第三十九話 目指すべき未来

ユリシーズ・グラントがやって来たと平八に聞くと、佐久間象山は笑みを浮かべて頷き、平八に指示を出す。


「なるほど、やはり、リズ(ユリシーズ・グラント)が来たか。

僕の予想通り。

さすが、僕は天才だな。

では、平八君、リズを客間に通してやってくれ。

畳ではリズも足が痺れるだろうからな」


この世界線の象山書院には、椅子と机のある洋室が客間として作ってある。

そこは、象山書院の中でも、最も格式のある部屋として用意されていた。


「リズを客間に通し、お茶を出したら、暫く待つように伝えてくれ。

僕は正装をしてくる」


「着付けをお手伝いいたしましょうか?」


「いや、最後だからな。

お順(佐久間象山の正妻、勝麟太郎の妹)に頼もうと思う。

その後は、打ち合わせ通りに」


「象山書院からは、皆さまに出て頂き、アッシと象山先生、グラント様だけにして頂く」


「うむ、その通りだ。

あまり、人を関わらせない方が良いからな」


そう言うと、象山は奥の間に消えていく。

その後ろ姿を確認すると、平八はグラントを客間に通す。

グラントも、日本に来てから約7年になる。

日本の国防軍の兵士と交流する上で、日本語を習得しつつあり、日常会話程度なら出来るようになっているので、平八との意思疎通も可能だったのだ。


平八は、グラントにお茶を出し、象山が来客用に着替えていることを伝えると、象山書院の各所を回り、書院を出るよう様々な人々に指示を出す。

その指示はいつも出しているもの。

だから、誰も、その異常さに気が付かない。

いつもは、これらの指示が同時に出されることなどない。

だから、皆誰かが残っていると思い、次々と象山書院から出ていく。

こうして、象山書院から人がいなくなっていくのだ。


平八が客間を出た後、ユリシーズ・グラントは、顔を覆っていた頭巾を脱ぎ、一息を吐く。

もう国防軍の訓練場では、頭巾なし、日本国防軍の軍服で指導しているグラントだったが、訓練場から出て、江戸の町を歩く時は、着物に着替え、頭巾をしている。

何度も行われた攘夷派武士の海外視察に、外国視察団の歓迎で、日本の攘夷の気風は霧散している。

だが、外国人を見ると、好奇心旺盛な江戸っ子の視線が集まってしまう。

その相手をするのが面倒なグラントは、江戸の街中を歩く時は、自主的に頭巾をすることにしているのだ。

和服を着て、頭巾を付けたグラントは、江戸のの城下に溶け込み、目立つことなく、移動が可能であった。


グラントがお茶の飲みながら暫く待つと、正装をした佐久間象山が現れる。


象山が着ているのは、ペリーとの会談の時にも来ていた紋付羽織。

日本滞在歴の長いグラントも、象山が普段着ではなく、何らかの格式ばった服を着て来たことを理解する。


「ようこそ、リズ。

突然の訪問に、少し驚いたよ。

まあ、君と僕との仲だ。

突然来ても構わないのだが、出来れば、歓迎の為に準備する時間位は欲しかったな」


象山はにこやかに笑い握手の為に手を差し出す。

象山が普段と違う格好で来たことから、グラントは、象山が何らかの意図を持っていることを警戒しながら、象山の手を握る。


「すまない。

実は、どうしても、ショー(象山)に聞きたいことがあってね。

単刀直入に聞こう。

ショーは、どうしてアメリカを分裂させたんだ」


握手しながらグラントは、象山の手を握る手に力を籠める。

佐久間象山は、アメリカ人のグラントより一回り大きい大男だ。

グラントの力に負けず、象山はグラントの手を強く握り返す。


「随分と人聞きが悪いな。

あれは、僕が起こしたものではないぞ。

あの戦争は、奴隷制度に反対し禁止しようとするアメリカ合衆国北部の自由州の人々と、奴隷制度と自分の財産を守ろうとするアメリカ合衆国南部の奴隷州の人々の対立で起こったもの。

僕は、アンクルトムの小屋の作者ではないこと位知っているだろう」


「だが、奴隷解放宣言と奴隷人権宣言の作者ではあるだろう?

