第6話 金色のリリィ 1
――あれは、およそ300年近く前のこと。
その時、私はまだ竜の谷から出たことのない14歳の子竜だった。
外の世界はもうずっと戦争をしている。
魔族と人間との戦争。
だけど最近は竜の谷まで巻き込まれそうになっていて、大人の竜たちが谷を守るために戦いに出ることもあった。
「父さまはまだ帰って来ないの?」
「リリィ。寂しいだろうが、エリオスは竜族きっての戦士だからの。我々を守るために戦ってくれておるんだよ」
もう何日も姿を見ていない父さまのことを尋ねると、谷の首長で長老でもあるおじいさまがそう答えた。
おじいさまは高齢でもう空も飛べなくなってしまったけれど、代わりに目に見えない遠くのものまで見通すことが出来た。
「母さまだって心細いはずよ。もうすぐ産卵期なのに…」
母さまは今、体の中に卵を抱えている。
この時期に死んでしまう雌の話を、時々耳にする。
特に産卵に必要な栄養が、この十数年うまく体内で作れないというのが原因の一つだ。
私が生まれる少し前から空が黒い雲に覆われていて、太陽の光が地上に届かなってしまったからだ。
「リリィ、母さまは大丈夫よ。父さまのいない間、留守をしっかり守らなくちゃね」
母さまが私を宥めるように言う。
1番不安なのは母さまなのに。
「魔族と人間が戦争するのは勝手だけど、関係のない私たちまで巻き込むのはやめてほしいわ」
彼らの狙いは、竜の鱗や爪。
時には肉や血も。
武器や防具として優れているとか、食料や
私がもっと小さい頃、谷に侵入した魔族と人間が、それぞれ私を攫っていこうとしたことがある。
もちろん父さまや父さまの兄弟たち、歳の離れた従兄たちにがコテンパンにやっつけてくれたんだけど。
あの時の奴らの目は忘れない。
心なんてない冷たい魔族の目。
欲望と絶望に
どちらも思い出すだけで寒気がする。
魔族も人間も大嫌い。
どちらもいなくなれば平和になるのに。
寂しさと不安な気持ちで父さまの帰りを待ち焦がれ空を眺めていると、遠くから大きな翼を羽ばたかせて飛んでくる竜の姿が見えてきた。
父さまだ。
あんなに美しく飛べる竜は他にいないもの。
「母さま! 父さまよ。父さまが帰ってきたわ」
嬉しくって私も父さまの方へ飛んでいく。
父さまはゆっくりと私に近づいてきて、そっと地面に降りた。
「父さま!? ケガしてる」
父さまの足から血が出ている。
急いで母さまを呼びにいこうとしたら、父さまが背中からドサッと何かを下ろした。
真っ赤な血に
それは私より少し小さな大きさで、15〜16歳くらいの黒い髪をした少年だった。
――これは、人間?
なんてこと。
もしかして、父さまのケガもこの人間の仕業なのかしら!?
私が敵意を剥き出しにしてその人間を殺そうとすると、父さまに止められた。
「彼は味方だよ。手当てをしてあげてくれないか」
味方?
こんなちっぽけで大した力もない人間を助けたって、私たち竜族の得るべきものは何にもないっていうのに。
「父さま。竜族は人間の味方に付くの?」
「いや。竜族は竜族だ。どちらにも付くことはない」
「なら、どうして…?」
「私たちは同志なんだよ。――彼はね、人間じゃないんだ。そして魔族でもない。でも、そのどちらでもある。魔族と人間の間に生まれた子なんだ」
魔族と人間のどちらの血も引いているですって?
大嫌いな両方の血を引いているなんて、おぞましい。
その時の私には、それは最悪の存在にしか思えなかった。
手当てをするといっても、その少年は気を失っている間に自分で勝手に傷を修復しているみたいだったから、私のすることは特になかった。
父さまと母さまに様子を見ていてくれと言われたから、近くにいたくらい。
彼からは大量の血が流れ続けていて、流れた血は地面の草花を枯らした。
汚れた血だ。
谷が汚されていく。
父さまが言うには、
父さまのケガは大したことがなかったみたいで、3日目にはきれいに治った。
そしてその夜、少年の近くでうたた寝をしていると、何かの気配を感じた。
薄目を開けると、彼が起き上がって伸びをしている姿が見えた。
あれだけのケガをしていたとは思えないほどに平然としている。
父さまもそれに気が付いたらしく、心配そうに彼に声を掛けていた。
「エリオスには迷惑掛けちまったな。ありがとう」
「いや。君が無事でよかったよ」
「そっちにいるのが自慢の愛娘か。あんたにも礼を言わなきゃな」
「別に。私何もしてないんだから、礼を言われる覚えはないわ」
「治療はしてないかもしれないが、傍にいてくれたんならそれだけで有難いよ。ありがとう。 ――俺はカイン。あんたは?」
彼は屈託なく笑いかけてきたけど、仲良くなんてなりたくない私は、わざと名前を教えなかった。
なのに父さまったら、まるで私のことを仕方のない娘といった感じで、
「リリィだ。仲良くしてやってくれ」
と余計なことを言ってしまった。
「リリィよろしくな」
なんて言われたけれど、私は返したりはしない。
仲良くなんてしないし、早く出ていってほしいもの。
ただ、魔族とも人間とも違う彼の目は、澄んでいてとても綺麗だな、とは、ほんのちょっとだけ思ったの。
同志だと言っていただけあって、父さまはアイツに何かと親しげに話しかけていた。
そしてアイツもまだこどものくせに、一族から一目置かれる私の父さまに対して、馴れ馴れしい態度を取っていた。
「――え? 俺こう見えてももう200歳越えてるんだけど」
自分とそう変わらないと思っていたソイツから、予想外の言葉が出た。
「魔族の血のせいだと思うんだが、もうすぐ多分220、いや250になるか? まあ、あんまり細かくは覚えてないけどな」
「ふん。じゃあ、魔族と同じくらい死なないのね」
「どうだろうな。姉貴は俺より3年早く生まれただけだったが、すでに大人の見た目になっていたし、簡単に死んじまったから、何とも言えないな」
「――魔族の血を引いていても、お姉さまが死んで悲しいって思うの?」
その時のソイツの表情は、なんだか血も涙もない魔族っぽくは見えなかった。
「ああ…」
しばらく何か考えるように無言になったから、さすがにデリカシーがなかったかと思ったけど、思い直したように彼は話しはじめた。
「俺の姉貴は、人間に殺されたんだ」
そしてそこから、何故か魔王の話を始めた。
「魔王は数千年生きている。その間に数百人の妻を娶って、千人以上のこどもがいるんだ。その妻っていうのも、種族に拘らずいろいろだった。その中で最も愛したのが最後に娶った人間の女で、俺と姉貴の母親だったんだ」
魔王の息子?
