第10話:資格的な相談

 資格を取りたいと聞いたエイミーは、ぱあっと華やぐ笑みを見せる。

「へー、長距離飛びたいの? 頑張り屋さんだねー!」

「ありがとうございます」

 自分が長距離を――グロウルのことを抜きにしても――飛んでみたいと思うのは事実だ。竜とともに空へ飛び立つあの時間が長く続くというのは、怖くもあるが楽しみでもある。

「資格は取れるものから取っていくといいよ! 持ってると手当がつくからね」

「てあて? なんでしょう、それ」

「えーと……ジェイが2週間後にもらう予定の初任給がこれくらいで」

「これくらい!?」

 スケッチブックの端を借りて書き出された数字は故郷のどんな職よりも遥かに高い。

「王都じゃごく普通の水準なんだけど……むしろニーズベルの人たちどうやって生活してるの?」

「不毛な自給自足というか、村長一族による搾取構造が成り立っているというかそんな感じだと思います」

「うーん、闇」

 故郷の闇はさておくとして、エイミーは資格手当について教えてくれた。

「こういうのは持ってるだけでも給料に一定のお金が足されるんだよー。それで資格を狙う人も多くって。たとえば……ぜんぶ持ってる隊長なら、これくらいかな?」

「………………………………」

「昇給もあるから細かいところわかんないけど……って、どしたの?」

「はっ!」

 倍以上の金額に意識が飛び去りかけた。

「……ゆ、優秀な人なんですね……」

「もしかして隊長のこと尊敬してる? 思い直した方がいいと思うよ?」

「えぇ!?」

 それからも、エイミーはルミナからの資料を指していろいろと教えてくれる。

「これ、新人さんに配られる冊子だね。他にも国際とか海洋・越境とかいろんな資格があって、その説明が書いてあるよ」

 どれも慣れてきたら取得を考えるものであるとのことで、『トイグラン・チャレンジ』と揶揄される長距離資格が異端なのだとか。

「それまで長年の経験と知識あってこそだった長距離が、トイくんによってある意味破壊されたのは伝説として語り継がれてるよ……」

 そのトイくんを見てみると、彼はミトアの餌箱からつまみ食いをしている真っ最中で、柵を乗り出した頭はミトアに踏んづけられている。

 エイミーからは死角になっており、ジェイは何とも言えない気持ちで視線を逸らした。

「普通の人は乗れないから取得は今も地道なんだけどねー……たまーに新人さんがトイくんに挑んで大怪我してたらしいよ」

 そのため、現在は適性のない新人がトイグランに乗ることは禁止されているのだとか。

 適性とやらがどんなものかはわからないが、彼に乗れる人には等しく畏敬を抱いている。

「でもでもっ。トイくんに乗れなくったって、長距離は経験さえ積めば大抵の人が取れるよ」

「そうなんですか?」

「あれって航路の取り方と、竜と乗り手の体力配分がわかれば合格だから、しばらくやっていけばそういうのわかってくるしね」

「……わかりました。地道に頑張りますね」

 グロウルには申し訳ないが、ジェイが仕事とフライトに慣れるまで数か月ほど待ってもらおう。

「うん。あたしも挑戦するから、お互い頑張ろうね! ……実は試験が明日なの」

「応援してます!」

「ありがと」

 どちらからともなく握手をする。

 思ったよりも力が強く、硬い手のひら。彼女が弓を使う狩人だからだと納得した。

「にしても意外」

「へ?」

「ジェイが資格習得に意欲を燃やしてるから。将来バリバリ稼ぐ男になりたいんだね。素敵だと思う!」

 ぐっと親指を立てた。

「あ……いや、その……いろいろと、ありまして」

「将来の夢とかある?」

「……夢、ですか」

「うん」

 村の生活では一日に2食食べられれば上等で、生きるのに精いっぱいだった。小さなころに読んだ絵本を記憶から引っ張り出し、理想像を夢想する。

「いつか好きな女性と結婚して、小さな家に暮らしながら小さな畑耕すような……身の丈にあった生活をしたいなとは」

「なんで小さいこと前提。いつか可愛くて気の合うお嫁さんと結婚して、大きな家と、万全の収入をゲット。それに見合うくらいに身の丈を大きくすればいいのよ」

「できたら苦労しないよー……」

 先ほど見た隊長の給与(推定)でめっきり弱気になったジェイは、敬語が外れていることにも気づかずぶつぶつと呟く。

「そもそも一軒家ってだけでそれなりの値段が張るはずで。僕の故郷なら大工さんと職人さんに金貨何枚支払うの? って話なんだよ。なら小さな家を建ててその分豊かな生活を——」

