第二十九話 決定されていた勝利
モルトケは、セダンの戦いでフランス軍を叩き、北の大西洋岸へ逃げたフランス軍への追撃を終えたプロシア第三軍に反転を命令。
追撃戦は、追われる側に被害が大きく、追う側に被害の少ない戦闘だ。
北大西洋岸に逃げ込む頃には、フランス軍の消耗は激しく、反転するプロシア軍をすぐに追うだけの余裕はなくなっていた。
それ故の、逃げるフランス軍を見送った後のプロシア軍の反転だった。
それにしても、パリから離れ過ぎず、北大西洋にあるフランス軍が出陣するのも難しい辺りで反転を命じられるのが、名将モルトケの腕前なのであるが。
「見事な追撃、そして反転でありますな」
吉田寅次郎は斥候の報告を受けるモルトケの横で感嘆の呟きを漏らす。
「これで、パリを落とす事が出来れば、フランスも降伏せざるを得ないということですか」
そう呟く高杉晋作は、寅次郎から話を聞き、本来の歴史ではパリを包囲しただけでは、この戦争は終わらないことを知っている。
本来の歴史では、皇帝ナポレオン三世が捕縛されたにも関わらず、パリで臨時政府が樹立され、戦争は続くのだ。
パリ包囲戦が行われる中、パリから気球で脱出した国防大臣が義勇軍を組織。
今度はフランス国内で、プロシア軍の補給路を断とうとゲリラ戦を展開するのだ。
まあ、それでも、本来の歴史では数か月後には、パリ包囲戦の末、フランスはプロシアに降伏するのではあるが。
インドで続いている独立戦争で、ゲリラ戦の戦い方が広まってしまっている現在の世界線。
そして、本来の歴史と異なり、オーストリア、フランスと強敵との連戦を続けているプロシア軍。
それ故、プロシア軍は、長期戦を続けることは難しい。
その上で、もし、ナポレオン三世が大西洋岸に逃げ込んだ軍に紛れ込み、ゲリラ戦の指揮を続けたならば。
そこが、寅次郎と晋作が不安に思う点であった。
「シンサクは、この展開に不満のようですね」
モルトケは、『パリを落とす事が出来れば』《・・・・・・・・・・》という晋作の表現に不満の感情を敏感に感じ取り尋ねる。
「私は、大西洋岸にフランス軍を逃がすべきではないと申し上げました。
多少の犠牲を出しても、フランス皇帝ナポレオン三世を討ち取るべきではなかったのでしょうか」
モルトケは晋作の不満に頷き、答える。
「確かに、私も本当に必要ならば、犠牲を覚悟して兵を指揮することもあります。
だが、犠牲を覚悟して指揮をしなければいけない事態に追い込まれた時点で、既に戦略的には敗北なのですよ。
そして、今回は犠牲を覚悟しなければいけない事態であると私は考えていなかった」
モルトケはそう言って、暫く考えた後、晋作に尋ねる。
「では、改めて問う事にしよう。
最悪の事態として、シンサクは何を恐れている」
「戦争が長期化することです。
ナポレオン三世を逃がしてしまえば、フランスは徹底抗戦を続ける大義名分が成り立ってしまいます。
インドで行われている様な補給線の分断、現在海上で行われている補給分断の為のフランスの海賊行為の様な戦闘が地上で行われてしまえば、プロシア軍は撤退に追い込まれる危険がございます。
それ故、全力を持って、パリから出撃した軍を包囲殲滅すべきであると進言致しました」
晋作の言葉にモルトケは嬉しそうに頷く。
「その通り。
どの様な精強な軍でも、補給を断てば、戦いは続けられない。
シンサクは実に良い私の生徒だ。
だが、まだ、見落としがあるようだな」
「見落とし?
