第二十二話 大戦の行方

1863年夏、アメリカで三国が成立し、ヨーロッパではプロシアとフランスの激突が目前に迫る頃、佐久間象山と平八は江戸で状況の分析をしていた。


佐久間象山の下には世界各地からの報告が集まってきている。

戦争が始まる直前の頃から、象山は最速で世界の情勢が伝わるよう情報収集船を用意させていた。

世界各地から集まる日本の商船に加え、情報のあるなしに関わらず、定期的に各地から日本に送りこまれる情報収集船。

それでも、遠いヨーロッパの情勢を知るには2週間程度は掛かってしまう。

だが、それでも、この当時において世界最速の情報網であることに変わりはなかった。


もっとも、奴隷解放宣言や奴隷人権宣言の伝播は、この伝令船を使ったものではない。

これらの宣言は事前に、植民地各地の日本の使者に伝えられ、宣言が出される予定の際に、植民地各地で日本の使者によって一斉に噂としてばら撒かれていたのだ。

情報収集船は、宣言の影響や情勢の変化を江戸に報告する為に使われていた。

そして、そんな報告を見ながら、佐久間象山は嬉しそうに笑う。


「これを見たか、平八君。実に面白いぞ」

象山はアメリカで発行されて届けられた新聞を平八に見せ、嬉しそうに話す。


「先生、アッシには異国の言葉は読めませんよ」

平八が苦笑しながら答えると、象山は驚いたように呟く。


「平八君、君が僕の中間を始めて何年になる?」


「確か、10年程になると思いますが」


「10年もいるのに、異国の言葉の一つも読めるようになっておらんのか?

僕の文の代筆など、随分やらせ、色々勉強させておいたと思ったのだが」


「確かに、先生の仕事のお手伝いで無学なアッシが大分勉強をさせて頂きました。

ですが、アッシはもう60ですよ。

60にもなって、異国の言葉を覚えるなんて」


「何を言っておる。

解体新書を訳した前野良沢などは、80歳で死ぬまで、語学の勉強を続けていたと言うぞ。

君など、まだ60歳。

その気になれば、英語やフランス語を学ぶことなど難しくはなかろう」


「そいつは、象山先生の様な天才であればのお話でしょう。

アッシは凡人でございますからな。

おまけに、最近は細かい字が読みにくくなってまいりましたし。

先生のようには、とても、とても」


平八がそう言うと象山はため息を吐く。


実際のところ、異国に行かず、30歳を過ぎて、オランダ語を始め、英語、フランス語等、各国の言葉を使えるようになってしまった象山の方が異常なのである。

世界から情報を集める情報収集船は、現地にいる日本人の集めた日本語の報告の他に、現地で発行された新聞など、可能な限りの情報収集を行い日本に届けてくる。

日本語の情報は、そのまま幹部に伝えられているのだが、現地の新聞などは、その国の言語が読める者が翻訳し、国防軍、日本商社の幹部に伝えることとされていた。

だが、それでは、翻訳に時間が掛かるので情報が伝わる速度も遅くなるし、情報の取捨選択で大事な情報を見落とす可能性も出てくる。

それ故、異国の言葉で伝えられた情報を翻訳して幹部に伝えるという方法は維持しながらも、補完的な役割を象山が果たしていた。

異国の言葉で伝えられた情報を真っ先に象山が読み込み、象山が情報の取捨選択をして、興味深い記事に関しては、翻訳と更なる調査を指示する様にしているのである。

普通に考えれば、情報量から考えれば異常な仕事量ではあるが、天才佐久間象山には容易いことだった様だ。


ちなみに、佐久間象山の情報収集能力と言うのは、平八の見た夢の中でも異常なものがあった。

平八の見た世界線において、象山は吉田寅次郎のアメリカ密航の罪で罰を受け、故郷松代藩で蟄居(事実上の軟禁)の状況にあった。

それなのに、幕府よりも正確にインド大反乱の状況を把握し、大英帝国が日本に攻めてくるかもしれないというアメリカ公使ハリスの嘘を見抜き、性急な日米修好通商条約を批判していたのが、佐久間象山という男なのだ。


