第21話:緊急的な避難

 ミトアを見送ってすぐ、フリードが戻ってきた。

 その手に暴れる男児をぶらさげて。

「はーなーせーよ!」

「このお子様が従弟くんかな?」

「ジェイ、こいつに言うこときかせろ!」

「……その人は僕の上司だからちょっと……」

「使えねー!! ほんっと、使えーぇえええええ」

 さらに引っ張り上げられたことで声が間伸びする。

「そういう言葉を使ったらダメだよ」

「お、おおお、おまえなんか、パパにぼこぼこにされちゃうんだからな!」

 従弟が涙目でそう叫ぶのを見て、ジェイはなんとも言えない気持ちになった。なお余計なことを言いかけるエイミーはルミナに口を塞がれている。

「えー。怖いなー」

「ほんとだぞ! パパはえらいんだ。おまえみたいなウマのホネはちょちょいのちょいだ!!」

 フリードの表情は特に強い感情が見当たらない普段通りニュートラル

「まあいいや。ジェイ、この子預かってくれる?」

「…………。はい」

 従弟を受け取って床におろす。

「はい捕まえた!」

「ひっ」

 逃げようとしたところで、エイミーが抱きすくめた。

「はいお名前は?」

「へ、マリユス……」

「そっかー。いくつ?」

「9……あの、離して……」

「だめ。逃げたら今度こそあのお兄さんに怖いことされるよ」

 フリードは「しないよ」とツッコミを入れるが、信用はないらしく、マリユスは怯えてエイミーにくっついた。

 しかしすぐさま真っ赤な顔でもじもじするので、ジェイと同じく若い女性に慣れていないのだと気づく。しかも、すぐそばには可憐な微笑みのルミナもいる。

 そのせいか普段のわがままはなりをひそめて大人しかった。

「……あれ?」

 普通に抱っこし直したエイミーがマリユスの背の小さなザックを探る。

 出てきたのは透明な瓶。

 金や細かな宝石で装飾されたそれは、液体を入れられそうな部分がエイミーの顔と同じくらいの長さ。目の前に持ってきて観察する。

「これ、まさか」

 無色透明な瓶の内部には薄い赤色が微かな膜として残っていた。

 ——中身がない。

「まあ……《魔女の血酒》。空き瓶ですわね」

 ルミナが眉をひそめる。

「中身はどこですの?」

「ママがのんだ!」

 空気が固まったことに気付かず、マリユスはルミナを相手に自慢を始めた。

「ママは魔女になるんだ。そのためにのんだ!」

「そう……どなたかから教わったの?」

「ほのーの魔法使いさん」

「飲んだのはいつ? どこですか?」

「ちょっと前! やねうらにいて……ママがねちゃったから、パパをよびに行って……それでコイツにつかまった!」

 思い出し怒りを始めたマリユスだが、肝心のフリードは心あらずといった様子で宙を見ている。

 首に手を添えて。

[おーい、坊ー!!」

 グロウルの叫びが近づいてきて、ジェイも腕に力を込める。

 屋敷上部——屋根裏一帯に妙な気配が満ちているのを感じた。

「ねえ、コイツやっつけてよ!」

 マリユス一人だけ気づかずに騒いでいるが、ルミナは取りあわずに指示をする。

「……エイミー。その瓶を離さないで。割れないようにリュックに入れてくださいな」

「うん」

 布を巻いて準備をする間にも、屋根裏では何かの気配……つまりはそれが放つ魔力が蠢いていて。

 今すぐにでも破裂しそうだ。

「総員、退避。窓から飛べ!!」

 初めに動いたのはフリードだった。

 彼は引き倒すような低姿勢でルミナとジェイを抱え込み、元々割れていた窓から飛び出す。

 瓶を諦めたエイミーがマリユスごと飛び出すその寸前、マリユスが「ぼくのびん!」と叫んで空き瓶を抱え込む。

 落ちていく視界で見えたのは、こちらに伸びる赤黒く長い腕——

「ルミナ!」

「はーい。撃ちますわね」

 彼女が手を鋭く振ると、上空から降り注いだ光の槍が触手を抉り取る。やはりルミナさんは魔法使いだと驚く間もなく、ジェイの腕が熱を持つ。

[パパ!]

[坊!!]

 紅白2匹の飛竜が落ちる面々を掬い上げるように上昇してきた。

 自由落下をするジェイたちではできない微調整を行い、多少の衝撃はありつつも背中に着地させてくれる。

 すぐに《止まり木》を使ってもらい、ローチにはフリードとルミナ。グロウルにはジェイとエイミー、そして彼女に抱えられたマリユスが乗る。

「グロウルさん、来てくれたんですね!」

[そら、あんな気配がしたら来るわなあ! ローチ、急いで離れる! ついてこい!]

