第2話:教育的な飛竜
「そうそう、名乗り遅れましたけれど、わたくしはルミナ。隊長の秘書兼経理担当ですわ」
「よろしくお願いします!」
「ふふ、打てば響く素直な応答……他の隊員たちにも見習ってほしいくらいですわね」
褒められるとなんとも照れてしまう。
「さ、到着でしてよ」
案内された寮は飛竜たちが身を休める竜舎からほど近く、長屋状の建物。ルミナはそのうち最も手前側にある扉を開けてみせた。
「キッチン、シャワー、トイレを完備。家具はテーブルとベッドくらいですが、快適な生活に必要ならば好きに増やしてかまいませんわよ」
「わー! 噂に聞く魔法水道と火魔法管ですか!?」
グローリア王国には魔女の集団がいくつか存在し、彼女たちの魔法によってさまざまな魔法の利器が作り出され、生活に浸透している。
「初めて見ます! 感動です!」
「これくらいどこのどんな家庭にも完備されて当然のインフラでしょうに……」
彼女は呆れつつも部屋の説明を続行する。
「風向きや気温次第で竜の生活臭が漂いますが、少しの間だけ我慢なさってくださいな。明日明後日には他の部屋が準備できますから」
「いえそんな! 故郷では馬小屋で暮らしていましたから臭いには慣れてます!」
「そんな境遇に慣れないでくださいませ?? ……家具はお部屋にひと揃えございますが、あなたお洋服は持ってきておられますか?」
「いいえ!」
「……」
少しの沈黙が流れ、何か失礼をしたかと焦るジェイの鼻先へルミナの指が突きつけられた。
「決めましたわ。わたくしはあなたを誰にも恥じないような隊員に育て上げます……自覚なき貧困と、虐げる者どもからの救出。これこそが子どもを助ける第一歩ですわ!」
「へっ?」
「首を長くして待っておいでなさい! 手すきの隊員からあなたへのお下がりを用意して参ります!!」
ジェイに鍵を握らせて、ルミナはあっという間に駆けていく。
「…………」
手のひらの鍵に目線を落とす。
厳しい口調で難しい物言いをしていたためにわかりづらかったが、彼女は自分を心配してくれたのだ。
時間をかけて考え込んで気づいたものだから胸がじんわりと温まる。
「……優しい人で良かった……」
部屋でルミナを待つ間、背負ってきた荷物を確認する。小さなナイフと、動物の胃袋でつくった水筒。替えの肌着が数枚。簡易なテント。
路銀は申告の通りに一切持っていない。
「こう見るとかなり貧乏……?」
故郷を出る際は育ての親に少しばかり貸してくれないかと頼んだが、自分のためにそんな金は出せないと断られた。
それもそうかと野宿を繰り返しながらの道中であった。
そんなことを悶々と悩んでいると——女性の声が聞こえた。
[おーい、坊ちゃん]
「……?」
[坊ちゃん聞こえとるやろー? ウチの目は騙せへんよー]
聴覚を介さずに理解する不思議な感覚とともに、腕が勝手にざわめく。これは故郷でも覚えがあって——魔物の話し声なのだ。
生まれつきの魔力を持って人に害をなす生き物、それが魔物。
「…………う、わ」
付近には竜舎しか存在せず、こんな街中にあって大きな魔物がいるとは考えられない。よって、話しかけてきている魔物は飛竜である。
結論が弾き出されたところで、耳を塞いで毛布にくるまる。聞こえなかったふりをする。
[あれ? おーい?]
