最終章 遠い夜明け

第一話 悪夢のはじまり

何が起こっているのか。


訳がわからなかった。


俺は令和の日本に生きていたはずだった。

30年以上続く終わらない不況。

減っていく人口。

彼氏や彼女がいる方が珍しい世の中。

夢だの恋だのは、フィクションの中にだけあるもので、現実には何もない。

完全に詰んで夢も希望もなくなった日本。

それでも、娯楽は溢れるほどあって、自分の現実を無視して逃避すれば、それなりに楽しくやれる世界。

そんな世界で、皆と同じように、何となく生きていたはずだったのだ。


それなのに、目の前にあるのは江戸の風景だった。


昔の時代劇とかで見たような世界。

そこに、俺はいた。

何が何だか、解らない。


SFで言うところのタイムスリップでも起きたのだろうか。

だけど、俺には江戸の街で、町民として生きて来た記憶もある。

農家の末っ子として生まれ、田舎が嫌で、家を逃げ出し、無宿人として江戸に来て数年。

天保の改革による人返し令も形骸化し、まだ若い・・・・俺には江戸でなら幾らでも食っていく為の仕事はあった。

そうやって、その日暮らしで楽しく生きて来た記憶もあるのだ。


そう考えると、憑依か、何かだろうか?


未来に生きた俺の記憶が、この時代のこの身体の持ち主に乗り移ったのだろうか。

俺は俺であるが、同時に、この身体の持ち主でもある。

そんな不思議な感覚を味わっていた。


でもまあ、元の記憶がある以上、誰かの身体を奪ったような罪悪感はない。

俺は俺であり、同時にこの身体の持ち主でもあるのだから。

見方によっては、俺に乗り移った何者かの知識を、俺が利用する様なもの。

誰かから、何かを奪った訳ではないのだ。

そうして、次に考えたのは、この知識をどう利用するかだ。


そもそも、令和の世界にいたというのが、只の妄想かもしれないという恐れもあった。

だが、それは現実を見て、検証すれば良いことだ。

令和の世界の知識の通りの人物がいて、その通りに動いているならば、令和の世界で知ったと思われる知識は本当である可能性は高い。

ならば、それに賭けてみるのも悪くないと思ったのだ。


この世界では、先日、ペリーの黒船が浦賀に来たばかりだと言う。

の知識によれば、これは幕末という時代の始まり。

大きな時代の転換点。

そこに介入し、成功出来るかもしれない。


これから起きる幕末の世界が本当ならば、そこで成功出来るのかもしれない。


一万円札になった渋沢栄一も、三菱を作った岩崎弥太郎も、この時代、時流に乗り、裸一貫から大成功したのだ。

勝ち馬が解っているのだから、勝ち馬である反幕府勢力に協力し、成功することは可能なはずだ。

とは言え、幕末は、天誅の名の下に、武士たちが暗殺合戦を繰り返した時代でもある。

目立ち過ぎ、殺されてしまっては意味がない。

命を狙われない為、目立たない二番手でも、三番手でも構わない。

勝ち馬に乗れるなら、そこそこの成功でも十分だろう。


その上で、令和の世界を、俺が知っているよりも、もう少しマシになる様に変えることも出来る可能性があると、俺は考えた。


ただ、は、幕末に関して、そんなに詳しい訳ではない。

坂本龍馬、桂小五郎、、西郷隆盛、勝海舟、新選組とかの有名人はある程度知っているし、薩長同盟、大政奉還とか、ある程度のことは、何となく覚えている。

だが、何年に、どこで、どんなことが起きたかなんて、はっきり覚えている訳ではないのだ。


そもそも、勝ち馬に乗ると言っても、勝つはずである薩長なんかの新政府勢力に、どうやって乗れば良いのか。

三河の生まれの身体を持つ俺には、薩摩や長州の人間と協力関係を築けるコネもツテもないのだ。

その上で、商売を始め、成功させるにも、元手も何もない。

考えた末に利用しようと思ったのは、勝海舟だ。


勝は、確かペリーが来た頃は貧乏御家人。

確か、後に出世して、海軍操練所を作った時も、身分なんかに拘らず、坂本龍馬とか、色々な藩の浪人も門下生にしていたはず。

ならば、今の内に、勝に近づき、そこで人脈を築き、後に坂本龍馬と関係を結ぶ。

それが成功の為の最短距離だと考えたのだ。


そして、坂本龍馬も身分には拘らない男だったはず。

そこで頭角を現すことが出来れば、俺は龍馬の下で、権限を手にれられるはず。

その上で、何とかして龍馬を生き残らせ、龍馬の作った会社で大儲けをする。

そうすれば、歴史は変わり、俺は大成功出来る。


そんな風に考えたのだ。


だが、考えたところで実行は困難極まるものだった。

まず、勝を探すだけでも一苦労だったのだ。

江戸は百万人もの人が住む世界でも有数の大都市。

そんな中から、一人の人間を探すのは、簡単なことではない。


まあ、勝なんて名前は珍しい。

その上、勝海舟の父親の勝子吉は江戸の侠客の間でも有名人。

江戸で一番喧嘩の強い男って、親分衆が恐れるって、どんな男だよ。

でも、まあ、そういう事情もあったので、百万人の中からでも、何とか見つけることが出来たんだけどね。


勝と会った俺は、早速弟子入りを志願する。

勝の顔は、令和で見た記憶の中にある通り。

俺は、令和の記憶が、本当であることを徐々に信じ始めていく。


弟子入り志願したと言っても、この当時の勝はあばら家に住む貧乏御家人。

住み込み出来るような家でも、俺を雇えるだけの稼ぎがある訳でもない。

だから、俺は塾生として勝のところに通うことにしたんだ。


まあ、本来は塾生として、弟子として通うなら、それなりの謝礼を払わなきゃいけないんだけどね。

幸い、江戸っこの勝は、野暮を嫌って、謝礼について煩いことは言わないでくれた。

町民だろうと、日ノ本の未来を憂い、学ぼうとする姿勢は立派なもんだとか言ってね。

それで、俺も、出世払いってことを約束して、勝のところに通うことにしたんだ。


これが、長い悪夢の始まりになるだなんて、夢にも思わずに。

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