第三十四話 地上に現れた地獄

「前進して、あの柵を打ち破れ!」


命令されトム達アメリカ合衆国有色軍は一斉に目の前に広がる柵に向かって走って行く。

そんな中、トムは冗談じゃない、目立たないようにしたいと思いながら、一緒に走る軍の中に紛れようとする。

これまで、何度か偵察部隊が柵に近づいているが、そこを撃たれたということはない。

まあ、そもそも、この時代の銃は、狙って標的に当てるのが難しいものなのだが。

だから、戦列歩兵を作り、銃を構え、一斉に撃つのが、これまでの常識。

そうして、弾幕を作り、命中率に関係なく、敵を倒すのが、これまでのやり方だったのだ。


もっとも、それは、銃の命中率の上がるライフル銃が登場するまでの話。

今では、ライフル銃が開発され、銃の命中率も上がり、狙撃も可能となり始めている。

だが、トム達有色軍に与えられる武器は、旧式のマスケット銃。

彼らの常識は更新されず、目の前に戦列歩兵の姿がない以上、撃たれるはずはないと多くの有色軍の面々は信じていた。

有色軍の中には、この戦争が終われば黒人が奴隷から解放され、救われると素直に信じている者も結構いた。

そんな連中をトムは醒めた目で眺めていた。


トムは、この戦争で北軍が勝ったところで、自分たち黒人に対する白人の差別が無くなるとは思えなかった。

仕事を探すのに苦労し、待遇も白人よりも悪かったトム。

それなのに、敵意と差別の目を向けて来た白人たち。

そんな連中が戦争に勝ったからと言って態度を変えるはずはないではないか。

この戦争で軍に参加したのだって、軍に志願しないと闇討ちに遭うのではないかという恐怖が原因だったトムである。


そして、軍に入っても、至急される装備品は貧弱そのもの。

軍靴すら足りない者もいる始末。

それなのに、そんな貧弱な物を支給される為の料金として金を取られるのだ。

白人には無料で、もっと良い装備品が支給されるのに。

おかげで、軍で支給される給料は実質白人の半分になってしまう。

そんな中で、この突撃任務。

危険な任務の最前線。

確かに、見える範囲に戦列歩兵の姿は見えない。

一斉に撃たれる危険は少ないのかもしれない。

だが、危険な任務に間違いなく、いつ撃たれるかわからない。

権利を得る為には血を流せと白人の連中は言っている。

これは黒人を解放する為の戦争なのだから、黒人も戦えと。

だが、そんな言葉を信じる程、トムは素直ではなかった。


運良く撃たれずにトムら有色軍が柵の前に辿り着くと、そこには想像以上の障害は待ち構えていた。


目の前にあるのは、鉄道のレールを切って、打ち込まれた支柱。

支柱をグルリと回るように刻まれた何本もの溝。

溝に何本もの針金がキツク巻かれており、叩いても下にずれそうな感じはしない。

その上で針金はロープのように縒られていて簡単に切れそうもない。

縒り合わせた針金は、何本かの柵を繋ぐように結ばれているようで、それが複数以上あるようだ。

つまり、一本の針金を切ったところで、その高さの針金全部が切れる訳でなく、二重三重に針金が絡み合い、目の前の針金をそれぞれが切るしかないような状況になっているのだ。


