第三十三話 在広東イギリス領事、ハリー・パークス

香港について、7日目、やっとパークス領事との面会の約束が取れ、アッシらは香港にある広東イギリス領事館に向かいました。

アッシに同行されるのは、中島三郎助様と江川英敏様。

基本通詞するのは江川英敏様なのですが、若い英敏だけだけではアッシの発言を訂正するのに心配だと言うので、中島三郎助様にもお願いして同行して貰ったのでございます。

アッシと面会するハリー・パークス領事は、1828年生まれの29歳。

アッシが夢で見た写真の姿とは、大分違いますな。

アッシが夢で見た写真では、もっと年を取ってからの写真だったのですかね。

アッシの知っているパークス様は、髪が薄くなり、髷を結う為に前頭部から頭頂部まで髪を剃りあげた月代さかやきの様な髪型をしていたのでございますが、若い所為かパークスの髪はまだ豊かに残っておりました。


「オンションテ、ムシュ パークス。ジュスイ ハビィ ブー ドゥ コネートル」


アッシが挨拶をして握手の為にパークス様に手を差し出しますと、パークス様は少し驚いた様な顔をして挨拶を返されます。


「パークス殿は、驚きながらも挨拶を返し、あなたはフランス語が話せるのかと聞いております」


英敏様がパークス様の言葉を訳すとアッシは微笑んで返事を致します。

今回の会談では、とりあえずアッシはハッタリをかまして常に余裕を見せようということになっているのでございますな。


「いいえ。生憎、僕は英語もフランス語も話せません。

外交において、ヨーロッパではフランス語が公用語であるとフランスのグロ男爵にお聞きしたので、挨拶だけでもと思って、フランス語で話してみました。

僕の発音は通じましたでしょうか」


アッシがそう答えるのを英敏様が訳されます。

ちなみに、このグロ男爵というのは、平八の夢ではアロー戦争においてフランス軍の指揮を執った人物であったり致します。

それで今、上海にいるイギリス領事が英首相パーマストン子爵に清国への武力行使を勧めてアロー戦争を引き起こしたと言われるラザフォード・オールコック様。

この方は、アッシの夢では、後に初代駐日英国総領事となられ、薩英戦争、四国艦隊下関砲撃事件などを起こされる、強硬派であったりもします。

ロシアとの戦争が継続し、天竺で反乱が起きている現在の状況では、イギリスが清国に対し武力行使する余裕はないはずなのですが、恐らく太平天国に攻撃を開始したのは、このオールコック様でございましょうね。

