第三十三話 ヤングトムの戦場
トムは南部からの逃亡奴隷だった。
奴隷の子供として生まれたトムの農場は、家族と一緒にそれなりに幸せな生活を送っていた。
だが、農場主の事業の失敗でトムの人生は暗転した。
まだ幼かったトムは農場を続ける為には足手まといにしかならず、家族と引き離され、奴隷商人に売られてしまったのだ。
売られた先は悪辣な男の農場。
そこで鞭打たれ、残虐な扱いを受けたトムは、その農場から逃亡した。
奴隷は農場主の所有物とされていたので、家族のいた元の農場には逃げられない。
だから、トムは奴隷が許されないという北の自由州へと逃げたのだ。
だが、北へ逃げたトムを待っていたのは、幸せとは言えないような環境だった。
奴隷だったトムに同情的な優しい白人もいた。
しかし、そんな人々もトムを養えるほど、豊かな訳ではない。
だから、トムは逃亡していた時と同じ様に路上で寝ながら、仕事を探す毎日となった。
そんな環境だから、トムは汚い恰好で、いつも腹ペコで過ごす羽目になる。
そんなトムに、敵意や憎悪の目を向ける白人も少なくなかった。
貧しい白人は、トムら逃亡奴隷を、自分たちの仕事を奪う敵だとして、敵視し、南部やアフリカに帰れと侮蔑の声を掛けてきていた。
貧しい黒人を無学な犯罪者だと、疑いの目を向けて警戒する白人もいた。
そうしなければ生きていけない黒人もいるのだろうが、少なくともトムは、まだ、そんなことはしていないのに。
そうして、暫くして、やっと工場で仕事を見つけても、鞭打たれることはなくとも、過酷な労働の日々。
白人より安くこき使われているのに、同じ工場の白人からは敵意を向けられる。
そんな中、起こったのがアメリカ南北戦争だった。
南北戦争は、奴隷を解放する為の戦争だと言われていた。
だが、トムには正直、あまり関心がなかった。
逃げた先でも、奴隷であった時と変わらず、白人にこき使われる日々。
給料は貰えても、家も、食事も保証されない。
奴隷の頃よりも、良い生活だとトムは正直思えなかった。
その上で奴隷の頃は自分を虐めるのは農場主だけだったが、今では同じ職場の白人や金持ちの白人からも敵意や憎悪の視線を向けられる。
南部の生活は辛かったと言っても、両親と暮らせた故郷の農場の生活は悪くなかったのだ。
そういう意味では、南部も、ここも辛いことには変わりない。
故郷の両親を心配することはあっても、毎日の食い扶持を稼ぐだけのトムは、南北戦争の大義だの奴隷解放などはどうでも良いことだったのだ。
南北戦争は開戦当初、北軍が圧勝するだろうと言われていた。
南部は人口も少なく、農業地域で武器を作れるような工業地帯もない。
だから、簡単に北軍が勝つだろうと言われていたのだ。
だが、実際は、開戦当初から北軍は苦戦する。
最初の戦闘で、北軍が大敗を喫した後も、少ないはずの南軍に北軍は連敗を続けた。
その上で、外国勢力の戦争への介入である。
ワシントンまで外国の戦艦で焼かれたというニュースまで入って来る。
そうなると、白人たちの黒人への目が以前以上に厳しくなっていく。
お前たちの黒人の為に戦い、白人が血を流しているのに、お前たちは何もしないのかと。
トムの本音は、解放すると言っても今の様に虐められるのなら、そんな戦争始めて欲しいと思わないというものだった。
だが、そんなことを口にする程、トムは愚かではなかった。
自分を虐めてきた白人を戦場で殺すのも悪くはない気分を切り替え、アメリカ合衆国有色軍に参加することを決意するのだった。
北軍における黒人兵士の地位は高いものではない。
もともと、黒人は白人より臆病で、兵士としての練度に劣るという人種的偏見もあった。
どんなに頑張っても、黒人が白人の上につくことはない。
白人は従軍すると無条件にアメリカ市民権を付与されたが、黒人にその様な権利は与えられない。
武器も食料の供給も白人の後。
給料も白人の半分程度。
もっとも、有色軍ということで日常的に直接白人と会い虐められないで済むだけトムには快適だった。
そんな中、トムの属するアメリカ合衆国有色軍のリッチモンド攻略戦への参加が命じられたのだ。
リッチモンド攻略戦は、アメリカ合衆国陸軍の総力を挙げた戦いだった。
集められた10数万のアメリカ合衆国陸軍。
その内、1万人程度が有色軍。
彼らは整列し、軍の先頭を歩いて行進させられた。
いわゆる。戦列歩兵である。
この戦列歩兵は、17世紀頃から続けられ、アメリカ独立戦争の頃も使われた戦術である。
太鼓の指示に従い、目標地点まで整列行進し、目的地に着いたら、一斉に銃を撃つという戦術。
この戦術の利点は、少数の専門家の指導で短期間に大量の兵を養成出来るような点にあった。
この為、この時代まで多くの国で採用されてきていたのだ。
もっとも、この戦列歩兵は、銃の命中率が上がる度に、良い攻撃の的となるようになり、ヨーロッパでも廃れていっており、アメリカでも優れた士官は採用しなくなった戦術であった。
しかし、優れた士官が大量に抜けてしまったアメリカ合衆国では、古い戦術を使わざるをえなくなっていたのである。
この戦術が、アメリカ合衆国軍連敗の理由だったのだが、そんなことをトムは知る由もなく、整列し行進していく。
