第2話 横浜の異世界人
(1)横浜でティータイム
***
洋館が建ち並ぶ丘の上から、横浜の港を見下ろす。
港の見える丘公園には、観光客たちがスマートフォンやカメラで撮影している。
少し強い風が海から吹き、銀色の前髪を撫でるように通り過ぎる。
見るからに外国人であるその女性は、弾むような足取りで近くにある喫茶店の扉を開けた。
銀色に輝くふんわりとした三つ編みの長い髪が、黒いドレスの腰元で揺れる。
白ブラウスに、ウエストから上へ革紐で編み上げた黒いドレス、ブーツのヒールをコツコツと鳴らし、黒と白のチェックの床を歩いた。
「ラプンツェル、今日も来たー!」
喫茶店の調理場に戻ってきた金髪の少年ダージリンは、屈託のない笑みをその褐色の顔に浮かべて報告した。
ダージリンが、童話に登場する髪の長い女性ラプンツェルと表現したように、彼女の髪は腰まで長く、ドレスのシルエットも中世時代の女性が着ている姿を彷彿とさせていた。
「前に来た時、オレの作ったスイーツ、あのレモンとローズマリーを使ったシトラスケーキ、美味しいって言ってくれたんだぜー! にこにこして! そんで、頭を撫でてくれた!」
「ああ、いつも、彼女にこにこ微笑んでるよな」
「アールグレイ、お前と同じ髪型だよな! ラプンツェルみたいに後ろで一本の三つ編みにしてんの」
「そういえばそうだね。よし、じゃあ、今日は僕が注文を取りに行こう」
「えーっ、オレが行こうと思ったのにー」
「お前はデザート作りがあるだろ」
その「ラプンツェル」と同じく後ろで一つの三つ編みを腰近くまで編んでいる褐色肌をした青年アールグレイが、残念がるダージリンをからかうような目で見てから、トレーに乗せた水のグラスを
「いらっしゃいませ。いつもありがとうございます」
長身の褐色肌に艶やかな黒髪と碧く輝く瞳。
ヨーロッパなどの白人系とインドやスリランカなどの南アジアや中近東を連想するブラウン系外国人との混血だろうと、おそらく誰もが想像する。
礼儀正しく丁寧な物腰や彼の持つ気品は、短期間の研修程度などではなく、そのような過程で育ったかのような、自然と身に付いたもののようだ。
さらに、女性受けのする笑顔だった。
彼がにっこり微笑んだときに、チラッと猫の牙を思わせるような八重歯がのぞいた。
日本では可愛いという価値観だが、欧米では八重歯は吸血鬼を連想させる「ヴァンパイアティース」と呼ばれ、不吉に思われ、中国でも「虎の歯」と言い、幸福が逃げるなどのよくないイメージがあった。
だが、外国人のその女性客は、そんなことは気にも留めない様子で微笑んでいる。
「こんにちは。今日はミントティーにしようかしら。ホットで」
『かしこまりました。たいていはスペアミントを使用するのですが、ペパーミントもご用意できます。スペアミントに比べてスーッとするメントール感が強いですが、そちらも美味しいですよ。どちらになさいますか?』
アールグレイは、突然英語に切り替えて問いかけていた。
『英語ですの?』
『ええ、外国人ならわざわざ日本語にする必要はないかも、と思いまして』
『そうね、あなたも外国の方でしょうからその方がいいでしょう。ペパーミントのスッキリした感じもいいわね。今日はそちらでお願い出来ます?』
『承知いたしました』
会釈をして紫庵が去ると、彼女は窓の外を眺めた。
手前には緑の葉。その向こうに見える横浜の橋ベイブリッジと、その下を流れるキラキラとした水面を、観光船がゆっくりと進む。
『……ネコちゃん』
英語ではない言語でひとり呟くと、クスッと微笑ましそうに笑った。
アールグレイが厨房に戻ると、跳ねた金髪の少年ダージリンが、琥珀のようなオレンジ色の瞳を好奇心に輝かせ、わくわくを抑えきれずに尋ねる。
「ねー、どうだった、どうだった? ラプンツェル」
「あー、彼女、英語圏じゃないね。わずかだけどドイツ訛りがあった」
