第24話:無数的な戦闘

 無限の矢が湧き出ると聞いたジェイは、弓を構えて放つたびに矢が補充されるのだろう……そんな想像をしていた。

 だがその実態は、彼の想像がいっそ牧歌的なものであると容赦なく知らせてくる。

「あーっははははははははは! のろい、遅い、鈍い――つまり超絶邪魔っ!!」

 ドドドドドドドドっっ!! と、おかしなとともに、矢はもはや矢であると判別することもできない勢いと量で飛び、あちこちを穿つ。

 ジェイが「あれは矢なのだ」とあらかじめ知らされていて、また、あまりの勢いで砕け散る矢羽やばねと壁天井に突き刺さるやじりが見えていてエイミーが弓を向けているから「ああ、きっと彼女が放っているんだな」とわかるだけ。

 正直、《狩猟の女神》の愛が宿るという弓には恐怖を感じた。

「いいね、すっごく楽しい! 何度撃っても愚直にあたしに向かってきてくれるところ、可愛いと思う!! 撃ち抜きたい!!」

 彼女のセンスがわからない。友人として可能なら理解したいが、細かな聞き取り調査をするべき時間が現在ではないことはジェイにもわかった。

「なんていうか、なんだろ? いくら撃ってもいいってところ、すごくすごい! この戦い限りってところも最高! そう思わない?」

「よ……良かったです……」

 エイミーのすぐ後ろをついていく形のジェイが呟くと、「さすが友達。気が合うねっ」と嬉しいようなこの場面ではあまり嬉しくないような言葉が返る。

 現在地は屋敷一階の広間に差し掛かったところ。あちこちに巻き付いて絡み合う《悪魔》の腕を消し飛ばし、消し飛ばした後に散る奇妙な液体を避けての進軍であるため、歩みはさほど速くはない。

 最初はジェイも腕の処理に加わろうとしたのだが、「《悪魔》を殺せるのジェイだけなんだから、体力温存しといて」と言われた形である。

 狩猟本能を存分に発揮する彼女は実に生き生きしており、この光景の中にあってたいへんに和む(これもある意味では現実逃避なのかもしれない)。

「たぶんさ、《悪魔》って、二階にいると思うの! ジェイはどう思う?」

「僕もそう思います!」

 腕の発生源から推察するに、階段を経由して伸びてきている。一部は割れた窓から伸びてきたものもあったが、窓が割れていたのは主に二階であったことも思い出せば階は確定する。

「じゃあどうしよっか!」

「そうですね……階段を上がるか、来るのを待つか、どうしましょう」

「あ、だめ。来る」

「――……」

 視界的には遠くの階段から、大きな《悪魔》が降りてくる。ジェイの二倍ほどの身長は、屋敷の高い天井でもやはり狭苦しそうだ。

 とてもスムーズとはいえない降り方。無造作に踏み出す体重で、外れかけの踏み板が砕けてバランスを崩し、そのまま床に叩きつけられる。

「エイミーさん、離れてください」

「うん。……頑張って」

「はい」

 ジェイに気付いた《悪魔》は起き上がるなりふらふらと歩いてきた。

 一階の広間のように開けた場所なら戦いやすい……などと考えていたのが実現したことに奇妙な安堵を感じる。

 両手に獣の爪。両足はヤギの蹄。グロウルの予想通り尾と翼はない。

 しかし、おぞましく不吉な存在だと魂が理解するような、そんな容姿をしていた。

「……伯母さん……」

 善人でなかろうと、ああなってしまっていい人ではなかった。

 大きな体はあの腕と似た赤黒い皮膚が覆っているが、時折体がべちゃべちゃと崩れてしまう。崩れたところからは腐った塗料のような妙なにおいがして、サイケデリックを極めている。

 エイミーが消し飛ばす腕の破片を含む崩れ落ちたそれらは、床に落ちるなり液状化。そして《悪魔》の方へと戻って崩れた部分を修復する。

 その再生能力があるから存在しているのであって、すでに《悪魔》は原型をとどめていない。

「あ……そっちも、戦う気なんだね」

「……ですね」

 後方から聞こえるエイミーの一言で、虚ろに輝く《悪魔》の目に殺意が宿っているのがわかった。

 腕がひりついたが――構わず解放する。

 縫い目の糸を焼ききって、爪と毛皮が浮き上がる。

「エイミーさん、援護お願いします」

「おっけ。任しといて」



 ジェイの両腕には魔狼の魂が縫い込められている。左と右で浮き上がる毛皮の色味が白と黒とで異なるために別々の魔狼であることもわかる。

 腕に宿る《彼ら》を開放したジェイは《彼ら》の感覚器と身体能力を借りることができる。

 人間にとって光無き夜であろうとかまわなかった。《悪魔》が撒き散らすサイケデリックな臭いと視界にありながら、薙いで振るわれる爪を捉えて回避。《悪魔》が放つ魔力の変化や、怨嗟の宿る咆哮を聞きとって行動を予測。

[……ア、ぁ……]