「凡人と言うのは不便なものだな。

では、僕が説明してやろう。

平八君は、僕の書いた奴隷解放宣言の内容を覚えているか?」


「確か、奴隷解放宣言という名目でありながら、奴隷解放だけに留まらず、全ての差別に反対し、コロニー独立戦争の精神的支柱となる様なものであったかと」


「そう、その通りだ。

恐らく、英語で書かれた文書の中でも、最高の名文として歴史に残るものであろうな。

さすがは、僕だ。

何を書いても、名文となってしまう。

名目上の作者がリンカーンになってしまうのは不本意ではあるが。

その事がリンカーンを追い詰めるのだ。

ならば、リンカーンが僕の代わりに歴史に名を遺す程度のことは許してやらんでもないな」


象山が楽しそうに話すのを見ながら平八は苦笑する。

こういう自画自賛を平然とするのが佐久間象山。

嫌いな人間は鼻につくのだろうが、平八や勝麟太郎は、腕白小僧を見ているようで、何処か微笑ましい気分になる。


「で、その奴隷解放宣言がどうなさったででございますか?」


平八が尋ねると象山が応える。


「そうそう、その奴隷解放宣言を批判した者がいると言うのだ。

面白いと思わないか?」


象山が楽しそうに聞くのを平八は意外な気分になる。

象山先生なら、自分の意見を批判されたら、ヘソを曲げそうなものなのに。


「何が面白いんでございますか?

象山先生のお考えについて来れない者が批判することはおかしくないとは思いますが」


「いやいや、そうではないのだ。

僕の解放宣言は、全ての差別に反対すると言いながら、女子おなごの解放が含まれていないとアメリカで批判した者がいると言うのだ。

面白いと思わんか?」


女子おなごの解放でございますか?」


「そうだ。

僕の周りには、学を修める女子がいないからな。

お順(象山の妻で勝麟太郎の妹)も聡明ではあるが、学問をしている訳ではない。

だから、僕としたことが見落としていたようだ。

人であれば、男であろうと、女であろうと関係ない。

才があれば認めるべきであると主張している女子がアメリカにいると言うのだ。

確かに、それは正しい。

となればだ。

どれだけの才が、この世に現れると思う?

実に面白いとは思わぬか?」


子どもの様な好奇心でワクワクした象山の顔を見て平八は可愛いと感じる。

本当に子どもがそのまま大きくなってしまった天才少年が佐久間象山なのだろう。

そんな象山を微笑ましく思いながらも、平八は気を引き締め、話の方向修正を試みる。


「確かに、面白いことではございますな。

しかし、その様な声は大きく、地球の情勢が大きく変わるものなのでございましょうか?」


平八がそう言うと象山は残念そうに呟く。


「いや、記事としては大きくはない。

恐らく数少ない学のある女子が僕の宣言を批判したに過ぎないのだろう。

となれば、女子の才が地球の情勢に影響を及ぼすのは、もう少し待たねばならぬだろうな」


「となれば、そちらの話は後回しにした方がよろしいのではございませんか?