(ひ、飛竜が魔物なんて、聞いてない……)
[寝たんかな]
魔物と会話できることが知られて良い反応をもらったことは人生で一度たりとてない。大法螺吹きと笑われるくらいならまだ良くて、本当だと理解した時には侮蔑の視線が——
「……どうしよう」
飛竜を相手にする職場で隠し通せると思えなかった。告白したところで拒絶される光景ばかり思い浮かぶ。受け入れてもらえた職場に初日で退職を申し出なければならない現実に涙が流れる。
悪いことを考え出してどよんどよんと泥沼に沈むのは悪癖だとわかりつつも、吐き出せる友人とは離れ離れだ。
「ジェイくん」
「うわっ!?」
そんなに驚かなくても……と呟きながら佇んでいるのは面接官をしていた青年だ。ジェイにとっては鍵の音も扉を開ける音も足音もなく、声をかけられた瞬間に気配が現れたような錯覚さえある。
跳ねるジェイの心臓など知るよしもない青年は背負っていた大きなリュックを下ろし、中身を床に出し始めた。
「ルミナが張り切って集めたもんだから、背負わせると危なっかしくって。そんなわけで俺が代わりに……あれ、泣いてる?」
「すみません……」
慌てて起き上がり、「辞めさせてください」と頭を下げる。
しかし、「行くところないんだから働け」と瞬時に却下される。
「で、でも、でも……僕がここで働くのは……」
「辞める理由は?」
「……僕は魔物と話せるんです」
「へー」
興味のなさそうな返事だった。
それが嘘であろうと本当であろうとどうでもいいと言わんばかりに。
はじめての反応に困惑していると、青年はジェイの腕を掴んで外へ出た。
隣の竜舎へ引っ立てていく。
「別に俺らは気にしない。……っつーか、それが真実ならすげえアドバンテージ持ってるってことに気付いてる?」
「アドバンテージ……?」
かんぬきを動かして両開きの扉を開けた。
直後、夕焼けが瞳に突き刺さる。
奥の大きな窓から赤色が差し込んでいることに気付き、目が慣れてきてすぐに窓ではなく離陸台だと気づく。
想像よりも簡易な柵でいくつか区切られており、さまざまな竜たちが思い思いに寛いでいる。
「キミはこれから飛竜に乗るんだ。命を預かる相棒と話せるなんて、羨ましい限りだよ」
「……相棒……」
自分の相棒になると言われて、期待感と不安が入り混じる。辞めたいといきなり言い放った無礼さえ謝っていないというのに。
ようやく思い至り、俯いていたところから青年を見上げたものの、彼は手近な柵の中に入っていってしまう。
そこにいたのはジェイを睨む赤い竜。
(もしかして……?)
竜はカッと口を開いて大喝する。
[なにさらっと無視しとんじゃ——!!]
「ご、ごめんなさーい!!」
甘みを含んだこの声、やはり寮の窓越しに話しかけてきた竜だ。
すごく怒っている。
「彼女は新人教育専門だから心配いらないよ」
激怒している竜と激怒されている新人を放って、青年は柵を開けるなり「ごゆっくり〜」と出て行ってしまった。ジェイは飛竜と一対一だ。
[あれ、アネゴどうしたの?]
[新入りと喧嘩だ]
「わかーい]
そばの柵内にて、4匹で仲良く寝そべる緑の飛竜がおしゃべりを始める。
[手ぇ出すなよ。これはタイマンやからな]
[さすがアネゴ]
[かっこいいー!]
[しんじんきょーいくは最初がカンジンってこと?]
[タブン!]
[誤解を生むわ!!]
赤竜に叱られてもきゃいきゃい騒ぐ4匹は声も体型もどことなく似通っており、もしやきょうだいなのだろうか。人間で言えば男児に近い声音もあいまって微笑ましく映る……などと思っていると、なぜか西方の訛りで喋る竜が再び怒号を放つ。
[さっきはようも無視してくれたな! 年長者を大切にせんとはなんちゅーことや! おん!?]
「ええええええと……あの……採用を、辞退しようと思って……! 返事をするのも怖かったんです……」
誰かに見咎められたら。それで冷たい視線を向けられたら。気持ちが悪いと殴られたら——故郷での扱いが次々に脳裏をよぎって動けなかった。
[はあ!? 採用を初日で断るたぁ、ますます無礼で失礼なやっちゃな!]
「すみません、すみません!!」
[理由はなんや。言うてみい!!]
「いまみたいに、魔物と……会話できるから……!」
[はあ〜!? この職場じゃ超絶に絶対的有利な能力やぞ!? 蔑むやつなんかおらんわ! 認識改めとき!!]
「ごめんなさいぃ……!!」
[面接の時も思っとったが、坊は自己分析が足らん! 評価すべきところは自分でする。改めるべきところは心に留めて改善を心がけるんや。卑屈は聞いてて気分のええもんやない]
「はい……」
[それと、周りを気にしすぎ。自分は自分や。見失ってはあかんのやぞ]
「はい……!」
説教という名のアドバイスを受けはじめて、どれくらいの時間が経っただろうか。気付けば外は夜に包まれ、竜舎の壁には篝火が焚かれていた。
竜の語気は穏やかに緩み、その翼でジェイを包んで引き寄せる。
[あー、もう……幼子を酷い目に遭わすんやめてほしいわぁ……ウチらは平和な国を目指しとったんに]
「? えっと。あの。……す、すみません」
[すーぐ謝りよる……説教してごめんな]
「いえ……書き留めたいくらいの、お話でした」
[そりゃ良かったわ。迎え来とるで]
指された方へ振り向けば入り口に人影が三つ。
青年とルミナと、もう一人はジェイと同年代くらいの女の子が入り口を背に立っていた。
皆が制服を纏っている。
駆け出そうとして赤竜に止められ、三人が駆けてくるのを待つ。
ルミナは手に持っていた制服を満面の笑みで広げた。
「ようこそ、飛竜隊へ」
涙が溢れて止まらないことさえ受け入れてくれることに、居場所を見つけたと思えた。
全てが生まれてはじめての体験だったのだ。
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