第二十六話 モルトケの知らないこと

「やはり強いですね。モルトケ殿率いるプロシア軍は」


プロシア軍に観戦武官として参加している吉田寅次郎は、同じく観戦武官として参加している高杉晋作に話し掛ける。

既に寅次郎と晋作は、観戦武官として、対オーストリア戦にも参加している。

だから、実績も十分に見ているはずなのだが、フランス相手にも、その強さを見せつけられると感嘆の声を上げざるを得ない。


吉田寅次郎と高杉晋作は、モルトケに弟子入りし、モルトケから多くの事を学んでいる。

モルトケは、自らオスマン帝国に軍事教官として出向いた経験もある程で、人種差別的な感覚を持っていない。

正直、地位だの宗教だの何だのに拘り、モルトケから学んでくれなかったオスマン帝国に、モルトケ自身思わないことがない。

だが、寅次郎と晋作は、熱心で礼儀正しく、モルトケは彼らを愛弟子として好ましく思っていた。


「ナポレオン三世はモルトケ殿の罠に嵌り、予定通りザールブリュッケンを攻めさせられた上で、取り返されたということじゃな」


晋作が言うと虎次郎が感激して頷き、同郷のよしみでいつもとは違う長州弁で応える。


「その通りじゃ。

戦いは始まる前に勝敗は決まっちょる。

まさに、その通りじゃった。

敵の進軍を煽り、既に包囲の準備が出来たザールブリュッケンを占領させ、戦いの大義を得た上で取り返す。

見事としか言えん」


「分散進撃の上、包囲殲滅か。電信、鉄道、整備された道路を使うての神速の機動。

秀吉公もこねーなものじゃったのじゃろうな」


「全くじゃ。

ただ、ここまでは予測されたのと同じ展開。

ここから、フランスが同じ展開に動くのか、違う状況となるのか。

もし、本来の流れと異なるのならば、わしらがモルトケ殿に提案し、作戦計画の修正の手助けをせにゃあならん」


「モルトケ殿は我々の提案を聞いてくれるじゃろうか」


「モルトケ殿は、聞く耳を持つ君子であるんじゃ。

有用な提案であるならば、聞いてくれるはずであるんじゃ」


「実際のところ、予言と今の状況、何処が違い、どうなる恐れがあるんか」


晋作が尋ねると寅次郎は暫く考えた後に応える。


「まず、時期が異なる。

本来ならば、このいくさは、今から7年後に起こるはずのものじゃった。

従うて、本来の戦で使えたはずの鉄道、道路が使えん可能性があると考えちょった。

じゃが、これまでの戦の経緯を考えりゃあ、鉄道や道路の整備状況は、戦の状況に影響を与えてはおらんようじゃのぉ」


寅次郎が、そう言うと晋作は尋ねる。


「じゃけど、兵の状況が違うのじゃないか。

今回は、オーストリアと戦うた直後のフランスとの連戦。

さすがに、プロシア兵は疲れちょるのじゃないか」


「確かに、それもあるんじゃのぉ。

そう言う意味では、プロシア兵の疲れが途中で出て息切れする恐れがあるやもしれん。

じゃけぇ、短期決戦を目指すべきじゃろうね。

まあ、オーストリアとの戦も短期で決着をつけたし、フランスとの戦も短期で決着をつけられるはずではあるんじゃが」


「予言の通り、ナポレオン三世を早めに仕留めにゃあならん。

逃げられ、長期戦になりゃあ危険と言うことか」


「そうじゃ。

じゃが、本来のいくさの時たぁ、国同士の情勢が異なる。

おそらく、それが最も影響を及ぼすと思われる点であるんじゃ」


「国同士の情勢の違いですか」


「はい。

本来の戦では、フランスとプロシアだけの戦じゃった。

大英帝国、ロシアは、この戦を静観し、介入はしてこんじゃった」


「だが、今回は大英帝国がプロシアに協力しちょる。

ならば、戦としちゃプロシアが有利に、楽になるということか」


「全体的に見りゃあ、その通りじゃ。

ロシアがプロシアに攻めてくる可能性も考えられるが、そこらへんはビスマルク殿がロシアと交渉して、ロシアが動かんようにしちょると言う。

じゃが、局地的に考えると、状況は異なる」


「どねーな事か」


「大英帝国海軍がフランス北部を攻めちょる為、フランス北部の港湾都市にフランスは守備兵として陸軍を配置せざるを得んのであるんじゃ。

プロシアがこれから攻めるさあ、ザールブリュッケンから西に70kmにあるメス。

こりゃ、プロシア軍に押されたフランスのプロシア攻略部隊が撤退した先であるんじゃ。

ここまでならば、本来と同じ展開なのじゃが」


「本来の戦なら、この後、どうなるんか」


