第四十一話 全ては僕の責任である
「確かに、君の言う通り、僕は君たちに、全てを相談するべきだったのかもしれないな。
そうすれば、君を不快にさせることはなかっただろう。
だが、僕は己の私的な感情、友情よりも、公の利益を取ったのだ。
全てを話して君たちを説得出来れば、君たちも協力してくれ、僕たちは共犯になれたのかもしれない。
しかし、説得出来なければ、君たちは敵対し、僕の行動を妨害する可能性もあった。
それ故、僕は、全体の利益の為に危険を冒すことは出来なかったのだ」
「もし、説得出来ないなら、諦めるべきだとは考えなかったのか」
「僕は、既にあらゆる可能性を考えていた。
その結果、やるべきことは決めていたのだ。
誰かに相談して、僕は行動を変えるつもりはなかった」
「つまり、君は、最初から我々を駒としか考えていなかったということなのか」
グラントがそう言うと、象山は首を振り応える。
「いや、そうではない。
驚くべきことだが、僕も君たちを友人だと思っていたようなのだ。
僕には、弟子もいるし、一時的とは言え師と呼べるものもいた。
まあ、師に関しては、すぐに追い抜いてしまったので、その時点で縁が切れてしまったのだが。
だが、これまで、対等な友人というものは存在しなかった。
利害関係が絡むとどうしても、対等な関係など築けないからな。
その上、僕は天才だから、嫉妬する者も多かった。
それに、愚か者に大きな顔をされるのは、僕も不愉快だったしな」
まるで周りが悪い様な言い方をしているが、象山に友達が出来ないのは象山に原因がある。
大きな子供、お山の大将の象山は、誰かが自分の上に立つのが我慢出来なかった。
自分より優位に立とうとする同格の者がいると、叩きのめさずにはいられなかったのだ。
儒学者には蘭学で、蘭学者には儒教で喧嘩を吹っ掛け、自分の方が優れていることを証明したがる。
そんな人間と対等な友達になろうとするものなどいるはずもなかった。
「だが、君たちは、僕と対等であり続けた。
僕に敬意を払うし、愚かでもなく、合理的で見どころがあった。
利害関係もほとんどないから、対立することも、足を引っ張られることもなかった。
君たちと会い、話すことは、僕にとっても不快ではなかった。
そういう意味で、僕は君たちを友人であると考えていたのだと思う」
謙虚を美徳とする日本では傲慢極まりないと批判され、嫌われ者であった佐久間象山。
だが、自己主張が当然とされる西欧文化においては、象山程度の自己主張の強さは、然程、相手を不快にするものではなかった。
それ故、佐久間象山とユリシーズ・グラント、ジョン・ブルックの間には確かに友情と呼べる様なものが存在していたのだ。
「それならば、何故、私に何も話さなかった。
私に相談せず、利用するような真似をしたのだ」
「言ったはずだ。
既に、なすべきことを決めていたと。
アメリカでの対立において、他に打てる有効な手立てを僕はみつけられなかったのだ」
象山はそう言うと改めてグラントに尋ねた。
「君は、僕が僕の計画の全てを君たちに話せば満足だったと言うのか?
話していれば、君が僕を説得して、僕に計画を断念させる自信があったとでも?
それならば、対案を示してほしい。
本当により良い策が存在するのか?
もし、そんな策があったのに、君たちに僕が相談しなかった為に、最悪の結果となったというならば、君が僕を責める資格があることを僕も認めよう。
だが、どうやっても、君が僕を説得出来ないならば?