[うん。でも、まだ腕が]

 まとわりつこうとする赤黒い腕を消し飛ばすため、次々と光の槍が落ちていく。

「構わず飛んでください。一刻も早く瓶と離さなければ」

[わかったわ。おばさま、行こう]

[おう……って、なんや下におるんやが!?」

 言われて見下ろすと、山の民とは異なる装いの黒ローブの集団がいた。

 全員がこちらを見ており、ぞっとする。

 手綱や鐙をセッティングしていたフリードは、その手綱をあっさりとルミナに託して振り向く。

「ジェイ」

「は、はい!」

「俺が降りたらすぐ急降下着陸」

「ええ!?」

 一切の躊躇が見当たらないダイブ。

 いや、違う。

 彼は命綱を利用して無理やり地上へ降りたのだ。

 相棒であるローチは慣れているらしく、ルミナの指示に従って上昇する。

 あっという間に小さくなったフリードが、着地するなり駆け出していくのが見える。出会い頭に一閃された黒ローブが倒れ込む。

 指示の意味を遅れて理解した。

「っ……! グロウルさん、地上に降ります!」

[おう!]

 急降下に備えたところで、民家の屋根にも黒ローブがいることに気づく。

 謎の人物の手のひらには炎が集まっていたが、首を射抜かれてもがきはじめた。屋根から落ちて動かなくなって——グロウルの魔力も臨界。

 魔法の力を借り、一気に降下した。



 地上はすでに静まり返っており、屍の山を築いたフリードが嘆息していた。

「……また制服汚すなってどやされる……」

「わたくしたちを守ってくださったのですもの。怒りませんわよ」

「ならいいや」

「反省しないでいいという意味でもないのですけれど??」

 なんだかんだ言いながらも隊長とその秘書は良いコンビなのだろう。

「……いまはあのお子様のことですわね」

 エイミーの腕でか細い息をするマリユスを見やる。窓から飛び降りる際、あの謎の腕が腹を掠ったのだ。

 現在の屋敷は腕が這いずった跡も赤黒く、おどろおどろしい様相。

「ジェイ、包帯持ってきて! 竜具に入ってるから」

「はい!」

「ではわたくしは傷を見ますわ。治癒魔法はできませんが……傷薬でしたら用意があります」

 ルミナはマリユスの腕から瓶を抜き、服を慎重にナイフで裂いていく。瓶は今度こそエイミーが受け取った。

 掠った左脇腹を見るとかなりの血が流れているのはもちろん、傷口の周りは赤黒くじわじわと変色している。グロウルとローチの竜具から人間用の包帯と綿を出して処置をする間、軟膏を用意するルミナが所見を述べる。

「急いで治療すれば助かるかと。猶予は今日明日……なのですが、傷口の変色が気になりますわね……どう考えても呪いの気配。隊長、怪しげな集団から何か情報はありまして?」

「……詠唱の時に『偉大なる魔女の復活を』とか『悪魔万歳』とか唱えてたな。典型的な悪魔崇拝呪文だと思った。発動まで聞けば魔法の系統まで見えたかもだが、俺にそんな義理ないし……」

「発動したら厄介でしょうからね。……グロウルさんはどうですの?」

 視線を向けられたグロウルは重々しく頷いた。

[せや。あの腕は《悪魔》のもんや。飲んだやつが《悪魔》になっとるよ」

 重大な情報に、ジェイが慌てて通訳に入る。

「! あ、あの……腕は《悪魔》のもので、飲んだ伯母が《悪魔》になっているそうです!」

「あら。……先程の悪魔崇拝集団がそのように整えたのかしら? 飲んだ人が変ずるように……そうとなるとかなり高度な魔法ですけれど」

「それはない。熟練の魔法使いなら俺が剣を振り抜く前に二、三発は撃てる」

 フリードの発言に、グロウルは頷く。

[あれは、悪魔崇拝がなんとかできるもんやない。ウチの血のせいや……]

 忸怩たる想いを隠しきれない悲痛な声。

[マニエラがそう定義して、伝承と神話ひろめて聖書に書いたんやから、ウチはもう《悪魔》なんよ]

 ジェイも泣きそうになりながら通訳すると、エイミーが首を捻った。

「グローリアの昔話だと『勇者とともに魔王を倒した英雄』で、マニエラの聖書は『心を失い悪魔と化した怪物』。……どっちが正しいの?」

[もちろんグローリアの方や! ……でも、魔法の現象は信じとるやつが多いほど強いんよ……こっちじゃ魔女の末路は勇者伝説のオマケやから]

「そんな! 許せない。明日からめちゃくちゃ色んな人に広めるね!」

 エイミーはいつも真っ直ぐだ。

 その明るさにグロウルも救われるところがあるようで、少しばかり笑みを取り戻して礼を述べる。

[……ありがとな]

 考え込んでいたルミナは努めて冷静に推測中。

「一応仮にも村のお宝なのですし、簡単に貸してもらえることはないでしょう。少なくとも他人に飲ませるのは困難ですわ。それなら、騙して飲ませた方がよろしいかと。おだてれば木に登る方々でしょうから」

「飲むのは女性じゃないとダメなのかな?」

「おそらくはそうでしょう」

「ふーむ」

 マリユスを助けるには《悪魔》を排するべきか。

 そもそもあの《悪魔》をたおさねばならないのか。

 ルミナを中心に話し合っていると、グロウルが呟いた。

[依代の体と魂をひとしきり食い荒らしたら瓶にまた収まるよ。消化もできひんやろうから]

 伝えたところでルミナが問い返す。

「根拠は?」

[……そうとしか言えへん。計算と魔法術式教えてもええけど、坊が通訳できんやろ?]

 素早い通訳に徹していたジェイが固まった。

「がががガンバリマス!」

[無理せんとき]

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る