元々、北軍は要塞攻略に針金を切らなければならない様な事態は想定していない。

大砲の爆風で針金を切るのは難しいし、支柱に砲弾を当てるだけの精度もない。

縒り合わせた針金は、ナイフで切るには心もとない。

当然の事ながらペンチやハサミの様に針金を切れそうな物も持ってきていない。

結局、有色軍たちは、数少ない薪割り用の鉈を持って、柵に突進していくこととなっていた。

だが、鉈の数は人数分あるはずもない。

それなのに、有色軍が全員で突撃させられた理由は。

鉈を持っている者が撃たれないようにする盾と実際に撃たれた場合に別の者が続けて柵を破る為だろう。

トムの目から見れば、それは明らかだった。

そして、そんな犠牲が出ることを前提にした作戦で殺されてたまるかとトムは思っていた。


トムが見たところ、最初の柵の突破にも結構な時間が掛かりそうだった。

鉈を針金に振り下ろしているようだが、針金は太く、弾力もあり、簡単に切れるようには思えない。

針金は何本も、何本も掛けられており、最初の段の針金を切るのも難しそうだ。

おまけに、レールを切って打ち込まれたと思われる支柱は、かなり深く打ち込まれているのか、押したところでビクともしない。

銃撃が始まらないのが不気味ではあるが、突破に時間が掛かりそうであることだけは確かであった。


実際のところ、南軍率いるリー将軍も、時間稼ぎを狙っていたのは事実だ。

これだけの柵を突破するのには時間が掛かる。

それで進撃を諦めてくれれば、それにこしたことはないと。

決してリー将軍は虐殺を望んでいた訳ではなかった。

この柵で諦めてくれれば、それでリッチモンドは守れる。

それが最善であるとリー将軍は考えていたのだった。


ちなみに、この柵を作り上げたのは黒人奴隷が中心だった。

南部では北部以上に黒人は兵士に向かないと本気で信じられていたのだ。

体力だけを見れば黒人は白人以上だと思いそうなものであるが、この当時の白人は全てにおいて白人は他の人種より優れた種であり、有色人種は劣等種であると本気で信じていたのだ。


だから、アメリカ連合国が兵士として、黒人奴隷を使うことはない。

それは、奴隷に武器を持たせることに忌避感があったことも否定出来ないが。

劣った者を戦わせるべきではないと南部の白人たちは考えていたのも事実なのだ。

とは言え、南軍に戦力が足りないことも間違いはなく。

代わりに、黒人には、今回の柵の作成のように、陣地の作成、補給、兵站、救護の役割を与えていたのだ。

黒人を解放するとしている北軍が黒人に危険な任務を与え、黒人を奴隷のままにしようとしているアメリカ連合国が黒人を前線に出そうとしないのは皮肉なものであった。


銃で狙撃されることはないが、鉈を振りかざし、何本もの針金を切るには体力が必要だった。

疲れた者が別の者に鉈を渡し、柵の破壊を続けていく。

針金を上から切っていくと、どうしたって時間が掛かる。

だが、柵を抜け、大砲の砲弾がリッチモンドに届く距離まで進む為には、どうしたって、針金を全部切る必要があるのだ。


そうやって、柵のどこかが破れると、有色軍は破れたところから一斉に入り込み次の柵に向かう。

有色軍が次の柵に向かうと、北軍は軍を進め、曳いてきた馬車を盾のようにして、破れた柵の前に陣を築き上げる。

狙撃されても大丈夫なように。

トムは後ろで陣を作る白人たちを見て、こんなバカな戦いで死んでたまるかと心から思う。


そんな風に柵を突破していき、数枚の柵を突破し、もうすぐ大砲の砲弾がリッチモンドに届くという辺りで、状況は一変する。


タタタタタ、何処からか連続して何かを破裂させるような音がすると、トムの周りの仲間の足が吹っ飛ぶ。

何が起きているか判らない。

前方の地面から地獄の様な黒い煙が上がり、次々に仲間が倒れていく。

そんな状況でトムが後方を見ると、驚くべきことに後方の馬車も貫かれ、更に後ろの人間にも犠牲が出ているようなのだ。

これは、パニックになって、真っ直ぐに逃げては生き残れない。

そう判断してトムは後ろではなく、柵に沿って、横に逃げることにする。


パニックを起こした北軍の兵は後ろに逃げようとして柵の破れた部分にギューギュー詰めになる。

そこにマシンガンの一斉掃射が集中するのだ。

柵を超えて前に進んでいたことが罠の様になり、北軍の逃げ道を塞いでいく。

塹壕の中に隠していたマシンガンが煙を出しながら火を噴く。

足を撃たれた者は倒れ、更に止めの弾が飛んでくる。

阿鼻叫喚の地獄絵図だった。


アメリカ連合国のマシンガンの射程距離は最初の柵の辺りまで。

そこから、柵の外側に逃げるまで連射が続くのだ。

馬が足を撃たれ、騎馬兵が壊滅する。

馬が倒れた以上、大砲を運んで逃げようとするものさえいない。

逃げる先で、もっと遠くまで逃げたはずの仲間が撃たれるのは恐怖でしかなく、北軍は完全なパニックに陥った。


もはや、それは戦闘ですらなく、弾が続く限り続く虐殺。

地上に現れた地獄であった。


こうして、リッチモンド攻略戦は、これまで存在しなかった塹壕戦、マシンガンの登場にとって、北軍は壊滅的な損害を受けたのである。


だが、それで諦めるほど、アメリカ合衆国大統領リンカーンは諦めが良くはなかった。


リッチモンド攻略戦を巡る情報戦が開幕するのである。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る