(4)ヴァルプルギスの夜の後は……

「おい生贄、お前も食べろよ」


 ラミアが骨ばかりの豚の肋骨の部分を、誰かが置いていった出刃包丁でガツンガツン叩き切って柚樹に渡した。


「うわあ、スペアリブ!」


 肉の焼けた香ばしい匂いのせいか、柚樹は腹が減っていることに気が付いた。


 意外と親切?

 呼び方、ヤだけど。


「……うまい! 普通の豚肉と同じだ!」


「うまいと言っておきながら『普通』とはどういうことだ?」


「あ、いや、俺の知ってる豚とは違うのかなと思ったので。でも、美味しかったので安心しました!」


「ふ〜ん、そうか。いっぱい食えよ」


 クックックッとラミアが、口の端を上げて笑う。


「太らせてから食べた方がお得だからな!」


 柚樹の手から豚の肋骨が滑り落ち、同時に後ずさる。


「お、俺を太らせて食べる気ですか!?」


「おい、落とすなよ、もったいないな。……そうだ、そこのカエル、お前にこれをやろうか?」


 落ちた豚の肋骨を、ラミアが地面にいるヒキガエルに見せびらかす。


 カエルがそんなものを?

 いやいや、サバトにいるカエルだ。

 その辺のカエルと違って、普通じゃないのかも?


 そう予測したとおり、カエルはあばら骨に興味津々だ。

 舌なめずりをして、ぴょこんと近づいた。


「……なぁ〜んてなあ!」


 目の前で意地悪く笑い、ラミアが頬張った。


 ごおり、ごおりと音を立てて、骨ごと口の中で砕いて食べていた。


 見た目、普通の女の子に見えなくもないのに、ワイルドォ!