アッシがそんなことを考えていると、パークス様は安心した様に頷き、返事をなさいます。


「なるほど、フランス領事グロ男爵の入れ知恵でしたか。

確かに、複数の国の人間が同時に話す場合、ヨーロッパではフランスで話す場合もありますが、我々と対談する場合なら、無理にフランス語で話すことはありません。

相手の国の言葉で話すことは、相手に対する敬意を示すものですから、失礼でも何でもありませんからね。

これからの会談は、英語で行いますか?フランス語で行いますか?そちらの得意な方でどうぞと申しております」


英敏様がそう訳されるのでアッシは返事をする。


「それでは、大英帝国に敬意を表し、英語で話しをしましょう。

改めて、私は佐久間平八。幕府の命を受け、今回の上海での暴動の調査に参りました」


「その事は、面会の際の書状で伺っております。

あなた方は、上海の現状を何処までご存じなのですか」


「太平天国が上海にあるイギリスの租借地のアヘン商人の取り締まりという名目で異国人の租借地を襲撃したこと。

それに対してイギリス海軍が上海在住イギリス人保護という名目で太平天国への反撃を開始したという

ことは聞き及んでおります」


アッシの言葉を英敏様が訳すとパークス様は頷き、答えられます。


「その通りだ。大筋において、間違ってはいない」


「しかし、太平天国には、4年ほど前、ボナム英国公使が面会に行き、清国と太平天国の間のいくさに対する中立を宣言したはず。

それなのに、どうして、太平天国は上海に対し攻撃を開始したのでございましょう?」


アッシがそう言うとパークス様は再び驚いた顔をする。

鎖国をしていた田舎者の島国がどうして、そんな情報までと言ったお気持ちでしょうかね。

まあ、この辺はアッシの記憶もございますが、日ノ本自身が情報収集を積極的に行っているというのもあるのですよ。

なるべく戦うことを避ける為にも、情報は最重要課題となりますからな。

暫く考えた後、パークス様は答えられます。


「名目だけを言えば、アヘンの取り締まりであると主張している。

アヘンなぞ、酒と変わらぬ。

むしろ、酒は時に人を狂暴にするが、アヘンは人を夢見心地にさせ、大人しくさせるものであると言うのに。

頑迷なことだ。

それに、そもそも、我らは南京条約で清国より領事裁判権を取得している。

彼らの法で、我らは裁けないのだ。

それを今更」


パークス様は呆れた様にため息を吐かれます。

まあ、この頃のイギリス人の感覚では、アヘンとは然程、有害ではないものという認識なんでございますね。


「確かに、上海租界の中で、自分の趣味でアヘンを吸うならば問題はございませんな。

しかし、清国も太平天国も、自国内でのアヘンの使用は禁じていたはず。

それにも関わらず、法を守らず、清や太平天国にアヘンを売りつけたやからがいたから、太平天国が取り締まりを行ったのではございませんか?」


アッシがそう言うと中島様が江川様の通訳を止めてアッシに尋ねられる。


「それは、少々太平天国の側に有利過ぎる憶測であろう。

イギリス側の機嫌を損ねるだけではないのか」


「少し言質をとりたく、失言を誘っております。

失言があれば、それだけ、これからの交渉も有利にもなりますからな。

象山先生が、よく使われる手でございまして」


アッシがそう言うと中島様は納得され、改めて英敏様が通訳なさる。

通訳された言葉に対し、パークス様は苦笑して返す。


「太平天国側は、その様に主張している様ですな。

ですが、その様な事実はありませんし、先程申し上げました通り、そもそも南京条約で我らは清国より領事裁判権を得ています。

我らイギリス人が、清国の法に従う理由はないのですよ」


「それは、イギリス側がきちんと捜査した上でのことでしょうか?

