第二十七話 モルトケとの会談
「それで、観戦武官であるにも関わらず、シンサクはパリに行きたいと言うのかね」
モルトケが尋ねると高杉晋作が応える。
「あくまでも、名目上は、観戦武官として、ここにいるままということでお願いしたいのですが」
「我々、日本は平和を愛する国。
何処かの国と敵対するつもりはありません。
ですが、モルトケ殿は我らの師。
名目上、知られる訳にはいきませんが、師が命を懸けて戦う中、何もしない訳にはいかないではありませんか」
高杉晋作に続き、吉田寅次郎が主張する。
ここはモルトケの執務室代わりのテント。
そこで、吉田寅次郎と高杉晋作は人払いを依頼し、モルトケと会談している。
「なるほど、それでフランス語で会談することにした訳ですね」
モルトケは納得したように頷く。
この当時、外交用語としてはフランス語がメインであり、モルトケは勿論、フランス滞在中に、吉田寅次郎と高杉晋作もフランス語を習得している。
だが、国の上層部はともかく、プロシアの一般兵でフランス語をわかる者は少なく、極秘会談をするには都合が良かったのだ。
「そうです。
高杉君がパリに偵察に行くなどと言う情報は知る者が少なければ少ない程良いことでありますからな」
「君たちの気持ちはありがたい。
感謝もしましょう。
だが、指揮官としては、君たちに無駄な危険を冒させたくないというのが正直なところでね」
モルトケの言葉に寅次郎は素直に感動する。
弟子の身を案じ、守ろうとするとは何と寛大な指揮官であると。
しかし、危険を冒すだけの価値は十分にあることを寅次郎は知っていた。
まして、武士は死など、恐れぬものなのだ。
強い決意を基に寅次郎は反論する。
「我々、日本人は死や危険など恐れるものではないのであります。
師を助ける為に何もしなければ、我らの名誉が傷つきます。
その方が余程、我らには耐えがたきことなのであります」
寅次郎が胸を張って主張すると、モルトケはため息を吐く。
「確かに、死を恐れない兵は脅威だ。
そう言う意味では、日本人は手強い兵なのかもしれない」
モルトケはそう言うと、一息ついて諭すように続ける。
「だが、指揮官は兵と同じ感覚でいてはいけないと何度も教えたではありませんか。
兵を率いる指揮官は、もっと、物事を俯瞰して見なければならない。
感情よりも、論理を優先させなければならない。
指揮官は簡単に死んではならない。
戦場で指揮官が死ねば、現場は混乱する。
酷い言い方をすれば、指揮官は、最も有効に仲間を死なせ、より多くの敵を効率的に殺す方法を考えなければならないのです」
モルトケに対し、寅次郎は反論する。
「その言は、自分も理解しております。
ですが、この場の自分たちは、指揮官ではなく、兵として扱って欲しいと言っているのであります」
「同じことです。
私が言っているのは、最も有効な兵の使い方です。
兵を無用な危険に晒すのは良い指揮官ではありません」
モルトケと寅次郎のやり取りを聞きながら、晋作は気付く。
師であるモルトケは、あらゆる意味で無駄な危険を冒したくないのだと。
吉田先生は素直に、モルトケが、晋作の身を案じてくれていると考えているようだ。
だが、それだけではないのだろう。
本気で疑っているのではないのだろうけど、晋作がプロシア軍から離れ、フランス側にプロシア軍の情報を漏らす可能性も、モルトケは同時に警戒しているのだろう。
であるならば、晋作のパリ偵察が無駄な行為ではないことを説得しなければならないと考え、晋作は二人の議論に口を挟んだ。
「実は、我らは皇帝ナポレオン三世がパリを出て、援軍に出て来る可能性があると言う情報を掴みました。
その確認をする為に、私はパリに行きたいのです」
晋作の言葉にモルトケは口ひげの下の口元を綻ばせる。
モルトケにも、突然の寅次郎たちのパリ偵察提案の真意が掴めた様な気がしたからだ。
「その情報は、何処から得たものですか?」
モルトケの問いに晋作は堂々と答える。
「それは日本の国家機密に関すること。
いくら、師であるモルトケ閣下であろうともお伝えすることは出来ません」
実際のところは、平八の夢から得た知識。
それを伝える訳にはいかないし、伝えたところで信じて貰える確証などないのだ。
それならば、日本の諜報組織がヨーロッパにあると思わせた方がマシであると晋作は考えていた。
これに対し、モルトケは納得したように頷く。
「確かに、それだけの重要情報を入手する方法について、他国に漏らす訳にはいかないのは当然ですな」
モルトケはそう言って暫く考えると晋作に尋ねる。
「つまり、君たちはナポレオン三世のよる皇帝親征の噂を掴んだ。