その程度のことは、解っているんだ」


グラントはニヤリと笑って更に、象山の手を強く握り返す。


「うむ、その通りだ。

だが、それで、僕がアメリカを分裂させた根拠になるのかね」


そう言うと象山はニヤリと笑い、着席を促すように左手を振る。


「とりあえず、手を離して、座ってお茶でも飲みながら話さないか。

立って長話することもないだろう。

人払いはしてある。

聞きたいことには、何でも答えるからな」


象山にそう言われて、グラントは象山の手を離すと、指し示された椅子に座り尋ねる。


「では、聞かせて貰おう。

何故、あんな文書を書いた。

私も、ジョン(ブルック)から、見せて貰っているんだよ。

君の書いた奴隷人権宣言をな。

そして、奴隷人権宣言を書いたのが君だと判っていれば、奴隷解放宣言を書いたのが君であることも解る。

世間では、奴隷解放宣言を真似て、奴隷人権宣言が書かれたと思われているようだがな。

事実は逆だ。

その上、君は、英語で書いた自然な文書に見せる為、我々に文書のチェックまでさせたんだ。

いわば、我々は知らずに、君の共犯にされてしまった存在。

それならば、理由を知る権利位あるだろう。

一体、どうして、あんなことをしたんだ」


グラントの言葉に象山は苦笑して応える。


「ジョン(ブルック)にも話したことだがな。

文明国を称する君たち欧米列強国に、我が国の制度を非難されない為のものだ。

日ノ本には、君が知っての通り、身分制度がある。

奴隷という身分はないが、年季奉公や女郎などは、君たちから見ると奴隷の様に見えることは、君たち自身から聞いて理解している。

だから、君たちに非難されない為に、あの文書を書いたのだよ」


象山の言葉に、グラントが憮然として応える。


「女性を売り渡し、性行為を強要するなど、恥ずべきことだとは思わないのか」


「日ノ本の倫理や宗教は君たちの国のものとは違う。

君たちの国の宗教や、いや、仏教もか、性行為を罪の様に考えているようだが、日ノ本は違う。

腹が減れば食う、眠くなれば寝るのと同じように、性行為も生きる上で必要なことだとしている。

だから、何も持たない女が春を売ることを罪だと見下す様な男はいないのだよ。

性行為は食事と同様に楽しまれるもので、殊更、特別視する様なものではない。

とは言え、他人の飯を盗めば罰せられるのと同じで、性行為を強要するのは良くないことともされているのだがな」


グラントが腕を組んで睨むのを見て、象山は苦笑し手を軽く振る。


「まあ、この辺は散々、話し合い、お互いに認められないところである点ではあるので、そこは良いだろう」


そう言うと、象山も準備されていたお茶を一口飲むと続ける。


「確かに、このように、今の日ノ本には奴隷の様に働かされる人たちはいる。

だがな、そんな中、吉原なんかの、君たちの言葉で言う売春宿だの、年季奉公を雇う大店も、雇った女郎や丁稚を酷使して死ぬまで働かせたりなんかしない。

そんなことしてたら、あっという間に潰れてしまうからな。

まあ、牛や馬を粗末に酷使して、殺す百姓がいないのと同じではあるが。

だから、君たちが、想像し、非難する様な事態は決して多くはない。

とは言え、そんな立場の者も多くはなくともいるかもしれないからな。

それ故、僕は布告として、我が国の奴隷の様な環境にある人の待遇の改善を図り、欧米列強に非難される口実を減らそうと考え、あの奴隷人権宣言を書いた訳なのだよ」


「君は本当のことを言うと言ったはずだ。

そんな事を、私に信じろと言うのか?」


象山は肩を竦めると続ける。


「元々、奴隷人権宣言を考え付いたのは、君の国で奴隷の身分と扱いから、君の国で争いが起きていると聞いてからだ。

奴隷の扱いで揉めるならば、奴隷の立場を守ってやる法を作れば、問題は起きないと思ったんだ。

その上で、我が国には、奴隷制度同様に、欧米各国に非難される可能性のある仕組みが存在する」


象山の言葉にグラントは目つきを鋭くして尋ねる。


「では、君は、我が国の内戦を防ぐ為に、奴隷人権宣言を考えたとでもいうのか?」


グラントの言葉に象山は首を振る。


「いや、あくまで日ノ本の為だ。

第一に、欧米列強に日ノ本を侵略する口実を与えない為。

第二に、本当に酷い扱いを受ける日ノ本の民草を救う為。

その上で、君たちが、僕の奴隷人権宣言をアメリカに伝え、内戦を事前に防ごうとしても構わないとも考えていた。

実際、ジョン(ブルック)は、開戦の3年も前に僕の宣言文に手を加えて、南部の知り合いに送っていたようだぞ。

リズは知らないのか」


「日本なんて辺境に行ったアメリカ人の提案など、誰が聞いてくれると言うのだ」


声を荒げ、机を叩くグラント。

その様子を見ながら、象山はため息を吐く。


「それを僕の所為だと言うのは、幾ら何でも強弁が過ぎるのではないか?

僕は、あくまで戦争を止める機会を与えた。

それを生かせなかったのは、君たちアメリカ人だ。

奴隷人権宣言を書いたことだけで、僕を責めるのは、どう考えても理不尽だろう」


象山の言葉に、グラントは肩を落とすが、思い返したように象山を睨みつけ続ける。


「確かに、奴隷人権宣言を書いただけで、君を非難することは理不尽だな。

だが、奴隷解放宣言の方はどうだ?

あれも、君が書いたんだろう?

