第2話 勇者の伝説1

かつてこの世界を魔王が支配し、暗黒と呼ばれた時代があった。

そこへ金色こんじきの竜を操る青年が現れ、魔王を倒し世界を救ったのである。

彼こそが伝説として名高い勇者カインであった。

美しい白金プラチナの髪をたなびかせ、吸い込まれるような水宝玉アクアマリンの瞳の青年は、その後ギリア王国の姫と恋に落ち結ばれて――



「おい待て。何だこの話は」

「何って『勇者カインの伝説』だよ。同じ“カイン”だし金色の竜を連れてるから親近感が湧くんじゃないかと思ったんだけど」


初めて会った弓の練習に使っている丘で、ルイティとカインは朝食のパンを口にしながら分厚い本を開いている。

カインが最近の歴史について書かれた本が読みたいと言うので、城の書庫から歴史書を持ち出すついでにこの本も持ってきたのだった。

しかし、どうやらお気に召さなかったらしい。


「こいつのどこが勇者カインだ。こんなになよなよしてねえよ」

「ああ、地域ごとにちょっとずつ違うらしいね。カインが知っている“カイン”はこれじゃなかったんだ」


なんせ300年前の話である。

元々勇者カインの活躍は、吟遊詩人や親からこどもへの語り聞かせなどによって広められてきた。

そしてそれを面白おかしくするために脚色を加えたり、教訓が含まれたりして地域ごとに話が変わっていったのだった。

その中で、当時最も印刷技術に優れていたギリア王国の王がいち早く本を作らせて世界に広まったのが、ギリア王国民を勇者とする物語なのであった。

これが、現在世界で最も知られている勇者カインなのである。


「そもそもなんでギリアのお姫様と結婚しなきゃならねえんだよ」


ぶつくさと文句を言うカインの横で、不満そうに金色の竜リリィが尻尾で地面を叩いている。


ちなみに妹のユリアは今日は来ていない。

あの後、竜の長老に谷から出たことをきつく説教されたらしい。


「あ、そうだ。ルイティにこれを渡してくれって頼まれてたんだ」


そう言ってカインがルイティに差し出したのは、竜の爪で作られた鉤爪型クロウペンダントだった。


「これってまさか、ユリアの…?」

「ああ、魔除けになるらしいから着けとけよ」

「うん。ユリアにお礼を言っておいて。そうだ。僕からはこれを」


ユリアから貰ったペンダントを着ける際に、それまで着けていた自分のペンダントを外してカインに渡した。

瑠璃で出来ており、カララギ王国で古くから御守りとされている物だった。


ユリアも喜ぶだろう――とカインが言おうとした時、遠くに魔物の気配を感じた。

リリィにも分かったらしく、丘の彼方へ視線を送っている。

小さく、人のような形が見える。

カインは両目とも通常の人間よりずっと視力が高いが、額の目を開いてみると、さらにはっきりと見えた。


「ゴブリンだ。人間を攫おうとしてる」


言うが早いか、カインがリリィの背に乗るのを見て、ルイティも近くに繋いであった愛馬シルフィードに跨った。


ルイティの肉眼で捉えられる位置まで来ると、2匹のゴブリンが女性を攫おうとしているのが分かる。

ルイティは素早く弓を引き、矢を放った。

矢は女性の腕を掴んでいたゴブリンの喉を貫通し、撃たれたゴブリンは力なく崩れ落ちた。


もう1匹がこちらへ向かって来ようとしたが、それは難なくカインの巨剣によって斬り捨てられた。


襲われていたのは、近くの村に住む10代後半とみられる娘だった。

娘を村まで送っていくことにしたが、小さな村で大きな体のリリィは目立ち過ぎる。

この日はそのまま別れ、ルイティ1人で娘を送ることにした。




村の周りは高い槍のような柵で覆われ、村の中を歩く男たちは誰もが何かしら武器を手にしている。

それは剣であったり、ただの棒きれであったりした。

女性の多くは家の中に篭っているようだ。


助けた娘の伯父であるという村長が、ルイティを一目で王子と気付いて家の中へ招き入れた。

村長は謝意を表し王子を歓待したが、そこで、ゴブリンに村人が襲われたのはこれが初めてではないという話を口にしたのだった。


「狙われているのは若い女性です。このように小さな村ですが、すでに6名も攫われてしまいました。村の男たちで周辺を捜索したのですが、どこにも姿は見つけられず…」


村長は憔悴しきっているようだった。

ここふた月の間の出来事らしいが、ずっと警戒しているのでは、神経もすり減るというものだ。


「領主には報告したのか?」

「はい。周囲の警備にあたってくださるとおっしゃっていましたが…」

「警備にあたっている?どこにもそれらしい様子はなかったぞ」


あの場にいた人間は自分とカインだけだった。


この辺りの領地を治めているのは確か、旗騎士のはずだ。

彼は民間の出だが、功績を称えられて領地を与えられたのだ。

そんな男が一体何をしているのか。