それは、何でありますか?」
寅次郎が驚き口を挟む。
帝がご無事であれば、日本ならば徹底抗戦は続く。
だからこそ、平八の夢で見た通り、ナポレオン三世を捕縛するべきだと考えたのに。
「確かに、千年以上の血統を保つ世界最古の帝を戴く日本ならば、徹底抗戦は続くのだろう。
だが、ここはフランス。
血統に依らない皇帝が支配する国。
市民の支持がなければ、皇帝が支配を続ける事が出来ない国なのだ。
当然、状況は異なる。
自分が相手ならばどうすると考える事は重要だ。
敵は最善手を打ってくると考え、こちらは、その対策も用意するべきだからな。
だが、同時に相手の政治体制、状況を正確に理解することも戦争においては重要なのだ。
これは、戦略や戦術の話ではない。
それより、一段上の政略に関することではあるが、君たちも、そろそろ理解した方が良いことだろう」
「フランスでは日ノ本の様な徹底抗戦は起こらないというのでありますか?
それこそ、希望的観測に過ぎないのではありませんか」
寅次郎の質問にモルトケが応える。
「なるほど、最悪の事態を想定して考えることも有益ではある。
だが、その最悪を回避する為に、私の兵達の犠牲を許容すべきという考え方に私は賛成出来ない。
そもそも、確実にナポレオン三世が、あの撤退したフランス軍の中にいたという確証がある訳ではないからな」
モルトケがそう言うと晋作は反発する。
「だから、事前にパリを偵察すべきであると申し上げたではありませんか。
それをモルトケ閣下が不要と断じられたから、ナポレオン三世がセダンの戦いに参戦していたのかも判らないのです」
「実際に不要だからだ。
良いだろう。詳しく説明してやろう。
こういう場合は、場合分けして考えてみるんだ。
まず、ナポレオン三世が出撃せず、パリに残っていた場合。
どうなると思う?」
「パリを攻めるのは非常に有効な戦術であります。
パリからは、かなりの規模の軍が出撃していると聞いております。
となれば、パリを防衛する為の軍の数は減っているはず。
ならば、そこを間髪入れずに攻撃すれば、パリ陥落は難しくないはずであります。
その上で、パリ陥落と同時にナポレオン三世を捕縛する事が出来れば、プロシアの勝利は揺るぎないものとなるでありましょう」
寅次郎の言葉にモルトケは満足そうに頷く。
「その通りだ。
皇帝と首都、その双方が落ちれば、フランスと言えども降伏するだろう。
では、その前に、プロシア軍に犠牲を出して、セダンから逃げるフランス軍を包囲殲滅することは?」
モルトケが確認すると、寅次郎が続けて応える。
「は、残念ながら、無駄な犠牲であると言わざるを得ません。
むしろ、逃げるフランス軍を包囲殲滅する事により、プロシア軍が消耗してしまうなら、パリ陥落が遅れることになりかねません」
寅次郎がそう答えると晋作が口を挟む。
「しかし、それは、あくまでもナポレオン三世が出撃していない場合の希望的観測に過ぎません。
ナポレオン三世が出撃していた場合を考えるべきではありませんか」
「当然だ。
だから、場合分けして考えるべきであると言っている。
では、ナポレオン三世がパリに残っていた場合は、セダンから北に逃げるフランス軍を包囲殲滅する必要はなかったと同意して貰えるかな」
モルトケが言うと、寅次郎と晋作が頷く。
「良いだろう。
だが、ナポレオン三世がパリに残っている可能性は低いと私も考えている。
ナポレオン三世が、パリからあれだけの兵を出しながら、パリに残る意味はないからな。
では、次に、ナポレオン三世が出撃していた場合を考えてみよう。
ここは、もう一つ場合分けをする。