店内では丁寧な物腰であったアールグレイはラフな態度で答えた。
「ドイツ系の方ですか」
ポットで蒸らしていた紅茶を客用ポットに移し替えていた、紅茶色の髪をした白人系の従業員リゼが考えるように呟き返した。
「ああ。雰囲気から、
「そうですね、
「向こうも気付いてるのかもね、僕たちのことも……」
長身の二人の間に割って入るように、ダージリンが笑って言った。
「良かったじゃん! 仲間がいて」
「僕たちとは世界が違うんだよ」
「害があるわけではなさそうなので、このままでもいいと思います。でも、もし、何かあったら……」
リゼは赤いカフェエプロンのポケットから懐中時計を取り出した。
何も言わずに、アールグレイは視線を落とし、それを見ていた。
「あのアールグレイさんて店員さんが勧めてくれたペパーミントティー、とっても美味しかったわ。ありがとうございます」
「こちらこそ、いつもありがとうございます。あのー、このすぐ近くにあるハーブ料理のお店の方ですよね?」
白人の従業員リゼが、にこやかに尋ねた。
「ええ。わたし、『おかしな家』の料理人でローズマリーと申します」
二人とも、流暢な日本語を話す。
ダージリンもアールグレイも同様であった。
「やっぱり、そうでしたか! そちらのお店のハーブ料理が美味しそうで、いつか食べてみたいと思っていたんです。ぼく、ハーブが大好きなので。良かったら明日の夜にでも行っていいですか?」
みるみるローズマリーの瞳が光り輝いていく。
「わあ、嬉しい! でしたら、予約を入れておきましょうか? うちのお店、狭いので。えっと、リゼさん……ですか?」
従業員の胸元にあるネームプレートを見て、女性は言った。
「はい、そうです。予約もありがとうございます。助かります」
紅茶色の髪の白人系青年を見上げて嬉しそうに笑うと、彼女は深く頭を下げた。
***
「明日の夜、予約が入ったんですか?」
「そうなの! 三人も!」
ローズマリーは浮かれていた。
少年ヘンゼルと少女グレーテルは、珍しいこともあるものだと顔を見合わせた。
「ご近所の紅茶館の従業員の方々よ。お料理は、お一人は白身魚で、お二人はお肉をメインディッシュですって」
「ああ、あの外国人たちですか」
「外国人同士、仲良くなれたみたい。ネコちゃんとウサギちゃんみたいな、可愛い人たちなのー」
「可愛い……? あの人たちが?」
「可愛いっていうより、イケメンっていう方が似合いそうだけど」
ヘンゼルとグレーテルは顔を見合わせて、首を傾げた。
「お菓子作りがお上手な人懐こいブラウンのウサギちゃんは、ピーターラビットみたいに元気いっぱいのネザーランドドワーフみたい! それとも、お顔の丸い垂れ耳のロップイヤーちゃんかしら!
それと、感じのいい白ウサギちゃん。あのコもネザーランドドワーフのホワイトか、それとも、もっと大きいウサギさんにも思えるわ。アルビノとかアンゴラウサギさんかも!
どこか高貴な感じのするあのネコちゃんは、黒猫ちゃんか、グレーのネコちゃんかしら? でも、イギリスのチェシャー州の猫っぽい雰囲気もするし、北欧神話にも出てくる森の妖精って呼ばれるノルウェージャン・フォレスト・キャットも似合いそう!
碧いお目目が可愛らしくて、
「何言ってるんです? 怒られますよ」
独り自分の世界に入り、捲し立てながらキャッキャ笑うローズマリーを、ヘンゼルとグレーテルは呆れた顔で見つめている。
「その人たちの予約時間って夕飯時だから、橘さんも
平淡な口調でヘンゼルが続けた。
「ちゃんと多めに下ごしらえしておくから大丈夫よ」
「その下ごしらえの下準備を、アタシがやることになるのよね」
グレーテルは少し疲れたような顔になった。
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