第5話:初歩的な指導

 翌朝。

 制服姿のジェイは、拠点の最奥、飛竜隊書庫にてルミナと向かい合っていた。テーブルには折り畳める地図が複数枚と、小さな手帳がひとつ。

「見ての通り、グローリア全域の地図と主要な配達地域の地図。それからこの手帳は隊で働くにあたっての仕事道具です」

「大事にしますっ……!」

「……なんで泣いてらっしゃるの?」

「寝床は暖かくて朝食が出てくる。天国はここにあったんだって思いました……仕事道具まで支給してくれるなんて!」

「天国のお安さが不安でしてよ」

「ほかの隊員の皆さんも優しい方ばかりで、僕にいろんなものを分けてくださるんです! 泣いて労ってくれる方までいて、嬉しかったんですよ」

 目覚めてすぐ、配達前だという男性隊員たちが部屋を訪ねてきて、毛布や保存の利く食料を分けてくれた。

「あなたの出した採用申込からも身の上が伝わってきましたもの。採用に携わった者として同情もしますわ。……やはりニーズベルにカチコミを入れるべきかしら?」

「かちこみってなんですか?」

「挨拶のことですわ。ある意味では」

「ぜひよろしくお願いします!」

「うふふ、楽しみですわね♡」

 そういえばグロウルもカチコミをしたいと言っていた。

 丁寧で良い人ばかりだなあ、などと嬉しくなる。

「明日以降も朝食を食べたらここに来てくださいな。飛竜のことや、この国の地理と歴史をお勉強しましょう。飛竜隊で働くために役立つ知識をお伝えします」

「はい」

「お昼ご飯を食べたら、先輩……今回はエイミーにくっついて実際に配達のお仕事に行くこととなります。学ぶ→実践する→学ぶ→実践する……学習にはこの繰り返しが良いのです。これから頑張りましょうね」

「はい!」

 やる気十分でよろしいこと、と微笑みつつ、ペンとインクつぼを互いの手元に寄せた。

「読み書きはどうですか?」

「あんまり、得意では……ありません……」

 喋りに自信の無さが出るジェイに、彼女は呆れることなく優しく微笑みかける。

「ならばそれも練習しましょうか」

「うう、何から何まですみません……」

「かまいません。わたくしはあなたを立派に育て上げてみせますからね」

「ありがとうございます……!」

 彼女の包容力に感動しきりだ。

「そうですわね……本来、その手帳には好きなことを書いてかまわないのですけれど。書くことを決めておきましょう。一日一枚。その日学んだことや気づいたこと、印象に残ったことを書いてください。そして、お夕食の際に見せて報告してくださいな」

「わかりました!」

 見てくれる人がいれば更にやる気が出るというものだ。

 大いなる慈愛と、底知れぬ気品・風格を持つルミナ。ニーズベルでは見たことのない金髪碧眼もあいまって貴族のご令嬢のように感じる(ジェイはご令嬢も貴族もまともに見たことはないのだが)。

