第二十五話 普仏戦争開幕

「どうやら、フランスは、そろそろ耐えきれなくなってきそうですね。

迎撃はよろしく頼みます」


プロシア宰相ビスマルクは、プロシア軍参謀総長モルトケに語り掛ける。

1863年の時点でビスマルクは38歳、モルトケは63歳。

親子ほど年の違う二人であり、この二人の性質も対照的な程に異なる。

モルトケは「無口、早起き、小食」であったのに対し、ビスマルクは「お喋り、朝寝坊、大食漢」であり、個人的には全く気の合う関係ではなかった。

また、一応帝国議会に籍はあるものの職業軍人的資質を持つモルトケと政治的怪物であるビスマルクとは、戦争の着地点などについての考え方でも違う点が多かった。

だが、公的な関係では互いを尊重し、良い関係を築いていたのだ。


「迎撃とは言っても、待ち構えるだけではないのでしょう」


「当然です。

フランス軍の襲撃は徹底的に利用させて貰います。

その為の挑発ですからね」


ビスマルクは、大英帝国宰相ディズレーリとの密約通り、フランス・ロシアの無差別商船破壊攻撃に対する非難を繰り返していた。

特に、ドイツ連邦の商船に被害が出ると、ビスマルクはその非難の論調を強める。

フランス・ロシアのアメリカ南北戦争への参戦の意義を完全に否定。

アメリカ連合国から奴隷を奪おうとする強盗のアメリカ合衆国に助力する悪の勢力とフランス・ロシアを激しく非難。

無差別商船攻撃を直ちに止めた上で、ドイツ連邦商船へ対して常識外れな程に高額な賠償の支払いを要求していた。

この時、ビスマルクが狙っていたのは、ナポレオン三世やフランス政府ではなく、フランス国民とドイツ国民のナショナリズムであった。


これは、本来の世界線において、ビスマルクが7年後に起こすはずだった普仏戦争と同じ戦法である。

平八の夢の中において、ビスマルクはスペインの王位継承問題で、フランスを挑発。

フランス大使の非礼を伝える電報を一部編集して、国内外に公表(エムス電報事件)。

中身を編集した電報によって、フランス、ドイツ連邦両国民のナショナリズムを刺激することに成功。

その上で、フランスにプロシアを攻撃させたのである。


そして、今回、ビルマルクが実施したのは、これと同じやり方。

フランスに対する挑発を繰り返した上で、プロシアの親書とフランス側の返答を都合の良いように編集して、フランス、ドイツの新聞に公表。

両国のナショナリズムに訴えたのである。


フランスは帝政とは言っても、市民革命を経て、国民の権利意識が強い国である。

その為、フランス国民が戦争を望むならば、皇帝ナポレオン三世と言えども、逆らい難い。

現在、フランスは大英帝国と国の命運を掛けての戦争中。

その上で、プロシアとも開戦するなど常識的に考えてしたいはずがなかった。

それ故、フランス政府の海軍関係者、財務関係者は、ナポレオン三世にプロシア攻撃を留まることを進言していた。


だが、ビスマルクの度重なる挑発は、フランス国民を激怒させていた。

加えて、大英帝国との闘いでは、ほとんど活躍の場がないフランス陸軍も手柄を求めてナポレオン三世にプロシア攻撃を提言。

英雄願望の強いナポレオン三世は国民の声に逆らうことが出来ず、プロシアへの攻撃を決定したのである。


「しかし、歴史の皮肉とは思いませんか?