今はいくさの最中。

少しでも緊急性のある情報から、お上に伝えた方がよろしいかと」


平八がそう言うと象山は少し考えてから応える。


「確かに、その通りではあるが、現在の情勢において、日ノ本が表立って打てる手は然程残ってはいないのだ」


「と申しますと?」


「まず、アメリカの情勢だ。

アメリカは、どうやらアメリカ天下三分の計が成功している様だ。

おそらく、これ以降、アメリカ西部、ロッキー山脈の西が戦場となることはない。

うまく行けばアメリカ原住民部族連合の国が成立する事も十分とあり得る。

その上で、大英帝国が支持する南部のアメリカ連合国とフランス・ロシアが応援するアメリカ合衆国の対立は続くだろう。

僕の渡した二つの宣言が、二国を不倶戴天の敵としてしまったからな」


奴隷解放宣言と奴隷人権宣言は、国の成り立ちの基礎を支える思想の対立にも繋がる。

単なる奴隷制度の是非、経済上の対立に留まらず、思想の対立となり、両者の妥協は難しくなるだろう。


「現在のアメリカ情勢において、日ノ本が出来うることは残っておりますか?」


「今はまだ、日ノ本は目立つべきではない。

戦うにしても、まだ準備に時間が必要なのだ。

それ故、表立って、どちらかの勢力と対立すべきではない。

アメリカ連合国からは綿花を買い取り、アメリカ連合国の百姓の生活を支えてやっても良いだろう。

アメリカ原住民部族連合に武器を売り、食料を売ってやる代わりに、金鉱やオイルなどの採掘権を貰っても良いだろう。

何のかんの言って、アメリカ合衆国は、アメリカ連合国の倍近い勢力だ。

大英帝国がアメリカ連合国を応援するにしても、日ノ本もアメリカ合衆国に対抗する勢力を裏で支えねば、アメリカは僕の望む状況にはならないのだからな」


「それが、アメリカ天下三分の計でございますか」


「そうだ。

アメリカ人たちが、ヨーロッパから大海で隔てられ、攻められる恐れのないアメリカを神に与えられた土地と言っていることを平八君は知っているか?」


「いえ。

しかし、原住民から土地を奪いながら、随分と図々しいことを言っておりますな」


「全くだ。

原住民を虐殺し、土地を奪った野蛮人の末裔が、攻められる恐れのない場所で強大な力を手に入れる。

そんな事は悪夢でしかない。

その末裔に良心がないならば、同じ野蛮さで地球の各地で侵略の牙を剥くだろう。

もし、良心があるならば、誰よりも正しくあろうと、己の正義を押し付ける様になるだろう。

それも己が攻められる危険がないことから、軽率に武力を振り回す可能性が高い。

どちらにせよ、日ノ本にとっては迷惑極まりない存在だ。

ならば、分裂させてしまった方が良い。

己が攻められる恐れがあれば、簡単に日ノ本に手を出すことも出来ないだろう」


象山がそう言うと平八はため息を吐く。


「その為に、国防軍の教官を務めて下さるグラント様や海軍で甲鉄艦を開発して下さったブルック様の国を割りますか。

一体、どれだけの血が流れるのでしょうな」


「何もしなければ、ジョン(ブルック)のアメリカ連合国が犠牲になっただけだ。

いくさを始めたのは、アメリカ人。

僕はそれを最大限利用し、これでも犠牲を減らす努力はしたつもりだ」


「その為の三国鼎立でございますか」


「そうだ。

二国だけならば、どちらかが完全に滅びるまで徹底抗戦してしまう恐れがある。

だが、第三勢力が存在すれば、徹底抗戦という選択肢は取りにくくなる。

まあ、それも、坂本君たちがどう対応するか次第になってくることではあるがな。

うまく、三国が成立してくれれば、アメリカ西海岸を支配する原住民部族連合が海を出て、日ノ本を攻める恐れはなし。

アメリカ連合国にも海軍力や工業力が足りん。

攻めてくる恐れはない。

そして、一番危険なアメリカ合衆国は、アメリカ東海岸を中心に成り立つこととなり、日ノ本を攻める可能性は下がることとなる」


「確かに、そうなればアメリカから日ノ本までの海は、日ノ本にとって安全な海になりますな。

その為に、陰から原住民部族連合とアメリカ連合国を支えるしかないと」


「うむ。

アメリカ西海岸に残ったアメリカ合衆国艦隊が蠢動する可能性もあり、その場合、日ノ本の艦隊と激突する恐れもあったのだがな。

大英帝国艦隊の活躍でアメリカ東海岸の合衆国艦隊は壊滅。

西海岸の艦隊は東海岸を守る為、南アメリカ大陸のマゼラン海峡を抜け、東海岸に向かったと言う。

となれば、日ノ本がアメリカで出来ることは、もうほとんど残っていないのだよ」