まず、ナポレオン三世がセダンに向かったフランス軍に参加していて、シンサクの言った通り、我々が包囲殲滅した場合だ。
ナポレオン三世さえ倒せば、パリは簡単に陥落すると思うか?」
当然だと言おうとして、晋作は口ごもる。
寅次郎から聞いている世界線における普仏戦争では、ナポレオン三世が敗れ、捕虜になった後も、戦争は続いているのだ。
戦闘に敗れ捕虜となったナポレオン三世にフランス国民は失望。
フランス第二帝政は瓦解し、国防の為の臨時政府がパリに樹立され、徹底抗戦が続くのだ。
口ごもるシンサクの反応にモルトケは満足気に頷き、言葉を続ける。
「シンサクも気がついた様だな。
フランスは血統に依らず、市民の支持に依って成り立つ帝政の国だ。
いや、元を正せば、フランスは気に入らなければ、自らの王さえ、処刑してしまう様な国だ。
そんな連中が、戦闘に負けて捕虜になった様な不甲斐ない皇帝に忠誠を示し、抵抗を諦めるとは思えない」
歴史を知っているからフランスが降伏しないことを解っている寅次郎と晋作と同じ結論に達するモルトケの慧眼に寅次郎は感動さえ覚える。
「さて、そんな状況で、セダンから逃げる軍を包囲殲滅した場合、我が軍の犠牲は妥当なものと言えるかどうか」
モルトケに言われ、晋作は答える。
「包囲殲滅しようとすれば、逃げようとするフランス軍は必死になり、プロシア軍にも、多くの犠牲が出ることが考えられます」
「その通りだ。
そして、そこで我々の兵力が消耗していれば、パリ陥落にも時間が掛かることになるだろう。
それが、良い手であるとは私には思えないのだ」
「ですが、ナポレオン三世を大西洋岸に逃してしまえば、やはりナポレオン三世を大義名分としたフランスの徹底抗戦が続くのではありませんか?
インド大反乱でも、ムガル(インド)皇帝が見つからず倒せないから、反乱の正統性、統一性を保てるのだと聞いております」
晋作の指摘にモルトケは相槌を打ち、説明をする。
「確かに、その可能性もあるだろう。
だが、そうでない可能性もある。
そして、その際に重要なのはフランス軍が消耗している中、我が軍の消耗は少ないということだ」
「フランス軍が消耗し、プロシア軍が消耗していない方が大局的に見れば有利ということでありますか」
「そうだ。
確かに、ナポレオン三世を倒していれば、それでパリは陥落し、フランス軍が降伏している可能性もある。
だが、徹底抗戦してくる可能性もあるのだ。
そして、ナポレオン三世を北大西洋に逃しても、パリが統一戦線を築けない可能性もあるのだ」
モルトケの言いぶりに何らかの策の存在を感じ、晋作は尋ねる。
「閣下は、何か策を講じられましたか?」
晋作の反応に満足しながら、モルトケは応える。
「たいした策ではない。
ナポレオン三世がパリを捨てて大西洋岸に逃げたと流言飛語を広める様に指示しただけだ。
さて、その結果、どんな事が起きると予想出来る」
モルトケの問いに寅次郎は考えながら呟く。
「まず、皇帝ナポレオン三世の威信の低下は避けられないでありましょう。
彼の叔父ナポレオン・ボナパルトも、常勝の戦績によって英雄となった人物。
負けた上で逃げたとされれば、多くの人は失望するはず」
「そうだな。
そうすれば、パリではナポレオン三世を支持する勢力とナポレオン三世に失望し引きずりおろそうとする勢力に分裂する可能性もある。
そうなれば、パリ陥落はより簡単になるとは思わないか」
モルトケはニヤリと笑うと続ける。
「ナポレオン三世が倒した場合、フランス側は分裂する余裕もなく、一致団結して必死で戦うことだろう。
だが、威信を落とした上で生き残ってしまえば?
