第二十八話 セダンの戦い

モルトケの言葉に嘘はなく、フランスがメスへの援軍を出す為に、パリ近郊シャロンに兵を集めているという情報は続々と届いていた。

本来の歴史であれば、この援軍にナポレオン三世が参加しているはずである。

だが、ナポレオン三世が援軍に参加しているという情報までは掴むことが出来ない。


「フランス軍の士気を高め、市民の支持を得る為なら、皇帝親征を宣言し、華々しく出陣した方が良さそうなものではあるが」


モルトケが皮肉気に呟くと、吉田寅次郎が尋ねる。


「では、やはり、ナポレオン三世のパリ脱出が主眼にあるということでありましょうか?」


「いや、そうとも限らないだろう。

戦略的に不利な状況の中の乾坤一擲。

大逆転を狙う一手として、全力で我々プロイセンに包囲されたメスのフランス軍を助け、私を含むプロイセン軍を叩くことは戦術的には間違っていない」


「では、何故、出陣を宣言し、フランス軍の士気高揚に努めないのでありましょうか」


「ナポレオン三世の出陣が漏れ、そこを狙い撃ちされては、被害が大きい。

ならば、極秘でナポレオン三世が出陣した方がリスクは低い。

だから、大々的に出陣を宣言しないのかもしれない」


「市民の支持よりも、戦争の勝利を得ようとしたということでありますか」


「まあ、実際には出陣せず、パリに残っている可能性もあるのだがな。

いずれにせよ、ナポレオン三世には、我々を倒す以外に勝ち目はない。

トラと晋作の助言で用意していた通り、パリからの救援軍の歓迎の宴を始めるとしようか」


モルトケはそう言うと、部下に指示を出す。


世にいうセダンの戦いの開幕である。


本来のセダンの戦いでは、パリ援軍の情報を掴んだモルトケがメスを包囲する軍の中から第三軍を出して一気に急襲。

突然の攻撃を受けたフランス軍は大打撃を受け、セダンに撤退。

セダンに撤退したフランス軍をプロシア第三軍はパリと分断。

集中砲火を加えてセダンを砲撃し、ナポレオン三世を降伏させ、捕虜にしたのである。


これに対し、今回の戦いにおいて、モルトケが、パリからの援軍が来ることを予想し、既に準備していたことが大きかった。

プロシア軍のフランス軍に対する急襲は、より効率的に、集中的に行われたのである。


次々に届けられるフランス軍壊滅の知らせに、寅次郎は感嘆の息を漏らす。


「実に見事な戦果でありますな」


その声にモルトケは冷静に応える。


「フランス軍には多くの戦争に参加した歴戦の戦士が多いと言う。

対して、プロシア軍は徴兵された大衆軍隊に過ぎない。

時代が変わったのだ。

個人の戦闘力よりも、武器の性能や集中的な運用方法の方が戦果に重大な影響を与える時代となったのだ」


その言葉は武士である寅次郎と晋作には重い言葉であった。


武士もののふの時代ではなくなったと仰るのですか」


「剣や槍、弓ならば訓練に多大な時間を要する。

それに対し、銃や砲は、剣などよりも早く使えるようになる。

少しの訓練で、すぐに敵を殺せるようになる」


そう言うとモルトケは指で引き金を引く仕草をしてニヤリと笑い続ける。


「その上で、銃や砲などの近代兵器は日進月歩の進歩を遂げている。

長期間の訓練で旧式の武器を使い熟すようになるよりも、短期間の訓練で最新型の武器を使えるようになる方が重要なのだ」


それは武士の時代の終わりを実感させる様なモルトケの言葉であった。

勿論、モルトケは日本が武士という職業軍人に支配されている国であるという事を意識している訳ではない。

ただ、職業軍人として、時代の変化を敏感に感じているに過ぎなかったのだ。


「良き弟子であるトラと晋作には覚えていておいて貰いたい。

君たちが日本という国を守りたいならば、侍という階級のメンツに拘ってはいけない。

徴兵された兵も、十分な戦力であるということを理解して貰いたい。

