第3話:記念的な飛行

 物陰で制服に着替えて戻ると、拍手で迎えられた。青年がジェイを見て頷く。

「うん、サイズぴったりだ。さすがルミナ」

「ふふん。わたくしの見立てですもの、当然です」

「ありがとうございます!」

「どういたしまして。では、みなさん自己紹介してくださいな?」

 後ろに控える青年と少女を指して言うと、二人それぞれ頷いた。

「俺はフリード。ここで隊長をやってるよ」

「!!!」

 高く見積もっても20代前半の彼が責任者だとは。

「これは、失礼を……数々の失礼を……!」

「土下座いらない。気にしないでいいって。……で、どうぞ」

 促された少女は活発そうな笑顔を浮かべたままに名乗る。

「あたしはエイミー。ひらの隊員だよ。よろしくね!」

「ジェイといいます、よろしくお願いします」

「うん。……」

「?」

 自己紹介の途中からうずうずとしていた彼女、切りそろえられた黒髪を揺らして飛びついてくる。

「おぁふ!?」

「ついに、ついに後輩が来た! やったー! ありがとー!」

「あ、あ……あ……」

 若い女性を間近で見た経験が片手の指に収まってしまうジェイは、真っ赤な顔でへどもどと固まっていた。

「こらこらエイミー? 新人を困らせないよ」

「あっ、ごめんなさーい。ジェイもごめんね?」

「……イエ……ダイジョウブデス……」

 彼女の様子は、ワクワクという表現がよく似合う。背負っていた大きなリュックから次々とモノを出していった。くらあぶみ、ベルトと縄……そのサイズと頑丈な見た目から、どれも飛竜に乗るためのものと推測される。

 興味津々に見つめていると、フリードが肩を叩いた。

「さ、夜間飛行の時間だ」

「え?」

「新人は採用初日で夜空を飛ぶのが慣例でね。その時点でいちばん相性がいい竜に選ばれて、竜に飛ばせてもらうんだ」

 選ぶのではなく、選ばれる。

 言葉選びの意味はすぐにわかった。

 自分のすぐ後ろにいる赤い竜が、尻尾でジェイを巻き上げたのだ。

「わっ!?」

[ウチ以外におらんやろ?]

「えと、えっと……! よろしく、お願いします!」

[よろしい! ウチはグロウル。魔女や]

「はい! ……はい??」

 足が地面につくと同時、巻き付いていた尻尾が離れた。

 エイミーがグロウルに器具を装着させている。

[おう、エイミー。よろしく頼むわ]

「グロウルさん、じっとしててね」

[ええぞ。あんたは丁寧な子ぉやから、信頼しとるわ]

 一方通行で成り立たないが思いやりのある会話はもどかしくて、しかし割り込むのもためらわれる。動悸がうるさいほどに悩んでいると、フリードがにこやかに言い放った。

「ジェイは竜の声が聞こえるらしいよ。通訳してもらったら?」

「おわ――!?」

 ばっくんと尚更に跳ねる心臓と、人生最大の大声。

「会話できるってこと? すごい!」

 鐙を確認していたエイミーはすぐに飛びつこうとしたが、なんとかやんわりと固辞した。

「会話……というより、グロウルさんはこちらの言葉を理解されてます。なので、僕がすることは通訳です」

「すごいすごい! すっごいね!」

「おおぁ……」

 不慣れなジェイを相手にぐんぐん距離を詰めてくる。

「あっ! でも、これ以上話してたら真夜中になっちゃうか」

 言うなりぱっと離れて、夜にあって太陽のごとき満面の笑みを見せた。

「帰ってきたら通訳してよね。約束!」

「……はい」

 差し出された手は、笑顔に負けないくらいに温かいものだった。



 飛竜隊の制服は見た目よりも動きやすい生地でできており、鞍に跨っても窮屈な感はない。支給された靴も鐙の感覚をしっかりと捉えられるよう考えられているらしい。ちなみに、緊急時を除いて、この制服を着用せずに飛竜に乗ることは禁じられているとのこと。

 いまはグロウルとともに竜舎奥の離陸台――木材と鉄板で作られた丘の頂点にいる。離陸台から離れた地上では三人が見守ってくれているが、そこからの高さはかなりのもの。見下ろせば身が竦む。

[命綱はバッチリやな?]