「しかし、アメリカの趨勢は、ヨーロッパでの戦の推移に係わっているのではございませんか?」


平八がそう言うと象山が嬉しそうに言う。


「平八君も大分、盤面が広く見える様になってきているではないか。

確かに、ヨーロッパの戦争でどちらが勝つかによって、アメリカでの援軍の数が変わって来るのは確かではある。

大英帝国が勝てばアメリカ連合国が有利に、フランス・ロシア連合が勝てばアメリカ合衆国が有利になるからな」


「今のところ、大英帝国はフランス・ロシアの無差別通商破壊攻撃で消耗しているとか」


「それだけではない。

僕の仕掛けた奴隷解放宣言でコロニーの独立運動が活性化。

大英帝国は、奴隷解放宣言を出し、コロニーの希望の星となりつつあるアメリカ合衆国を攻撃せざるを得ない状況に追い込まれておる」


「大英帝国の消耗は日ノ本にとってありがたいことなのでございましょう。

大英帝国は地球制覇を目指す侵略大国でございますからな。

ですが、大英帝国が破れてしまえば、アメリカ連合国が破れる恐れがあるのではございませんか」


「その為のプロシア参戦だよ。

元々は岩倉(具視)《いわくらともみ》卿と吉田(寅次郎)君の献策によるものなのだがな。

大英帝国が程よく消耗した頃に、プロシアが大英帝国側で参戦する。

大英帝国に欠けている陸軍力をプロシアが補完し、フランス大西洋岸を制圧する。

そうすれば、無差別商船攻撃の基地としていたフランス・ロシアは、攻撃の足掛かりを失う。

実に良く出来た策だとは思わんかね」


楽しそうに話す象山を見て、平八は少し意外な気分になる。

佐久間象山は、いつでも自分が一番でないと気が済まない天才少年。

それ故、他人の策には厳しく、一橋慶喜の結んできたアラスカ購入にも散々文句言っていたはずなのに。

不思議な気分になりながら、平八は象山に尋ねる。


「確かに、アッシの見た夢では、これから数年後、フランスとプロシアはいくさを起こし、プロシアが圧勝することとなります。

ですが、その時とフランス側の陣営は異なります。

必ず、その通りになるとは」


「確かに、フランス側の陣営は異なるのやもしれん。

だが、プロシア側の将軍は、君の夢で勝つはずのモルトケだ。

多少の被害は出るかもしれないが、大英帝国・プロシア連合がフランスに負けることはあるまい」


象山の言葉を聞いて考えてから、平八が尋ねる。


「ですが、それではプロシアが勝ち過ぎなのではございませんか?

今回の戦の前半でプロシアは東側に領土を拡大。

その上で、西側にも領土を拡大するとなると、プロシアが次の脅威となる恐れはございませんか」


象山は平八の疑問に楽しそうに頷く。

これが10年近く続く、年の離れた子弟のやり方だ。

平八が不安な点を質問の形で象山に示し、それを象山が応える。

それにより、象山も自分の見落としの確認をしているのだ。


「吉田君たちの報告によると、その恐れは非常に低い。

まず、第一にプロシアは陸軍国家。

日ノ本を攻める為の艦隊がないのだ。

それ故、プロシアが勢力を拡大しようとも、日ノ本の脅威とはなり難い。

むしろ、プロシアの陸軍力はロシア陸軍に対する抑止力となりうるのではないかな。

そして、第二に、プロシア宰相ビスマルクには、コロニー獲得の意思がない。

侵略戦争を繰り返しているように見えるが、彼の考え方の根本はプロシアの安全と安定。

潜在的な敵を倒し、侵略される恐れを無くせば、プロシア産業振興を進めるのが彼の考え方。

わざわざ、独立運動が活性化しているコロニーを獲得して、大英帝国と対立するつもりはないようなのだよ」


そう言われて平八は再び考えてから尋ねる。


「しかし、それはビスマルク閣下の考え方。

アッシの夢では、ビスマルク閣下引退後、ドイツ帝国皇帝はコロニー獲得に乗り出したかと」


「君の見た夢では、コロニー独立運動など起きていないのだろう?

コロニー支配など、採算の取れない事業にしてしまえば、コロニー獲得をしたい者などいなくなるに違いない。

加えて言えば、今回の大英帝国とプロシアの共闘は、長期に渡る両国の緊密な協力関係を生み出す可能性も高いと言う。

ならば、大英帝国に対立してまで、プロシアがコロニー獲得に乗り出す可能性も低くなるだろう。

実に良く出来た策だと思うぞ」


楽しそうな象山の様子に一抹の違和感を感じながら、二人の状況分析は続いていく。

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