わざわざ、危険を冒してまで、君たちに計画の全貌を前もって教えて理由があるとは思えないのだよ」
象山がそう言うとグラントは暫く考えた後に呟く。
「せめて、アメリカで内戦が始まる前に、奴隷人権宣言を南部に伝えれば、アメリカ内戦を回避出来る可能性があると伝えるべきだったのでは」
「それは、既にジョン(ブルック)が試したと聞いているが、君は聞いていないのか?」
象山が奴隷人権宣言の原型となる文書を最初に書き、英語の間違いがないかチェックを頼んだ時に、ブルックがアメリカ南部の知り合いに伝え、南部奴隷州は、この様な宣言を出すべきだと伝えたことは事実である。
その話は、グラントも聞いていた。
そして、南部の人々は、この提案を受け入れなかったのだ。
「確かに、ジョンが南部の知人に伝えたという話は聞いている。
しかし、君がもっと協力してくれれば」
「無茶を言わないでくれ。
東洋の果ての島国、アメリカでは野蛮と見下す者もいる日ノ本からの提案をアメリカ南部の人が素直に聞くと本当に思っているのか?
下手をすれば、野蛮人がアメリカの内政に干渉するなと、この日ノ本に敵意を燃やす者が現れる危険もある上、勝ち筋の見えない提案だ。
君は、そう思わないのかね?
僕が提案すれば、アメリカを分裂させるよりはマシだと、奴隷人権宣言をアメリカ南部の人々が受け入れるとでも」
象山に言われて、グラントは項垂れて応える。
「確かに、それは難しいだろうな」
「そもそも、僕の感覚では、他人の『権利』とやらの為に、殺し合いを始める君たちの感覚が理解出来ないのだよ」
象山は平八からアメリカで奴隷の解放を巡って、内戦が起きるだろうという話は聞いていた。
だから、起きた場合に備え、準備を進めてきたのは事実である。
だが、本心では、そんなことの為に殺し合いを始めるだろうかと疑わしくも思っていたのだ。
象山はため息を吐いて、言わなくて良いことまで言い始める。
「そもそも、君たち、アメリカ人はヨーロッパで食い詰め、アメリカ大陸へと渡り、原住民から土地を奪って来た者たちの末裔だ。
暴力によって生活圏を得て来た君たちは、安易に暴力に頼る傾向があるようだ。
僕が、アメリカ人を危険視する理由でもあるな」
象山がそう言うと、グラントは象山を睨みつけて叫ぶ。
「だから、アメリカを分裂させたと言うのか」
象山はグラントの怒りを平然と受け流し応える。
「分裂させたおかげで、アメリカ人全体の被害は減ったはずだと言っただろう?
アメリカは分裂した方が安全だと判断したことも事実だ。
暴力で安易に物事を解決しようとする人々が中央集権化することは危険だからな。
アメリカ合衆国は欧州などの他の大国からは大海で阻まれ、攻められる危険が少ない。
そんな国が、膨張主義、マニフェストデスティニーを持ったまま、膨張を続けることは危険でもある」
象山の言葉を受け、怒りに震えながらグラントは握っている拳銃に力を籠めながら尋ねる。
「私は、君たちの為に尽くしてきたつもりだが」
しかし、そんな怒りをものともせず、象山は応える。
「全てのアメリカ人がそうだとは言わない。
君たちには感謝しているよ。
だが、危険な人々が多いのも事実だ。
だから、アメリカで内戦が勃発した。
それに、僕は身近に危険なアメリカ人の実例を見ている。
例えば、日本を開国させようとやってきたペリー提督は間違いなく、膨張主義者、暴力主義者であったよ」
驚くグラントに苦笑を浮かべながら象山は続ける。
「これは、日米交渉の公式な記録には残していないのだがな。
ペリー提督は、軍艦を率いてやってきて、開国しなければ、戦争になる、江戸の街を焼くと脅してきたのだよ」
グラントは衝撃を受ける。
いや、相手が法を知らない野蛮人であるならば、そういう暴力による交渉、砲艦外交もおかしくはないだろう。
