第25話:結末的な結果

 禿頭で小太りの中年。どこにでもいるようなその男は、夜の森を必死で逃げていた。なにより大切なもの――マニエラへの入国証を握り締めて。

 《生意気な若造》に殴られた顔は痺れ、《無礼な小娘》に撃ち抜かれた手は痛んだが、関係ない。

 あと少しでマニエラに届く。偽造した入国証の出来は完璧だ。

 自分はしくじっていない。

 自分以外のやつらがしくじった。村民が恨んでいようと自分のせいじゃない——

 何の益にもならない想像の反復と独り言を繰り返し、棒のようになった足を動かす彼は、別れ際に妻から借りたナイフをもう片方の手に握っている。

「ひい……ぜえ、がほっ……ひいぃ……」

 息切れと転倒は運動不足と不摂生がたたっていたが、なんとか抜け道を通って国境へ向かった。

 あと数歩で地図上はマニエラ。

 そんなところで、男は白く小さな影を見つけた。

 魔狼と気付いて後ずさりかけたが、ともすれば普通の犬よりも細く小柄なを見、彼は意気揚々とナイフを構える。

「どけええええぇ!!」

[ごめんなさい]

 謝罪の言葉は聞こえなかっただろう、その意味は理解できなかっただろう。

 白い彼女は風となって跳躍し――男の喉笛を噛み切った。

 山々を取り仕切る女首領は、断末魔もあげずに事切れた男を放って歩き出す。

[ふう……口が汚れてしまったわ]

 独り言のつもりは毛頭ない。

[――そちらの方、お水をくださらない?]

「あら、お気づきでしたの?」

 天翼と天輪を持ち、光の槍を携えた《天使》が降りてくる。

 マニエラ国民でなくとも神々しさを感じざるを得ない光景を前に、ボスの感情はぴくりとも動かなかった。

[オオカミを甘く見ては足元をすくわれるわよ?]

「ふふ、ごめんなさい。……こちら、お水です。偶然にも先ほど汲んできたばかりなのですわ」

[ここの村の良いところは水だけだものね]

「同感ですわ」

 ルミナは槍を消し去り、たっぷりサイズの水筒を傾けてボスの口を洗ってくれた。

 血の混じった水を吐き捨てて礼を言う。

[ありがとう。少しはマシになったわ]

「それは何よりですわね」

 死体から離れるように歩き出す。放って良いのかと聞かれたが、かまわない。死骸を食らう掃除屋スカベンジャーや虫たちがいつか分解してくれる。そうあるべきなのだ。

[お子様は?]

「国境警備の方へ引き渡しました。……施設に入ることになるかもしれませんわ」

[そう]

 ジェイの従弟は、ジェイが村本体の近くへ行くたびに彼を「馬小屋」だのと呼んでバカにしていた。親に買ってもらったものを自慢していたこともある。

 血の気の多い何匹かが[指食いちぎってやる]というのを抑えて、遠くから聞いていた。

 それでも。

[良かったわね]

「あら、意外ですわ」

[子どもに罪はないもの]

 わがままな振る舞いは親の教育によるもの。これから彼に礼節と感情のコントロールを正しく教える人が現れればそれで良い。

[……あなたやっぱり《天使》ね]

 ボスは齢250程度。二百年前にマニエラとグローリアの衝突で巻き起こった戦争も目で見ている。

 その際はこのルミナのように、翼と光の武器を携えて空を飛び回る《天使》——マニエラがつくり上げた兵器が飛ぶのを見てきた。

「ええ」

[人の身から外れた子。存在という枠を壊すのは良くないのだけれどね]

 彼女らがもとは人間で、魔法と手術による苛烈な人体改造で《天使》と化すことは、マニエラ国境付近で周辺一帯の声を聞ける魔狼たちには周知の事実だった。

「おまぬけですわね。国家機密をべらべらしゃべるだなんて……」

[《天使》を発揮して問題ないの?]

 ここはそれこそ国境付近だ。マニエラ側に《天使》の反応を探知されないとも限らない。

「ご心配なく。攻撃魔法を撃ちすぎるとバレますけれど、飛ぶ程度であれば調整がききますわ」

[そう。……《天使》の開発部隊を滅ぼしたのはあなたね?]

「まあっ。おてんばが知られていただなんて……♡」

 翼を消して、もじもじと恥じらう彼女に問いかける。

[あの剣の男の子の前でもかまととぶってるの?]

「は、はあ!? カマトト!? 清純派と言ってくださいませ!!」

[そんなに怒ることかしら]

 魔剣に取り憑かれた男の子に、ルミナが惚れ抜いているのは少し接していればわかった。自分が思っているより鈍いジェイはさておき、あの狩人の女の子やほかの飛竜たちは感じ取っているはず。それほどにわかりやすい。

 娯楽の少ないこの山にあって、メスの魔狼たちの話題ももっぱらそれだ。

 伝えてみると、彼女は白い肌を真っ赤に染めて手を振り回す。

「結婚もなにもないオオカミなどに言われたくはございませんー!」

[私の夫は歴代で6匹。いまは130歳下の恋人がいるわ]

「うわあん負けましたわ——!!」

 号泣するルミナに、ボスは[プライドが高いかと思えば素直な子ね]と評価を述べてから、二人の関係性についての感想を告げる。

[あなたは、さも「自分が博愛主義で弱いものを助ける《天使》だからあなたも助けるのよ」と言いたげな振る舞いをするけれど、それで相手から特別な愛が返るのを期待するのはわがままじゃなくって?]

