第三十八話 最後の策
1865年2月アメリカ大統領選挙に勝利したマクレラン新アメリカ合衆国大統領はアメリカ連合国ジェファーソン・デイヴィス大統領との講和条約に調印した。
その結果、アメリカ連合国はアメリカ合衆国から独立しアメリカ連合国独立戦争は終結したのである。
そして、このアメリカ連合国の独立承認に伴い、大英帝国、ロシア帝国、フランス帝国、プロシア国が講和条約に調印。
フランス帝国では、ナポレオン三世がフランス市民の支持を失い、退位させられフランス共和国となった。
プロシア国はフランス共和国からルール地方の割譲を受けてドイツ統一を完成し、ドイツ帝国を樹立。
大英帝国もフランス共和国からノルマンディ地方を含む、フランスの北大西洋岸の割譲を受けて、ドイツ帝国との同盟関係を樹立。
ロシアだけが、ほとんど被害を受けることなく、エーゲ海の海軍基地に引くこととなった。
こうして、世界大戦、The Graet Warは終結したのである。
幕府の定期船から、その報告で受けると、象山書院の書斎で佐久間象山は呟いた。
「これで、全て予定通りに運びそうだな」
象山の湯飲みに急須でお茶を注ぎながら、平八が応える。
「まさに、神算鬼謀と言うべきですな。
居ながらにして、策謀だけで、地球を揺るがし、欧米列強を動かされた」
「まあ、天才の僕でなければ、誰にも不可能なことであろうな」
胸を張る象山の相変わらずの様子を少し可愛らしくに感じながら、平八が尋ねる。
「ですが、これからすることは、やり過ぎなのではありませんか」
「僕は、君の夢の通りであるなら、既に昨年の夏、暴漢に襲われ暗殺されているはずなのであろう」
「確かに、そうではございますが。
このご時世において、象山先生を殺めようとするものなど、ほとんどいないかと。
ならば、しっかり護衛を集めておけば、刺客を捕らえることなど、難しくないのではありませんか」
「平八君、君に会って12年になるが、君の予言は驚くべき精度で的中してきた。
その仕組みが判らないのが、実に悔しいところではあるがな。
そして、君の予言を見る限り、当たらない、あるいは変更したと思った場合でも、それなりの対価を要求されるということが解ってきた。
それは、まるで大河の流れに小石を投げ込んでも大河の流れが変わらないように。
だから、僕が生き残ろうとすれば、その対価の大きさに戦慄を覚えざるを得ん。
何しろ、僕は地球で一番の天才だからな。
それこそ、この国、全てを滅ぼしても、つり合いが取りるかどうか。
いや、僕の命は地球より重いかもしれんな」
そんな事を本気で言いながら考え込む象山を見ながら平八は苦笑する。
「象山先生ほどの天才であるならば、先生の命も助かり、犠牲も払わないで済むような妙手を考えられるのではございませんか?」
平八がそう尋ねると象山はニヤリと笑うと頷き応える。
「まあ、そんな方法がないでもないが。
僕が考える限り、平八君に話したあの方法が最善の一手なのだよ。
僕が、自分の命惜しさに、最善手を選べない様な情けない男だと君は思うのかね」
象山の返事に平八は改めて佐久間象山という男のことを思い起こす。
考えてみれば、象山は12年前、最初に会った時から、自分の命を犠牲にすることを恐れない男であった。
何しろ、戦犯とされることを覚悟の上で、幕府にペリーとの開戦を唆し、一気に日本を攘夷という熱病から覚まそうとした位なのだから。
その結果、勝てもしない戦争を唆した愚か者と現在だけでなく、後世の者に笑い者にされるとしてもだ。
行蔵は我に属す、 毀誉は他人の主張。
他人の評価や自分の名誉や命など、どうでも良く、正しいことを自分がしていると自分が知っていれば、愚かな凡人が理解出来なくても構わないというのが、佐久間象山の考え方の基本。
その上で、本来の世界線においても、天誅の名の下に命を狙われるのを解っていて尚、一橋慶喜に国際情勢を理解させてやるために京都に向かうような男でもあったのだ。
象山にとって、自分自身も、世を動かす為の駒の一つであり、最大の利益を得る為には、自分の命を危険に晒すことも厭わないのだろう。
だが、12年の付き合いで、正直、平八は、この傲慢な男が結構好きになっていた。
子供のまま大きくなった天才児。
上司としては、我儘で、気難しくて、面倒くさい存在ではあったのだが、子供の様だと思った時から、どうにも可愛らしく見えてきてしまっていたのだ。
その辺は、勝麟太郎や、象山の妻となった勝の妹お順も似た様な感覚なのだろう。
だから、最善かどうかはともかく平八は象山にまだ死んで欲しくなかった。
もっと、生きて欲しかったのである。
だから、簡単に説得など出来ないと判りながら、何度目かの説得を試みる。
「象山先生が命を惜しむような方でないのは存じておりますが。
それでも、象山先生には、もっと、やって欲しいことがございます。
考えてみて頂けませんか?