「プロシア軍はメスを包囲し、補給路を断つ。

メスにゃあ要塞があるようなんじゃが、補給がなけりゃあ戦えんけぇのぉ。

これに対し、フランス軍はメスを救うため、フランスのみかどナポレオン三世陛下本人が兵を率いて出る。

じゃが、モルトケ殿はこれを見逃さん。

プロシア第三軍をもって、フランス軍を急襲。

プロシア軍に押されたフランス軍はメスの120km北西にある都市スダンに撤退する。

じゃが、プロシア軍はスダンを包囲。

火砲を駆使して、プロシア軍は攻撃を続け、フランス軍は降伏することとなる」


「フランスは帝が御座おわすのに降伏したんか」


晋作が驚いて声を出す。


「それだけ、プロシア軍の攻撃が苛烈で、フランス指揮官及び兵の負傷が多いかったと聞く。

あるいは、帝をお守りする為の降伏じゃったのかもしれん。

いずれにせよ、結果はフランスの惨敗じゃった。

メス、スダンで敗れ、捕虜となり、あるいは負傷したフランス兵の数は30万とも言う。

おまけに、帝のナポレオン三世も捕虜となる始末。

その後、パリでは民草の一斉蜂起が起き、帝は退位させられる。

その為、戦自身は、それからも半年ほど続くが、開戦から僅か3か月のこの戦いで大勢は決したと言えるじゃろう」


寅次郎の説明の後、晋作は暫く考えてから尋ねる。


「それが、どう変わる可能性があるとお考えか」


「正直、言やあ不確定要素が多過ぎてわからん。

まず、メスで包囲され、降伏するはずである指揮官のバゼーヌ元帥は現在アメリカ南北戦争に参加中でああるんじゃ。

指揮官が異なるんじゃ。

指揮官が異なりゃあ、そもそものメス包囲網の展開が異なる可能性もあるんじゃ」


「指揮官がうもう戦い、補給線を守ることが出来りゃあ、フランスはまだ戦えたかもしれんちゅうことか」


晋作が口を挟むと寅次郎は頷いたのち、話を続ける。


「次に、兵の数と配置の問題があるんじゃ。

先ほど、申し上げた通り、フランス軍は大英帝国の攻撃に対抗する為に、フランス北部の海岸都市に兵を配置せざるを得ん。

となると、本来の展開通りにメス包囲が成功したとしても、どれだけの兵をフランスが救援に出せるかどうか。

更に、その救援軍にナポレオン三世が参加するかどうか。

兵の数が少なけりゃあ、ナポレオン三世はメス救援部隊に参加せんかもしれん」


「帝がご親征なさるそに、少数の兵のはずはないけぇのぉ」


「そこらへんは、難しいところではあるんじゃ。

ナポレオン三世が捕虜になったことにより、パリで民草の一斉蜂起が起きたことから見て解るように、フランスにゃあ、尊王の想いが強うないようじゃ。

帝は帝であるだけで価値がある訳じゃのうて、正しき行いをして民草に支持されにゃあ意味がないと考えられちょるようなのであるんじゃ。

となりゃあ、少数の兵であろうとも、民草の支持を得る為にナポレオン三世が出てくる可能性はあるやもしれん」


晋作は軽蔑した様に鼻で笑う。

この当時の志士達からすれば、尊王は当たり前。

忠義のない民草など、軽蔑の対象ですらあったのかもしれない。


「ほいで、ナポレオン三世がメス救援部隊に参加しちょったとしても、問題があるんじゃ。

大軍が破壊力はあるんじゃが、動きは遅いんじゃ。

これに対し、ナポレオン三世が少数精鋭の部隊を率いちょった場合、逃げられる恐れが高うなってくる。

南に逃げりゃあパリ、北に逃げても既に派遣しちょるフランス軍が海岸都市にゃあ多数存在するんじゃ。

ほいで、その結果、戦が長期間すりゃあ、遠征しちょるプロシア軍の疲弊が問題となってくる」


「ナポレオン三世を逃がす訳にゃあいかんと言うことか。

そうなると、最大の問題はモルトケ殿が、メス救援に出てくるフランス軍にナポレオン三世が参加しちょるかもしれんちゅうことを知らんことじゃのぉ」


晋作が腕を組んで考えると、寅次郎が肯定する。


「その通りじゃ。

モルトケ殿がナポレオン三世の参戦をご存じなら、徹底的な包囲網を敷き、索敵を行い、ナポレオン三世を逃がさんようにするに違いない」


「大将さえ取りゃあ大勢は決まるけぇのぉ。

じゃが、知らにゃあ、無意味な兵力分散をしてまで、索敵を行うかどうか」


晋作がため息を吐くと寅次郎が頷く。


「そうじゃ。

まして、わしらが知っちょるのも、予言の知識があっての話に過ぎん。

いや、その知識があっても、ナポレオン三世が出て来ん可能性も存在す。