 そんな彼女は、「授業を始めましょう」と笑った。



「ルミナさんから、王国の地理を教えてもらいました!」

「良かったねー!」

 真昼の食堂で合流したエイミーに報告すると、彼女は我が事のように喜んでくれた。

「今日の授業はどんな感じ?」

「王国全体の大まかな地形についてです。まずは高低差と水場の把握が大切だって教わりましたね」

 手帳に書いた地図の簡易な模写と、ルミナから学んだことの書き込みを見せる。

「おお、真面目にやってる。あたしも昔、ルミナさんに教えてもらったなー。かれこれ8年前くらい?」

「8年前!? そんなに幼い頃からここで働いてるんですか……!?」

 同年代であろうエイミーから8を引けば、それはもう10歳以下だ。特別な事情(生家が商店など)を除き、10歳以下の子供を労働させることは王国法で禁じられている。

「あっ、違う違う!! 8歳のときから、親の都合で王都に住んでたの! 縁があって飛竜隊に遊びに来てたんだよっ。児童労働じゃないよっ」

 焦り気味な弁明を聞いて勘違いに気付いた。

「あ……そ、そういうことですね! 早とちりでした、すみません」

「いいの。さっきの言い方じゃ勘違いしちゃうよね」

 運ばれてきた昼食をそれぞれ食べる間、エイミーは8歳当時の思い出話をあれこれ聞かせてくれた。

「飛竜に乗りたい乗りたいってはしゃぐあたしをルミナさんが宥めて、いろんなこと教えてくれたの。今も全然変わんない、綺麗で知的なお姉さん」

「……不思議ですね」

「うん。あのひとはとっても不思議。……あっ。これ美味しっ」

「ほんとですね」

 頼んだのは日替わり定食。それについてきた『コディソースのパイ包み』なるデザートは今日からの新作らしい。

「そういえば、コディソースってなんですか? 僕の村にはなくって」

「ベリーを煮詰めて塩気を足した調味料だよ。昔グローリアにいた伝説の料理人さんの名前からきてるんだって」

「へえ……! たしかに、伝説級の味ですね」

「ふふ、伝説級って素敵な表現だね」

 エイミーはころころと表情が変わって、楽しければ笑い、悲しめば涙を浮かべ、悩めば眉間にしわを寄せる。先輩ながら可愛らしい人だと感じた。

「そうそう、フリード隊長は入りたてで隊長じゃなかったんだよ。竜たちのお世話にいつも忙しそうだったな」

「その当時からいたんですか。……隊長って何歳なんですか?」

「大体20らしいよ。『節目の歳ですわ!』って、前にルミナさんが隊長引きずって盛大にお祝いしてたの」

「つまり、12歳で隊員……優秀な人なんだなあ」

「まあ……優秀といえば優秀、だよね。うん」

「?」

「なんでもない。……よし。お腹も落ち着いたから、お仕事行こう! ジェイは準備オッケー?」

「はい!」

 感想とともに食器を食堂のおばさんたちに託し、二人で竜舎へ向かう。

「飛ぶ前に目的地とそこまでの航路を考えるといいよ。慣れないうちは絶対、飛んでる最中に考えちゃダメ。危ないから」

「はい」

 他の隊員たちも飛んでいる時間は竜舎の扉も解放されており、制服を着ていれば見張りの兵に見咎められることなく入ることができるのだという。

 いまも挨拶をするのみで入れてくれた。

「たとえあたしや隊長でも、制服を着てないと入れてもらえないんだよ。だから制服の管理はしっかりね」

「わかりました」

 教わったことをメモしつつ、エイミーの相棒だという竜の柵へ向かう。

 そこにいたのは淡い紫の鱗を持つ飛竜。いまは眠っているようだが、右目に傷跡があるのが見えて歴戦の兵士のような雰囲気を感じた。

「この子はミトア。今日はあたしがこの子に乗る後ろにジェイも乗って、一緒に配達作業をするの。OK?」

「お、おーけー! ……格好いい竜ですね」

「でしょう。豊穣の神様のお名前を持った、縁起のいい飛竜なんだよ」

 話声で目覚めたらしく、金色の瞳がこちらを見据える。

[見ない顔だ。新入りか?]

 雰囲気を裏切らない渋い男声に気おされつつ、ジェイは腕に軽く力を込めて返答した。

「はい。僕はジェイといいます」

[お? なんだあんた、喋れるんじゃねえか]

 起き上がって伸びをする彼は、他の竜たちとは異なって翼が鳥の羽に近い。体型もやじりのようだった。

[お嬢とランデブーとは幸運なやつだ]

「なんて言ってるの?」

「ええと、ええと……!」

 エイミーが話しかけてくるが、どう伝えていいものか悩む内容である。ジェイが躊躇っている間にも、ミトアはエイミーのお転婆ぶりを伝えてくる。

[……そいでよ、お嬢はまーた危ない真似をしやがったんだ。言ってやってくれねえか。お嬢みたいな可愛い子ちゃんが街中で弓構えたら男どもの視線が釘付けだってな]

「うゎえ!? えええええぇええ……!?」

[ほれ、言わねえと乗せねえぞ。そうなりゃお前は徒歩移動だ]

 内容を知らぬままに通訳をせがむエイミーと、知り合ったばかりのジェイが伝えるには荷が重い話の通訳をせがむミトアの板挟み。

 その間にも他の隊員たちが各々飛竜を連れて離陸台へと向かっていく。通り過ぎざま「頑張れ」と温かい声援を送ってはくれるのだが、仲裁に入ってくれる様子はなかった。まあ巻き込まれたくないだろうし、それぞれ仕事もあるだろうしで、特に恨みはない。むしろこちらが邪魔になっていないかと申し訳ないくらいだ。

「あの……その。ううぅ……」

[お、やりすぎたか? 悪ぃな]

 その言葉で、からかわれたと知って脱力する。

「意地悪したの? 駄目だよミトア!」

 エイミーはぷんぷんと怒ってミトアを叱るのだが、飛竜はふいっと顔を背けてしまった。そしてはっきりと笑う。

「あたしより3歳上ってだけでえらそうに!」

[お嬢なんて言ってる?]

「……3歳年上だからといって偉そうにしてほしくないそうです」

[はっはー! あのちんちくりんがお姉さんになったもんだ]

 一人と一匹が会話していることに気付いて、少女が憤慨する。

「ジェイはなんでミトアの言うこと通訳しないの?」

「え? あ。い、いまは『ちんちくりんがお姉さんになったもんだ』って――」

「みゃ――ッ!!」

 反射で通訳すると、奇声を放ったエイミーは柵を飛び越えてミトアに向かっていく。

「あああ! 待って! ごめんなさい落ち着いてください!!」

 二人と一匹が目的地へ飛び立ったのは、それから半刻も後のことだった。

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