第四十話 怒りの理由
「天下万民の為?」
佐久間象山の言葉にグラントは疑わし気に呟く。
「そうだ。
確かに、奴隷解放宣言と奴隷人権宣言は、日本の為でもある。
だが、日本の為だけではないのだ」
象山の言葉にグラントは皮肉気に口元を歪め、呟く。
「まさか、アメリカの為にもなるとでも言うのか」
「先ほども言った通り、国としては分裂しても、数としてアメリカ人の犠牲は減ったはずだ。
アメリカ合衆国にとって、奴隷の解放は死活問題ではない。
だから、アメリカ合衆国が妥協し、アメリカ連合国の独立を認めたおかげで、アメリカ人全体の犠牲の数は減ったはずなのだ。
だが、アメリカ連合国にとっては、己の生活を賭けた死活問題。
アメリカ合衆国が有利な状況で戦い続ければ、アメリカ連合国が徹底抗戦に出るのは必定。
その結果、僕が何もしなければ、君やアメリカ合衆国が考える以上に、アメリカ連合国は徹底抗戦を続け、アメリカ合衆国側にも多大な犠牲が出ただろうと僕は考えている」
象山の言葉にグラントが激昂する。
「しかし、それは、君の推測に過ぎない!
確かに、君は天才なんだろう。
長い付き合いだ。
それは、私も認める。
だが、全てを見通し、最善を選べると考えるなど、いくら何でも傲慢が過ぎるのではないか!」
実際のところ、象山は平八から、本来の南北戦争の展開と被害者数が教えられている。
その犠牲者数は、アメリカ人だけの数を見れば、確かに大分減っているのだ。
だから、象山の企みはある程度成功し、その主張に正統性があるとは言えるのかもしれない。
もっとも、それは、象山らの推測通り、死ぬべき人の数がある程度決まっているという可能性もあるのではあるが。
つまり、アメリカ人の死者数が減った代わりに、ヨーロッパや植民地独立戦争で犠牲が出た可能性もあるのだ。
その結果、全世界の死亡者数が同じになっているだけなのかもしれないとも象山は考えていた。
だが、象山は、そこまでグラントに教えるつもりもなかった。
まあ、仮に教えたところで、グラントが象山の説明に納得するはずもないのだが。
「いや、いくら僕でも、完璧に計算通りに行くと確信出来ていた訳ではないよ。
だが、より良い未来の為に、打てる手があるにも関わらず、何もしないのでは、生きている意味がないではないか」
落ち着いた象山の反論に、グラントも冷静さを取り戻し尋ねる。
「より良い未来の為に、アメリカ合衆国を分裂させ、日本の安全を確保しようとしたというのか」
グラントの問いに象山が淡々と答える。
「それだけではない。
天下万民の為だと言っただろう。
確かに、アメリカ合衆国も分裂したかもしれない。
しかし、アメリカ人の犠牲者の数が減ったのは、先ほど言った通りだ。
アメリカ連合国だけではない。
アメリカ合衆国の犠牲者数も減ると僕は考えたのだ。
その上で、奴隷解放宣言を利用すれば、アメリカ合衆国は、世界各地の植民地独立の旗頭となり、世界の盟主となれる可能性だってある。
アメリカ合衆国にとっても、決して、悪いことばかりではないとは思わないか」
象山の確信ある言葉に威圧されながら、グラントが更に尋ねる。
「それが天下万民の為という事か。
ショー、君は、一体、世界をどうするつもりなんだ」
グラントの問いに、象山は薄っすらと笑みを浮かべ、両手を掲げながら答える。
「一言で言えば、全ての才能がより良く活用される世界に変えるのだ。
その為に、才能の実現が、非論理的な身分だの、人種だの、そういう下らないもので、邪魔されることのない世界を作り上げる。
地球の何処に生まれようと、才能があれば、その才能が生かされる世界。
それこそが、僕の考えるより良い世界だ」
それは、才能があるにも関わらず、その才能を生かされることのない時間の長かった象山の夢見る世界だった。
平八の助言のおかげで、象山の国防の為の提言書は形を変え、今や、象山は、公式の身分はないものの、日本全体を動かすことが出来る立場を手に入れることが出来ている。
しかし、平八の語る本来の歴史では、佐久間象山という男は未来を見抜く目を持ちながら、その声は誰にも聞かれることもなく、日本は分裂させられ、暗殺されて死んだと言う。
何という悪夢。
何という損失。
この国は、世界はいつもそうだ。
才能があろうとも、その才能を判らぬ凡人どもが、その才能によってたかって蓋をして、闇に葬ってしまう。
その様な世界は、佐久間象山にとって、許せるものではなかった。
「その為に、アメリカを分裂させ、植民地を独立させようとしていると言うのか」
「それも、一つの方法ではあるな」
「ショー、君は解っていない。
植民地の原住民を独立させれば、世界は混乱するだけだぞ!