「なぜわたくし、魔物に心を串刺しにされねばなりませんの……!? 日々飛竜隊のため働いておりますのに……!」

[……ふう]

 なんですのそのため息!! と咎める声は聞こえなかったふりで、ボスは指摘を続ける。

[あなたがもらえるのは感謝であって愛ではないわ]

「はうッッ」

 胸をおさえて膝をつくルミナ。良い反応だ。

「こ、このわたくしに、膝をつかせるとは……」

[はいはい。……あなたが無自覚なら可哀想と思って黙っておくけれど、半ば気付いているならはっきり気付かせた方が優しさでしょう]

「うう……手厳しい……」

[まっとうなことしか言っていないつもりよ]

「正論は時に暴論よりも人を傷つけるのですわ!」

 切ない叫びをあげた彼女は、うじうじと地面にのの字を書き始める。

「だって隊長、性欲がないのですもの……風呂に突撃しても布団に忍び込んでもなんとも思わないあの人に、どうすれば想いを伝えられるのか……」

[あなたそんなことしてたの……あの子が理解できる段階にないだけでしょう]

 ボスが見る限り、フリードの魔剣による呪いは緩み始めたばかりだ。辛うじてものを口に入れられるようになったくらいで、睡眠欲と性欲は赤子に毛が生えた程度にしか育っていないと感じた。

 馬小屋に泊まっていた際、彼が微動だにせず夜を明かしていたからだ。

[待ってあげなさいな]

「うう……」

 うじうじしながらも立ち上がり、しっかりとボスを見据える。

「あなた様のお陰でジェイの礼節がきっちりしていたのですわね。おかげさまで期待の新人ですわ。ありがとうございます」

[こちらこそありがとう]

 育てたを褒められるのが何より嬉しい。

「いまわたくし、あなたの意思に合わせて声が聞こえるようにしているのですけれど……ジェイみたいに同時不特定多数の声を聞くなんて無理ですわね」

[あの子は魔狼だから]

 魔物であれば、同じ存在の声は容易く聞き取れる。彼は案外と腕に宿る魔狼を使いこなしていた。

「……腕のお二方、どなたなんですの?」

[私の双子の子ども。……あなたたちが取り戻してくれた毛皮は当時の夫]

「…………」

 今頃はジェイとエイミーがボスの頼みでカーペットを焼いているところだろう。煙が天に昇ることは何よりの供養だ。

 ふと、匂いを嗅ぎ取る。錆びた血のようなそれは《剣の男の子》のもの。

 ほぼ同時に気づいたルミナは恋する乙女の顔で手を振る。

「あっ……隊長! 隊長ー! ここですわー!」

「いま行くよ」

 山をいくつ越えて走ってきたのか数える気にはなれないが、おかしな体力の持ち主だ。

 生き物としての楽しみと引き換えに生きる術を得た彼はボスを見るなり破顔する。

「ボスさん。こんにちは」

[こんにちは]

「そろそろ帰るところなのでご挨拶に伺いました。……このたびは大変お世話になりました」

 深々と頭を下げる。

[いえいえ]

「秘書とお話ししてくださったんですね。ありがとうございます」

[こちらこそ同年代の話し相手ができて楽しかったわ]

 ルミナは通訳しようとしたのをボスから止められ、静観していた。

「そういえばこれ、採ってみたんですよ。食べられるものですか?」

 リュックから出してきた黄色の果実。高い木になるがために、魔狼は熟して落ちるのを待つほかないものだ。

 答えを示すために果実をかじる。いつも食べるものとは異なり、実に瑞々しい。

「良かった。これ、ルミナにもあげるよ」

「……いただきますわ」

 食べるルミナを嬉しそうに眺めてから、フリードは空へと呼びかける。

「ローチちゃん、おいで」

[うん]

 匂いを感じ取れないほどの高度から、白い飛竜が降りてくる。木々の密集する山にあって着陸できるのは彼女の腕もさることながら、小柄な体型も助けになっているのだろう。

 フリードは自身とルミナに命綱を装着し、ローチにまたがる。

「改めて、このたびはありがとうございました」

「またいつかご挨拶にきますわね」

[息子をよろしくね]

「当然ですわ。立派な隊員に……見違えるくらいに育て上げてみせます」

 二人を乗せたローチが飛び立つ。

 馬小屋の方へ戻ってジェイたちと合流するのだろう。

[ボスー! どこ行ってたんですかボスー!!]

 白い影が見えなくなってから、恋人の声が聞こえてきた。

 風となって走ってきたらしい。

[あらあら、コクア。一足遅かったわね]

[いったい何のことで……って、またおひとりで危険なことを!]

 ナイフを握ったまま死んでいる男をにおいで見つけ、彼はキャンキャンと吠えてくる。

[ふふ、心配してくれたの?]

[当たり前です!]

[うふふふ]

 まだ若い恋人に、彼女は何気なく呟いた。

[天使がジェイを立派な男に育て上げてくれるのですって。素敵ね]

[……]

 コクアもルミナの正体を勘付いている。

 苦く笑った。

[そりゃあ素敵ですな]

[でしょう]

[里帰りを楽しみにしましょう]

[ええ]

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