第26話:終了的な研修
ジェイが《悪魔》を殺してすぐ、その遺体から液体が噴出。屋敷の天井を突き抜けていった。それがグロウルの血であり、つまりは瓶に収まったということ。……夜のお陰でモノクロに見えて良かったのではないだろうか。
その後は皆で、ルミナの魔法で飛竜隊の拠点に帰った。
そしてグロウルは《血酒》を飲み干し——人間に戻った。
残念ながらジェイは直後に疲労で昏睡してしまったのだが、翌日エイミーからグロウルが喜んでいると伝えられ、ジェイにとっても大満足の結果だった。
ニーズベルの《悪魔》事件から2日後の本日。ジェイの新人研修も最終日の朝。事件があったおかげで少々の遅れは出たものの、研修担当であり教官でもある先輩方から「基本に忠実」という評価をもらい、なんとか隊員としてやっていく目途がたったところである。
格安の拠点食堂には向かわず市場にやってきた彼は、隊員行きつけのレストランへ向かった。時間が早いこともあって客はまばら。市場で店をやっていて見覚えのある人々や、漁師さんといった風情の人が数人だ。
入り口を通ってすぐ、自分よりも頭ひとつぶんほど低い店員に挨拶をする。
「おはよう、マリユス」
「……おはよう」
どことなくぶっきらぼうな従弟が可笑しい。
孤児院に行く予定だったマリユスは、事情を知った女将さんの「アタシが引き取る!」という鶴の一声で行き先が決まった。
「お腹の傷……調子はどう?」
まだ包帯を巻いていると聞く。
「大丈夫。おもいもの持ったり、走ったりはいてーけど」
「そっか」
女将さんはマリユスを店員として雇い、生活費も出してくれているそうな。
「マ……お母さんがたすけてくれたんだから、がんばって生きる」
「……うん。応援するよ」
「だからそういうの、うぜーって…………」
「ごめん」
いい子ちゃんぶりやがってうざいというのは、以前からこの従弟に言われていた。
「……こっちも、ごめん。すわって」
「ありがとう」
「うん。その……またタイチョーとルミナさん、来てくれるのかきいて」
「わかった。聞いてみるよ」
昨日、伯母の死を知って泣き叫ぶマリユスに、フリードは「お母さんがキミを《悪魔》から守ったんだよ」と言った。初めは止めようとしたルミナも意図に気づいて母の偉大さを伝えた。
それもあって懐いているようだ。
「注文は?」
「焼き魚定食」
「……はらえんの?」
「昨日が初任給だったから!」
飛竜隊は研修中の新人にもきちんと給料を出してくれる。
自分のお金と自分の財布――先輩たちからの初任給祝い――を持つのも生まれて初めてで、大いにはしゃぐジェイに、マリユスは「……いままでごめん」と呟く。
伝票を厨房に持っていこうとしたところで、女将さんが顔を出す。
「あらっ! ジェイくん、来てくれたの!」
「はい。従弟と女将さんに会いに」
「やっだもう、こんなおばさん褒めたってなんにも出ないわよぉ〜! どうする、おまけしちゃう!?」
「いやいやいや……いっつもおまけしてたら足りないってば」
マリユスは女将さんを厨房に押し戻す。
新たな客が来て対応しにいくその時、小さく言った。
「ジェイも、がんばれよな」
「……! うん」
焼き魚定食は実に美味だった。
食べてすぐに拠点へ戻る道中、背に肉を背負うエイミーと鉢合わせる。
「お、おはよ……ござ、おはよう!」
「おはよ。従弟くんどうだった?」
「元気そうでし……だったよ」
「ふふふふ。またあとでね!」
「……はい……」
友人なのだからとタメ口で話す練習をしているが……どうしてもぎこちない。
別れて進み、走っているうちに竜舎にたどり着いた。
入り口の脇にとんがり帽子を被った魔女がいる。
「おう、ジェイ! 来よったか!」
「う、うん」
拠点に戻って《血酒》を飲み干して呪いが解けたグロウルだが、鱗と同じ真っ赤な髪の美少女となった彼女は、感極まってジェイに抱きついてきた。……全裸で。
その瞬間に寝落ちしたことは飛竜隊中を駆け巡る噂となった。
「…………」
ジェイより少し背の低い彼女は、飛竜であったときのように表情がころころと変わる。帽子の長いつばから覗く緑の瞳が猫のようだ。
「どしたん?」
「……んっんん! 気にしないで」
モヤモヤとした正体不明の感情を咳払いで誤魔化し、グロウルと向き合う。
「今日で研修も最後やな。応援しとるで!」
「ありがとう」
「誰に乗るん? ウチか?」
「むっむむむ無理だよ……! もう飛竜じゃないんだから」
「ふはは。ウチを甘く見んでな? 竜にも成れるんやー!!」
強烈な光が彼女を包み、収まれば、見慣れた赤い飛竜がそこに現れる。
[どや!]
