚まして」
涙を流して、母さまが父さまに触れる。
すると父さまの動きが止まって、じっと母さまのことを見つめた。
そこにいるのが誰か確かめるように。
「…――リス?エリス?エリス?」
「そう、私よ。エリスよ。ああ、エリオス…。よかった」
母さまの愛が父さまに届いた――と思ったのも束の間、次の瞬間、母さまは崩れ落ちていた。
すでに息がないことは誰の目にも明らかだった。
父さまは――
父さまは、高らかに笑っていた。
「ははははは! 馬鹿な女だエリス! あはははは! ――おお。卵を抱えておるのか。馬鹿なりに気が利くじゃないか」
そして笑いながら横たわる母さまの腹部に爪を突き立て、前脚をズブリと差し込んだ。
「やめて――! やめて父さま!やめて!! 母さま、母さまあーーーーーっ!!」
私は呆然と立ち尽くす従兄たちをすり抜けて、父さまと母さまの元へ駆け寄った。
「リリィ…。リリィすまない。エリスを、私が…」
「父さま…」
「ああ、だけど…。お前も美味しいそうだねえ」
父さまは、母さまの腹部から取り出した卵をじゅるりと頬張りながら、私にニタリと笑いかけた。
「父さま…。父さま。父さま」
私は他の言葉を忘れたかのように父さまだけを呼び続けた。
頬を涙が伝い、体は父さまの冷たい目で凍らされたみたいに動けなかった。
そして父さまの爪が私の首に食い込んできた時、頭上から鋭い風が起こって、父さまの首が飛んでいった。
目の前で、頭を失った父さまの首から血が吹き出ている。
真っ赤な父さまの血が。
そして、その父さまと私の前に、巨大な剣を握り締めたアイツが降り立った。
「悪い。遅くなって…。谷の外にいたのは本体じゃなかったんだ」
アイツに続いて、谷の外で戦っていた戦士たちも戻ってきていた。
その数は、随分減っていたけれど。
「ふふふ。カイン。本当に遅いよ。手遅れだ。お前は全く間抜けの役立たずだねえ」
転がっていた父さまの頭が楽しげに笑っている。
そして体も、頭を失ったことなど関係ないとばかりに、アイツに向かって逞しい尻尾を振りかざした。
父さまの体、まだ生きているの――?
アイツはそれをひらりと躱すと、近くにいた戦士に目配せして「リリィを頼む」と言った。
私は戦士に抱えられてその場から遠ざかりながら、アイツに呼びかけた。
「ねえ! アンタ、魔法が使えるんでしょ? 父さまを元に戻して!お願いよ!!」
コイツに頭を下げるなんてしたくなかったけど、もう他に方法は見つからない。
ケタケタと笑う父さまの頭は引き続き谷の景色を腐敗させ、鋭い爪が仲間の戦士を刺し殺していく。
「なんとかしてよ!アンタ強いんでしょう!父さまを助けて。みんなを助けて――!!」
「…リリィ。すまない」
その声が聞こえるや否や、私を抱えている戦士が急速にその場から離れていく。
大きな身体に目の前を塞がれて、父さまたちの様子を見ることは敵わなかった。
最後に見えたのは、アイツの額に光った赤い目。
父さまの血のような色をしていた。
「何!? 何をするつもりなの!!」
誰も返事はくれない。
「待って!父さまを助けてくれるんでしょ。同志なんでしょ!? お願いよ。殺さないで。生きているの。父さまはまだ生きているのよ!殺さないで殺さないで。お願い。やめてやめてやめてやめてやめて! 誰か止めて!父さまを助けて。お願い。お願い!何でもするから!!お願いよ、カイン――!!」
私は狂ったように声を枯らして叫んだ。
だけど、その直後、辺りが凄く熱くなり、激しい火が立ち昇ったのが分かった。
終わったのだ。
――カインが、父さまを殺したのだ。
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