「はい」

 蜘蛛の魔物の出す糸から作られたという白い綱。これは空を飛んでいるときはもちろんのこと、離陸台などから落ちた時にも飛竜が助けてくれるように考えられてある程度のゆとりが取られている。

 制服の腰元にも装着を助ける袋状の布が目立たぬよう縫い付けられており、否応にも緊張が高まる。

[ウチら飛竜もついてなきゃ飛ばんようには訓練されとるけど、きちんと自分で確認するんやで]

「わかりました!」

[じゃ、飛ぶか]

「はい……!」

 グロウルはジェイを乗せてのっしのっしと離陸台の端へと足を寄せる。

 ぐぐっと体を屈めて――跳躍。

 翼を羽ばたかせて高度を上げていく。羽ばたきとは無関係に速度も増していった。

「お、おおおお……」

 ジェイの体への衝撃や変化はほとんどない。見上げていたおかげで満点の星空に飛び込んでいくような状態だ。

 意外なことに、飛竜が飛び立つためには助走がいらないのだという。

[ウチらは飛翔を助ける魔法みたいなんを使って飛ぶんよ。それに、飛ぶことに特化したウチらの足は走るに向かへん]

「なるほど……住宅街で配達すると助走距離を取るのも難しそうですもんね」

[せやせや。ちな、魔法は乗り手を保護する効果もある。空高くを飛んでも、地上と変わらんようにな。人間の都合と飛竜の生態が、ぐーぜん合致しとったっちゅーこっちゃ]

「はー……すごい。初めて飛竜に乗った人も、乗せてくれた飛竜も、どんな気持ちだったんだろう」

[それは、あんたと同じやない?]

 言われてすぐに視線を遠くへ向けた。

 風を切って飛ぶ、万能感に限りなく似た爽快感。

 夜に包まれた王都には街頭の篝火や家々のランプの灯りがきらめいていた。

 故郷とは全く違うこの地にあって、ここに来たばかりであるのに、『ここで暮らしたい』と感じるほどに――

[坊は泣き虫やなぁ。困った子や]

「…………違うんです……」

 人生でこれまで泣いた記憶はない。久しぶりに泣いたら、ふとしたことで涙が止まらないようになってしまった。

[泣き慣れとらんのか。うーむ、坊の両親には文句を言ったらんと……]

「親はいません。母の兄の……伯父に引き取られて育ちました」

[馬小屋でか]

「はい」

[……いつかカチコミ入れたるわ]

「? かちこみ?? ってなんですか?」

 言葉の意味が解らず聞き返したが[こっちの話や]と流されてしまった。

 それからしばらく、王都上空を中心にゆっくりと旋回。グロウルの案内付きで施設や住宅街の位置などを教わった。

 王都のど真ん中にそびえる大きな城。

[フラメル城。見てわかる通りの王様のお城や。王族といくらかの貴族が住んどって、飛竜隊に配達依頼も出してきよる。新人が会う機会はない]

「良かったです……」

[ん。で、城と飛竜隊拠点の間くらいにあるあそこが市場。隊の拠点からも近いもんで仕事帰りに食材を買う隊員が多いな]

「市場……大きそうですね!」

 夜であっても多くの人々と灯りが見えた。

[でかいで。横にある蔵は料理店が集まっとる。とあるレストランは海の幸たっぷりなグラタンが美味いらしい]

「らしい?」

[しゃあないやん。食べたことあらへんもん……]

 隊員たちの会話を漏れ聞いたのだろうか。萎んでいく言葉尻が切なげだ。

「……テイクアウトできる料理があれば持ってきましょうか?」

 グラタンは難しいかもしれないが、簡単な軽食などは売ってくれているかもしれない。

[おお、助かるわ! ……食の話題になったついでに言うんやけども]

「なんでしょう?」

[餌の生肉に火を通してほしいって、隊のやつらに伝えてくれへん? 生肉食べるん、きついんよ]

「それくらいなら、喜んで。……」

 ふと、グロウルの発言がリフレインする。

 彼女は魔女と自称した。

「……」

 考える。

 ジェイは確かに魔物の言葉がわかる。しかし、ジェイの言葉を魔物に通じるようにしたければあるをする必要があるのだ。

 そしていまのジェイはその工夫をしていないし――グロウルはエイミーの言葉も理解していた。

 つまり、つまり。

 彼女はもともと人間で、魔女だったのではないか?

「グロウル、さん」

 グローリア王国とよく似た名前。国名の由来はなんだったか。

「あなたは――魔女ですか?」

[さっき言ったやろ]

 彼女は仕方ないなあと笑っているのがわかる表情で、竜なのにそんな笑顔をして、ジェイを見上げた。

[大魔法使いの称号を持ち、勇者と共に大陸を救った魔女のグロウルとはウチのことや]

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