彼らは野蛮人だ。
我々が来て、文明を与えたからこそ、生き延びることが出来た原住民も多いのだ」
グラントの言葉に象山はため息を吐く。
グラントの言葉は、決して極端なものではない。
この時代の白人の一般的な感覚だったのだ。
彼ら、白人が文明を齎したから、本来なら、病気や飢餓で死ぬはずだった野蛮人が文明を享受し、生きることが出来る。
白人がいなくなれば、野蛮人は文明を崩壊させ、再び野蛮な生活に戻るだけだと、本気で信じていたのだ。
それについて、象山は呆れたように反論する。
「リズ、君は日本に来て7年にもなるのだろう。
それなのに、まだ、そんな偏見に囚われているのか。
僕たち、日本人と7年もいれば、そんな人種的な偏見から解放されているものだと思っていたが」
象山の反論にグラントが言い返す。
「君たち、日本人は特別だ。
君たちは、私が来る前から、高い規律と文明を持っていたではないか。
日本に来れば、誰だって判る。
日本が、他のアジア各国やアフリカ、アメリカの原住民と全く違うこと位は。
そんな君たち、日本人と他の原住民を一緒になど出来るものか」
グラントの反論に象山は苦笑すると答える。
「我々、日ノ本を高く評価してくれるのは有り難いが。
それも、また偏見や思い込みに過ぎんよ。
まあ、その思い込みを利用させて貰っているというのもあるがな」
実際、欧米の日本ブームを利用しているのは、間違いない。
日本が文明的で、友好的な国家だと認識されればされるほど、欧米世論が日本を攻撃しにくくなる。
それは、日本を守るのに有効な宣伝戦略ではあったのだが。
しかし、象山が認識している限り、日本にも、身分制度など、不合理な仕組みも多く、問題はある。
それ故、象山は、日本が特別な訳ではなく、文明の発展の部分が異なるだけであると認識していた。
そんなことを考えながら、象山は続ける。
「だが、礼儀や規律、読み書きなど、教えれば、誰でも出来ることだ。
僕の様な天才でない凡人であろうともな。
大事なのは、教え育むこと。
それさえすれば、君の言う野蛮人であろうとも、この程度のことは出来るはずだ。
それよりも大事なのは、才能が生かせない環境の中で、才能が潰されない様にすること。
今のままでは、大事な才能が生かされない可能性がある。
だからこそ、僕は、才能が生かされる世を作ろうと考えたのだ」
象山の反論に、グラントが訝しげに尋ねる。
「才能が生かされる世界?
その為に、世界を分裂させ、戦乱に放り込むのか。
確かに、君の言うことが本当ならば、野蛮人たちも、君たち日本人の様な文明人になれるのかもしれない。
しかし、その為に、どれだけの血が流れると思う?
その上で、この世界にいるのは、才能のある者だけではない。
君の言う凡人の方が遥かに多いのだ。
それだけの血を流し、才能ある者を守る意味が本当にあるのか」
グラントの問いに象山が胸を張って応える。
「だから、僕は奴隷解放宣言を作ったのだよ。
世の中は、僕以外、愚か者ばかりだ。
才能のある者の才能を生かす為とは言ったが、僕から見れば、皆、凡人、愚か者に過ぎないよ。
僕の父母だって、僕の息子だって、僕ほどの才はないしな。
しかし、鳶が鷹を生むという言葉もある。
だから、どんな状況に生まれようと、豊かに生きられる世界とする為に奴隷人権宣言を書いたのだ。
あの宣言のおかげで、貧しい中にある愚か者でも生き残れるかもしれない。
凡人であろうと、豊かに生きられる状況を作れば、小才子を生むことが出来るかもしれない。
そして、それらの小才子が少しずつでも、世を良くすれば。
長い目で見れば、流した血以上の価値のある発展をするはずだと僕は考えている」
想像以上の象山の壮大な言葉にグラントは一瞬呆気にとられるが、思い直し尋ねる。
「その為に、あの二つの宣言をばら撒いたと言うのか」
「そうだ。
全ては、天下万民の為。
より良い世界の未来の為だ。
植民地から搾取している白人からすれば、一時的には、財産を失う者もいるかもしれない。
だが、才能ある者が多く生まれ、世界全体が発展すれば、一時的に財産を失った白人も、植民地から搾取する以上の富と成功を手に入れる事が出来ると僕は考えている。
判ったか。
君が僕を殺そうとすることに正義はないのだ。
只の私怨に過ぎないのだ」
象山が勝ち誇ったようにグラントに笑いかけると、グラントは睨みつけながら応える。
「正義ではない?私怨に過ぎない?