先程、あなたは、イギリス人は清国の法に従う必要はないと仰いました。

しかし、相手を不快にさせてまで、何を求められるのでしょうか。

我ら日本人は順法意識が強く、郷に入っては郷に従えと、他所に行けば、そこの人たちの法に従うのが常識です。

それに対し、イギリスは、約30年前も、アヘンを禁ずる清国の方針に反発して、清国を攻撃した事実を我々は知っています。

だから、聞きたいのです。

あなた方、イギリス人に法を守る順法意識という物が存在するのかという事を」


アッシがそう言うと英敏様は中島様を見て確認する。

中島様は、アッシの意図を見抜いた様で頷かれるので、改めて英敏様が訳される。

訳された言葉を聞いて、パークス様は嘆く様に仰せられる。


「なるほど、アヘン戦争のことで、あなた方は我らに不信感をお持ちであるということでしょうか。

あの戦争に関しては、イギリスでも国論を二分するものでして。

イギリスは紳士の国。文明国です。

順法意識は当然ございます。

そして、我がイギリスにも村に入れば、村に従えという言葉がございます。

我らイギリス人は、清国の法を守る必要がないとは言え、進んで清国を不快にさせる行動を取ることはありません」


「それでは、再度確認させて頂きますが、上海から太平天国にアヘンを売った商人はいないと確認は出来ているのですな」


「それでは、私も正確にお答えしましょう。

現在までのところ、上海からアヘンを売った商人の存在は確認されておりません。

そして、その上で、我々の法理には、『疑わしきは罰せず』という言葉がございましてな。

アジアでは、疑われれば罰せられる傾向がある様ですが、我らは疑われても罪が証明されない限りは被告人を罰しないのです」


英敏様が訳されるパークス様の言葉に思わず苦笑が漏れる。

アッシの夢では、パークスというお人は、証拠もないのにアロー号という船に難癖をつけて、アロー戦争を引き起こした方だ。

よく、そんなことを言えたものだ。

まあ、実際に、その様な事件は起きていないのだから、それを責めるのはお門違いではありますが。

いずれにせよ、言葉だけでは信用してはいけない人物であることは間違いないでしょうな。


象山先生の推測だと、クリミア戦争継続及びインド大反乱の勃発で上海からイギリス軍艦が減ったから、勝てると思った太平天国が手を出した可能性もあるとはいうのだけれど。

その様なことをパークス様が言い出すはずもなし。

話を先に進めることに致しましょう。


「『疑わしきは罰せず』ですか。

覚えておくことといたしましょう。

ところで、上海での戦況はどうなったのでしょう。

既にイギリスは太平天国の撃退を終えたのでしょうか」


アッシがそう尋ねるとパークス様は首を振り答える。


「残念ながら。まだ、ですな。

何でも南京を陥落させたという将軍が指揮を執り、数万の軍勢が攻めよせているとのこと。

さすがに、数万の大軍を瞬時に壊滅させるだけの兵力は、今の上海にはありませんよ」


あれ?南京を陥落させた太平天国の将軍て、アッシの夢では去年の南京陥落後、太平天国内の内紛で粛清されていなかったっけ?

アッシの記憶違いですかね?

それとも、運命の糸が大きく変わってきている?

まさか、裏にロシアの暗躍とかがあったりはしないだろうな。

確かに、天竺だけでなく、清国でもイギリスを追い落とす事が出来れば、ロシアはより有利になるとは思うのだけど。

さすがに、太平天国に手を出すには遠過ぎる気もするのだが。

もし、太平天国の裏にロシアの影があるとすると厄介だ。

アッシの夢では、遅かれ早かれ清国を支配することになるロシア帝国ではありますが。

日ノ本を守ることを考えれば、ロシアの清国支配は遅いに越したことはないし。

万が一を考え、太平天国に対する連絡方法も確立しておいた方が良いかもしれないな。

そんなことを考えながら、アッシは予定していた提案をすることにする。


「なるほど、数万の大軍とは、それはお困りのことでしょう。

何かお助け出来ることはありませんか?」


アッシがそう尋ねると、パークスは苦笑して答える。

日本なんて未開の国が大英帝国を助けられるなんて、夢にも思っていないのだろう。


「お気持ちは大変有難い。

しかし、今回の暴動に対し、あなた方、日本にお願い出来ることはないでしょう。

それとも、一緒に太平天国に大砲でも打ち込んで下さいますか?」


パークス様が冗談混じりに返事をされるので、アッシも苦笑して返す。


「残念ながら。

今、ロシアといくさの最中のイギリスと共に戦うことは出来ません。

我らは、イギリスとロシアの間の戦いは中立を宣言しておりますからな。

我らは約束を順守するのです」


まあ、本当は、イギリスに肩入れして、ロシアに日本攻撃の口実を与えたくないというのが一番の本音ではありますが。


「素晴らしい順法意識ですね」


パークス様は皮肉気に呟いて続ける。


「ですが、戦わず、どうやって我々の助けになると?」


「上海からの脱出を望む方の手助けは出来るかと。

上海にいる方々も、いくさを覚悟して来た方ばかりではなく、いくさになるなら、上海を出たいという方も少なくないはず。

ですが、フランスやオランダに聞いたところだと、脱出するにも船の数が足りないと聞いております」


アッシの提案を聞いてパークスは暫く考えてから答える。


「確かに、有難い提案ではあります。

ですが、我々イギリス人は日本人と清国の人間の区別が出来ません。

脱出させると提案しても、あなた達を信用して、あなた方の船に乗り込むイギリス人はいないのでは?

いや、そもそも、あなた方が上海に行けば、我がイギリス海軍に敵と誤認され、攻撃される恐れすらありますよ」


その上で、本音を言えば、日本人なんかの操艦する船がちゃんと到着するか解らないから乗りたくないというところでございましょうか?

まあ、外交儀礼として、そんなこと口には出来ないのでしょうが、お気持ちは解ります。

ですが、その辺の対策は既に打っておりましてね。

アッシは苦笑しながら返事をする。


「攻撃されるのは困りますな。

あなた方の法理は『疑わしきは罰せず』なのではありませんか?