「す、すごい」
[こーれはもう、坊にますます尊敬されちゃうグロウルさんやな。せやろ]
「うん!」
[……]
再び発光。
人間に戻ったグロウルがため息をつく。
「ほんまに不安やわ」
「……スミマセン……」
ジェイも、自分が普通の会話と冗談・悪ふざけの類を見抜けていないことは気付いている。気付いているが……すぐさま改善できるわけでもない。
「まあええ。これから教えてくんやから」
「!」
「……。坊ってわんこっぽいな」
「え?」
「こっちの話や」
ジェイの腕をそっと持ち上げる。
傷は制服で隠れて見えない。
「腕の調子はどうや」
「動くし、痛みもないよ。ありがとう」
魔狼の魂を開放した後には傷を糸で縫う必要がある。その処置をしてくれたのはルミナだが、グロウルはよく気にしてくれていた。
「良かった。……うん。よし、決めた」
「?」
彼女は高らかに宣言する。
「やっぱりウチは飛竜隊におるよ」
「!! ほんと!?」
嬉しさのあまりに握手するジェイに「あー、わんこやなぁ」と謎の評価を下して握手に応じる。
彼女はルミナから魔法学校や王立の研究機関を紹介されており、働き先に迷っていた様子だったのだが、飛竜隊に居てくれるなら――居てくれるなら。
……居てくれるなら? どうだというのか?
いやもちろん居てくれれば頼りになるし、嬉しいし、もっといろんな話をしてみたいし。他のどんなことよりなによりもジェイは彼女のそばに居られるし――
「坊? 顔赤いで。熱あるんちゃう?」
「だ。い。じょうぶです! トッテモ元気!」
怪しい体操でも踊っているかのような動きのジェイにますます心配そうだ。
「……まあええけど。無事の帰りを待っとるわ」
「はい。待っててくださ――いえあの待たなくても自然体でリラックスをですね」
「どしたん!?」
「いえ……」
寮の自分の部屋でなぜかエプロンを付けたグロウルが待つ光景を想像してしまい、思考が破綻した。
「……すみません、今日の僕は、おかしいみたいです」
「せやろな……」
ため息をつかれてしまった。
落ち込んでいると、彼女はジェイの肩を押し上げて目線を合わせてくる。
「頑張ってや」
「うん」
「タメ口もな?」
「う……」
動揺すると敬語に戻ってしまう。
グロウルが微笑むだけで動揺する自分はどうしたらよいのだろうと悩むばかりだ。
「研修最終日は住宅街の配達やったな?」
「そう、だね。先輩からたくさん脅されたよ」
忙しいぞー。疲れるぞー。精神的にも疲れるぞー……などと、昨日の打ち合わせの際に念を押されていた。
ここを乗り越えれば見習い隊員から正式隊員となるし、審査は必要ながらも相棒制度を使うこともできる。
そう、グロウルを正式に相棒――いや落ち着け彼女はいま人間で、飛竜として働くと決まったわけでは――
「坊?」
「はっ! す、すみません」
「ははーん、さては緊張しとるんやな?」
ぽんと肩を叩いて笑う。
「安心せい。緊張とか感じてる間もなく忙しいから、坊が考えてる暇なく一日が終わるで。それが良いか悪いかわからんけども」
「とにかく、がむしゃらにやってみま……やってみるよ」
「おう、その意気や!」
彼女はもう一度、「待っている」という旨の言葉を述べて、ジェイの顔を耳まで赤く染めた。見られてしまう前に竜舎に飛び込む。
(……頑張ろう)
マリユスとグロウルから応援されたのだ。よくわからない感情に浮かされて真剣に取り組めない状態でいるわけにはいかない。
頬を叩いて意識を仕事に集中する。
その日、ジェイは研修を無事乗り越えた。
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