しかし、日本で7年も暮らしたグラントから見れば、日本は十分な文明国だ。
そんな文明国に対して許される行為ではない。
その上、国際法的に考えても、非戦闘員のいる街を攻撃するなど、許される話ではない蛮行だ。
「そんな無法、許される訳がない。
アメリカ合衆国大統領が、そんな指示を出すはずもない」
グラントの言葉に象山は頷く。
「ああ、アメリカ大統領からの親書にはそう書いてあったよ。
日本と争うつもりはない、国交を結び、交易を始めたいと。
あのペリー提督の行動は、全て彼の独断だろう。
おかげで、有利に交渉をすることが出来たのではあるがな。
しかし、それでも、僕がアメリカを警戒する理由は理解して貰えたのではないかな」
象山の表情と日本とアメリカが最初に結んだ条約から、象山が如何にペリー提督の弱みを握り、都合の良い条約を結んだのかをグラントは理解させられた。
野蛮人を力尽くで従えようと思って手柄を立てようと思っていたら、完全に罠に嵌められた訳か。
内心ペリーに同情しながらも、気を取り直しグラントは象山に尋ねる。
「だから、アメリカを分裂させ、日本が覇権を握ろうと考えたのか」
「覇権を握るとは大げさだ。
僕は天下万民の為だと言ったはずだ」
象山がそう言うとグラントは首を振る。
「しかし、アメリカを分裂させ、日本が主導権を握ることに違いはないだろう」
「それも、アメリカ合衆国の態度次第だ。
アメリカ合衆国が奴隷解放宣言の精神を貫き、本当に、人種平等の為に力を尽くし、植民地独立を援助するなら、覇権を握るのはアメリカ合衆国になるだろう」
象山がそう言うとグラントが肩を竦め、首を振る。
「そんな事を信じてもいない癖に。
確かに、アメリカ合衆国に差別はある。
黒人に対しても、アメリカ原住民に対してだけではない。
同じ白人同志でも、何処の出身かで差別するのが今のアメリカ人だ。
その上で、攻撃的であると君が警戒する理由も理解は出来る。
合意は出来ないがな。
しかし、それでも、正しくあろうとするアメリカの意志に間違いはない。
アメリカの何がそんなに悪いと言うのだ」
グラントの問いに象山が応える。
「僕が思うに、君たちは唯一人の神に仕えていると信じているところに問題の本質があるのだろうな」
象山の言葉にグラントは憮然として呟く。
「キリスト教批判か。
君の国はキリスト教を批判し、禁止している。
だが、神がいるから貧しい中や苦しい中でも罪を犯さずに生きようとする者がいるのも事実なのだ」
「別にキリスト教を批判するつもりはない。
日ノ本でキリスト教が禁じられているのは、かつて、キリスト教の神の名の下に反乱を起こした連中がいるからだ。
信心自体を批判するつもりもない。
だから、異国と付き合う上で、キリスト教禁教も廃止する準備は進んでいる。
問題なのは、絶対正義が自分の手にあると信じる傲慢さだ。
仮に、絶対、無謬の神がいたとしよう。
それを間違いの多い人間が正確に実現出来るはずがないではないか。
だが、君たちは、どうも本気で、自分たちこそ、神の代理人であると信じている。
自分たちこそ、絶対の正義であると。
そして、相手の都合も、事情も考えず、これが正しい答えだと自分の正義を他人に押し付ける。
そんな連中に支配されるのは、真っ平御免だ」
象山の糾弾に、グラントが皮肉に応える。
「日本にだって、身分制度があり、キリスト教を禁止し、自分の正義を押し付けているではないか」
グラントが揶揄すると象山が言い返す。
「君たちほど、僕たちは、自分たちを絶対とする者ではないよ。
僕たち、日本人は実利主義者だ。
郷に入っては郷に従えというのが、僕たちの本質。
日本人になると言うなら、日本のやり方に従って貰うがな。
だが、外国人に日本のやり方を全て真似ろなどと言うはずもない」
「そうは言っても、日本の皇帝は神の子孫を名乗っているのだろう?