そうしなければ、君たちは日本を守れないかもしれないのだからな」


モルトケの言葉は、寅次郎と晋作の中で重く響く。

海舟会の面々は軍制改革を進め、国防軍を創設している。

その上で、国民皆兵の名の下に、徴兵制を導入しようとしている。

実際に江川英龍、英敏の率いる農兵なども戦果を見せているのだ。

それなのに、武士階級の反発も強く、なかなか徴兵制度は進んでいないのが現状なのだ。

民草などに戦えるものかという侮りの気持ちが武士階級には存在する。


その侮りを打ち砕く為にも、今回の戦いの報告は重要なものであると寅次郎は胸に刻む。

徴兵された少数のプロシア兵が兵の分散進撃と包囲による一斉攻撃によって、職業軍人揃いである多数のフランス軍を撃破した事実を伝えなければと。


実際、モルトケの戦術論は、アメリカ南北戦争を戦うはずだったグラント将軍と並び、この時代において最先端のものであった。

ヨーロッパを征服したナポレオン・ボナパルトは、少数の兵を高速に移動させ、常に局地的な数的有利を生み出し、勝利するという戦法を取っていた。

全体として多数の敵に対しても、各個撃破を繰り返し、常に少数に対して多数で当たるようにして、連戦連勝を繰り返していたのである。


これに対して、モルトケはナポレオン・ボナパルトの戦術を更に発展させる。

電信、鉄道を積極的に活用し、軍を分散進撃させた上で、目的地で集まって少数の敵を包囲殲滅するという戦術を取っていたのだ。

本来ならば、各個撃破の的になりかねない危険な分散進撃。

だが、モルトケは鉄道網と電信の活用により、不可能と思われた分散進撃と包囲殲滅を実現することに成功していた。


そして、この普仏戦争の吉田寅次郎の報告書は、徴兵制と日本の鉄道網開発に大きく貢献することとなるのである。


だが、セダンの戦いで思いもよらない報告がモルトケの下に入ってくる。


シャロン付近に集まっていたフランス軍は予想以上のプロシア軍の攻撃に壊滅。

本来なら打撃を受けセダンに撤退し、立て籠るはずだったフランス軍はセダンに籠る前に壊滅し、セダンに籠らずに、北に撤退してしまったのだ。

ナポレオン三世が逃げるフランス軍の中にいるのかは判らない。

だが、もし、ナポレオン三世が北の大西洋岸にいるフランス軍と合流してしまえば、戦いが長期化してしまうかもしれない。

寅次郎と晋作が恐れていた展開であった。


「モルトケ閣下、北に逃げるフランス軍を追い、大西洋にいるフランス軍と分断すべきであります」


これに対し、モルトケは余裕綽々で応える。


「追撃戦は行っている。これでフランス軍は更なる被害を受けることになるだろう」


「しかし、大西洋のフランス軍と合流されてしまえば、戦争は長期化しかねません。

退却路を塞ぐべきであります」


「退却路を塞ごうとすれば、フランス軍は全戦力を突破に使う恐れがある。

それでは、兵の犠牲が大き過ぎる。

兵に無駄な犠牲を強いないのが、良い指揮官であると伝えたはずですよ」


「ですが、ナポレオン三世が逃げ延びてしまえば、戦争が長期化してしまう恐れがあります」


寅次郎の心配を理解し、モルトケは頷いて見せる。


「確かに、その危険性はあるかもしれない。

だが、戦争を長期化させない為の戦略は既に出来ている。

無理をする必要はない」


「では、どうするのです」


「確かに、セダンの戦いで、ナポレオン三世を捕虜と出来れば、話はもっと簡単かもしれません。

ですが、ナポレオン三世が逃げ延びても、パリに残っていても、決して我々に不利にはならない戦術は考えている」


モルトケはそう言うとニヤリと笑いながら、呟く。


「もう、パリを守る戦力は残っていない。

ならば、答えは簡単。

パリに進軍し、フランスを降伏させるのだ」


普仏戦争最終幕が近づいていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る