その事実を確認する為に、シンサクをパリに偵察に行かせたいというのですね」
モルトケが確認すると寅次郎が補足する。
「現在、フランスとプロシアの戦争はモルトケ殿の戦略通りに進んでいるように見えます。
プロシアの挑発に乗ったフランスがザールブリュッケンを占領しました。
この事により、プロシアの傘下になかった旧神聖ローマ帝国のドイツ連邦の各国がプロシアに援助を求め、プロシアは労せずして、旧神聖ローマ帝国領域を支配下に置くことに成功。
その上で、フランスによるザールブリュッケン攻撃を予想し、待ち構えていたプロシア兵がザールブリュッケンを占領していたフランス軍を撃退。
現在は、サールブリュッケンから西に70kmメスにあるフランス軍プロシア攻略部隊を包囲しようとしております。
フランス軍は補給に弱点があり、フランス国内であるにも関わらず、メスへの補給路を断てばプロシア軍より大軍であるメスのフランス軍を倒すことも可能であるかもしれません」
寅次郎の説明にモルトケは優秀な弟子の理解を嬉しく思い、鷹揚に頷く。
「ですが、問題はプロシア兵の疲労です。
プロシア兵は精強であります。
モルトケ閣下の的確な指揮もあり、プロシア軍は連戦連勝。
オーストリア軍、フランス軍を次々に倒して参りました。
ですが、如何に精強なプロシア兵と言えど、戦い続ければ疲労することは必定。
長期戦は避けるべきであるかと」
寅次郎の言葉にモルトケは呟く。
「短期決戦で決着を付ける為に、ナポレオン三世は戦場で倒すべきであると考えている訳か」
「そうです。
その為に、ナポレオン三世の出兵を確認する必要があるのであります」
「だが、私も当然の事ながら、パリの軍の動向には注目している。
ナポレオン三世の動きを入手した君たち程ではないにせよ、私もパリに情報網は張り巡らせている。
それで十分であるとは思わないのかね」
平八の夢の中でも、確かにモルトケはナポレオン三世のパリ出兵の動きを掴み、戦場でナポレオン三世と戦い、ナポレオン三世を降伏させている。
だから、同じ事も可能なのかもしれない。
ただ、その時とは状況が違うというのが寅次郎と晋作の結論だった。
戦況が本来の普仏戦争とは違う。
あるいは、歴史の修正力の様なものが働き、ナポレオン三世は戦場に出てくる運命なのかもしれない。
だが、出て来ないかもしれないのだ。
ナポレオン三世が戦場に出てくれば、戦場でナポレオンを倒して、短期決戦することも可能であろう。
「それでも、確証が欲しいのであります。
ナポレオン三世が戦場に出てきているという確証があるのとないのとでは、軍の動きも異なるはずであります。
ナポレオン三世いると判れば、彼を逃さず、倒すための戦術に変更出来るのではありませんか」
寅次郎の言葉にモルトケは暫く考えてから応える。
「ナポレオン三世が出陣する可能性。
それを明確に意識はしていませんでしたが、確かに十分ありうる可能性ではありました。
皇帝ナポレオン三世は血統による正統性によらず、市民の支持によって成り立つ皇帝。
市民の支持を失わない為に、戦場に出てくる可能性は確かに十分ありうる。
ナポレオン三世は、戦場で勝利を重ねて英雄となった叔父ナポレオン・ボナパルトに憧れているようではありますしな」
そう言うと、モルトケは整えられた口ひげを右手で撫で付け、口元に苦笑を浮かべる。
「ヨーロッパを征服した英雄ナポレオン・ボナパルトの残光。
それが、あれば確かに戦意は高揚するかもしれません。
しかし、士気だけが戦場の勝敗を決める訳ではない。
教えた通り、戦場で必要なのは、より多くの高性能の武器を使い、より多くの兵で、少数の兵を撃破すること。
ナポレオン・ボナパルトは、全体としては少数の兵でありながら、戦場を高速に移動し、局地的に多数対少数の戦場を作り出し、各個撃破を繰り返す達人でありました。
決して、士気の高さだけで勝てた将軍ではありません。
更に、市民の支持獲得、ナポレオン・ボナパルトへの憧れ以外にも、ナポレオン三世が出陣する理由は存在します。
何だか、解りますか?」
モルトケの口調は何処か教授の講義を思わせる口調へと変わっていく。
寅次郎は暫く考えた後に応える。
「やはり、この戦に勝つためでありますか?」
寅次郎の返事にモルトケは苦笑する。
やはり、誠実な彼には理解しにくい心理なのだろうな、と考え、モルトケは返事をする。
「まあ、主観的にはそうかもしれない。
だが、私の考える、もう一つの理由は、ナポレオン三世自身が自分の身を守る為だ」
モルトケの言葉に、寅次郎は不満を漏らす。