有色軍の後ろを白人の騎兵が並び、その後ろを馬に引かれた大砲が進む。
大砲の後に進むのは、白人の戦列歩兵。
黒人を先頭に歩かせ、彼らが犠牲になっている間に前に進む非情の戦術だった。
アメリカ合衆国軍上層部は、他の戦場と同様に南軍が迎撃に出てくると思っていたのだが、南軍は中々迎撃軍は現れない。
合衆国軍リッチモンド攻略部隊の総司令官であるミード将軍は決して愚かな将軍ではない。
本来の世界線においては、ゲティスバーグの戦いにおいて、連戦連勝を重ねていたアメリカ連合国軍の名将リー将軍と互角の戦いを繰り広げ、連合国軍を事実上崩壊させた男なのだ。
それは、南北の戦力差が大きかったから出来た結果であり、一般のアメリカ人には、あまり評価されてはいないのではあるが。
それでも、リー将軍という名将と互角に戦えたミード将軍が愚将であるはずがなかった。
ミード将軍は、リー将軍が迎撃軍を出して来ないことに、罠の存在を考えていた。
リンカーンの言う通り、フランスがプロシアに負けることを確信していた訳ではない。
しかし、このまま、合衆国軍が被害を出し続け、戦果を出せないのならば、リンカーンが次の大統領選挙に勝てないであろうことは確信していた。
その点を考えれば、南軍は遅滞戦術を使い、戦争を長引かせれば良いという戦術を取るだろうとミード将軍が考えていた。
その為には、南軍は小規模の戦闘部隊を出し、戦闘を無数に起こして、合衆国軍の侵攻を遅らせるのが一番のはずだった。
そして、ミード将軍は、そんな遅滞戦術を防ぐ為に、大軍による、飽和戦術を選んだのである。
実際、リー将軍率いる連合国軍が、小規模の軍を出し、あるいは補給部隊を狙ったところで、大軍で行進する合衆国軍の妨げにはならなかっただろう。
何しろ、アメリカ合衆国首都ワシントンとアメリカ連合国首都リッチモンドの間は160km程度。
間に険しい山岳地帯の様な障害もない。
大軍は大軍のまま、運用が可能であった。
首都からの距離も近いから、補給線を分断することも困難。
それ故、小規模の軍がゲリラ戦を仕掛け、大軍の侵攻を防ぐのは難しい状況にあったのだ。
そういう意味では、大軍を大軍として使ったミード将軍の戦術の勝利と言えるのかもしれない。
とは言え、戦争を長引かせたいはずの南軍に迎撃軍の動きが全くないのは奇妙であった。
こうして、何の戦闘もないまま、トムたち、アメリカ合衆国軍はリッチモンド近郊に到着する。
ミード将軍は、南軍が迎撃軍を出して来ないのは、何らかの罠や要塞を準備し、そこで戦う準備をしていることを予想していた。
だが、そこにあったのは、無数に打ち込まれた鉄の杭と、それを繋ぐ無数の針金であった。
鉄の杭と針金は、南部の鉄道の線路を溶かし、これを杭と針金として使ったものであった。
本来の世界線において、ブルック中佐が、この線路を使って、装甲艦を作ったはずのものである。
この装甲艦の戦果により、従来の木造の軍艦は全て時代遅れとなり、全て鉄製の軍艦へと変わっていくというのが本来の歴史である。
だが、こちらの世界線においては、ブルック中佐が装甲艦を作ることはない。
それは、日本との間で、装甲艦は日本の許可なく作らないという盟約が結ばれていたということもある。
が、何よりも、大英帝国海軍がアメリカ連合国を支援し、制海権を握っているという点が大きいだろう。
制海権を握っている以上、アメリカ連合国少ない工業力を使って、わざわざ、装甲艦など作る必要がなかったのである。
そして、作られたのが、無数の杭と針金。
そして、密かに掘られた塹壕であった。
杭と針金は侵攻軍から一目瞭然であるが、塹壕は柵を幾つも超えてからでないと見えない位置にあった。
杭と針金による柵はリッチモンドを囲うように作られている。
柵を超えると、更に何メートルか先に新たに柵があり、その何メートルか先に次の柵が見える。
ミード将軍が、斥候を送った限りでは、この柵はリッチモンドを取り囲んでおり、切れ目も見当たらないと言う。
大砲を打ち込んでも良いが、砲弾は標的に当たると破裂する炸裂弾。
それで、どこまで針金の柵や鉄の杭と吹き飛ばせるかは不明。
逆に炸裂弾の爆発で地面が掘られれば、大軍の侵攻はかえって遅くなりかねない。
となると、針金を切り、柵を破って、次々に柵を超えていくしかないだろう。
だが、それには多大な時間が掛かり、柵を破ろうとする者は南軍から打たれることが予想された。
時間稼ぎのやり方としては、中々に上手いやり方だ。
そして、実際に、リー将軍は、それで合衆国軍が侵攻を断念することを期待していた。
だが、ミード将軍は、犠牲を出してでもリッチモンドを陥落させろという飽和戦術の指示を受けている。
大量の兵を送り、味方が撃たれている間に柵を突破し、攻撃して来る敵兵を撃破ていけば、リッチモンドを陥落させることが出来る。
その為に、大量の黒人兵を率いてきている。
この考えは、これまでの戦争であれば、決して間違いとは言えないものであった。
だが、南軍にはミード将軍の知らない塹壕戦術とマシンガンの存在がある。
地獄の始まりであった。
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