 食べ損なったカエルがごくんと唾を飲み込むと、方向転換してぴょこん、ぴょこん、と跳ねて行った先には、バフォメットとローズマリー、ファリダがいた。


「バフォメット様ー! ラミアが意地悪しました!」


「カエルが喋ったぁ!?」


 柚樹がさらに後ずさる。

 大きな口をぱくぱく開け、黒目も見開いてぎょろぎょろさせながら、カエルは奇妙な声を発していた。


「ラミア」


「ふぇっ! バフォメット様! ち、違うんです、冗談だったんですよ、ただの!」


「まあ、ラミアったら、また動物をいじめたのね」

「うるさいよ、ローズマリー!」


 バフォメットの赤い瞳がキラッと光った。


「罰として、ラミア、お前はこのヒキガエルのお世話をしろ。次のヴァルプルギスの夜まで、ずっとだ」


「ええーーっ!」


 ラミアがバフォメットの前に駆け出し、ひざまずいた。


「どうか、ご勘弁を!」

「だめだ」


「お世話しろ、お世話しろ!」

「おい、図に乗るんじゃない! カエル!」


 カエルとラミアが言い合っているうちに、バフォメットが左手をカエルに向けると、カエルの身体は光り始め、ひゅん! と消えた。


「消えた……?」


 柚樹がぼう然とつぶやくと、バフォメットが笑う。


「ラミアの家に、魔法で転送したのだ」

「えーーっ! そんなぁ!」


 にっこり、ローズマリーが笑う。


「そうだわ! この際、お友達になったら?」

「誰がなるか! うぁあああ! 厄介ゴトが増えたあああ!」


 頭を抱えるように帽子を深く被って嘆くラミアに、ファリダがその肩をポンと叩いた。


「結局、誰も来そうにないな」


 焼かれた豚を豪快に牙でかぶりついて喰らっていたバフォメットが、指を舐めながら、山のあちこちを見回している。


「まあ、今回は凶暴なヴァーテリンデの奴らのせいで、せっかくの祭りが台無しだったが、うまいものも食べられたことだし、お開きにするか」


 さっさと、バフォメットがまた渦巻きの風になって消え、ラミアがうなだれて箒に乗って帰っていく。


「じゃあね、ローズマリー。また次回のヴァルプルギスの夜に」

「ええ、ファリダちゃん。また」


 黒いセミロングの髪をなびかせ、ファリダの乗った箒はフワッと浮かぶと、夜空に消えていった。


「楽しかったですね」


 手を振って見送ったローズマリーは、にっこりと、柚樹にいつもの微笑みを見せた。


 月明かりを浴びた髪が銀色に輝き、アメジストのような淡い紫色の瞳が美しく、柚樹の目に映る。


「そうですね。ローズマリーさんのお友達にも会えましたし」


 はっとして視線をらし、ははは、と誤魔化すように笑って、柚樹はこたえた。


「橘さん、ファーストネームはなんでしたっけ?」


「柚樹ですけど……?」


「ユズキさん」


 美しい声と桜色の唇が名前を口にすると、どきっ、と柚樹の心臓が飛び跳ねた気がした。


 白くか細い両のてのひらが、柚樹の頬を包み込んだ。


「あ、あの……っ?」


 どぎまぎしながら、口をつぐむ。


 柔らかいものが、やさしく、額に触れた。


「……忘れてください。今日のことは」


「……どういう……?」


 唐突に眠りに落ちた柚樹の身体が、がくんと膝から崩れ落ちるのを、細腕が抱えた。


「忘れて。そして、どうか元の生活に戻って」


 額の唇の触れた場所を二本指で撫で、前髪をいた。


「じゃあ、そろそろ帰りましょうか」


 独り言を言うと、ローズマリーはチェーンソーのざっくりした切り口の木の枝に左手を向ける。

 枝はひゅんと勢いよく飛んでいくと、腰の高さほどに横向きに浮かんだ。


 「よいしょっと」


 軽々と青年男性の身体をくの字に乗せ、その後ろにまたがり、暁色の空へと浮かび上がった。


   ***


 翌日、横浜の高台にあるハーブ料理店『おかしな家』に、隣の古い家に住む青年が訪れた。


「こんにちは」

「あら、橘さん、いらっしゃいませ。今日はお早いんですね」


 銀髪の天使が微笑んで出迎えた。


 柚樹も微笑んだ。


「はい。今日は仕事が休みなので、なんだかぐっすり寝ちゃって。なので、ブランチです」


 店の時計は、十一時前を指している。

 客は、彼一人だ。


 小学生くらいに見える少年と少女が、テーブルを拭いたり、一、二輪のささやかな花を飾る小さい花瓶を置き換えたりしている。


 平日の昼間に来たことはなかったからなんとも思わなかったけど、この子たちは昼間も働いてるのか?

 学校は?


 ちらっとそんなことを思いながら、テーブルに着くと、柚樹はローズマリーを見上げた。


「まだ少し早いですが、ランチメニューもOKですよ。本日のランチは、黒豚のビール煮ラプンツェル添えと、かまど焼きピザ風ホタテのパスタがありますが、どちらになさいますか?」


「ああ、昨日は夕飯も食べ損ねて寝ちゃって、今なんだかすごく腹が減ってるので、両方にします」


「わぁっ、ありがとうございます」


 ローズマリーの淡い紫色の瞳が輝いた。


 子供たち二人が柚樹に注目し、何かを問いたそうにローズマリーを見上げたが気付く様子はない。


 料理をトレーに載せ、少年が柚樹のテーブルにやってきた。


「橘さん、さっき、夕飯を食べ損ねたって、言いましたよね?」


「ん? そうだけど」


、ということを覚えてるんですか?」


「ああ、うん……そうかな。なんで食べなかったのかは覚えてないんだけど」


 不可解な問いかけに、不思議に思いながら柚樹はうなずいた。

 少年は横目で、パスタを運んできたローズマリーを見た。


「どういうことです? イルゼさん」

「えっ? えっ? そんな! ヘンゼル、私、ちゃんとやったのに……!」


「そういえば、『イルゼさん』とも他の人からも呼ばれてましたね。ローズマリーさんの苗字なんですか? どこかで聞いたような気もするけど……。なんかわかんないけど、綺麗な響きですね」


 その柚樹の何気ない質問にひどく動揺したローズマリーは思わず一歩下がり、少年のみならず少女までもが眉間に皺を寄せながらつかつかとやってきた。


「え? な、なに?」


「グレーテル、『』」

「『見る』だけならね」


 少年にうなずくと、十歳ほどの少女は柚樹の額に二本指を触れずに向けた。


「…………みたい」

「ええっ!? そんな、どうして!?」


「あ……」


 グレーテルと呼ばれた少女が、口を押さえる。


「ヘンゼル、ちょっと」


 グレーテルは少年に耳打ちした。


「多分だけど、……恋の力の方が勝っちゃった……のかも」

「え……」


「イルゼさんの技で記憶を消す時、おでこにちゅーするよね?」


「……もともと気に入ってたのが、それで火がついたみたいに恋の炎が一気に燃え上がった……とか?」


 顔を見合わせた二人は、目を丸くしてローズマリーと柚樹をさっと見た。


「いやあ、この黒豚、美味しいですね! 昨日見た黒豚の丸焼きを思い出します」

「えええっ!」


「あれ? 黒豚の丸焼きなんて、どこで見たんだろ? どこかの山な気が……なんでそんなところ行ったんだろ? どうやって?」


 豚肉をもぐもぐ頬張りながら首をかしげる柚樹を、ダラダラと冷や汗を流しながら引きつった顔で見つめるローズマリーだった。

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