こいつが?
ということは、この戦争の元凶の息子じゃない!
「お袋は人間だったから、100年も経たないうちに寿命で死んだ。そのお袋に生き写しだった姉貴を親父は溺愛していたんだ。だが、16〜17年くらい前か? 姉貴が人間の男と道ならぬ恋ってので駆け落ちしちまって、しかもその男がどっかの国の王家の人間だったらしくて、それで2人とも殺された」
「2人とも?お姉さまだけじゃなくて?どうして」
「国王とか第一王子っていうほどの身分じゃなかったからな。一族の血を汚すなって、見せしめみたいなもんだろ。まあ、それで親父が怒り狂っちまって、その国は即刻
それだけの理由でこんなに長い間戦争をしているっていうの?
どれだけ関係ないものが巻き込まれて亡くなったと思っているのよ。
……ただ、家族が殺されて怒るっていう点についてだけは、理解できなくもないけど。
「それで、アンタは自分のお父さまを殺すつもりでいるの?」
「そうしなければ収まらないようなら、そうするしかない。――まあ、簡単じゃあないけどな。俺は半分人間で純粋な魔族ほどの魔力はないし、相手は魔王だ。俺がお袋の息子だっていうのが一番の強みだが、親父側に付いてる兄姉たちにそれは通用しないからな」
どうやらお姉さまほどではなくとも、同じ愛していた女性の子として、父親から大切には思われているようだ。
魔族に情はないと思っていたから、意外だった。
「俺と姉貴に対してだけだったよ。『親』だったのは。他の兄姉たちは、今親父に付いているのだって、面白そうとかそんな程度で、家族っていう感情で動いている奴はいない。不利になったら簡単に裏切るぜ」
その言葉のとおり、現にコイツ側に付いている兄姉たちもいるのだと話していた。
傷が癒えてからも、ソイツは竜の谷に居ついていた。
父さまたちと一緒に出ていってはまた戻ってくる、という日々だった。
谷の者たちは当然ソイツを信用できなかったけど、父さまや一緒に戦った戦士たちからは好かれているようだった。
最近、竜族は人間の国であるカララギ王国と協定を結んだと聞いた。
そこの第一王子のことを「ルークは人間にしておくのが勿体ないほど優秀な若者だ」と父さまが褒めていた。
でも人間に何が出来るの? と思っていたら、アイツが巨大な剣を見せてきた。
「カララギの名匠が鍛えた剣なんだぜ」
それはアイツよりも私よりも大きな剣で、竜さえも斬れてしまうんじゃないかという怖ろしい剣だった。
そんな私の気持ちなど全く想像もしないアイツは、重さも感じないといった具合で、自慢げに片手で剣を振り回していた。
初対面の時から、コイツはやたらと私に絡んでくる。
こうやって新しい物を手に入れては見せにきたり、何か面白いことがあったらいちいち話しにきていた。
それもこれもみんな私には興味のないつまらないモノばかり。
私は竜の谷一番の美少女だといわれているから、構いたくなるのは当然かもしれないけど、私はヒト型の生き物には全然興味がない。
父さまの手前、それでも我慢して付き合ってあげていたけど、それも分かってないみたい。
つまらないことでこどもみたいに目を輝かせたり、大人みたいに達観した態度で余裕を見せたりと、くるくると表情を変えていって、それのどこがいいのか、気が付けば雌の竜たちからもちやほやされるようになっていた。
それでも、ソイツは私の側にばかりいたんだけど。
父さまはいつもソイツを背に乗せて戦いへ赴いていた。
お互いに口にしなくても分かり合える存在なんだと言って。
他の戦士たちによれば、父さまもソイツも、1体でも凄く強いけど、揃えば無敵になるらしい。
あの日も、そうやって飛び立つ後ろ姿を見送っていた。
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