第14話:好天的な出発

 昼を過ぎて多くの竜が放牧場へ向かい、いつもは賑やかな竜舎はガラガラになっていた。

 残っているのはグロウルとローチ。白く小柄なローチはグロウルにぴったりと寄り添って眠っている。

「……紅白で、めでたいなー……」

 脳死で掃除を終えたジェイがぼけーっと眺めていると、入り口が開く音がした。振り向けば制服姿のフリードがやってくるところ。

 彼はチリトリに集まった花びらを見下ろして質問する。

「……いつにもましてトイグランが超絶モテモテだったんだけど、何かあった?」

 いつもモテモテという新情報を得た。

「トイさんが女の子だってことが広まったら、トイさんの乗り手になってる先輩たちがプレゼントをたくさん持ってきました」

「なるほど」

「みなさん、トイさんに足環がなかったから分からなかったみたいで……」

 あんなにパワフルな飛竜が女の子だなんて! ……と、ファンにとってはそのギャップが良かったらしい。

「どうしてつけてないんですか?」

「離陸・飛行・着陸のいずれかの過程で千切れ飛んで紛失するから」

「……なるほど……」

 飛ぶたびになくなる足環をつけるのは資源の無駄だ。

「あっ、そうだ」

「なにかな?」

「お肉の他に花束を食べてたんですが……毒素とか大丈夫でしょうか」

「ここらの花は毒ないし、万が一でもトイグランは毒に強いから大丈夫。俺らから見たサラダみたいなもんじゃないか」

 一人から花束をささげられたトイグランは[わーい!]と茎ごとしゃぐっと食べた。……思い返せばサラダかもしれない。

「まさか掃除をジェイに押しつけて行ったのか? 後で説教だな」

「あっ、いえ! 収拾がつかなかったのと、放牧場の時間が迫ってたのとで行ってもらいました。トイさんファンってたくさんいるんですね」

 ファンから通訳を要求され続けたため、先約があるのだと言い張って押し出した格好になる。そもそもトイグランは何を食べても[おいしー]としか言っていなかったし、故郷へ飛び立つ前に体力が尽きては困ると思ったのだ。

「……ごめん。一部の隊員はトイグランが絡むとやたらと熱狂的で」

「隊長が謝られることじゃないですよ」

 なお、フリードによると。トイグランに乗って無事だった隊員は7割ほどが「二度と乗りたくない」と言い、3割ほどが「何度でも乗りたい」と言うらしい。

「俺も何回か乗ったけど、ハマりはしなかったな……」

 付け足されたその呟きも恐ろしい。

[もう坊に乗れとは言わへん。震えんでも大丈夫や]

[パパ!]

 グロウルが柵を飛び越え、遅れてローチもやってくる。

 小柄とはいえ重たいであろう体当たりを、フリードは笑って受け止めた。

「お待たせ」

[寂しくなかったわ。おばさまがいたもの]

「グロウルさんに遊んでもらって良かったね」

 相棒というよりも父と娘のようだ。

 ジェイがグロウルを見上げると、彼女はため息つきつつもわしゃわしゃ撫でてくれる。……とてもウレシイ。

「晴天で良かった。さてさて、飛ぶ前に情報を確認しようね」

「はい!」

 フリードが広げたのは王国全域と北西地域の地図が二つ。北西地域の端には故郷の名が載っている。

「遠くから目印になるような建物や地形はある?」

「強いていえば村長の館が2階建てで大きいと思います。見たことあんまりないのでお役に立てないかもしれませんけど……」

「なんで見たことが少ないのかはさておくとして、商店の類はどうかな?」

「お店ですか」

「水や食料が補給できる場所があるなら、持っていく物資を少しは軽くできるかもしれない。水に限ってなら清流でもいいな」

 なぜ有無を問うのか不思議だったが、長距離を飛ぶには食料も考えなければいけないのだと気付かされた。気付きに胸が高鳴ったと思えば、自分はまだまだだという緊張で締め付けられたりもする。

 興奮そのままに答えを返した。

「うちの村はよその人が誰も来なくなっちゃったので店はありません! でも、山から湧き出るきれいな水がたくさんありますよ!」

「そっかー。聞けば聞くほど闇が深まる村だな」

「えっ!?」



 離陸台の手前で、背負うリュックに詰める物資と、竜具についた袋に詰める物資を確認する。食料と水はもちろん、ナイフや皿といった調理器具はちょっとしたことで案外役立つのだという。

「リュックに詰めるのは、空の上では使わないけど落としたくない大切なもの……普段は配達票とかお金とか。あとは万が一のサバイバル用品。竜具の方には替えと修理用品を入れることが多いかな。鐙や荷物用のフック。それから縄だとかね」