世界中の人々に、その神の子孫への忠誠を要求するのではないか?」
グラントの言葉に象山はため息は吐いて返す。
「君たちの真似をする愚か者が日ノ本に現れれば、そんなこともあるかもしれないが。
本質的に、日ノ本は八百万の神々の御座す国だ。
絶対の神などいない。
神道の神々も、仏教の神々も、皆、神として敬うのが僕たちのやり方だ。
日ノ本の天子様が、天照大神の子孫であるとしても、他の国の神を蔑ろにする理由などないはずだ」
「だから、日本が主導権を取った方がマシだと?」
「あくまでも相対的な話だよ。
君たちと異なり多様性を認める日ノ本が主導権を握れば、より多くの可能性が実現出来る社会が出来る可能性がある。
僕はそう考えている」
そこまで言うと象山は、改めてグラントを見て尋ねる。
「僕が何もしなければ、アメリカでは今よりも多くの犠牲がアメリカ全体に生まれ、アメリカ南部は荒廃しただろう。
それでも、何もしない方が良かったと君は言うのかね?
それとも、何か他に良い対案があったとでも言うのか?」
グラントが言葉に詰まると、象山は畳み掛ける。
「相談されず、利用されたことを怒る君の気持ちは理解できる。
だが、話していればどうなったか?
理屈は捨て、アメリカ合衆国への忠誠の為に、僕の妨害をしようとするか。
それとも、納得して、僕の共犯者となったか」
銃を突きつけるグラントに象山は穏やかに続ける。
「もし、僕の言葉に納得して共犯者となれば、君は故郷アメリカを裏切ることとなる。
そんなことに耐えられるかね?
今回のように、何も知らなければ、僕を怒り、故郷を分裂させたことを糾弾することだって出来る。
その方が良いとは思わないかね?」
「計画を話さなかったのは、我々の為だったとでも言う気か」
「いや、結果としてそうだったというだけだ。
友達のいなかった僕は、誰かに相談し、意見を聞くという習慣そのものがない。
君たちに相談しようと思いつかなかったというのが、正直なところだ」
「実に友達甲斐のない友人だな」
「全くだ。
そこは素直に謝罪するよ。
さて、ここまで話した通り、全体の利益として、僕の行動はアメリカの為にもなっていると考えている。
だが、僕の策によって、君の故郷が焼かれ、友人、知人が戦地で死んだ可能性があることは否定しない。
それ故、君が僕に対し、仇を討つ可能性があることもな。
それは、絶対の正義ではない。
が、仇を討つ資格は十分あると言えるだろう」
象山の言葉にグラントは驚き尋ねる。
「では、君はアメリカを分裂させた責任を取り、私に殺されても構わないと言うのか」
象山はグラントの言葉に頷き、答える。
「そうだ。
全ては僕の責任である。
誤解しないで欲しいのだが、今回の策は、日本として実行したものではない。
僕が個人の策として、仲間に連絡して、実行したのだ。
恨むべきは、僕個人であって、日本に敵意を燃やすのは止めて貰いたい」
気圧されるグラントに微笑みながら、象山は続ける。
「例えば、君と一緒に国防軍を鍛えて貰っている村田君(大村益次郎)は、今回の話は全く知らないはずだ。
君が鍛えている国防軍の面々もな。
だから、仇を討つにしても、銃で撃って、騒ぎを起こしてもらいたくはないのだ。
ここで、君が銃で僕を殺せば、逃げられない。
簡単に捕まり、日本が混乱する。
その様なことはして欲しくないのだ。
君も日本が憎い訳ではないだろう」
象山はそう言うとゆっくり短刀を抜くとグラントの前に置く。
「仇を討ちたい、僕を許せないと言うなら、この短刀を貸してやる。
僕は自分の責任から逃げることはしない。
やったことの責任は全て自分で背負ってやる。
僕の所為で、死なないはずだった人が死んだ可能性は否定しない。
咎があるというなら、それは全て僕が背負ってやろう。
僕は、他人の功績の盗んで、逃げるような真似はしない。
だから、もう少し、僕の話を聞いてくれないか」
佐久間象山は、グラントを見つめて、話を続けるのだった。
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