「指揮官たる者が、兵を無為に死なせながら、安全の為に出陣するというのでありますか?」
「繰り返し言うが、指揮官が自分の安全を確保することは正しいことなのです。
決して、腰抜け、臆病と非難されることではありません。
君たち自身が口にしたように、ナポレオン三世が戦場で敗れれれば、それでフランスは負けてしまうのですからね」
「時には勝てない戦いから、逃げるのも将の役割ということですか」
晋作の言葉にモルトケは嬉しそうに頷く。
「その通りだ、シンサク。
勝ち目のない戦いから、将が逃げることは恥ではない。
臨機応変。
それが、戦争では最も重要なのだよ」
そう言うとモルトケは戦況の説明を始める。
「現在、フランスは二方面からの戦いを強いられている。
北の大西洋岸から大英帝国の攻撃を受けながら、東からのプロシアの攻勢を受けなければならない。
これは、戦略としては大失敗だ。
ナポレオン三世は、どんなに我らプロシアが挑発しようとも、プロシアを攻撃するべきではなかったのです。
あるいは、プロシアを許すなという市民の声に逆らえなかったのかもしれないが、二正面作戦は厳に避けるべき状況だったのです」
そう言うとモルトケは、地図を指さして続ける。
「既にフランス軍は大英帝国対策で北の大西洋岸に大軍を配備してしまっている。
そんな中、ナポレオン三世は、なけなしの兵を振り絞り、プロイセン攻撃の兵も集めてしまった。
そして、そのプロイセン攻略軍が、メスで我らに包囲され、壊滅しようしている。
この極限状態で、ナポレオン三世は選ばなければならないのだ。
メスの軍を救援する為に、どれだけの数のパリ防衛軍を割いて、メスに向かわせるのかを」
モルトケは、地図でパリからメスへと指でなぞりながら続ける。
「メス救援の軍を出せば出すほど、パリの防衛は手薄となる。
加えて、パリは元々、防衛に適した街ではない。
ナポレオン三世が、パリに残れば、減少した戦力で、我らの攻撃を受けなければならないかもしれない」
「それならば、パリの防衛を捨て、全戦力を率いて、メス救援という名目で戦場に出た方が安全ということですか」
晋作が納得の声を上げると、寅次郎が憤慨する。
「しかし、それでは、民草を見捨てて逃げるに等しいではありませんか。
人の上に立つ者と取るべき態度であるとは思えません」
寅次郎の言葉をモルトケが宥める。
「だが、本音はどうであろうと、実際に見えるのは、危険を冒して戦場に友軍を救いに向かう皇帝。
勝つために戦う皇帝だ。
パリ市民は、喜んで彼を送り出すことだろう。
軍の士気が落ちることもない。
実際に勝つことが出来るのならば、ナポレオン三世の対応は正しかったとされるとは思わないかね」
「しかし、人の上に立つ者であるならば、民草を守るべきであります。
上に立つ者が民草を守るからこそ、民草は上に立つ者を支持するのではありませんか」
「自分の身を守る為というのは、あくまで私の憶測に過ぎない。
ナポレオン三世は、本気で勝つために出陣するのかもしれない。
憶測で他人を非難するのは間違っているとは思わないか、トラ」
モルトケがそう指摘すると、寅次郎は驚き頭を下げる。
「確かに、その通りでありました。
ナポレオン三世が、どの様な意図で出陣するかは、あくまでもモルトケ閣下の憶測。
それにも関わらず、非難するなど、僕の方が間違えておりました」
寅次郎の素直さにモルトケが目を細めると晋作が尋ねる。
「では、モルトケ閣下は、ナポレオン三世出陣を予測し、それを前提に兵を出されるのですか」
晋作が尋ねると、モルトケは首を振る。
「いや、そこまではしない。
軍は臨機応変にするべきだ。
ナポレオン三世が出てきても、出て来なくても、大丈夫な様に動けば良いのだ」
「しかし、ナポレオン三世を打ち漏らせば、戦争は長期化するのではありませんか」
寅次郎の言葉にモルトケは微笑で応える。
「そうはさせない。
ナポレオン三世出兵の可能性を教えて貰っただけで、君たちの貢献は十分だ。
シンサクも、観戦武官を続けて、私の戦いぶりを見ていたまえ。
二正面作成を始めた時点で、フランスは戦略的に敗北しているのだ。
ナポレオン三世の勝ち目はもうない。
パリに残ろうと、メス救援軍に参加しようと、そこから逃げて大西洋岸にいるフランス軍と合流しようとも、フランスは既に負けているのだ。
君たちは、私の戦いぶりから、多くのものを学んで欲しいものだな」
そう言うとモルトケは獰猛な笑みを漏らす。
こうして、フランス・プロシア戦争は新たな局面を迎えるのであった。
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