ルイティは村を出ると、そのまま1人愛馬を走らせて領主の屋敷へと向かったのだった。




屋敷の者たちは王子の突然の来訪に慌てていたが、領主の男はいたって落ち着いた様子でルイティを出迎えた。

まだ日が高いというのに、彼からは酒の臭いがぷんぷんとしてくる。

無精髭もそのままの、くたびれた中年の男といった風情だった。


「村の娘がゴブリンに拐かされているという話を聞いたのだが」

「ああ…」


領主の反応は、驚きもしないし、慌ててもいなかった。

村人を心配する気配もゴブリンへの怒りも感じられない。


「周辺の警備にあたっていると聞いたが、今日また拐かされされそうになっているところに遭遇した。警備の者などいなかったぞ。どこを警備していたというんだ」

「今日は村の北側を警備してたんじゃないですかね。ちなみに拐かされそうになったってのはどこなんですか?」

「――南の丘だ」

「分かりました。じゃ明日はその辺見るように言っときますよ」

「そういうことじゃない」


領主には感情というものがないのか、ルイティの怒りも伝わってさえいないようだ。


「人が足りないんですよ。払う給金もないですしね」


悪びれずにそういう男の屋敷は、確かに寂れてしまっているというのは見て取れる。

だが、自分の領地の民を憂う気持ちというのはないのか。

騎士としての誇りはなくしてしまったというのか。


自分への怒りを露わにするルイティを見て、領主は「若いな」と思っていた。


この領主の名は、ラキ・カイン・シーズ。

伝説の勇者に傾倒する父親に付けられた名だ。

息子に夢を託した父親によって、幼い頃から有力者の元で見習いとして騎士になるべく育てられた。

騎士というものが性に合っていた彼は、みるみると頭角を現し、あっという間に旗騎士となり、領地を与えられるまでに上り詰めたのであった。


だが、そんな栄光も過去の話だ。

かつては100人は下らない使用人の働いていたこの屋敷には、今や騎士見習いを含めても十数名しかいない。

警備にあたれるような人材となると、自分を含めてもせいぜい3人程度だった。



「ラキ様。ただいま戻りました」


その内の1人、がっしりとした体躯の初老の男が部屋の中へ入ってきた。

左腕に包帯を巻いている。


「アイク。今度は南の丘に出たそうだ」

「えっ。分かりました。明日は南の丘へ行くようにします」


先ほどのルイティとラキのやり取りに似ている気がするが、このアイクと呼ばれた男は、至って真面目に受け答えをしている。

そしてルイティ王子の存在に気付くと、ひっくり返りそうな勢いで、不格好に跪いたのだった。


彼の本業は木こりである。

かつて彼の村をラキ率いる騎士たちが救ってから、ラキを敬愛し尽くしているのであった。


「王子様、すいませんです。俺が見ている間にゴブリンが巣から出て行く様子はなかったんですけど」

「ゴブリンの巣だと?どこにあるのか知っていたというのか。なら、なぜ何もしないんだ。そこに攫われた娘たちもいるはずだろう」


アイクは戦士としてはそこそこ役立つが、頭は良くなかった。

ラキは「あちゃー」と思わず口に出してしまったが、開き直って訝しげなルイティにそのまま話すことにした。


「先ほど申し上げたとおりですよ。人手がね、足りないんですよ。そのアイクの怪我だってゴブリンにやられたんです。見つけたら遠くから追い払うのが精いっぱいって感じですかね」


暖かくなってゴブリンは繁殖期を迎えたらしい。

動きが活発だ。

1匹ぐらいなら大して強くもないし倒すことも出来はするが、集団で襲われては為す術もなかった。


「それなら城へ報告すればいいだろう。民の窮地だ。助力は惜しまない」


真っ直ぐな目でそう話すルイティに、ラキは内心苛ついていた。

ギリア王国の監視下に置かれているとはいえ、所詮ぬるま湯で育った王子様だ。

現実を分かっていない。

魔族と手を組んで我々の国を滅ぼそうとしているのに、魔族と戦うための協力など得られるわけがないだろう。


「それはそれは。王宮騎士団のお力添えをいただけるとは心強い」


もうずっと、腑抜けな王宮が魔族に嬲られる民を黙って見過ごしてきたのを知らないとでもいうのか。


「ルイティ王子も共に戦ってくださるのですか?」

「当然だ。民を守るのは王族の役目だ」


王子の目に曇りはなく、言葉にも偽りがないのが分かる。


――当然だ。

彼は15年前の惨劇を知らないのだから。

魔物の恐怖を。

蹂躙される屈辱を。

あの時、戦いの最前線に立つまではラキもあのような目をしていた。


「では、是非お願いいたします。共にゴブリンを倒し、村人を救いましょう!」


だからこそ見てみたいと思ったのだ。



絶望に歪む、ルイティ王子の姿を――。

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