ナポレオン・ボナパルトによって滅ぼされた神聖ローマ帝国が、その甥ナポレオン三世の攻撃によって蘇るのです」


ビスマルクが楽しそうに笑うとモルトケが肩を竦める。


「フランスがプロシアを攻めようとすれば、ドイツの他の連邦国への協力を求めざるを得ない。

ですが、他のドイツ連邦国が、我が国側に立ってフランスに宣戦布告する根回しは出来ているということですね」


「その通りです。

その為の情報漏洩。

その為に、ドイツ国民のナショナリズムを煽ったのです。

フランスが攻めてくるとなれば、他のドイツ連邦国家も、我らプロイセン王国を頼らざるを得ません。

フランスの攻撃が、新たな帝国を誕生させるのです。

闘いになった場合の作戦計画は十分に練れていますか」


「私は軍人です。

それが仕事ですから」


モルトケは、既に10回以上も作戦計画を練っていた。

彼の戦術の根幹は、分散進撃と戦力の集中、包囲殲滅。

ナポレオン時代は戦力集中が戦術の根幹とされ、分散進撃など、各個撃破の格好の的になりかねないと、決して行われないことであった。

だが、モルトケは鉄道網の発達に目をつけ、分散進撃を成功させるのである。


「あなたの報告によると、フランス軍は数は我らよりも多くとも致命的な欠陥を抱えているということですが」


「その通りです」


「ナポレオン・ボナパルトの戦術の特徴は戦力の集中と兵站の重視。

だから、兵力の総数では他国に劣っていても、それぞれの戦場では敵よりも多い戦力を揃えて勝つことが出来た。

ところが、その戦術は本場のフランスでは既に失われ、効率的な戦力配備が行えなくなり、兵站も滞りがちであるとのことですが」


「フランスは我ら同様、徴兵制度を施行していますが、その戦力を十分に生かす事が出来ていません。

フランス軍より早く軍を動かし、兵站を叩けば、勝利は当然のものとなります」


モルトケが当然のことの様に淡々と話すとビルマルクは感嘆するように息を吐く。


「まるで、ローマを追い詰めたカルタゴのハンニバルから戦術を盗み、ハンニバルと全く同じ戦術でハンニバルを破ったスキピオのようではありませんか。

ナポレオン・ボナパルトから、僅か50年。

愚か者は、その程度の事も忘れてしまうとは」


「戦争に時代や状況を飛び越えた一般原則など存在しません。

その時代に応じた武器、移動手段を利用して勝つだけです」


興奮するビスマルクとは対照的にモルトケは冷静に述べる。


「その上で、今回の戦争は大英帝国の支援が受けられます。

大英帝国との密約により、フランス北部、ブルターニュ地方、ノルマンディー地方への進撃、海岸都市の占領を優先して頂きたいのですが、よろしいですか」


「大英帝国の支援ですか」


モルトケは熱の籠らない言葉で呟く。

モルトケにとっては、他国の支援は、不確定要素の一つに過ぎない。

支援を当てにして戦術を立てて、裏切られたら目も当てられないとモルトケは考える。

だから、モルトケは大英帝国の支援はないものとして、進撃、兵站の計画を立てていた。


「だが、それにしても大西洋岸は遠い。

パリを陥落させる方が楽なのですが」


平八の夢で見た世界線では、プロシアと大英帝国との間に協力関係など存在しない。

それ故、当然のことながら、プロシア軍はフランス北部の占領など目指すことなく、パリを目指し進撃。

迎撃に来たフランス皇帝ナポレオン三世をフランスの都市セダンで包囲することに成功。

フランス軍の兵站を断ち、ナポレオン三世を捕虜にすることに成功し、勝利を決定的なものとしているのである。

そして、セダンはフランス北部に進撃する途中にある。

果たして、世界線の収束により、ナポレオン三世は捕虜となるのか、それとも時代、戦略目標が異なったことによって、全く違う結果が齎されるのか。

それを知る者は存在しなかった。


「パリを陥落させるのも良いのですが、ナポレオン三世に逃げられ徹底抗戦をされては面倒です。

それよりは、戦後のことも考え、フランス北部に進軍し、占領したフランス北部を大英帝国に与えてしまいたのですよ」


「戦後の為ですか」


命がけで手に入れる領地を大英帝国に割譲するつもりだと話すビスマルクに、モルトケは反感を感じながら呟く。


「そうです。

我々だけでフランスを倒してしまえば、フランス国民の恨みも怒りも、我らだけに向くことになります。

ですが、大英帝国が100年戦争の領土を取り返す形でフランス北部を占領すれば、フランス国民の恨みも怒りも大英帝国へ向かうこととなるでしょう。

そうすれば、フランスとロシアを共通の敵として、我らは大英帝国と強固な同盟を組むことが可能となるのです」


モルトケは、戦後の戦略まで考えるビスマルクの深謀遠慮に感心しながらも、疑問の声を上げる。


「大英帝国との同盟ですか。

確かに、大英帝国と組めば、フランス、ロシアと対抗することも可能でしょう。

しかし、その代わりに、植民地獲得は難しくなるのではありませんか」


モルトケがそう言うとビスマルクは苦笑して肩を竦める。


「植民地など、我々には必要ありません。

頻発している植民地での反乱はご存じでしょう。

植民地を獲得し、現地を発展させ、反乱を起こされないように軍を派遣し、支配するなど、コストが掛かるばかり。

どう考えても、採算が合うとは思えません。

まして、我が国は陸軍国。

海軍を創設し、海の向こうに植民地を持つこと自体に無理があります。

我々は既にインフラが整い、住民の教育程度も高いヨーロッパを支配し、産業を振興させた方が良いのですよ」


ビスマルクの言葉にモルトケは今度こそ納得し、大きく頷いて答える。


「ご期待に沿えるよう微力を尽くすことに致しましょう」


こうして、普仏戦争は本来の世界線とは異なる時間、戦略目的をもって開幕される。


その中に、本来の世界線の戦いを知っている者が、この戦争に介入することとなる。


吉田寅次郎と高杉晋作である。

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