第三十五話 リッチモンドの戦闘を巡る情報戦
「壊滅しただと」
リッチモンド攻略軍総司令官ミード将軍の報告を聞き、アメリカ合衆国リンカーン大統領は全身から血の気が引くのを感じた。
もし、執務室の椅子に座っていなければ、そのまま卒倒していたかもしれない。
顔面蒼白のリンカーン大統領の様子を見ながら、ミード将軍は言いにくそうに続ける。
「はい。リッチモンド攻略軍約10万の内、3割3万人が死傷致しました」
「私は人海戦術を使ってでも、リッチモンドを攻略しろと命じたはずだが。
3割の犠牲で撤退したのか」
「通常、3割の犠牲が出れば、指揮系統が維持できません。
まして、敵の戦力は全く未知のもので、こちらから反撃の手段はなく。
残っていれば、虐殺されるだけの状況でした」
そう言うと、ミード将軍は、リッチモンドの戦いの詳細を報告する。
何重もの鉄の柵に覆われたリッチモンド。
鉄道のレールを利用して作られたと思われる杭は地下深く打ち込まれ、頑丈で倒すのは不可能。
それを包む針金の頑丈さ。
何重にもある柵を苦労して破った先にあった未知の兵器。
おそらくは、連続で鉄砲を打ち出せると思われる恐るべき兵器。
破った柵から侵入したアメリカ合衆国リッチモンド攻略部隊は、逃げ道を限定され、南軍の新型兵器の前になすすべもなく銃撃され、反撃の糸口も掴めず逃げ惑ったこと。
報告の最後に、ミード将軍は話を締めくくる。
「あれは、まさに地上に現れた地獄でした。
何処から、どうやって、撃ってきたのか、それすらも、よくわからない状況。
無傷で逃げきった者たちも、完全に心を折られ、使い物になりません」
「同じアメリカ人相手に、奴らは、そこまでやるのか」
アメリカ合衆国の再統合を目指すリンカーン大統領は、南部の壊滅など望んではいなかった。
なるべく双方の被害を抑えなければ、アメリカ合衆国の国力そのものが低下してしまう。
実際、本来の世界線における南北戦争でも、ガトリング砲が北軍で採用されたとは言え、積極的には使われていない。
また、南部の生産手段の破壊、市民の攻撃を開始したのも、グラント将軍、シャーマン将軍が総力戦の考えを導入してからの話であって、南北戦争前半では生産手段への攻撃もしていなかったのだ。
だから、こちらの世界線においても、リンカーン大統領は、大英帝国がアメリカ連合国の支援をしているとは言え、南部を必要以上に破壊するつもりはなかったのだ。
だが、南部、アメリカ連合国の望むのはアメリカ合衆国からの独立。
その為に、アメリカ合衆国を壊滅させようと構わない、そう考えているということか。
リンカーン大統領は絶望しそうになる気持ちを怒りで立て直そうとした。
「つまり、今回のリッチモンドの戦闘で、我々は南軍に被害を出すことも出来ず、一方的に虐殺されたということか」
リンカーンの構想では、相打ちでも構わないというものだった。
南軍と北軍、同じだけの犠牲を出せば、南軍は壊滅する。
それで勝てるはずだったのだ。
本当に、一方的な虐殺でなければ、何とかなるはずなのだが。
そう祈るような気持ちでリンカーンがそう尋ねると、ミード将軍は苦々し気に応える。
「そう言っても差し支えないかもしれません。
あれは、戦闘などと言えるものではありませんでした。
そして、帰還した兵の口を塞ぐことも出来ません。
あの恐怖が、地獄が、アメリカ中に伝わってしまうでしょう」
その言葉を聞いて、絶望を振り払うようにリンカーンは頭をフル回転させる。
隠すことが出来ないのは当然だ。
十数万の大軍がリッチモンド攻略軍として出発したのに、リッチモンド攻略のニュースが入らない。
それだけで、アメリカ合衆国国民は、戦闘の苦戦を察するだろう。
その上で、ミード将軍は兵をワシントンに直接戻すことをせず、近郊に待機させているようではあるが。
怪我人の姿を見られれば、リッチモンド攻略軍の敗北を知られてしまうだろう。
そう考えると、リンカーンはミード将軍に尋ねる。
「一つ確認したい。
南部の秘密兵器、それは恐らく大英帝国が提供した兵器だと思うが、その新兵器がワシントン攻撃に使われる可能性はあると思うか」
「ワシントン攻撃ですか?」
「そうだ。
つまり、南部の兵器は、移動可能な兵器であると思うか。
防御だけではなく、攻撃にも使えるものであると思うか」
そう言われると、ミード将軍は暫く考えた後に応える。
「いえ、攻撃に使うのは、難しいかのではないかと。
だから、彼らは待ち構え、手前まで引き寄せてから、攻撃したのではないかと思われます」
「ならば、大英帝国から手を引かせることが出来れば、まだアメリカ合衆国の勝ち目は残っているな。
栄光あるアメリカ合衆国を分裂させたままにする訳にはいかないのだ」
「しかし、どうやって、そんなことが出来るのですか」
「リッチモンド虐殺の事実を、世界に向けて発表し、南部の連中の非人間性を世界に伝えるのだ」
「ですが、それでは、我々が大敗した事実を世界に伝えることになります」
ミード将軍が反対するのをリンカーンが片手を上げて制する。
「全部を伝える必要はない。
事実を隠さず、だが、我々の都合の良い印象を与えるように伝えるのだ。
クリミア戦争においても、民衆の声によって、戦況が二転三転したことを覚えているだろう」
クリミア戦争では、シノープの海戦でトルコ軍が大敗したことから、英仏の参戦が起きている。
このシノープの海戦でのトルコ軍の敗北は、完全にトルコ軍のミスから起きた負けなのであるが、英仏にシノープの虐殺と報道されたことにより、英仏の参戦が決まったのだ。
リンカーンは、それと逆のことを起こそうと頭を捻る。
「何を伝えようと言うのですか?