飛竜隊うち、貧乏なとこ出身でも働き始めたら家建てて所帯構えた人たくさんいるよー」

「はうっ!?」

「腐っても役人の端くれだもの。さっき見せたでしょ」

 くすくすと笑って、ジェイの鼻先をつつく。

「つまり。ジェイはとってもラッキー。幸せは自分から掴みにいかなきゃね!」

「……はい」

 エイミーは、ネガティブに沈んでいくジェイを容易く引っ張り上げてしまう。

 これが友人なのかもしれない……と思いかけたが、単なる先輩後輩だと言われればそれまでだ。

 友人うんぬんのことはおいておくとして。自分も彼女のような明るさと積極性を身に着けていきたいと思った。

「そうだ、これから市場行かない? 新しいお店がオープンしたんだって!」

「え? でも、食堂に昼食が……」

「あれって入り口で札取って出すでしょ。食べた回数をカウントして給料から天引きされてるんだよ。どのメニュー頼んでも料金一律」

「そんな!?」

「……自炊か外食するよりも格段に安いけどね」

 ほっと胸をなでおろす。

「ってわけで、エイミー先輩が美味しい昼食を奢ったげる!」

「ありがたいですが、申し訳ないです……」

「いいのいいの。……あたしが入って2年目でようやくの後輩なんだもん、奢らせてよ」

「…………」

 新人教育の際にも妙に張り切っているとは感じていたが、そんな事情があったとは。

 初任給が出たらお返しをしようと思いつつ、ジェイは控えめに頷いた。

「……では、お願いします」

「やたーっ!」

 昼休みは勤務時間外であるのだから制服はやめた方が良いのかと聞いてみたが、「街のひとたちに顔覚えてもらった方がいいからそのまま行こう」と返され、自分はこういったさりげない処世術に疎いのだと自覚する。

「へへへ、楽しみー」

 ジェイも楽しみだ。

 気付けばグロウルは眠っており、起こさぬよう柵を静かに乗り越える。

 入口に差し掛かったところで、珍しく制服をかっちりと着込んだフリードが待ち構えていた。

「あれ? どうしたんですか隊長。襟までボタン留めちゃって」

 彼は短い付き合いでも見る限り着崩しがちで、あるときは留めるボタンが一段ずれていることさえあった。

「お客さんが来てるから。……ジェイ、いまから来られる?」

「え?」

「キミの伯母を名乗るご婦人が訪ねて来てね」

「――――」

 ニーズベルから王都までは大変に遠く、馬車や牛車の便に申し込めばそれなりの路銀が必要だ。金払いを渋ってばかりの育て親本人が来ることは想定していなかった。

 胃の辺りに氷が差し込まれたような気分だ。

 俯きそうになったものの、堪えて言葉の続きを待つ。

「口を開くたび『ジェイを出せ』ってうるさいからルミナが適当に相手をしているんだけど……ジェイが会いたくなかったら俺が適当に話し相手をする予定。どうする?」

「い、行きます……!」

 自分の親類が、多忙な隊長とその秘書の手を煩わせるなど考えたくもない。ならば嫌な気持を飲み込んで自分が相手をした方がマシだ。

「わかった。……? エイミー、どうした」

「や、なんでもないですっ」

 エイミーはにぱっと笑ってジェイの肩を叩く。

「先輩ランチができないのは残念だけど、伯母さんの安全のためにも行った方がいいね!」

「あー……もしかして、何かふたり約束してた?」

「はい」

「じゃあ、終わったらお詫びにまとめて奢りランチするから、ちょっと待っててくれ。市場の広場にベンチがあるから、そこで待ち合わせってことで」

「それはそれで嬉しい……待ってまーす!」

 故郷を思い出して陰鬱な気持ちの中、エイミーの明るさに救われる。

 竜舎を出て砦に入る。客人を迎えている応接室は砦入り口と奥の書庫の中間地点にあるらしい。

「話題に想像はついてる?」

「……仕送りの催促でしょうか」

 思い当たることといえばそれだ。

 ジェイの食費も限界まで削って仕送りしろとか、そういうことを言いたいのだろう。

「それもある。あとなんか、手紙の返事がいつまで経っても来ないことにご立腹らしいよ。こっちの話も聞かずに被害妄想ばかりで……どうした?」

「いえ…………」

 故郷からの手紙を、目の前の青年が燃やしたことを思い出した。

 頭を抱えて壁に向き合うジェイの内心など知る由もなく、フリードは心配そうに声をかけてくる。

「ごめん、無理そうだね。やっぱり俺が適当に相手を――」

「いえ大丈夫です!」

「……そう? なんか顔色悪いけど」

「僕はとっても元気です!」

 エイミーの物言いと、手紙を燃やしたことをさらりと告げるメンタリティを鑑みて、思った。

 この隊長、目を離すととんでもない真似をするのではないか――と。

 ぎこちなく手足を振り回す新人隊員を見て、フリードが何を思ったかはわからない。彼は心配そうながらも頷き、『応接室』とプレートに掲げられた扉を指さした。

「じゃあいいや。……さっさと追い払って、美味しいランチといこう」

「……はい」

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