「う……」

 伯母の意識か《悪魔》の意識かはわからないが、魔物としての声を聞き取って瘴気の発生を予測することもできる。目に見えなくとも魔力が噴出したのを嗅ぎ取って避ける。

 そのどれもがこのおおかみのおかげだ。

 耳と鼻と夜目が利く。魔物と会話できる——コンプレックスでしかなかった特技が、いまの自分を助けているのだ。

「ジェイ、大丈夫!?」

 離れたところで矢を撃ち続けるエイミーが叫ぶ。

 ジェイも《悪魔》の咆哮や彼女の放つ矢音に負けない音量で答える。

「大丈夫です! 隙を探してます!!」

「わかったー!!」

 ジェイを狙う腕が数秒で消し飛ばされていく。それでいて走り回るジェイの体には一切当てない技量に、良い意味でぞくぞくした。

 魔狼の爪を振るい、《悪魔》の手足をすれ違いざま切り裂く。攻撃するたびすぐさま退避しているのはある種の試行のためだ。

 やはり、魔力を裂き、魔物を仕留めて喰らう魔狼の爪は《悪魔》にも通じる。感触からして骨さえ切断できる。

 ただし――太く分厚い肉体を貫くには短い。

 その確認だった。

 今だけ牙が欲しい。風の魔力を纏って、獲物の体内で伸びる牙が。しかし、そんなことを願っても生えてはこない。

(ほとんど懐に飛び込まないと、爪が届かない……!)

 現に、魔狼の爪による傷も、隙を見たエイミーが放つ矢による傷も、一瞬切りつけた・刺さったくらいではすぐに修復してしまっている。ジェイがちびちび切りつけていくのを悠長に待ってくれるわけもない。

 突き刺さって残った矢は腐食して床に落ちていく。

[ォオウァ……!]

「っ! エイミーさん、回避!!」

「はーい!」

 勢いよく噴き出した瘴気を、エイミーは難なく回避する。居場所を替えてすぐにまた矢を放つ。

 恐ろしいと感じたばかりの《狩猟の女神》と無限の矢が、これほど頼もしいとは。

 ほんのわずか、ほんの少し、《悪魔》への集中が剥がれた。

[ま、りユ……]

「――」

 伯母の意識。

 わずかに反応が遅れて《悪魔》の爪が魔狼の腕を掠る。

 足を一気に動かして距離を取り、傷口を確認。幸いにも毛皮の厚い部分を通ったこと、グロウルによる守りの魔法があったことで呪いの浸食はなかった。

「ちょっと、ジェイ。大丈夫!?」

 矢の勢いが増したのは援護のためだ。自分の油断で無理をさせて申し訳ない。

「はい。……ちょっと、びっくりしただけです」

 ちゃんと殺せる。

 マリユスを好きなだけ甘やかし、それで癇癪を起こせば放置して……そんな子育てをしていた伯母。しかし、彼女も我が子を愛しているのだから、それが確認できただけでも良かった。こうして命を懸けて確かめに来たかいがあったとさえ思う。

 だから――伯母を殺す。

 なり果てた《悪魔》を殺すのだ。

「……胸のあたり、心臓」

 ぶつぶつと呟くのは自分なりの精神統一であり、情報整理の方法でもある。

 背の高い《悪魔》の胸部には背伸びかジャンプでもしなければ届かないが、そんな無防備は晒せない。薙ぎ払われるだけだ。

 チャンスはまず一回。

「ここ!!」

 屈んで爪を振るうその時、懐へ飛び込んで爪を刺し、オオカミの腕力と爪の切れ味に任せて広く切り開く。

 だが、そこには魔力濃密であろう《核》を割いたような固い手ごたえがない。

 直感するや否や後方に飛び退ったが、間に合わずガードした左腕に薙ぎ払いが直撃する。

(……うん。骨を持ってかれたな)

 折れたのはジェイの骨であって、魔狼の魂ではない。

 激痛を無視すれば問題なく動かせた。

「! ジェイ!!」

「大丈夫、です! ……躊躇ったわけじゃありません、のでっ!」

 飛び退ったことで追おうとする《悪魔》はすぐさま矢で足止めを喰らう。あまりの勢いで後ろに倒れかけているほどだ。

 体勢を立て直し、エイミーに合図をしてから再び接近する。

 切り裂いた胸部も再生し始めていたが、それで徒労感を覚えることはない。先ほどの試行を元に、また考えるのだ。

「……頭、首、心臓……違う」

 鼻が利くがゆえに魔力の濃淡も感じ取れる。それを使って先ほどは胸部に《核》の気配を感じたのだが、今度はその発生源を慎重に探っていく。

「…………」

 グロウルは言っていた。《悪魔》の血は消化できないと。

 それはつまり――飲み込めないわけではないということだ。現に伯母は飲み干している。

「……そっか。だから勘違いしたんだ」

 胃だ。いままさに、ワインを消化しようと頑張っている臓器に《核》がある。

 人間とサイズがあまりに違うせいで、胃のあたりの《核》を心臓のものと早合点してしまった。

「さっきの……縦に裂けば良かったな」

 そうしていればこれ以上苦しめることもなかった。

 けたたましい咆哮と、我が子の名を呼ぶ伯母の声。連鎖して放たれる瘴気。

 それこそ引き絞られた弓のごとくしなって薙ぐ両腕。

 どれも、避けるのは簡単だった。

 伯母が――《悪魔》が完全体でなくて良かった。

「…………ごめんなさい」

 大振りの攻撃を潜り抜け、懐に飛び込む。体が大きくて手足が長い分、空間にも、次の攻撃がやってくるまでにもいくらかのゆとりがあった。

 あとは魔狼の爪を刺すだけ。

 ――縦に切り開くだけ。

「さよなら、伯母さん」

 そこには、卵の殻を砕いて温かい中身が漏れだしたような、微かな命の感覚があった。

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