それは、かえって、混乱の種にもなりかねないと私は考えたのだ」
「ですが、それでも皇帝が健在であるならば、そこに兵が集まるのではありませんか」
「兵が集まってくれるならば、そこを叩けば良い。
小規模な集団に別れ、フランス各地で我々の補給分断の戦いをされる方が困るのだ。
これから、我々はパリ攻撃を開始する。
そうすると、ナポレオン三世は選ばねばならなくなる。
北大西洋岸を出て、パリを守る為に兵を出すか、パリを見捨てるかを」
「ただ、勝つことだけを考えるならば、ナポレオン三世は、北大西洋に籠り、プロシア軍の補給路分断に兵を出すべきではあります。
ですが、そうしてパリを見捨ててしまえば、彼の威信は更に低下してしまう。
そして、支持を失った帝は見捨てられるのがフランスという国なのでありますな。
何と世知辛い。
どちらを選んでも、ナポレオン三世に勝ち目はないではありませんか」
モルトケの説明を聞きながら、晋作は考える。
もし、ナポレオン三世が大西洋岸に籠って、ゲリラ戦を展開したとしても、パリを見捨てて逃げた皇帝という汚名を雪ぐことは出来ないだろう。
威信の落ちた皇帝の下で戦おうとする兵は減り、士気も落ちたところで、パリを陥落させたプロシア軍と大英帝国軍の挟撃を受ける羽目になりかねない。
では、パリ救出軍を率いて大西洋岸を出たら?
それでも、大英帝国軍とプロシア軍との挟撃は避けられないだろう。
最悪の状況だ。
逆転の一手を思いつかない程に。
これは、全てプロシア軍の消耗を避けたモルトケの一手に起因することに気付き、晋作は戦慄を覚える。
そんな晋作の様子を見て、モルトケは満足気に述べる。
「これが戦略的に勝つということなのだよ。
勝利は始まる前に決定されている。
如何に、敵より多くの兵を集め、補給を整え、戦力を集中して戦うか。
戦う前に仲間を増やし、敵の味方を減らすのか。
そして、戦争が始まれば、常に状況を自ら作り出す立場に自分を置き、相手の有利な選択肢を削っていく。
そうすれば、目先の小さな戦闘の一つや二つ負けたところで、勝利は揺らがない。
よく覚えておくのだな。
きっと将来、君たちが、ロシアと戦う時にも有効となる」
突然のモルトケの言葉に寅次郎は驚き尋ねる。
「何故、ここでロシアと我々が戦う話が出てくるのでありますか?」
「君たちも、その危険性に気付いたから、私の下で学んでいるのではないのか?
今回のTHE Greatest Warでは、フランス、アメリカは多大な犠牲を出すこととなった。
大英帝国も、植民地での独立運動に手を焼き、日本侵略する余裕などないことだろう。
それに対して、ロシアだけは、まだ余力を残してしまっている。
そして、ロシアは膨張国家。
ヨーロッパに来るか、アジアに来るか。
その為の日本の協力、我が国との友好関係樹立ではないのかね」
「閣下は、そう遠くない未来にロシアが日本侵略に動くとお考えでありますか?」
「さあ、そこまでは判らない。
私も60歳を過ぎた。
果たして、私が現役の間に、ロシアが動くのかどうかも正直判らない。
ただ、いつかロシアが日本侵略に動き出すことは間違いないだろう。
あの国は、そういう国だ。
だからこそ、君たちは準備するべきだ。
産業を振興し、武器を増やし、仲間を増やし、有利な状況で戦えるようにする為に」
モルトケは、そう言うと口元を緩めて続ける。
「とは言え、戦争において、不足の事態は付き物だ。
予想外の敗北だけでなく、勝利も、時には、全体の戦況を悪化させることもあり得る。
私も、本当はドイツ国内でフランス軍を包囲殲滅し、そこで確実に勝ちたかったのに、パリ包囲までする羽目になっているのだからな。
だが、戦略的な優位を確保さえ出来れば、戦場の敗北の一つや二つを補完することも可能だ。
だから、お互い、ロシアの脅威に晒される国として、うまくやっていこうではないか」
モルトケは、次の戦いを見据えながら、二人の優秀な弟子を見ながらニヤリと笑った。
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