「はい」

 配達の際は竜具に荷物をぶら下げる装備があって、それらはきっちりと固定しなければ非常に危険だ。今回は荷運びではないため、その点は気が楽。

「で、制服のポケットやらポーチやらに何を詰めるかは人それぞれ。すぐに取り出したいものが主だけど、方位磁石と地図は必ず入れること」

 方位磁石の仕組みは知らない(おそらく魔法だと思っている)ジェイだが、これがあればおおよその方角がわかるのだと教わっていた。

「その二つは制服の紐に通しておくといいよ」

 言われて気づいたが、地図の端に穴が開けられて紐が通せるようになっている。

 ずっと謎だった制服の腰元についている複数の皮紐と、方位磁石と地図とをそれぞれ結びつけた。

「これまで地図は行き帰りしか見ていなかっただろうけど、長距離では上空で地図を見る羽目になることだってあるからね」

「はいっ……!」

 あらかたのレクチャーを受けたところで、これまで先輩隊員たちからも習ってきた竜具の装着と自身含む身支度をする。

 空中で姿勢を保ちやすくするために、乗り手自身は身軽であれというのが鉄板だそうなのだ。だから、リュックをパンパンにしたり重いものを詰めすぎたりしてはいけない。

「最後に。長距離を飛ぶために大切な道具を渡しておこう」

「……?」

 無色透明の水晶に、キラキラとした輝きが込められたペンダント。フリードも同じものを首にかけた。

「これは通信用の魔法が込められてるよ。握って声を出せば同じものを装着した相手に声が届く。……あ、失くしたら実費で支払ってもらうから気をつけて。値段はキミの初任給五分の一」

「はい気をつけます。全身全霊で気をつけます!」

「はは。その意気や良し」

 準備を終えて互いの飛竜に乗った。

「これから飛ぶ上で大切な質問がある。よく聞いてくれ」

「わかりました。なんでしょう」

 否応なく高まっていく緊迫感の中、彼は言う。

「西って、左と右でいえばどっちだろう」

「……………………」

 西。左と右。

 方角である西と、方向である左右を同列に話すのはどういったことなのか?

 ジェイには測りかねたが、おそらく隊長のことだから深謀遠慮なる意図があるはずだ。そう思い、いま自分たちのいる離陸台がどの方角を向いていたか思い出す。

 ……北西に飛ぶのだから北向きの離陸台を選んだ。

「えーと……い、今の時点では左? ですね」

 北に正対しているのだから、左が西。

「ありがとう」

「……」

 一昨日のルミナはこう言っていた。


「ああ、そうそう。隊長ってものすごい方向音痴ですから、あなたが先導してくださると助かりますわ」——と。


 まさかあれは、冗談ではなかったというのか……?

「よし。ローチ、左に飛ぶよ」

 指示されたローチが離陸台の上で向きを変える。完全に左へ飛んでいきそうな向きだが、フリードが修正を加える様子はない。

「ぼ、僕が先導を……あ、先導じゃなくっても、僕が地図を読んだ方が……良いのでは……?」

「気を遣ってくれてありがとう。でも、俺だってこの仕事をして8年だからね。地図くらい読めるさ。……そうだ! 航路の立て方を教えよう」

「ありがとうございます」

 彼はペンを駆使しながら長距離を飛ぶ上での思考法を教えてくれた。ジェイがこれからフライトを続ける上で何度でも頼りになるであろう、素晴らしい教えだった。

 しかしローチの向きはそのままだ。

[パパ、こっちで大丈夫なの? いったん西に飛んでから航路修正なの?]

 ローチの方が不安がっている。

「隊長。あの、どのような、ルートで行くんでしょうか」

「あ、ごめん。共有しておかなくちゃいけないね。……目的地に向かって真っ直ぐ飛ぶのがいちばんいいけど、風向きを読むのも大切だからな……よし、一旦北を向いて飛んでから、ゆっくりと西の方へ進路を傾けていこう」

 理路整然として新人への指導を忘れないその様子に安堵する。やはり彼は頼れる隊長なのだ。

 ローチを離陸台と平行――北に向かせ、彼は言った。

「よし、出発進行!」

 スムーズな離陸を見守る。

 至近距離で飛ぶと翼が絡まる危険があるため、ジェイは数秒待ってから飛び立つつもりだ。

 十分に距離が空いたことを確認し、手綱を握り直す。

「……グロウルさん、出発します!」

[おう]

「って、えええええ」

[おお。あいつヤバいな]

 体勢が崩れて離陸を諦める。

 フリードは右へ右へと進路を変えていった。

「待って隊長! 逆! そっち逆ー!! 待ってくださーい!!!」

 さきほど左と言ったのに、なぜ右へ!?

 通信ペンダントを握ることさえ忘れたジェイの訴えを聞き、ローチが急旋回する。見惚れるようなターンを見せた彼女は、グロウルの横をすり抜ける鋭い飛行で離陸台に戻った。

 天を仰ぐフリードに、ローチは言う。

[ジェイに謝らなきゃダメよ?]

「……怒ってるキミが言うことだけ明確にわかるよ……」

 悲しきコミュニケーション。

「隊長の沽券に関わるから秘密にしてるんだけど、俺は方向音痴なんだ」

「そ、そうですね……」

 秘密にできているのかわからなかったが、大変な方向音痴であることは伝わった。

「実は徒歩でも地図を見ると道に迷うんだよな……なんでなんだろ?」

[パパは方向感覚が貧弱すぎなの。もっと気をつけて]

「ところでローチちゃんはなんて?」

「……。隊長の方向感覚を、心配してらっしゃいます」

「そっかー……二人ともありがとう。気をつけるよ」

[ちゃんと通訳して! パパのためにならないわ]

「すみません……!」

 改めて通訳すると、フリードは落ち込んでしまった。

「……普段のお仕事はどうしてるんですか?」

「いつもはルミナがナビしてくれる。それか、目的地が魔法使いの街だから空に目印を浮かばせてくれて迷いようがないんだ。直線で飛ぶだけ……」

 たしかに間違いようもない。

 しかし、経験不足なジェイに合わせた航路を取ろうとして上手くいかないようだ。

 ならば。

「あの、方角だけ間違わないように先導させてください。細かな指示は隊長にお願いします」

「それいいね。助かる」

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