また、世界に伝える手段など、まだ我々に残っているのですか?
現在、我々は制海権を大英帝国に握られ、大英帝国国民の世論を動かそうにも、伝える手段はないかと」
ミード将軍の言葉に頷き、リンカーン大統領は尋ねる。
「リッチモンド攻略軍の被害総数が約3割であったことは、良くわかった。
では、合衆国有色軍の被害は、どれ位だ」
「有色軍は最前線で戦っておりましたから、逃げるのにも一番攻撃を受けやすい位置におりました。
おそらく、7割、7000人は犠牲になったかと」
実際問題、前線にいて足を撃たれた場合、多くの白人は命を懸けてまで、負傷した黒人を助けようとはせず、倒れた黒人を放置したまま逃げてきたのだ。
だから、単純に前線にいたという以上に、黒人の方が白人よりも損害率が高くなっている。
「ならば、その事実だけを大々的に発表するのだ。
南部の連中は、非人道的兵器を使い、黒人を虐殺したと。
奴隷人権宣言などと言って、元奴隷を虐殺する様な連中は信用出来ないと」
本来の世界線における南北戦争では、南軍による北軍黒人の虐殺が起きている。
裏切った北軍の奴隷を南軍は許さず、黒人兵士を捕虜として認めず、殺していったのだ。
だが、今回の世界線において、アメリカ連合国は奴隷の人権を守ると宣言している。
だから、南軍が黒人を虐殺することなど許されないのだ。
「それで、本当に止められますか」
「残念ながら、もう、他に手はない」
そう言うと、リンカーンは報道官に告げる。
「記者を集め、記者会見を行う。
南部の非人道性を激しく非難するのだ。
この怒りを世界に、アメリカ全土に伝えるのだ。
大英帝国国民が、これ以上、南部の連中を支援することを躊躇うように。
アメリカ合衆国国民が、悪魔の如き、南部の指導者との妥協など、許さぬように」
いくら南部に恐るべき秘密兵器があろうとも、北部と南部では工業力に圧倒的な差がある。
その上で、秘密兵器が攻撃に使えないという。
ならば、大英帝国の介入を排除し、大統領選挙に勝てさえすれば、その間に必ず複製を製造し勝つことが出来るはずだ。
リンカーンはそう考えていた。
そして、その考えは全く的外れなものではなかった。
実際に、本来の世界線における南北戦争では、ブルック中佐の発明した装甲艦は圧倒的な戦果を挙げながらも、工業力の不足から、北部の作った装甲艦の複製によって、制海権を奪われているという事実もあるのだから。
だが、世界に伝えるというリンカーンの言葉を聞いた報道官が確認する。
「確かに記者会見を行えば、アメリカ全土に南部の非道を聞かせることは出来るかもしれません。
あるいは、それで、大統領選挙に有利に働く可能性もあると考えられます。
ですが、世界にはどう伝えればよろしいのでしょうか。
現在は大英帝国に制海権を握られ、大英帝国政府に都合の悪い情報を、大英帝国に伝えることは困難かと。
そして、大英帝国の介入を阻止出来なければ、結局、この戦争に勝てないのではありませんか」
「問題ない。
世界に伝える準備は既に出来ている」
そう言うと、リンカーンはニヤリと笑う。
リンカーンは既にカナダの独立派に連絡を取り、共闘の約束を取り付けていた。
もともと、リンカーンは大英帝国を敵に回すつもりはなかった。
だから、奴隷解放宣言も今流布されている様な過激なものではなかったのだ。
だが、何者かに、流布された奴隷解放宣言は大英帝国を敵に回し、植民地独立を煽るような過激なものにすり替えられ、大英帝国の介入を誘うようなことになってしまっていた。
その結果、この大戦争だ。
この様な世界大戦、そして植民地各地の独立派によるリンカーンの支持など、リンカーンの望むものではなかった。
だが、否定しようと、大英帝国はアメリカ南北戦争に介入し、戦況は苦しくなっている。
ならば、与えられたカードは徹底的に利用してやろうとリンカーンは考えを変えたのだ。
実際、この戦争に勝ち、大英帝国を排除し、植民地各地の独立派がアメリカ合衆国を支持するのならば、アメリカ合衆国の国際的地位は飛躍的に増大するだろう。
結果としては、悪くないどころか、予想以上の成果となるかもしれない。
リンカーンはそう考え、カナダの船を使って、大英帝国に南部の非人道性を訴える。
世論が固まってしまえば、これを、ひっくり返すのは困難。
スピードが勝負のカギを握るだろう。
これに対して、この戦争を仕組んだ南部の連中は、どんな手を打ってくるか。
リンカーンと南部のリッチモンドを巡る第2ラウンドの鐘が鳴ろうとしていた。
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