そんなことは解っている。
私が許せないのは、友人と信じていた君に騙され、裏切られたからだ。
それだけ、君が正しいことをやると信じているなら、何故、私を騙すようなことをした。
どうして、最初から、私に相談してくれなかったのだ」
グラントの予想外の言葉に象山は初めて呆気に取られる。
友達だと思っていたのに、騙されたことが許せないというのは、完全に象山にとって想定外の感情だった。
この時代、身分の上下関係を大事にする忠と孝が重視され、道徳として、皆に刷り込まれていた。
が、友人とか友情という関係は、あまり意識されない感覚だったのだ。
これは、幕府などが外様大名同志が同盟を組み、幕府に対抗しようとすることを恐れたことに起因するのかもしれない。
だが、実際に、この時代、友情とか友達という言葉は一般的には使われていない。
それ故、幕末で共に戦う者たちの間で同志という言葉が生まれる位なのだ。
勿論、道徳として、横の関係が重視されないと言っても、個人的には友人関係は存在する。
坂本龍馬や吉田寅次郎は、それぞれ全く違うタイプでありながら、非常に多くの友人を持っているし、江川英龍と斎藤弥九郎は身分を超えた友人同士だ。
だが、佐久間象山に友人はいなかった。
平八や勝麟太郎は、親しくても弟子にあたるので、友人とは呼び難い。
そもそも、プライドが高く、常に相手よりも優位に立ちたがる象山には、友人となってくれる様な人間はいなかったのである。
それに対し、ジョン・ブルックやユリシーズ・グラントは、象山の傲慢さを受け入れ、本当に友人であると思っていたようなのだ。
その事実に、象山が愕然とする中、グラントが続ける。
「私は、この7年間、日本を欧米諸国の侵略から守る為、日本兵を懸命に鍛え上げてきた。
それこそ、たとえ祖国アメリカが日本侵略をしようとしても、撃退出来るようにだ。
日本軍を世界最強の軍とすべく鍛え上げて来たんだ。
それなのに、何故、君は私を信用せず、騙すようなことをしたのだ。
君の言葉に一理あることは認めよう。
確かに、その様な世界が実現されるのは悪くないことも認めよう」
グラントはそう言った上で続ける。
「だが、それでも、実行に移す前に相談する。
その程度のことをしてくれても良かったのではないか?
君にとって、私はその程度のことをする価値もない存在に過ぎなかったのか?
騙して、利用するだけの存在に過ぎなかったのか」
グラントの言葉に、象山は納得してしまう。
確かに、グラントが激昂するのも尤もだと。
相手の為に懸命に尽くして働いた結果、騙されていたと知れば、怒るのは当然だろう。
今回、象山の計算では、ある程度、グラントを説得出来ると考えていた。
グラントがアメリカ合衆国を分裂したことを怒って殴りこんで来ることは予想通り。
その上で、たとえアメリカ合衆国が国として分裂したとしても、アメリカ連合国だけでなく、アメリカ合衆国の被害も減り、アメリカ全体としても悪くない結果であるとグラントを納得させられる自信もあった。
だが、それでも、グラントの故郷に被害が出る恐れはあった。
そもそも、歴史の収束を考えれば、そこでグラントにとって、取り返しのつかない被害が出ることもあり得るだろうとも予想はしていた。
たとえば、グラントの家族、友人が、この戦争に参加した為に、アメリカ連合国側に殺されたとすれば。
どんなに全体として益があるとしても、グラントが怒るのは当然だろう。
仇を討とうとするのも、自然なことだ。
そこまでは予想していた。
その上で、象山はグラントを説得するつもりだった。
グラントの怒りに正義などない、只の私怨に過ぎないとグラントを論破して、取引を持ち出そうと思っていたのだ。
だが、このままでは取引を持ち出すまでもなく、恩を仇で返したと、裏切ったことで殺されてしまうかもしれない。
グラントに言われてみて気が付いたが、グラントが怒るのは当然だと象山も理解することは出来てしまった。
いや、そもそも、象山は死ぬ覚悟など、とうに出来ているのだ。
恨まれ、殺されることなど、恐れるものではない。
だが、無駄死には嫌だった。
佐久間象山は、大勢の人の運命を操り、死なせたのだ。
その事を恨まれることは、指揮官として当然覚悟している。
しかし、その為に、何の意味もない死を迎えるのは嫌だ。
只の仇討の対象となり、何の意味もなく、死ぬことなど、とうてい受け入れられることではなかった。
そう考えた末、象山は正直に話すこととした。
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