あんなものを君が書いて、世界中にばら撒かなければ、アメリカは分裂しないで済んだはずなのだ」


グラントの言葉に、象山は冷徹に返す。


「その代わりに、ジョン(ブルック)の故郷、南部の人々が多数死ぬことになったのだろうな」


本来の世界線において、アメリカ南北戦争においては、75万から90万人以上の人が犠牲となったと言われている。

これは、後の世で行われるはずだった第一次世界大戦や第二次世界大戦よりも、アメリカにとっては大きな犠牲である。


「だから、僕は最小の犠牲で済むように、手を打たせて貰ったのだ」


実際に、奴隷解放宣言と奴隷人権宣言により、英仏露が、この戦争に介入。

南部アメリカ合衆国と北部アメリカ連合国の戦力が拮抗したことにより、アメリカ合衆国が戦争の継続を断念。

最後のリッチモンド攻略戦で大損害を出したと言っても、犠牲者の数は遥かに減っているのだ。

これは、アメリカ連合国が死活問題として、諦めず戦い続けたのに比べて、アメリカ合衆国側に戦争を継続する意欲が乏しかったことも原因となるだろう。

だが、そんな世界線の話を知らないグラントは納得がいかなかった。


「それでは、君はアメリカの犠牲を減らす為に、奴隷解放宣言を書いたと言うのか?

それは、ジョンと相談した上での作戦だったのか?」


グラントが尋ねると象山が応える。


「いや、ジョンと相談してはいない。

彼は、奴隷人権宣言を持って、アメリカ連合国首脳を何とか説得しようとしていたからな」


「ならば、どうして?」


「日本の様な辺境から戻って来たアメリカ人の提案など、アメリカ連合国首脳部が聞くとは思わなかったからな」


象山は皮肉に口元を歪めると続ける。


「その上、あの時点で、アメリカ連合国側は戦場でも優勢だった。

勝っている時点で、アメリカ合衆国に対する妥協案とも言える奴隷人権宣言など、アメリカ連合国側が、出すはずがないではないか。

だから、僕は奴隷解放宣言をアメリカ合衆国側からばら撒く方法を考えたのだ。

そして、奴隷解放宣言によって、倫理的に追い詰められれば、ジョンがアメリカ連合国首脳を説得出来る可能性が生まれる」


象山の言葉にグラントも口元を歪め、尋ねる。


「どうして、そこまでやったのだ?

ジョンが日本の恩人だから?

私も、ジョンと一緒に、日本の為に働いてきたつもりなのだがな。

私の貢献は、そんなに取るに足りないものだと言うのか」


グラントの言葉に象山は苦笑して応える。


「もちろん、リズにも感謝しているよ。

君が来てくれたから、日本国防軍陸軍は精強な軍となる事が出来た。

村田君(大村益次郎)も優秀なのだが、どうも情に疎いところがある。

その点、君には、将器がある。

国防軍の中には、異国人にも関わらず、村田君より、君に忠誠を誓っている者も多いと聞いているよ」


「ならば、何故、ジョンの故郷アメリカ連合国だけを助け、私の故郷、アメリカ合衆国を分裂させたのだ」


グラントは静かな怒りを込めて尋ねる。


「言った通りだ。

二つの宣言で、植民地独立運動に手を焼く大英帝国と、大英帝国の覇権に挑戦したいロシア、誰よりも正しい英雄となりたがるフランスのナポレオン三世を巻き込み、アメリカ南北の戦力を均衡させようとした。

その結果、アメリカは分裂したかもしれないが、犠牲は減ったはずだ。

それに、アメリカ合衆国は分裂したとは言うものの、その後の振舞いさえ間違わなければ、僕の奴隷解放宣言のおかげで、アメリカ合衆国は独立を目指す植民地各地の盟主となれる可能性もある。

決して、悪い結果だと、僕は思わないが」


グラントは象山の言葉に、静かに尋ねる。


「その言葉を信じろと?」


「事実だからな」


「そんな言葉で私が騙されると思うのか?

これでも、私は君を友人だと思っていたのに、酷い裏切りだよ」


そう言うと、グラントは静かに懐に手を入れ、拳銃を取り出し、象山に向ける。


「君がやったのは、日本を守る為だ。

アメリカを分裂させることにより、太平洋からのアメリカの進出を遅らせようとした。

それが、本当の目的だろう」


拳銃を向けるグラントに恐れる様子もなく、象山は笑みを浮かべ、飄々と答える。


「まあ、それも、目的の一つではあるな。

だが、それも本当の目的などと言うものではないぞ。

この戦争における全体の犠牲を減らすことも、僕の目的の一つでもあるのだ。

だから、僕は嘘などついてはいないのだよ」


「詭弁だな。

では、君の本当の目的は何なのだ?」


「本当のと言うと語弊があるのだが。

僕の最大の目的は、日ノ本一国だけの為という話ではない。

天下万民の為。

より良き未来、目指すべき未来の為なのだ」


そう言うと佐久間象山は不敵な笑みを浮かべた。

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