その様な状況で、モルトケ殿に、どねーな提案をするか」


考え込む寅次郎に晋作が軽口を叩いて空気を換えようとしてみる。


「まあ、そもそも、指揮官が変わっちょるけぇ、メスの戦いが、本来の歴史通りにいかんかもしれんのじゃあるんじゃけれどね」


「確かに、そうかもしれん。

じゃが、似た様な展開になる可能性もあるんじゃ。

ほいで、似た様な展開になると判明してから考えたのでは、手を打とうにも間に合わん可能性もあるんじゃ。

軍師としちゃ、常に何手か先を読み、考えちょかにゃあならんのじゃ」


寅次郎の言葉を聞いて、暫く考えてから晋作が提案する。


「それならば、パリに行って、ナポレオン三世の出兵を確認してみてはどうか。

ナポレオン三世が。民草の支持を得る為に出兵するのであるならば、民草に出兵を宣伝するのじゃないか」


「なるほど、民草の人気取りならば、秘密裡に出兵する意味はないのぉ。

ほいで、ナポレオン三世の出兵を確認して、モルトケ殿に伝えりゃあ、あのお方ならば、きっと動いて下さる」


寅次郎が肯定すると、晋作は嬉しそうに笑う。


「決まりじゃのぉ。

モルトケ殿と面会して、パリでの情報収集を提案しよう」


「じゃけど、戦争中にパリに入れるのじゃろうか」


寅次郎が心配そうに言うと、晋作が楽し気に応える。


「パリの民草も食わにゃあ生きてはいけん。

パリ大きな都市じゃ。

自分で作っちょる物だけで、やっていける様な街じゃない。

検査はあるかもしれんが、物資を運び込まにゃあパリの民草は干上がる。

ならば、忍び込む隙はなんぼでもあるはず。

何年もパリで遊んじょった訳じゃないよ」


晋作の言葉に寅次郎は驚く。


「待ちたまえ。高杉君。君もパリに潜入するつもりなんか?

わしらは観戦武官として、今回の戦に参加しちょる。

云わば、中立の立場じゃ。

今はまだ、どちらかの立場で参戦する訳にゃあいかんのじゃ」


寅次郎に指摘され、晋作は気まずそうに応える。


「まあ、その辺はバレんようにして貰うしかないんじゃないか」


晋作の気楽な言い方に寅次郎はため息を吐く。


「それに、君はパリで浮名を流しちょったと聞く。

隠すさあ難しいのじゃないか」


「その辺はうもう隠すよ」


「プロシア人たちが変装して、潜入する方が安全で確実なのじゃないか。

白人であるプロシア人の方が、フランス人の中に紛れ込み易いと思うし」


「まず、モルトケ殿がパリ潜入に賛成してくれるかわからん。

パリ潜入の為に、潜入要員を出してくれるかも。

我々は、ナポレオン三世出兵の可能性を知っちょる。

じゃが、知らんモルトケ殿がどこまで、その可能性に注意と労力を割いてくれるか」


「ならば、自分たちで潜入した方が話が早いということか」


寅次郎が考え込んだ後に声を上げる。


「ならば、わしも行こう。

モルトケ殿に潜入の話をした上で、極秘裏に出発するんじゃ。

ナポレオン三世出兵の可能性を伝えた上で、モルトケ殿への連絡方法を確認するんじゃ」


寅次郎がそう言うと晋作が止める。


「いや、先生は、ここに残って観戦武官を続けなさんせ。

さすがに、観戦武官二人とも姿を消すさあ不味いじゃろ。

それに、予言なら、先生は、もう死んじょるかもしれんちゅう話じゃないか。

そねーな方を連れて、危険な潜入任務やら、簡単に出来んよ」


「わしゃ死を恐れる者じゃない」


「はっきり言やあ、連れて行きゃあ先生は足手まといになる可能性もあるんじゃ。

適材適所。

先生は、ここで観戦武官を続けなさんせ。

逆に、うちの方は、まだ死なんはずなのじゃろ?

ならば、多少の危険な任務やら、恐れるに足らずというところじゃよ」


晋作が楽しそうに笑うのを寅次郎は心配そうに見詰める。


「慢心はしんさんな。

この戦いで死なんはずじゃった人が大勢死んじょるはずじゃ。

高杉君だけが例外的に死なん運命に守られるたぁ思えんのじゃ」


晋作や寅次郎には、わざわざ知らせてはいないが、実際に西郷吉之助の様に、本来死なないはずだった人間が死んでいる例もある。

晋作が無事に済む保証など、何処にもないと言っても良かった。


そんな中、高杉晋作は楽し気に呟く。


「また、楽しゅうなりそうじゃのぉ」


メス攻略戦とパリ潜入が迫ろうとしていた。

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