象山先生がいなくなった後、この国がどうなるのかを。
いくら、その場で、象山先生が最善手を選んだとしても、残された者たちが打ち手を誤ってしまえば、最悪の結果が起こるとは思いませんか」
平八の言葉に象山は腕を組み、考えた後に応える。
「確かに、まあ、僕はかけがえのない天才。
失われれば、残った者は苦労するかもしれん。
だが、いくら僕が天才と云えども、死という存在から逃げることは出来ない。
人は必ず死ぬ存在なのだ。
そして、平八君の見た夢の通りなら、僕は既に死んでいる存在。
ならば、僕は死ぬものとして考え、残された者たちが、それぞれ最善を尽くすしかないのではないか」
「確かに、人は死にます。
それは、誰も、象山先生の様な天才でも、避けえぬ運命。
ですが、象山先生は、まだまだお若い。
アッシが、初めて先生にお会いした時の年のやっと届いた位のお年でしょう。
人生50年などと言いますが、アッシの様な者でさえ、還暦を超えて、まだ生き永らえているのです。
象山先生も、あと10年は生き延びて、国事の為に働いて頂けませんか」
平八が懇願すると、象山は暫く困った様な、嬉しい様な複雑な表情をした後、急に、まるで新しいイタズラを思いついた様な表情を浮かべると話し始める。
「まあ、平八君が僕亡き後を心配してくれているのは良く解った。
だが、安心したまえ。
そんな時に備え、僕から、平八君に用意している物がある」
「アッシの為に、用意して下さった物とは?」
これまでの平八にとっては、日本の未来のことなど、所詮は他人事に過ぎなかった。
未来の夢のことを伝えたのも、愛国心に燃えたり、野心に燃えた訳ではなく、伝えないと何となく、気持ちが悪い程度のことに過ぎなかった。
平八は疲れていたのだ。
だが、これまでの12年、海舟会の面々を始めとする、この国の未来を憂い、その身を犠牲にしてでも、何とかしようとする若者たちに触れ、その気持ちに変化が生じ始めていた。
皆が、ここまでして守ろうとする日本。
その想いが無駄になるのは、何とも悔しい。
皆の想いを込めて守ろうとした日本を何とか守らなければ、勿体ないと思い始めていたのだ。
だから、平八は象山の用意した物に興味を持ったのである。
平八が興味を示したことに満足し、象山は応える。
「うむ、付いて来るが良い」
そう言うと象山は平八を連れ、象山書院の書庫へと向かう。
書庫の一番奥にある隠し棚を開けて見せる。
中にあるのは、大量の封書。
その大量の封書から一つを選んで手に取ると、平八に見せる。
書いてあるのは、象山の達筆な筆で書いてある上申書の文字と象山の花押。
「この様にだな、ここにある封筒には、僕の名が書いてあり、その中に、今後の策が書いてある。
こんな時は、どうすれば良いかと場合に分けてな。
天才の僕でなければ不可能なことであろうな。
死せる孔明生ける仲達を走らすという奴だ。
僕に万が一のことがあれば、まず、この封を開けて読みたまえ」
そう言うと象山は、封書を平八に押し付ける。
「良いか。
僕に何かあるまでは決して開けるなよ。
大事に取っておくんだ。
それから、ここにある封書の場所も、他の者に教えるな。
平八君、君にだから、僕は教えるんだぞ」
楽しそうな象山の言葉だが、その笑顔が平八の胸に刺さる。
「象山先生は、どうして、そこまで、アッシに教えて下さるんですか?
アッシは、確かに、これまでは先の世の夢を見たという取柄がございました。
しかし、世は移り、アッシが夢で見た成り行きは大きく変わってしまいました。
もう、アッシがお伝え出来ることも、多くはないはずです。
その上、アッシには、皆さんの様な国を愛する気持ちも、武士として、自分を犠牲にしても何かを成し遂げようという志もございません」
そう言われて象山は当然の様に笑う。
「まあ、確かに、もう、平八君の予言は、もうあまり役に立たなくなるかもしれん。
だが、この12年、僕の話を聞き、理解してきたことがあるはずだ。
愛国心などなくとも、情に流されず、冷静に判断出来る頭があるはずだ。
それだけあれば十分。
これでも、僕は君に感謝しているんだよ」
象山の言葉に平八は首を傾げる。
「感謝?でございますか?
アッシは象山先生の為に、何か出来たとは思いませんが」
「うむ、確かに、祐筆として、綺麗な字の書き方を教えるのにも苦労したし、年寄だから異国の言葉の覚えも悪かった。
だがな、平八君がいなければ、僕は僕の才を生かす事が出来なかったのかもしれないと考えているのだよ。
君が愚かであったから、僕の意見書を読む者たちも、愚かであることを理解する事が出来た。
君の愚かさから来る助言が、海舟会を作りあげ、江川英龍先生や阿部正弘様との縁を繋いでくれた。
君がいてくれたから、僕は燻ぶらず、世に出ることが出来たのだ。
感謝しないはずがなかろう」
そう言うと象山はニヤリと笑って見せた。
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こうして、佐久間象山の封書を平八が受け取ってから数日後の夜、平八は頭巾を被った大男の来訪を受けることとなる。
ユリシーズ・グラント。
この世界線における日本国国防軍教官であった。
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