誤認で大砲を撃たれては堪りませんよ」


「申し訳ないが、それは平時の法理です。

戦争中で攻撃される恐れがあれば、防衛の為の攻撃は正当化されるのですよ」


「なるほど、戦時では疑わしきは攻撃しても構わないという事ですか。

これも、覚えておきましょう。

ところで確認したいのですが、イギリスが攻撃される恐れがないと証明出来て、我らの船に乗れば安全に香港に行くことを証明出来れば、脱出のお手伝いをしてもよろしいという事でしょうか?」


アッシがそう尋ねるとパークス様は皮肉気に答えられる。


「そんなことが可能であれば、大変有難いことですな」


「なるほど、それならば問題ないやもしれません。

実は、我らの船には観戦武官として、我が国の海軍教官をされているカッテンディーケ様が乗艦しておりましてな」


これが日本から連れてきた隠し玉ということでございますな。

ヨーロッパやアメリカで持て囃されても、アジア在住のヨーロッパ人達が日ノ本をどれだけ認めているかは未知数。

むしろ、他のアジアの国と接しているだけあって、日ノ本を軽んじる可能性も高いというのが、象山先生の読み。

だから、認めざるを得ない存在として、カッテンディーケ様に、近藤さん達がヨーロッパでやっているという観戦武官になることをお願いしたのですよ。

カッテンディーケ様は、アッシの夢では日ノ本を離れた後、オランダの海軍大臣や外務大臣を務める大変優秀な方。

オランダ人の脱出の手助けもすると聞いて、喜んで観戦武官としての参加に賛成して下さったのでございます。


「オランダ海軍の軍人が観戦武官をしている?

それは、本当かね?

それなら、どうして、ここに同席させないのですか?」


英敏様が訳される言葉を聞いて、中島様が眉をひそめられる。

そこで、アッシも間髪入れず答える。


「当然でしょう。

我が国は独立国。

オランダの属国ではありませんから、二国間の外交交渉の場に他国の人間を同席させることなどありえません」


そう言われて、パークス様も失言に気付かれたようで、訂正される。


「失礼。そういう意味ではありません。

ですが、オランダ海軍の軍人が同乗することを証明出来なければ信用しろと言われても」


「我らは嘘を申しません。

確認したいのなら、オランダ領事館に滞在中のカッテンディーケ様をお尋ね下さい。

観戦武官として同乗することを保証して下さると思いますよ。

それに、それだけではありません。

カッテンディーケ様が同乗することを確認したフランスのグロ男爵から、フランス人救助の為ならばフランスからも観戦武官を出したいと、ベルクールという方を紹介されておりましてな」


このベルクール様というのは、アッシの夢では初代駐日フランス公使となられる重要人物の一人。

実は観戦武官に誘った時に、日本の力を見せつけようと誘導したのではあるのだけれど。

呆気に取られるパークス様に追い討ちを掛ける。


「それでは足りませんか?

それでも、上海に行けば、イギリス海軍に攻撃される危険があるというのならば、その旨をオランダとフランスに説明し、我らは日ノ本に帰ることと致しますが」


アッシがそう言うと、パークス様は苦虫を嚙み潰したような顔になり


「いや、待ってくれ」


と言ったきり黙り込む。


まあ、そりゃあ、そうでしょう。

オランダとフランスの救助作戦が友邦のはずのイギリスの妨害で出来なくなるなんて説明されたら、パークス様の立場がなくなるのは火を見るよりも明らかでございますから。

となると、パークス様の取れる手が一つだけのはずですが、やりたくはないのでしょうね。

暫しの沈黙の後、パークス様は重い口を開く。


「それでは、我が大英帝国からも、観戦武官を出すことにしよう。

その上でイギリス国旗も預け、イギリス国旗の掲揚も許可しよう。

そうすれば、いきなり砲撃に遭う危険は減り、臨検で寄って来た場合は観戦武官に説明させれば問題は起きないだろう」


「なるほど、それは実に良いご提案ですな。

それでは、急いで人選をお進め下さい。

明後日には香港を出て、上海に向かいますので」


そう言うと、アッシは微笑んで見せ、内心で大きく安堵の吐息を漏らす。

とりあえず、最初の関門は突破成功ということでよろしいのでしょうな。

微笑んで見せておりましたが、手足から血の気が引き、変な汗で体中ベットリでございますよ。

こんなことを平然とやってのける象山先生や勝さんたちはやっぱり違いますな。

責任もなく、脇でゴチャゴチャ言う分には全然平気だったのですが。


まあ、話している内に、今回の件の糸口が見えてきた様な気もします。

商社に戻ったら、早速、中島様と英敏様に相談すると致しましょうか。


そして2日後、アッシらは、カッテンディーケ様、ベルクール様、そして代役を見つけられなかったパークス様を観戦武官として、上海へと出発したのでございます。

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